猛アピールが実ってシマノレーシング加入を果たしたものの、昨年はヒザの故障でシーズンのほとんどを棒にふることになってしまった中田拓也。シマノ加入までの経緯や、レースに出られなかった2019年シーズンのことを、オンラインで語ってもらった。



シマノレーシングに行けなければ引退するつもりだった

2018年チャレンジサイクルロードレース 逃げ集団を追って飛び出した中田拓也2018年チャレンジサイクルロードレース 逃げ集団を追って飛び出した中田拓也 photo:Satoru Kato
2018年4月、修善寺の日本サイクルスポーツセンターで開催されたチャレンジサイクルロードレース。前日にツアー・オブ・タイランドから帰国したばかりの入部正太朗が優勝したレースで、中田拓也はシマノレーシング(以下シマノ)での初戦を走った。レース中盤、入部を含む逃げ集団を追って飛び出した中田だったが、先行する集団との差は詰めきれず、しかしメイン集団から詰められることもなく周回を重ねた。「前との差がずっと一定だったけれど、それは前と同じペースで走れていたということ」と、レース後に話した野寺監督。その言葉に、中田に対する期待を感じた。

「実は2月の沖縄でのJプロツアー開幕戦に出場する予定だったんですけど、その前の合宿で張りきりすぎてギックリ腰になってしまって、復帰に4月までかかってしまったんです」と、中田は加入当時を振り返る。

この時、自転車を始めてやっと3年目。高校や大学を卒業した選手の加入が通例となりつつあったシマノだが、中田はそのどちらでもなく、言わば「中途採用」的な加入だった。

「シマノに入りたいと希望を伝えた時にも、全国大会レベルでの優勝経験を持っていることが条件だと言われました。それが無くても加入を認めてくれたのは、自転車歴の短さと自分の可能性をかっていただいたのだと思っています。あとは野寺監督に面白そうだと感じてもらえたのかなと・・・今だに監督からは『素人代表』と呼ばれます」と笑って話す。

高校最後の年は毎日素振り500回の自主トレをやっていたという中田拓也高校最後の年は毎日素振り500回の自主トレをやっていたという中田拓也 ©️Takuya NAKATA福岡出身の中田は小学生の時始めた野球を高校まで続けていた。ポジションはピッチャーとファースト。甲子園を目指していたが夢叶わず、高校の夏で引退する。その頃、友人の勧めで「弱虫ペダル」を読んで自転車の世界を知り、バイトをしてロードバイクを買った。高校卒業後は看護師を目指して専門学校に入り、その頃からロードレースの大会に出るようになった。

「そこで野球をやめてから自分の中でくすぶっていたものに火が入りました。甲子園に行けなかった心残りのようなものがあったので、これだ!と思いましたね」

2016年JBCF舞洲クリテリウムE3で優勝した中田拓也2016年JBCF舞洲クリテリウムE3で優勝した中田拓也 photo:Kei Tsuji
そこから中田の怒涛のような自転車人生が始まった。3年制の看護学校を1年で辞め、地元チームのVC福岡の門を叩いた。2016年から、JBCF(一般社団法人全日本実業団自転車競技連盟)のJエリートのレースに出場。4月の舞洲クリテリウムのE3で優勝したのをきっかけに、夏までにE1まで昇格した。そして8月のみやだヒルクライムでは、監督推薦でJプロツアーに出場した。

「初めてのJプロツアーは最下位でした。このままじゃダメだと思っていたところにベルギーで走っていた方の話を聞いて、海外のレベルを知りたいと思いました。それでチームユーラシアの橋川健監督の電話番号を教えてもらって連絡を取り、自費で行くことを条件にベルギーで1ヶ月走らせてもらえることになったんです」

2017年ツール・ド・北海道第3ステージ 翌年チームメイトとなる入部正太朗と共に逃げ、集団吸収前に握手を交わす2017年ツール・ド・北海道第3ステージ 翌年チームメイトとなる入部正太朗と共に逃げ、集団吸収前に握手を交わす photo:Hideaki TAKAGI
翌2017年にはインタープロサイクリングアカデミー(以下インタープロ)に加入してフランスなどでレースに出場するが、シマノレーシングに入りたいという想いがつのり始めていた。

「その年の3月のAACA(中部地区で行われているロードレースシリーズ戦)に入部さんが来ていて、後を追いかけて行ってシマノに入りたいと伝えました。野寺監督に伝えておくと言ってくれたんですけれど、その後何もしないまま8月になってしまいました。もう来季体制を決めている時期と聞いて焦り、入部さんから野寺監督の電話番号を聞き出して何度も電話しました」

そこから中田は猛アピールを開始。その甲斐あってか、9月のツール・ド・北海道直前のチーム合宿に呼ばれた。

「ちょうどインタープロも北海道に出場することになっていたので、参加させてもらいました。練習ではちぎられてばかりでしたが『レースの結果を見ないとわからないから北海道頑張ってね』と言われました。それで第1ステージで逃げて、第3ステージでは入部さんと逃げてアピールして、ゴール直後に野寺監督のところに行って履歴書を渡してきました」

その後もレースごとに野寺監督へのアピールを続けたという中田。「今思えば破天候なことをしていましたね」と振り返る。なぜそこまでシマノにこだわったのか?

「自分よりレベルが高いところに身を置き、そこに適応してさらに上を目指したいということと、野寺監督と入部さんについて行きたいと思ったからです。入部さんの走りを見て、この人を超えたいという想いがあったので、他のチームには興味が無かったですね。シマノで日本一になりたい。シマノに行けなければ引退するつもりでした」



順調な1年目から一転した2年目

「シマノレーシングのナカータです!」2019年JPT開幕戦のチームプレゼンテーションで「シマノレーシングのナカータです!」2019年JPT開幕戦のチームプレゼンテーションで photo:Satoru Kato
シマノに加入した2018年は、冒頭に書いたとおり初戦こそ遅れたものの、その後はチームの一員としてJプロツアーやUCIレースなど主要レースのメンバーとして出場した。さらにはチームプレゼンテーションなどで見せる強烈な個性で一躍レースファンに知れ渡り、「ナカータ!」という声援があちこちで聞かれるほどになった。ちなみに「ナカータ」という呼称は、VC福岡に入る前、地元ショップの練習会メンバーにつけられたのだとか。

「皆さんにはトントン拍子だねと言われますけれど、そんなに甘くはなかったです。一歩間違えればシマノにいなかっただろうし、今どこで何をしているのか想像も出来ません。自転車を始めてから出会ってきた沢山の方々の誰一人として欠けても、今の自分はないと思っています」

2017年ツール・ド・おきなわでU23賞を獲得した中田拓也2017年ツール・ド・おきなわでU23賞を獲得した中田拓也 photo:Satoru Kato
そして2018年の最終戦となるツール・ド・おきなわでは、U23賞を獲得してシーズンを締めくくった。

「ツアー・オブ・ジャパンの飯田ステージで落車して流血する大怪我をしましたが、なんとか東京まで走って完走しました。でもチームのために何もしていないことに気づいて、それからの努力がおきなわのU23賞につながったと思っています。アンダー23最後の年だったし、もう新人賞はないと思っていたので、嬉しかったし自信になりました。でも順位は7位だったので、まだまだ精進が必要だなとも思っていました」

しかし、さらに強くなるために臨んだはずの2019年シーズン前の合宿で、中田はつまづく。

「おきなわで自信を得て、さらに頑張ろう、入部さんを超えたいと思って、今思えば無茶な練習メニューを組んでいました。それがたたってシーズン前最初の鹿児島合宿で追い込みすぎ、急にヒザがパンってはじけるような感じになって自転車に乗れなくなりました。腸脛靭帯(ちょうけいじんたい)を痛めてしまっていたのですが、チームマッサーの鳴島さんのおかげでなんとか走れるようになりました」

2019年ツール・ド・とちぎ第3ステージ 前日に悪化させた右ヒザにテーピングをして走る中田拓也2019年ツール・ド・とちぎ第3ステージ 前日に悪化させた右ヒザにテーピングをして走る中田拓也 photo:Satoru Kato
ヒザを痛めたものの調子は良かったという中田は、サバイバルレースとなったJプロツアー第2戦で5位に入った。続けてツール・ド・とちぎにも出場したが、第2ステージで痛めていたヒザを悪化させてしまう。

「そこでリタイアして治療に専念すれば5月には復帰できたと思うのですが、調子の良さに欲が出てしまって、我慢して第3ステージを走ってしまったんです。そしたら歩けないほどになってしまって・・・自分のミスですね」

それでも、前年に腰を痛めた時と同様、すぐ戻れると楽観していた。しかし、その後の公式戦で中田の姿を見ることは無かった。

「原因もわからず一向に良くならない状態が続きました。すぐにちゃんと検査すれば良かったのですが、どうすれば良いかわからなくなっていまい、自分を見失っていましたね。それまで出来ていたことが出来なくなるし、同い年の中井唯晶はJプロツアーで初優勝を挙げたのに、自問自答と自己嫌悪の繰り返しになってこのまま終わるとまで思っていました」

この頃のことを、「野球をやっていた時にも経験したことが無いほど、一番つらい時期だった」と中田は振り返る。

レース欠場が続く中、入部が全日本選手権で優勝。沈んでいた中田の気持ちを奮い立たせた。

2019年全日本選手権 レース中盤にシマノレーシングがコントロール2019年全日本選手権 レース中盤にシマノレーシングがコントロール photo:Satoru Kato「自分が目標にしていた入部さんが日本一になったことに感動したのと同時に、自分がその場にいないことにハッとしました。このまま終わったところで何のためにやってきたのか?と。入部さんを超えたいという気持ちがまた湧き上がり、ちょっとずつ戻していこうと思えるようになりました。

野寺監督は『しっかり治るまで待っているから』と言ってくれ、チームメイトにも助けられ、やっと走れるところまで戻りました。オフシーズンには人生初めてシクロクロスにも挑戦しましたが、『その苦しんでる顔をシーズン中に見たかった!』と、監督に言われました(笑)」

その入部はNTTプロサイクリングに移籍。中田にとって更なる刺激となった。

「今でもズイフトで一緒に練習することがありますが、やはり強いです。NTTに行った入部さんを超えたいと思うようになりましたね。寂しくなりますが、新たな目標になりました」



復帰に向けて準備する2020年「進化したナカータを見せたい」

シーズン前最初の鹿児島でのチーム合宿シーズン前最初の鹿児島でのチーム合宿 ©️Shimano Racing
今年2月の沖縄合宿での一コマ今年2月の沖縄合宿での一コマ ©️Shimano Racing2020年体制がスタートし、中田も恒例の鹿児島合宿と沖縄合宿に参加した。手応えは「6割から7割くらい」と語る。

「なかなか体が戻ってこなくて、でも無理してしまうとまたヒザを壊してしまうし。それでも最大限にやるしかないので、かなり気を使いました。今は8割くらいは戻せている感じはありますし、ひざのケアも出来ているので、前ほど不安はないです。でも、あのままシーズンが始まっていたらちょっと不安はありましたね」

本来ならツール・ド・とちぎが今年の初戦となる予定だったが、直前で中止が決まった。その後はレースが開催されず、目標としていたツアー・オブ・ジャパンも中止となってしまった。いつレースが再開されるのか見通せない状況ではあるが、「自分にとっては追い風だと思っている」と言う。

「このような状況なので出来る範囲で、ですけれど。筋トレやローラーは出来るので、今やれることをやっていきたいです」

読書の時間を増やしたと言う中田の愛読書の一部読書の時間を増やしたと言う中田の愛読書の一部 ©️中田拓也ズイフトを使ってトレーニングする中田拓也ズイフトを使ってトレーニングする中田拓也 ©️中田拓也

ひざの怪我から学んだことと合わせ、出来た時間を活用して体をケアする方法や栄養学の本を多く読むようになった。

「昨年までは体のケアもせずに見合わない練習をしていました。記録を見返すと、なんでこんなことやってたんだろうと思うことばかりしてましたね。だから、その時々に合った練習とか休息とか、栄養の摂り方とか、そうした知識を身につけることも重要なんだなと感じています」

小説なども読むが、心理学や哲学の本も読むといいう。それでも無意識にスポーツに関連する本を選んでしまうとか。

「すぐに影響されて実践したくなるタチなんです。栄養学の本を読んで料理をすることが増えたんですが、調味料をこまかく計って使う自分に、こんなにこまかく出来たんだ!と、新たな発見もありました」と笑う。

「公式戦から1年以上離れてしまっていますが、レースが待ち遠しいです。次に見せる「ナカータ」はさらに進化して強くなった姿を見せたい。皆さんの前で「ナカータです!」と叫びたいですね。そして逃げて見せたい。そういう日が絶対来ると思っています」


text:Satoru Kato

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