日本のファンが夢見る日本人選手のツール出場。「日本でツールのプロローグを行う」というビックリアイデアを、プリュドム氏はどう捉えるのか。対談後編では日本とツールの関係の未来を語ります。

【1990年宇都宮世界選手権の印象】

クリスチャン・プリュドム(A.S.O ツール・ド・フランス総合ディレクター)クリスチャン・プリュドム(A.S.O ツール・ド・フランス総合ディレクター) クリスチャン・プリュドム(以下、プリュドム):その当時は全くと云っていいほど日本の事は知らなかったんですよ。でも非常に驚いた事は、この世界選だけのためにコースが造られたという事。逆に欧州ではあり得ない事ですよね。その後もジャパンカップにてコースが使われているということで、日本の自転車への情熱を感じますね。

えっ! 浅田さんはその世界戦に出ていたの? 本当ですか!?

浅田:はい。出ていました(笑)。ですから今回は2回目の顔合わせかもしれませんね(笑)。その当時は日本で行われる大会という事で、日本の自転車競技連盟が全面的に日本の選手達をバックアップしていました。とはいえ相手は世界の本当のトップ選手達、しかも世界選手権ということで最高の調整をしてくる。

ですから私の目標はとにもかくにも完走する事でした。当時の日本にとっては、完走だけでもすごい事でしたね。しかし残念ながら完走は出来ませんでした…。実はその時の悔しい思いが海外でレースを始めるきっかけになったのです。「これは日本でやっていては駄目だ」と始めて感じたレースでした。

【日本でのツールのスタート=グランデパールの実現可能性】

ツール・ド・フランスが日本で開幕する日は来る?ツール・ド・フランスが日本で開幕する日は来る? プリュドム:今回の来日で非常に頻繁に聞かれる質問ですね(笑)。それに関しては非常に複雑な問題があります。距離、輸送、時間、そして開催場所の確保です。ツール・ド・フランスは2007年にようやく隣国のロンドンで歴史的なグランデパールを迎えています。

ですから、さらに遥かに遠い日本でのグランデパールを検討する事は、少々時期尚早だとは思います。でも昨年競輪協会の役員の方がパリに来られて、私たちの前で東京の地図を広げて「この皇居の周回を使用してツールのプロローグを行うのはいかがですか?」と提案いただいたときには、非常にうれしく思いました。

もう一つの例を挙げましょう。ベルギーはフランスから近いながらもやはり遠く、ツールのコースに組み込む事が想像よりも簡単ではありません。しかしベルギーにはチャンピオンがたくさん居て、自転車の人気は尋常ではありません。それらの理由から世界最大のツール・ド・フランスがベルギーを通過することがあります。

そのうちベルギーでツールがスタートを迎えても決しておかしな事ではないと感じています。つまり、最も大事なのはスポーツとしてのクオリティを守れる事とその国での人気、そして熱意です。ですから我々は輸送や、移動距離、時間などの問題は副次的なものとしか考えていないんですよね。

日本が将来自転車ロードレース大国になり、偉大なチャンピオンを輩出した場合、ツールドフランスが日本に来る事もあり得ます。というのも、この国は1億人以上の人口を誇っており、それらのファンがチャンピオンを祝福しに沿道に来た場合はどうなると思いますか?都市を挙げて、国を挙げてのお祭りになる事は必至です。

それを行うには国と自治体、警察の絶大な協力が必要になるでしょう。自転車ロードレースと云うのは、他のスポーツ、サッカーやテニスなどとは違い普段使っている道をそのまま競技のフィールドとして使う事が出来ます。チケットや大きな移動もなくお祭りを見るには最高の環境になります。

まとめますと、国、自治体、警察、自転車競技団体等の受け入れ側の万全な準備がまず必須です。そして観客の方々の自転車への愛、優秀な選手=チャンピオンらが全て揃った場合はツール・ド・フランスのグランデパールが日本に来る事もあるでしょう。ロンドンではその環境が揃っていました。

浅田:なるほど。それは期待が持てますね。ウチのチームもツールのグランデパールが東京で行える様に、日本の自転車界を盛り上げてゆければと思います。



【ツールとは別のASO主催レースを東京で行う可能性】

ツール以外のASO主催レースが開催される可能性もツール以外のASO主催レースが開催される可能性も 浅田:ところで、もし将来東京でA.S.O.が単体レースを
開催する場合、「お台場」と言う場所がお勧めですよ。アクセスもよく、風景もいいですしね。ちょうどトライアスロンのワールドカップが行われている場所でもあります。

プリュドム:それは非常に興味がありますね。ツールのグランデパールと違って実現するに当たってのハードルが低くなりますし、そのプランには本当に興味があります。その際には日本の競輪協会の方々、自転車競技連盟、自治体、警察の全面的な協力が取り付けられれば最高です。私たちは日本の現地事情は分からない部分が正直ありますので、日本側との全面的な協力が取れればぜひとも開催してみたいです。

それを本当に実現させるに当たっては、時間をかけて日本の方々と一緒に働くことを学んで行く必要が私たちにはあるでしょう。私たちは大会開催の方法(メソッド)をご提供する事は出来ますが、その大会を成功させるにあたっては、間違いなく開催地である日本=受け入れ側とASO側が完璧にかみ合っている事が大切です。特にA.S.O側はフランスの組織という事で、日本現地側によるキャラバンカーの手配&準備や、告知、現地の方々による運営協力が必須です。

そして、その大会を行う際には、それが日本の自転車界の役にも立つ=競技の強化につながるクオリティになる事や、観客が喜ぶ事でなければいけないですし、ビジネス的にも旨味がなければいけない。そうしないと長期的な継続が不可能ですからね。私としては非常に、ホントに非常に興味のある企画ですね。

A.S.O.の組織として言える事は、実現へのステップとしては日本側による正式なご提案を頂けると進めやすくなります。例えば自転車の競技連盟などの核となる組織や、自治体、スポンサー等でのコンセンサスを固めた上で、正式に企画を頂ければ真剣に実現に向けて検討させていただきます。

浅田:日本側の組織形成にはぜひとも力になれればと思います。

プリュドム:ありがとうございます。それにしてもおそらく日本側の熱意はすごいと思いますよ。今回の来日で日本人が自転車を強く愛している事が大いに分かりました。A.S.Oとしては正式な企画のご提案を楽しみにお待ち致しております。

将来的にツールに日本人をメインにしたチーム=日本のチャンピオンや、スタッフ、監督、スポンサーなどが普通にツールドフランスに出場するようになり、現実的に本当にグランデパールの実現を検討するに至った際に必ず必要となるのは、やはりASOと日本側の各役者が密接に協力体制を構築して動いてゆく事です。10年前までは100%不可能と思えたロンドンでのグランデパールも、A.S.O.とロンドンの各役者達が密接に協力をしていたからこそ実現が可能になったのです。

ところでツールで通過するステージ選出に関しての面白い話をしましょう。2008年にツールはイタリアのクネオを通過しました。実は彼らは18年も前から「ツールで通過して欲しい!」との嘆願書を私たちに出していました。そして遂に実現したのです。

ツール通過の希望を出している自治体は非常に多く、毎年その中から一つを選択するのは大変です。しかし、クネオが選ばれた理由として私がはっきり言えるのは、長年の熱心な招請活動、自治体が受け入れ態勢を着々と構築してきた事、つまりあきらめない事です。

仮にクネオの18年前の担当者が役職を降り、その後の担当者がツールの招請を行わなかった場合は実現は難しかったと思います。ツールの招請を希望する自治体と云うのは想像以上に多いんですよね。

グランデパール招待の可能性は決してゼロではないグランデパール招待の可能性は決してゼロではない 10年前にツールの招請を行って、その後ぱったり招請を辞めてしまったとします。そして10年後の今になって始めから新たに招請のコンタクトを行って来たとしても、表面上のお話で終わってしまうと思うんです。

ツールの東京グランデパールの話に関しても、積み重ねて熱心に招請を行っていただければ実現への可能性が大きくなります。特に、東京でグランデパールを行うと云う一見突拍子もないアイデアは、今回日本に来て日本のファンの熱意を見ていない人々は本気にしない類いのものですが、根気よく熱意を持ってコンタクトして頂ければ実現する事も不可能ではないと思います。



【パリ~コレーズの清水都貴&リムザンの新城幸也の優勝。エキップアサダの選手に関しての印象】

エキップアサダ・梅丹本舗・グラファイトデザインを率いる浅田彰エキップアサダ・梅丹本舗・グラファイトデザインを率いる浅田彰 プリュドム:2008年のエキップアサダの勝利のすごい所は、別々の選手が勝っていると云う点です。フランスの自転車ファン達は「日本人が勝ったぞ、なんてこったい!」と驚いたものです。清水さんがパリ~コレーズでステージ優勝と総合優勝、新城さんがリムザンでステージ優勝&総合3位。1人の飛び抜けた選手が単独で勝っている訳ではない。それはチームがしっかりしている事を示しているのは間違い無い。トレーニング方法、メンバーのやる気など全てがうまく噛み合って生まれた結果だと思います。

植物に例えるとちょうど良いかもしれませんね。芽がポツポツと見え始め、それらが2008年にようやく最初の芽が花を咲かせた。その後は大きな花壇となってゆく。これが続いて行くとフランスのファン達も「今日は日本人が勝ったのか」程度の驚きに変わってくる、つまり日本人が勝つ事が日常的になり、日本選手がヨーロッパの自転車界に根を張ることになります。

【前任者ジャン・マリー・ルブラン時代とプリュドム時代のツールの違い】

2008ツール・ド・フランスはドーピング問題の大混乱に悩まされた2008ツール・ド・フランスはドーピング問題の大混乱に悩まされた プリュドム:私のやり方は基本的にはジャン・マリー(ルブラン)のやり方、哲学=スポーツとしてクオリティを最優先にするというツールの軸を100%継いでいます。1989年からツールのディレクターを行っているジャン・マリーとは非常に近くで長年仕事をしてきましたから、彼から学んだ事は非常に多いですね。そして私の哲学が彼のそれに似ているからこそ、彼は私を選んだんですよ。

あえて彼との違いと云えば、まず年齢です。そして私はテレビなどのビジュアルのメディア出身、ジャン-マリーは紙媒体メディア&選手出身です。年齢やキャリアの性質の違いから、物事の見え方が違うと思います。

私はビジュアル的にどのようにツールが見られているか? どのように魅せられるか? を自然と気にする傾向がありますね。あと、私の代になってからのツールでは、歴史的なプロローグ=個人TTという構図をあえて崩しました。そして、2009年のツールでは、通常個人TTが入るパリ最終日の前日に山頂ゴール(モンヴァントゥー)を設定しました。

理由としては、私はエキサイティングなツールが好きなのです。私は往年の名選手、レイモン・プリドールが毎日意表をつくアタックを繰り返していたのを見て育ちました。ですから、近年ルーチン化していた「まずプロローグTT、その後は落ち着いた平坦ステージ、最終日前にTT」と云った、伝統的ではありますが、ある意味ツールを退屈にする要素を変える必要がありました。

ご存知の通り、2008年の1ステージ目のTT排除は、非常に面白い効果を生みました。より多くの選手にチャンスがある緩い登りを含んだスプリントゴールの勝者がマイヨジョーヌを獲得するという、非常にサスペンスの含んだ展開を生んだのです。そしていわゆる”繋ぎ”のステージを出来るだけ排除したコース設定により、監督や選手達は頭を使い、戦略が必要となり、各選手が頭を使って走る事を余儀なくされ、見るものを強烈に惹き付けるレースを生み出しました。

浅田:早く私もそのサスペンスの中に入ってプリュドムさんに振り回されてみたいですね。

プリュドム:「お手柔らかに致します」と言いたい所ですが(笑)、やはりツールは常に最高峰であることを保証します。

浅田:私は人生を賭けてこれからもツール・ド・フランスを目指してゆきますよ。

プリュドム:ありがとう。パリのシャンゼリゼで会える日を楽しみにしていますよ、アサダサン!



translation:山崎健一 
photo&edit:綾野 真