ランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック)は日曜日のオーストラリアはアデレードで開催されたツアー・ダウンアンダー最終ステージを最後に、アメリカ国外で出場する最後の国際レースを終えた。39歳。キャリアの最後はかすれてしまった感があるが、2度にわたる劇的なカムバックという強烈な印象を残した。

海外最終レースを走るランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック)海外最終レースを走るランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック) photo:Kei Tsuji「僕は水を出た魚だよ」アームストロングはレースの最初の日にそう言った。「レース無し、トレーニング強度を上げないで過ごした冬のあとだ。苦しいよ」。

6ヶ月前にツール・ド・フランスを走ってからというもの、アームストロングは、他の魚たち(=選手たち)とは泳いでいない。ツール以来レースに出ることはなかったからだ。

実際彼が何をしていたかというと、ハワイ島のコナの海で、泳いだり、走ったり。ハワイアイアンマンに出場する可能性を見越して、別の方向で鍛えていたというわけだ。
彼が言うに、自転車レースには無駄とも言える筋肉が増えてしまったことが、今回のパッとしない走りに出ているとのことだ。
「体重が増えてしまった。それが問題だった。循環器系は調子がいいんだ。でも上半身についてしまった筋肉が、それが君たち(報道陣に向かって)も知っての通り、サイクリングには良くなかったんだ。

アームストロングは個人総合67位で6日間のステージレースであるダウンアンダーを終えた。ステージ最高位は落車によって混乱したマナムへゴールする第2ステージの42位だった。
2009年のダウンアンダーでの「2度目の復活」と、18年前の1993年、イタリアのワンデーレース "トロフェオ・ライグエリア"でいきなり勝利するという華々しいプロデビューとは、甚大な差がある幕引きだった。

海外最終戦を走り終えたランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック)海外最終戦を走り終えたランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック) photo:Kei Tsujiしかしアームストロングが18年間で残した功績は、ツール・ド・フランスに7回勝ったことを含めてあまりにも大きい。そして数えきれないほどのドーピング疑惑と闘ってきた。ツアー・ダウンアンダー中の毎日、それらへの反論に労力を割くことは断固としてしなかった。

少しでもランスが取り合ったとき、答えは一言「それは本当じゃない」ただそれだけだった。

ランスは常にレースモードだった。
「ロビー(マキュアン)を総合優勝のために前に押し出してやれなかったのが本当に残念だ。ただそのことだけが心残りだ」。
ランスの心の切り替えは、何事においても素早い。オーストラリアの熱心なファンのは精いっぱい応え、歓迎しない質問にはすかさず「ノーコメント」で返す。

彼の筋肉は少々鋭さがなくなったが、ともかく今度こそアームストロングは彼の母国アメリカでキャリアを終えそうだ。

アームストロングのゴールは何? と訊いたとき、ランスはこう応えてくれた。

「まだわからない。今だにそれについて考えているんだ」。

マイクを握ってステージで挨拶するランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック)マイクを握ってステージで挨拶するランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック) photo:Kei Tsujiどうやら、8月に開催されるランス肝いりのコロラド州でのステージレースが、彼にとって「プロ最後のレース」になりそうだ。
しかしその前に、フロイド・ランディスらによるUSポスタル時代のドーピング告発をもとに現在進められているアメリカ食品医薬品局(FDA)による捜査をクリアする必要があるが。



text:Gregor Brown in Adelaide, Australia
translation:Makoto.AYANO
photo:Kei.Tsuji