イタリア勢の活躍により上がった山の上の観光地サンジョヴァンニ・ロトンドの熱気。中盤に再び雨が降ったが、久々にすっきりとした青空がフィニッシュで選手たちを待っていた。ジロ・デ・イタリア第6ステージを写真とともに振り返ります。


観客でごった返したチームバス駐車場(選手たちはこの間を縫ってスタートに向かう)観客でごった返したチームバス駐車場(選手たちはこの間を縫ってスタートに向かう) photo:Kei Tsuji
スタート前にフアンホセ・ロバト(スペイン、NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ)のハンドルの角度を調整する西勉メカニックスタート前にフアンホセ・ロバト(スペイン、NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ)のハンドルの角度を調整する西勉メカニック photo:Kei Tsuji
出走サインに向かう初山翔(NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ)出走サインに向かう初山翔(NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ) photo:Kei Tsuji
ジロ・デ・イタリア第6ステージのスタート地点はラツィオ州南東部のカッシーノ(CASSINO)。イタリア語で混沌(英語のカオス)を意味するカジーノ(CASINO)に似ているが違う。イタリア語でカジノを意味するカジノー(CASINO')とも違う。天候が回復したこともあり、ここまでのステージと比べて人出が多く、誰でも入ることができるチームバスの駐車場は観客でごった返した。良く言えば活気があって、悪く言えば混沌としている。ヴィンチェンツォ・ニバリ(イタリア、バーレーン・メリダ)の登場に大声援が巻き起こり、ニバリの移動とともに声援が波のようにうねっていく。

晴れ渡るカッシーノの空。しかし前日の大雨によってカメラやレンズが壊れたフォトグラファーの曇り顔がスタート地点のあちこちで観測された。中でも一番多い症状はレンズ内の結露。レンズに入り込んだ水が気温の上昇とともに蒸気となり、手の届かないレンズ内部を曇らせる。そして一度曇ってしまうとなかなか消えてくれない。

この場合の一番の解決法というか予防法は、蒸気がこもらないように気をつけながら(中途半端に袋やカバーで覆わない)、水になるべく濡らさずにカメラを使うことだが、レース撮影中にカメラが濡れるのは避けられない。濡れてしまう場合は、カメラやレンズを逐一タオルで拭き、全体を出来るだけ早く乾かすに限る。一眼レフカメラの場合は、レンズを外し、バッテリーの蓋や記録カード挿入口を全て開いて内部を乾燥させる。ダイヤル部分の水をしっかりはき出す。レンズはキャップ等を外し、ズームレンズの場合はできるだけ伸ばした状態で放置する。そして、車の中でもホテルの部屋でもいいので、埃に気をつけながらエアコンを全開にして乾燥した環境(暑くなくていい)を作り出す。大抵の場合、一晩こうしておけば水分がどこかに消えてくれる。回し者じゃないけど、経験として、キヤノンとニコンのレンズは防水性が高く、それでいて結露がなくなるのが早い。

観客のハイファイブに応えるプリモシュ・ログリッチェ(スロベニア、ユンボ・ヴィズマ)観客のハイファイブに応えるプリモシュ・ログリッチェ(スロベニア、ユンボ・ヴィズマ) photo:Kei Tsuji
カッシーノのカフェはピンク一色カッシーノのカフェはピンク一色 photo:Kei Tsuji
メイン集団から飛び出したファウスト・マスナダ(イタリア、アンドローニジョカトリ・シデルメク)らが後ろをチェックメイン集団から飛び出したファウスト・マスナダ(イタリア、アンドローニジョカトリ・シデルメク)らが後ろをチェック photo:Kei Tsuji
カッシーノの街を見下ろすモンテカッシーノの頂上には修道院があり、2014年ジロ第6ステージの山頂フィニッシュとして登場。一般的には、第二次世界大戦中に「モンテカッシーノの戦い」の舞台となった地として知られている。第6ステージはそんなカッシーノからモリーゼ州を通り、アドリア海に面したプーリア州に至る。今大会の最南端ステージだ。

「こんなに時間がないレースは初めてです。起きてから寝るまでずっと全開ですから」と話す初山翔(NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ)はチームメイトたちとともにスタートラインの前方に落ち着いた。NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネは大きな逃げグループが形成されれば選手を送り込み、逃げグループが小さければ見送り、集団スプリントになればマルコ・カノラ(イタリア)らで勝負する構え。

前日に引き続き南イタリアの道路環境は良好とは言えないため、第6ステージの大部分は高速道路のような幹線道路を走る。途中、雰囲気のあるレンガ造りの田舎町をいくつも通過するが、あまり町の中を走ることはなく、幹線道路でかすめるように通過するだけ。幹線道路を離れてしまうと、道が凸凹すぎて走れたものじゃないというのが先導モーターバイクの運転者の意見だ。

ステージ前半のアップダウンをこなすメイン集団ステージ前半のアップダウンをこなすメイン集団 photo:Kei Tsuji
アタックが決まらないまま高速で進むメイン集団アタックが決まらないまま高速で進むメイン集団 photo:Kei Tsuji
残り1kmを切ったファウスト・マスナダ(イタリア、アンドローニジョカトリ・シデルメク)とヴァレリオ・コンティ(イタリア、UAEチームエミレーツ)残り1kmを切ったファウスト・マスナダ(イタリア、アンドローニジョカトリ・シデルメク)とヴァレリオ・コンティ(イタリア、UAEチームエミレーツ) photo:Kei Tsuji
大声援を受けてフィニッシュに向かうファウスト・マスナダ(イタリア、アンドローニジョカトリ・シデルメク)ら大声援を受けてフィニッシュに向かうファウスト・マスナダ(イタリア、アンドローニジョカトリ・シデルメク)ら photo:Kei Tsuji
238kmという今大会最長クラスのステージに先に待つのは、ガルガーノ半島の山の上に位置するサンジョヴァンニ・ロトンド。下界から隔絶した感のある人口3万人弱のザ・田舎町だが、イタリア国内での知名度は高い。その要因になっているのが同地に長年住んだピオ神父(1887年5月25日〜1968年9月23日)の存在だ。不思議な力で病人を治癒したとされる神父に捧げる2004年完成の近代的なサン・ピオ・ダ・ピエトレルチーナ教会が街を見下ろす高台にあり、ジロのプレスセンターはその中に置かれた。また、カーサ・ソリエヴォ・デッラ・ソフェレンツァ病院(直訳すると「苦しみを楽にする家」)というイタリアを代表する大型病院も隣接しており、年間200万人の巡礼者や観光客、患者が集まる一大観光地となっている。

フィニッシュ脇にあるサン・ピオ・ダ・ピエトレルチーナ教会フィニッシュ脇にあるサン・ピオ・ダ・ピエトレルチーナ教会 photo:Kei Tsuji
逃げに乗ったヴァレリオ・コンティ(イタリア、UAEチームエミレーツ)といえば、2017年ジロ第8ステージで逃げに乗りながらも、残り1kmコーナーで落車してステージ優勝のチャンスを失った選手。その時のフィニッシュ地点ペスキチはサンジョヴァンニ・ロトンドから50kmほどの距離。同じ地域を走るだけに、2年前の苦い思い出とともに逃げていたに違いない。

終盤に登場した2級山岳コッパカザリネッレ(距離15km/平均4.4%)の登坂タイムを比較すると、逃げグループ(ロハス)は32分13秒、メイン集団は33分53秒、グルペットは42分49秒。メイン集団は逃げグループを捕まえるどころか、登りでさらにタイム差を与えている。ユンボ・ヴィズマは危険なタイム差にまで広がらないように気をつけながら、かといって小さすぎない絶妙なタイム差でコンティらの逃げ切りを容認した。リーダージャージをわざと明け渡すのは3週間という長丁場のグランツールならでは。

ログリッチェには申し訳ないが、やはりイタリアを盛り上げるのはシンプルにイタリア人選手の活躍だ。イタリア人選手2名が逃げ切ってステージ優勝とマリアローザ獲得。厳密にはロンバルディア人がステージ優勝して、ラツィオ人がマリアローザを獲得。さらにアブルッツォ人がマリアアッズーラを着て、マルケ人がマリアビアンカを着る。このイタリア勢の活躍にサンジョヴァンニ・ロトンドのフィニッシュ地点は大いに湧いた。

ステージ初優勝を飾ったファウスト・マスナダ(イタリア、アンドローニジョカトリ・シデルメク)ステージ初優勝を飾ったファウスト・マスナダ(イタリア、アンドローニジョカトリ・シデルメク) photo:Kei Tsuji
マスナダの後ろでガッツポーズするヴァレリオ・コンティ(イタリア、UAEチームエミレーツ)マスナダの後ろでガッツポーズするヴァレリオ・コンティ(イタリア、UAEチームエミレーツ) photo:Kei Tsuji
指から血を流してフィニッシュするサム・オーメン(オランダ、サンウェブ)指から血を流してフィニッシュするサム・オーメン(オランダ、サンウェブ) photo:Kei Tsuji
ホイール破損のため歩いてフィニッシュしたショーン・ベネット(アメリカ、EFエデュケーションファースト)ホイール破損のため歩いてフィニッシュしたショーン・ベネット(アメリカ、EFエデュケーションファースト) photo:Kei Tsuji
逃げ切れずに悔しがるニコラ・バジオーリ(イタリア、NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ)を気遣いながらフィニッシュするフアンホセ・ロバト(スペイン、NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ)逃げ切れずに悔しがるニコラ・バジオーリ(イタリア、NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ)を気遣いながらフィニッシュするフアンホセ・ロバト(スペイン、NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ) photo:Kei Tsuji
ヴァレリオ・コンティ(1993年生まれ)の父親フランコ・コンティ(1951年生まれ)は70年代にモレーノ・アルジェンティンのチームメイトとして走った選手。父親フランコの兄、つまりヴァレリオの伯父のノエ・コンティ(1933年生まれ)は50年代にファウスト・コッピとチームメイトとして走った選手。1959年と1961年にジロを総合27位で終え、2015年に亡くなった伯父にヴァレリオはマリアローザを捧げた。

2014年ジャパンカップで6位、2015年ツアー・オブ・ジャパンの伊豆ステージで優勝、2016年ブエルタ・ア・エスパーニャでステージ優勝、2019年ツアー・オブ・ターキーで総合2位の成績を残している26歳コンティは果たしてどこまでマリアローザを着続けることができるだろうか。ジロはこれが4回目の出場で、2016年総合27位、2017年総合68位、2018年総合24位という成績を残している。総合20位台の成績を2回残しているとは言え、いずれも実際にはマリアローザから1時間以上遅れているため、最終的なマリアローザ争いに絡むのは現実的に難しい。

ジャンニ・ブーニョが1990年に成し遂げた「初日から最終日までマリアローザ」という記録の再現になるのではないかと見られながらも、戦略的にマリアローザを明け渡したログリッチェは「落車の影響はほとんどない。最も重要なのは誰が最終日ヴェローナでマリアローザを着ているか。今マリアローザを着ているとどうしてもチームを疲れさせてしまうからこれでいいんだ」とコメントしている。今大会始まってから初めて表彰式に出る必要がなかったログリッチェは、チームメイトたちとチームバスで宿泊ホテルへと向かった。

ステージ優勝を飾ったファウスト・マスナダ(イタリア、アンドローニジョカトリ・シデルメク)ステージ優勝を飾ったファウスト・マスナダ(イタリア、アンドローニジョカトリ・シデルメク) photo:Kei Tsuji
マリアローザを受け取ったヴァレリオ・コンティ(イタリア、UAEチームエミレーツ)マリアローザを受け取ったヴァレリオ・コンティ(イタリア、UAEチームエミレーツ) photo:Kei Tsuji
サンジョヴァンニ・ロトンドの青い空とピンクの紙吹雪サンジョヴァンニ・ロトンドの青い空とピンクの紙吹雪 photo:Kei Tsuji

text&pho:Kei Tsuji in San Giovanni Rotondo, Italy

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