イギリス、マンチェスターにおいて開催されたマスターズ・トラック世界選手権で、和地恵美(たかだフレンド)がパシュートで2位となり銀メダルを獲得。2010年大会は女子45-49歳500mTTで2位、2011年大会は女子50歳以上500mTTで2位になったのに続く3年連続のメダル獲得だ。2006年、2007年とそれぞれ2000m個人追い抜き、500mTTで金を獲って以来、スプリントも含め9個目のメダルになる。

マスターズ・トラック世界選手権2012 パシュートで2位となり銀メダルを獲得した和地恵美(たかだフレンド)マスターズ・トラック世界選手権2012 パシュートで2位となり銀メダルを獲得した和地恵美(たかだフレンド)

以下、和地自身のレポートでお伝えする。

「Life is good and so beautiful ! 和地恵美(たかだフレンド)

昨年の冬から、今年も10月6日からイギリスで行われるトラックマスターズ世界選手権大会に出たいと思っていました。しかし大会直前まで揺れに揺れました。それほど病気と怪我が連続した年でした。まず、3月に左折車に巻き込まれての交通事故。同時に春先に肺炎を再発して、6月まで本格的に走れませんでした。

夏になって練習を再開した時、体力の余りの低下ぶりに愕然!力を取り戻していく練習は、本当に苦しいものです。そこでたかだフレンドのロード合宿に思い切って参加しました。仲間においていかれ、もう止めてしまおうと何度思ったことか。でも、一つ峠を越す度に仲間が待っていてくれて、励まされながら頑張りました。

ところが、夏の終わりに再び交通事故に遭います。国道で渋滞していた車が急に助手席のドアを開け、そこに突っ込んでしまったのです。
内側に『くの字』に曲がった右膝を見た瞬間、今度こそは本当に終わったと思いました。あの苦しかった夏は何だったのだろう。救急車のベッドで、涙がこぼれました。
搬送された病院での診断は、右膝側副靭帯、前十字靭帯および半月板損傷、全治三週間。しかし幸い骨折はありませんでした。可能性はわずかですが残されています!

「先生、10月に自転車の大会があるんですけれど、大丈夫ですか?」
「う〜ん、ぶっつけ本番なら」

その後1か月、こんな状態で出場する価値が本当にあるのかと問い続ける毎日でした。仕事もあるし、お金もかかる。脚の痛む日は止めようと思い、調子の良い日は希望をつないで……。毎週注射に通い、整体の先生に診てもらい、できる限りのことはやりました。そして、世界に挑戦しないで後悔するよりは、敗けた方がいっそ気持ちいいと出場を決めました。

今年は500mTTと、翌日の2000m個人追い抜き、スプリントにエントリーしていました。
500mとスプリントはどれだけガツンとスピードに乗せて、最後までもがき切れるかが勝敗を分けます。個人追い抜きは、ペース配分と持久力の勝負となります。どちらの力も今の自分には足りないけれど、ベストを尽くそうと思いました。ですが、まだまだ困難が待ち受けていたのです。

まず、空港から持ってきた梱包を解くと、前ホイールが割れているではありませんか!
チームメイトの橋本君が貸してくれたマヴィック・イオ。3センチくらいの穴が空き、バトンの部分にもクラックが見られます。私はスペアを持ってきていません。一応テープで補正したのですが、走っている途中に壊れたらと思うと、本気でペダルを踏み込めないではありませんか。とりあえず、ローラーで練習をしました。

また、500m当日、何度も金を獲っているアネット=ウイリアムスと私は、50歳以上の部ではなく、45〜49歳の部に組み込まれていました。37秒の世界です。アネットがやってきて、「納得いかないから、これから理由を聞きに行こう」というので大会本部に行くと「あなたたち二人は39秒前後で走れるけど、他の55歳以上の選手は44秒台だから、若い人の部に入れたよ」と。

5年、待ったのに。それを一晩でひっくり返されました〜。今度こそ、心が折れそうになりました。

それでも頑張って気持ちを立て直していると、ここ7年の付き合いのある友達に会いました。機材トラブルの話を伝えると「自分の競技が終わったら貸してあげる、大丈夫」と笑顔で言ってくれて気力が湧いてきました。思い切り走れるなら、結果を気にせず頑張ろう、と。

いい気持ちでアップしていると、彼のスプリントの対戦が。「頑張れ!」と声を出した瞬間、大きな破裂音がしました。彼の前輪がパンクしたのです。唖然としました。こんなにも、私を走らせまいとする運命が次々と起こるとは……。

結局、全く知らない人に前輪を借りて500mを走りました。4位でした。タイムも40秒114……何かとってもがっかりしました。結果を気せず頑張ろうと頭で思っていても、気持ちはへこたれるものです。夜はほとんど眠れませんでした。

朝、競技場に着きました。今日は割れたホイールで走るしかない、と腹を括った私の目前、メカニックさんのブースに『フロントディスク売ります』の文字が!即、お買い上げです。11年製のコリマで575ポンド。日本円で約8万円ですので、パシュートが終わったら、すぐにATMに走るから、と。メカニックさんはパンパンに空気を入れて調整してくれました。「いい、この矢印が回る向きになるように付けるんだよ。クリス=ホイはね、間違えて反対向きに付けてたよ、世界記録作ったときさ」などと笑わせてもくれました。私がよほど切羽詰った顔をしていたのかもしれません。

自分の機材で勝負する。このことがこれほどモチベーションを高めてくれるとは! 私は予選を3位で通過しました。全く走れていなかったここ1か月を思えば、上出来です。今回は日本人の参加者は濱田さんと私の二人きりでしたが、彼女はイギリス在住の日本人女性と別のブースにいます。同じブースにいたノルウエーの人たちがたくさん応援してくれました。スタートの時に傍にいて安心させてくれ、ラップタイムも読み上げてくれました。

「銅メダルを賭けて夜の部も闘うね」と話していたら、なんと2位の人がアネットに抜かれざまにドラフティングし、失格となり、私の銀メダル以上が確定しました。みんなで抱き合って喜びました。初対面の私達でしたが、盛り上がりました。

決勝の対戦相手のアネットは、予選で2分35秒477の世界新記録を出し、47秒の私とは別格です。でも、呼気に血の匂いを感じながらも、最後まで走り抜きました。タイムを見ると、2分45秒372。昨年の記録を更新していました。ここ二年間、銀メダルで悔しい思いをしてきましたが、今年の銀メダルは違いました。嬉しくて仕方がなかったです。諦めないで良かった。
ただし膝がもう耐えられなくなっていました。アイシングしても熱と痛みが引かないので、スプリントは棄権です。それでも悔いはありません。

次の日、朝ご飯を食べていると、一人のおじいさんが私のところに来ました。満面の笑みで「見てくれ」と言います。おじいさんが上着のファスナーを下ろすと、中に、チャンピオンジャージのブルーとメダルのリボンが見えました。そして両腕を広げて「ライフ イズ グッド!」と叫びました。

そう、くじけそうな自分を励まし続けながら、ゴールを目指す。その機会を与えられた人生は、グッドに他ならないと思いました。なぜなら、たとえ勝てなくても、希望と夢と素晴しい友達がそこには居るから。
「ライフ イズ グッド アンド  ソービューティフル!」

最後に……
私は高知県の選手で大ベテランの矢野賢治さんと共に、「日本でマスターズを開催しましょう!」の発起人になりました。たくさんの方から、賛同の署名をいただいております。ぜひ、開催に向けて活動を続けていきたいと思っています。
実現するためには、たくさんの課題があります。多くの方々のお力をお借りしなければなりません。でも、毎年参加して得てきたノウハウを活かして、最高の大会にしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

日本中のマスターズの人たちに「ライフ イズ グッド!」と感じていただけたら、本当に嬉しいです。一緒に楽しみたいです。
一人きりの闘いは、とっても寂しかった!

(和地恵美/たかだフレンド)