マッサーとして欧州プロチームで13年間活躍してきた中野喜文さん(現アスタナ所属)。2011年からは活動の舞台を日本と欧州と半々に、今までの経験を活かす活動にシフトした。この短期連載では中野さんの経験を紹介することで、プロ自転車競技の世界を覗いてみよう。

リーゾスコッティで欧州プロチームのマッサーとしてのキャリアをスタートさせた中野喜文(1998年ツール・ド・フランス)リーゾスコッティで欧州プロチームのマッサーとしてのキャリアをスタートさせた中野喜文(1998年ツール・ド・フランス) photo:Makoto.AYANO鍼灸マッサージ師、中野喜文さんのセミナーが2010年12月17日、東京・目黒にあるインディバ・ジャパン社にて開催された。第1回目のテーマは13年間に及ぶイタリアでの活動報告だった。トッププロの世界で長く働いてきた中野さんの貴重な体験談をこれから数回に渡って紹介していく。


13年間のイタリアでの経験を日本の自転車競技の発展に役立てたい

中野さんがイタリアに渡ったのは1998年。インターンとして所属したチーム、リーゾスコッティを皮切りに、カンティーナ・トッロ、ファッサボルトロ、リクイガスと、イタリアのトップチームの選手たちを支えてきた。

セミナーは、その貴重な経験をマッサージ師やトレーナーなどの専門家はもちろん、日本国内で活動する自転車競技関係者と共有し、日本流にアレンジした新たな手法を築きたいという目的から開催された。
「これからヨーロッパで自転車競技に関わって働きたい若い世代に、僕の経験と情報を伝えることで、ヨーロッパの文化にいち早く順応し、社会地位を得ながら成功するためのサポートにつなげたいとの思いもあります」

セミナーの定員は30名。中野さんがネットなどを通じて告知をしてから、1日で満席になった。受講者は、自転車競技関係者やホビーレーサー、ロードレースファンなど、さまざまだ。

テカールの施術を受けるアレッサンドロ・バッラン(当時ランプレ) 他にも多くのトップ選手が頼るというテカールの施術を受けるアレッサンドロ・バッラン(当時ランプレ) 他にも多くのトップ選手が頼るという 中野さんが日本での新たな活動の拠点とするのは、高周波温熱機器テカールを用いた施術を行う治療院だ。その概要はこちらの記事に詳しいが、自転車競技選手の施術にテカールを導入するメリットから話は始まった。アレッサンドロ・バッランやダミアーノ・クネゴなどの施術中の写真を交えながら、中野さんは、テカールの利点をわかりやすく説明する。

たとえば、テカールを使って関節の可動域を広げ、体の深部が加温された状態でマッサージを行うと、マッサージだけの場合より、施術の痛みが少なく選手の負担も減り、時間も短縮できる場合が多い。また、ウォーミングアップにテカールを使うこともあり、とくに窮屈な姿勢を強いられるタイムトライアルでは股関節の可動域を広げることで、体への負担が軽くなるそうだ。


マリアローザを着たダニーロ・ディルーカだったが、2006年ジロ第16ステージを終えたとき、自転車から降りられないほど足首を痛めていたマリアローザを着たダニーロ・ディルーカだったが、2006年ジロ第16ステージを終えたとき、自転車から降りられないほど足首を痛めていた photo:Makoto.AYANO危機に陥ったディルーカを救った施術

中野さんのキャリアの中で、テカールにまつわる思い出として、一番、印象に残っているのが2007年ジロ・デ・イタリアの第16ステージだ。当時、中野さんはリクイガスのダニーロ・ディルーカ(イタリア)の専属マッサージ師だった。
この年のディルーカは、オールラウンダー的な強さを発揮し、第12ステージからマリア・ローザを着用。悲願のジロ総合優勝まで、あと一歩と迫っていた。

「ディルーカは、筋肉は強靱なんですが、腱が弱い。長年、アキレス腱の痛みのせいで、グランツールのリタイアを繰り返していました。第16ステージはアップダウンのある山岳コースで、山頂は吹雪が舞うほどの悪天候。路面が濡れてスピードが出せないため、ペダルも踏めず、選手たちは唇が紫になるほど体が冷えた状態で2時間半も下り続けなければなりませんでした。ディルーカも同様です。登りでアタックがかかり、ディルーカはマリア・ローザを守るため、冷え切った体で無理をしなければならなかった。その結果、アキレス腱を痛めてしまったんです」

ゴール直後、中野さんは誰よりも先にディルーカに駆け寄った。マリア・ローザは守ったが、ディルーカは自転車から降りられないほど足首を痛めていた。中野さんは、自分のスニーカーのかかとに新聞紙を詰め、足がハイヒール状になるようにしてディルーカにはかせ、表彰台に送り出したという。

「このときはかなり焦りました。故障によりマリアローザを死守できないかもしれない、それに日本のTV中継で『ディルーカの専属マッサージ師は中野だ』と言われていると聞いていたし、ここでマリア・ローザを失ったら、それを一生言われて、日本に帰れないなと思ったんです(笑)」

2006年ジロ・デ・イタリアを制したダニーロ・ディルーカ。中野さんの苦労が実った瞬間でもある2006年ジロ・デ・イタリアを制したダニーロ・ディルーカ。中野さんの苦労が実った瞬間でもある photo:Makoto.AYANO中野さんは、今だからこそ打ち明けられる秘話を苦笑しながら披露してくれた。

結果的にはテカールによる施術が威力を発揮し、ディルーカは回復。マリア・ローザを獲得し、中野さんも無事に帰国することができた。



中野さんは2010年末から、インディバ・ジャパンの施設内で治療院を開設している。通常のマッサージが基本だが、希望すれば、テカールの施術も受けられるという。




Profile
               中野喜文さん               中野喜文さん 中野喜文 (なかのよしふみ)
1970年4月5日生

鍼灸按摩マッサージ指圧師
テカール・ジャパン・アドバイザー
アスタナ・プロチーム(カザフスタン)専属マッサー

経歴
:日本鍼灸理療専門学校本科卒業
1995年~1998年:小守スポーツマッサージ療院所属、日本舗道レーシングチーム、世界ジュニア自転車選手権日本代表
1998年:イタリア、プロサイクルロードチーム、リーゾ・スコッティに研修生として渡欧。
日本人のマッサージ師として初めてジロ・ディ・イタリア、ツール・ド・フランスに帯同
1999年:カンティーナ・トッロチームと契約。この年からイタリアを拠点とした活動を本格スタート
2000~2005年:ファッサボルトロ所属。
自転車競技界の重鎮フェレッティ氏の元、世界トップクラスのスタッフに囲まれトレーナー活動、チーム運営のノウハウを学ぶ。(2001年、2003年UCI世界ランキング1位チーム)
2006~2010年:リクイガス所属。
ダニーロ・ディルーカの専属マッサージ師として2007年ジロ・ディ・イタリア総合優勝をサポート。その後は新世代のサイクルロード運営を目指し、世代交代に力を入れたチーム運営に関わる。
2009年世界自転車選手権チェコ代表マッサー。
2010年UCI世界チームランキング2位
2011年:13年間在住したイタリアを離れ、日本を拠点とし活動をスタート。
テカール・ジャパンのアドバイザーに就任。
アスタナチーム(カザフスタン)専属マッサージ師

中野喜文 オフィシャルサイト

text:Naoko.TSUNODA
photo:Makoto.AYANO