市民100kmで優勝したのは地元沖縄の宇良 武さん(チーム池原)。そして2位も同チームの金城直樹さん。地元の不振を跳ね返すかのようなチーム池原のワン・ツーフィニッシュだった。

市民100kmを制した宇良武と金城直樹(ともにチーム池原)市民100kmを制した宇良武と金城直樹(ともにチーム池原) photo:Hideaki.TAKAGI

市民100kmを制した宇良武(チーム池原)市民100kmを制した宇良武(チーム池原) photo:Makoto.AYANO今年になってロードを再開。チームで練習する大切さを知る

5年前にトライアスロンをきっかけに始めたロードバイクだったが、今年の1月までは2年間のブランクがあった。

久しぶりに我がチームの「チーム池原」の練習に参加した。もともとバイクは得意な方だったので、多少のブランクがあっても練習についていける自信があった。しかし、思いのほか体力が落ちて、チームのレベルも数段上がっていた。

フラットコースで集団の後ろについていても苦しく、ちぎれるほどだった。一人置いていかれ影さえ見えなくた時はとても悔しかったなぁ…笑。

今までの練習は一人で走ることが多く、がむしゃらに走り自己満足する程度だった。それがチームで走るようになり、フォームやペダルのまわし方などを気にするようになり、先輩達を見て、意見を聞き、自分に取り入れるように努力した。

■おもな練習
平日週3回×60km 31~35km/h平均(コースにアップダウン有り)
日曜100~160kmコースの練習 31~33km/h平均(市民100kmコースを含む) 
プラス自主練習 週2回ローラー回転練習
月間1400~1600km

・レース前のコンディション調整

最後に追い込んだ練習はレースの2週間前。チームの皆さんと、イタリア人の友達のマルコと一緒に練習をした。レースを想定した練習で、補給食を摂るタイミングや、坂でのペース配分など気を使い走った。

後は練習の質は落とさず、量(距離)を落とし、疲れを取っていった。40kmのアップダウンのコースにスプリントの練習を加えたもの。
最後はレース3日前にスプリント練習。直後に炭水化物を取り、この日から炭水化物中心の食事に切り変える。

※効果は分からないが、「筋グリコーゲンの超回復効果」の本で見たものを試してみた。
前日の夜の食事はサラダにグルタミン酸入りのサプリメントにツナ入りのおにぎり6個だったか…笑。

・レース直前まで

当日の朝は5時に起床し、レース会場に向かいながら6時にバナナ1本、ツナおにぎり2個、チョコパン1個、オレンジジュース1杯を取る。8時からしっかりと柔軟体操した後、
バイクにてウォーミングアップ。
軽めのギアで踏み始め、ケイデンス110~120で気持ちよく踏める重さで30分ほど。(心拍140~160)
その後ケイデンス140~150×1分間×3セット。※心拍170~185
アップ終了後、バナナ1本、水分、ソルトタブレット、パワーバー1本、パワージェル1本を補給。※9時頃

■スタートから与那の坂まで

緊張はさほどしていなかったが、市民100kmにはチームのメンバーが6人出場していて、これがなにより気持ちを落ち着かせていた。苦しい練習を共に過ごした仲間がいると思えることはとても心強かった。

スタートは全体の後ろの方からの走りだしで、スタートの合図が鳴って20秒後位で動き始めた。
奥地点からすぐ坂だが、選手の間をぬって前方を目指す。
走り始めて、すぐ自分の調子がいいことに気付く。周りの選手の息づかいが荒いのに対し、自分は気持ちよく走れていたので自信に繋がった。

しかし、自分の中ではいかにむだ足を使わず、最終の坂の羽地ダムまで足を残すかがポイントだった。足が残っていれば上位に食い込めると思っていたからである。与那までの西海岸線は所々工事区間で道が狭くなっている為、落車に巻き込まれないように、先頭の方で走る事を心がけた。ここで1回目の捕食(パワーバー1本)を摂る。

■与那の坂と普久川の下り

与那の上がり始めの時点で先頭から20人ほどの位置、インナーギアを上手く使い、回転で坂を上がっていく。心拍は160~170ほどでいい感じで走れた。

坂の終盤では先頭5~7人の中に自分はいた。この時、周りの選手の表情を見て、実力を探ろうとしていた。この場にいるメンバーで最後を争うことになると考えていた。この時、同チームの金城さん、同じ沖縄のチームキッズの勢理客選手がいて嬉しかった。
譜久川の下りは落車が無いように、慎重にカーブ前で減速し走った。
ここで2回目の捕食(ソルトタブレット、パワージェル1本、水分)を摂る

■高江の上り

下りきってすぐ高江の坂だ。コースの中でも比較的短い坂ではあるが、勾配があるので軽いギアでリズムよく走るように心がけた。3回目の捕食(パワージェル1本、水分)を摂る。

■高江から羽地ダムまで

高江からアップダウンが続く、集団は30名くらいだろうか。皆、足を使わないように走っているのか、ペースがゆっくりだった。自分を含め先頭の10名ぐらいで回し、その他集団は後からついてくる感じだった。
チームの金城さんが「宇良さん、前引きすぎだよ。足を使わないように。」とアドバイスをくれた。

慶佐次での給水ポイントだが、長く緩い坂の途中にある。チームの金城さんの後をついて、ペースを上げ集団から抜け出てしっかりとボトル2本の給水をキャッチした。4回目捕食(パワージェル1本、水分)を摂る。

■慶佐次から羽地ダムまで

給水ポイント通過後にペースが上がり、集団は20人程に絞られた。大浦湾までのアップダウンで、左足に軽い痙攣がおきる。
焦らず、「痙攣がおきた時は、無理に筋肉を伸ばさず、負荷をかけずに運動を続ければ最小限に痙攣は抑えられる」という以前教えてもらったチームの金城さんの言葉を思い出し、走った。

大浦湾沿いのコースを風を背にして、集団はペースを上げていく。
ここで先頭集団のメンバーの№315金城選手、№1高木選手、№4勢理客選手、№413池浦選手、№3香川選手など。№2浅野選手、№154のベン選手で争われることを確信。

今だから言えるが、この中一番信頼を置き、なおかつ重要視(ライバル)していたのはチームの金城さんだった。実力も私と同じか、それ以上と知っていたから…。また上りでは勢理客選手が要注意だ。坂が得意な選手なので、アタックをかけられた時に反応すべく、心の準備はしていた。

市民100kmゴール 宇良武と金城直樹(ともにチーム池原)が伸びる市民100kmゴール 宇良武と金城直樹(ともにチーム池原)が伸びる photo:Hideaki.TAKAGI■羽地ダムからゴールまで

羽地ダムは私を含む5名程で走り、その後ろを5~7名で追いかけてくる形だった。羽地ダムの坂が終わって、下りに入る時、多少乳酸がたまり、足の重たさを感じたが、いつものチーム練習の疲労度に比べると心配するほどでもなかった。いつもの練習が自信に繋がっていた。5回目の捕食にパワージェルと水分を摂る。

国道58号線に入った頃には、足の乳酸も抜けてきているようだった。追い風だったので今いる10人程の集団でペースを上げたい思いだった。後ろの集団と合流させたくなかったからだ。先頭にでて引っ張ろうとするが、後ろがついてこない。みんなが牽制しあっているようだった。

先頭から2~4番手位の位置で後ろからのアタックがないかチェックしながら、街中コースに突入した。58号線から左折したあたりから、急にスピードが上がり、後ろの選手も前に上がってくる。

ゴール1km手前。私の前には5~6名の選手がいる。いつもだと焦って無理に前に出ようと踏み始めるのだが、この時は落ち着いていた。
500メートル手前まで我慢し、この辺りから残っている足で選手の合間を縫って前に出る。

ゴール300m手前。このあたりでスピードがもう一段回上がり、スプリントに近いペース。私の前には№154ベン選手、№413池浦選手がスプリントに入っている。その二人の左からチームの№315金城選手がさらにスピードを上げ、スプリント(250m)。
私の斜め前に金城さんの黄色いユニフォームが視界に入る。ここで残っていた足をすべてペダルに踏み込んだ。

おきなわ県勢のワンツー勝利に森兵次実行委員長が祝福の言葉をかけるおきなわ県勢のワンツー勝利に森兵次実行委員長が祝福の言葉をかける photo:Hideaki.TAKAGI200m。ベン選手の右側から加速し、50m手前では若干金城さんが出ていて、ジリジリその差を縮めてゴールラインをほぼ同時に越えた。
どっちが勝ったかは分からなかったが、歓声の中、黄色いチームジャージ二人で走りきったことに鳥肌がたっていた。

スピードを減速しながら金城さんとこぶしを合わせ、ワン・ツーフィニッシュを喜んだ。
後からの情報で私がごくわずかな差で優勝だったが、どっちが勝ってもおかしくない試合だった。

スプリントを教えてくれたのは金城さんだったし、ここまで実力を伸ばせたのも、チーム池原の皆さんのおかげだ。ありがとうございます。感謝しています。
沖縄には私より実力のある選手がたくさんいるので、その方たちに追いつき、そして追い越せるように努力したい。来年は市民140kmに挑戦したい。

text:宇良武(チーム池原)

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