ツール・ド・フランス総合ディレクターのクリスティアン・プリュドム氏へのインタビュー。後編は、21世紀におけるツール・ド・フランスの形を探ります。プリュドム氏の夢見るツールは「音」がキーワード。その音とツールとの関係とは?

2011年のツールは「パッサージュ・デュ・ゴア」から始まりますね。これは1999年に波乱を呼んだ場所ですが、来年のスタートはただセレモニーとして通過すると聞きました。

パサージュ・デュ・ゴワを通過する1999年ツール・ド・フランスの集団パサージュ・デュ・ゴワを通過する1999年ツール・ド・フランスの集団 (c)Makoto.AYANO「そう、セレモニーとして通ります。聞くところによると日本にも海から現れる道があるらしいね。パッサージュ・デュ・ゴアよりももっと短いらしいけれど。私にとってゴアは山々と同じくツール・ド・フランスにおける完全なまでに美しい心像なのです。私が小さい頃から両親とともに度々訪れたゴアは、印象的な場所です。あの頃は怖く感じたものですけれども。

ゴアを通ると決めた時、直ちに訪ねたのです。『いつがいい潮回りだ?』と。それが2011年7月2日の土曜日で、干潮は12時15分だと聞いて『OK!それでいこう、ここからスタートしよう!』と決まりました。なぜならツールのグランデパールにふさわしい絵がそこにあるから。188カ国の国にツールのイメージを伝えるにはここだったのです。

パサージュ・デュ・ゴワで発生した大落車。優勝候補のアレックス・ツェーレ(スイス、当時バネスト)が巻き込まれた)パサージュ・デュ・ゴワで発生した大落車。優勝候補のアレックス・ツェーレ(スイス、当時バネスト)が巻き込まれた) (c)Makoto.AYANO2012ツールの最初の絵は、引き潮で現れたこのルート。素晴らしいものになりますよ。反対にここで何か危険なことがあっては欲しくない。例えば1999年にアレックス・ツーレが落車したことのような。ですので、これはセレモニー、制度的なものとしてマルセイエーズ(フランス国家)が流れ、穏やかに選手たちがスタートしてくことでしょう。乾いた路面からスタートするということです。

映像的には非常に面白いものになるでしょう。ツール・ド・フランス、この世界最大の自転車レースは同時にスポーツ以上の何かなのです。テレビに映されるそのイメージは、フランスの威光を多少とも伝えるものではなくてはならない。

フランス中を巡るツール・ド・フランスは夏の風物詩だフランス中を巡るツール・ド・フランスは夏の風物詩だ photo:Yufta Omataジャック・ゴデやジャンマリー・ルブラン(共にかつてのツールオーガナイザー)は私によく言ったものです。ツールがフランスの至る所を訪れるのだから、フランスがどのようにその並外れた美しさを、その威光を生み出しているかを伝えなくてはならない、と。我々はそれを見せたいと思う。フランスの観光業にとっては、ツールがもし存在しなかったとしてもきっと違う形で創出していたんじゃないか、とも思います。

第1ステージのゴール地点モンデザルエットはヴァンデ戦争の舞台になった歴史的な場所です。革命か反革命か?ヴァンデの人々もその狭間にいたのです。ロジスティックス(報道機材の運搬)の技術的な視点から言うと、このステージのゴールのために、山岳ステージの方法をはじめから導入します。

ツールはいつも、ロジスティックス技術の挑戦の場でもあります。188カ国のテレビ、機材を積むたくさんのトラック、多くのテレビチャンネル…ひとつのゴール地点を完成させるにはちゃんとこれらのこと・ものが落ち着く場所を作らなくてはなりません。最も重要な事、それは『スポーツはテレビに映されてこそ』ということです。これからは、以前に行けなかった場所へと進出していくことになるでしょう。

単純なひとつの例ですが、かつては街にゴールすることが多かった。その方がやり易いからです。そこでやらなきゃいけないから、という訳ではなかったのです。10年前にはモンデザルエットでゴールというのは考えにくかったでしょう。あそこは牧草地や畑ばかりなので、技術的な視点からすると非常に複雑で難しい場所なのです。

これは今年のツールマレ峠、2007年のオービスク峠、モンヴァントゥーのゴールに続く、真の挑戦です。こういったものは自然にできていくものではありません。なぜなら技術やロジスティックスの方法論は常に変わっているからです。」

2011年ツールの個人タイムトライアルの距離が短いのは、アルプス100周年を祝う意味でもクライマーの選手がツールを勝てる可能性をもたらすためでしょうか。

今年のツールは見事なアンディ・シュレクとアルベルト・コンタドールの闘いに彩られました。…今日ではこの闘いに「?」マークがつきそうですが…。いずれにせよ、この闘いは全ての人やメディアが、これが新しいツールのライバルだ、これが本当のバトルだ、と口にしていました。ツールのコースというのはそういうバトルが起こる場として設定されています。新しいバトルはいつも山岳で。

しかし個人タイムトライアルの側面から、カンチェラーラのような選手が総合トップ10に入れるツールも考えたいのです。タイムトライアルで最強、驚くべき下りの速さ、平坦ではいたるところでアタックを見せ、山岳でも牽引ができる。そうした選手が、山岳ではとても強いがTTでタイムを失うクライマーと総合で競るために、個人タイムトライアルも大事な要素です。

しかし今日では、山岳に強い選手が個人タイムトラアルにも強くなっている。なのでバランスをとることができないでいます。しかし、私が夢見ているのは、スパルタカスとスペインの小柄なクライマーの総合をかけた闘いです。」


今年のツール・ド・フランスの映像技術には驚かされました。ヘリコプターからの映像は素晴らしかったです。こうした映像に重きを置くのは、あなたのジャーナリストとしての経験からくるものだと思いました。

ツールは毎ステージ、プリュドム氏によってリアルスタートが切られるツールは毎ステージ、プリュドム氏によってリアルスタートが切られる photo:Yufta Omata「そうですね、私は小さい頃からツールのコースを走るのが好きでした。『エタップ・デュ・ツール』をやっていたんですね。ある14、15歳の少年からツールのコースを走ったという話を聞いたときは、私の少年時代が思い出されました。ツールのコースへの思いはたくさんあるわけです。

ヘリコプターからの放送に関しては、空からどんな事ができるのか?つまり、沿道にいる人ではなく、フランスやスペイン、日本やアメリカでテレビで観ている多数の人へ対しての映像はどうあるべきか?を考えています。例えば2006年、我々は計画的に海沿いのステージを設定しました。なぜか?海沿いには、風がつきものです。風が吹けば、集団の形は斜め陣形や、中切れを起こします。これはスポーツとして非常にエキサイティングなものです。

もし風がなかったとしても、それはそれで非常に美しい海の風景が画面に映し出されるわけです。そのように視聴者はあらゆる映像を目にする事ができるのです。確かにコースを設定する際に美学的な側面を重用視するのは、私のテレビ・ジャーナリストの経験が生きていると言えるでしょう。しかし我々が求めているというよりも、何百万にもおよぶテレビの前のツールのファンがこうした映像を求めているというのが正しいでしょう。私自身、いつだって美しいイメージを探していますが、これは当然のことです。」

我々の今、この時代はテクノロジーや速度によって成り立っています。世界はあっという間に変わっていく。こうした時代にあって、ツール・ド・フランスに必要なものとは何なのでしょうか?

「私が今夢見ているのは、『音』の伝達技術の向上です。映像の技術についてはもう申し分無い。もちろんいつかの課題はあります。3D技術の試みはいくつかあり、そのうちのひとつは1年前のパリ〜ツールでなされました。それはその時には必ずしも満足のいくものではありませんでした。というのも、迫力こそ際立ったのですが、そこに広がりのある眺望が見えなかったのです。

ファビアン・カンチェラーラの3D映像がありました。誰でも、このスパルタカスと呼ばれる男の筋骨隆々さ、はちきれんばかりの強さを目にしたはずです。しかし逆に、眺望が無いのです。ロワール地方の山々が平板に見えたのです。人々はこれらに人工的な印象を持ったでしょう。今のところは、サイクルスポーツに適応させるための技術革新はまだまだたくさんありますね。

また別に、私はプロトン内のすべての『音』が聞こえることを夢見ています。ディスクホイールの音やブレーキパッドの音などを!選手は毎日200kmを走り、自転車に重さが加わる事を良しとはしないので、今のところは技術的に難しいですが。でも私にとって、テレビ・ビジュアルを考えるとこれが最も重要な進歩になると思います。

2011ツール・ド・フランスの最初のプレゼンテーションはパリのパレ・ド・コングレで行われた2011ツール・ド・フランスの最初のプレゼンテーションはパリのパレ・ド・コングレで行われた photo:Cor Vos映画を観る時、音が立体的に聞こえてくることにはびっくりします。平板な状態に立体的な要素を持ち込むこと、それこそが我々が今したいことなのです。なぜならテレビジョンとは映像と音からなっているからです。エモーション、感動を引き出すものは目と耳から入ってきます。今一度映画の話になりますが、我々がパレ・ド・コングレといった大きな室内や、明日には映画館でコースプレゼンテーションを行うのは全くこの信条に則っての事なのです。

私にとって技術の進歩とはまずこのようなことです。そして次に、ツール・ド・フランスはいつだってメディアと共にあったことを思い出しましょう。ツールは新聞社によって創始され、ラジオにのって人々の人気を得、テレビによって素晴らしいものとなった。そして自然にインターネット、6ヶ月前からはフェースブック、当然のことながらツール・ド・フランスはこれらと共に生きているのです。

そして日本、アメリカ、アフリカ、古くからのヨーロッパ、どこでも世界中のファンが「あのチャンピオンについてどう思う?」「あのレースのコースはどんなだろう?」など交流する事が可能になっています。ツールはメディアとともに社会的生命を生きているのです。かつてそうであったように、今日も。」

音、というのは非常に興味深い話ですね。

「そうでしょう!音とは素晴らしいものです!私がフランステレビジョンのジャーナリストだった時にもこの種の試みを夢見ましたが、その時は難しかった。でも、絶対、絶対、絶対必要なものです…。」

音というと、あなたが幼少の頃にラジオでツール・ド・フランスを聞いていたという体験が関係してくるのではと思いますがいかがですか?

「もちろんです。小さい頃、私は朝に新聞を読み、そのあとにラジオを聞きました。当時は残り100kmくらいから放送が始まりましたね。今日ではすべてがテレビで流れますが。ラジオによく耳を傾けたものです。その頃はフランスのジャーナリストと同じくらい有名なベルギーのジャーナリストのリュック・バレンヌ、この熱狂的な自転車競技への愛にあふれたジャーナリスムの巨人をベルギーのラジオ局から聞いたものです。他にもたくさんの偉大なジャーナリストたちがいましたが、その中の一人が後に私の上司となったのは全く運命のいたずらだったと言うしかありません。

なされるべき進歩はまだたくさんあります。例えば、3Dの話になれば、現在は撮影をするのにバイクに乗ったカメラマンがプロトンに貼り付かなくていけません。しかし技術の進歩が許すようになれば、ミニカメラをプロトン内の幾人はの選手につけることもできるでしょう。その時になって初めてスパルタカスを真に見出すでしょうし、見る者はプロトンの真ん中にいるように感じるはずです。

「スパルタカス」の異名をとるファビアン・カンチェラーラ(スイス)「スパルタカス」の異名をとるファビアン・カンチェラーラ(スイス) photo:Kei Tsujiしかし私にとっては、この技術が、美しい風景を映し出すいままでのカメラと合わさって使用されることに意味があります。今はまだ到達できていませんが、この方向性で先へと進めれば、きっと眺望をも浮き彫りにするような映像が届けられると思います。

ツールを代表とする自転車レースにおいて、風景の側面は当然ながら不可欠なものです。選手だけを見ていればいい、風景なんて二の次だなんてことは言えません。そしてその映像に音がつけば!ディスクホイールの音、危険を知らせる憲兵のホイッスルの音、それにパヴェでスパルタカスがアタックする音が!最高でしょう?」

A.S.O.は先ほど話に出たパリ〜ツールの他にも多くのレースを運営していますが、その蓄積がツールの運営や発展に役に立っているのでしょうか?

2008年、リッコのドーピング騒動でメディアに囲まれるプリュドム氏。レースの頂点であるツールの長として毅然と対応した2008年、リッコのドーピング騒動でメディアに囲まれるプリュドム氏。レースの頂点であるツールの長として毅然と対応した photo:Yufta Omata「自転車競技はピラミッド構造からなっています。頂点にはツール・ド・フランスがあります。下部が広くければ広いほど、ピラミッドは強固なものになります。なので、われわれにとって大切なことはあらゆるレベルの、ツールへと向かうレースを展開することです。

次いで大切なのは選手が一年中走っているということです。これは昔には決して無かったことです。選手たちは3月から10月まで、ただ7月だけでなく走っています。パリ〜ニース、パリ〜ルーベ、リエージュ、ドーフィネ、ブエルタ、パリ〜ツール。これはファンのために重要なことです。私にとっては、パリ〜ニースからパリ〜ツールまで、選手たちが最高のコンディションでなくてもそこにいるということが大事なのです。優勝した選手はもちろん、2位、3位、10位の選手も、レースを走っている姿をファンに見てもらうことが大事なのです。」 

近年のツール・ド・フランスのプレスルームでは少年少女のジャーナリスト「ジューヌ・ルポルトゥール」(若いリポーター)の姿を見かけます。なぜこのような機会を設けているのでしょう?

「なぜなら、彼らが未来だからです。先ほど君も言ったことだけれど、『若者』だからです。なぜやっているか?それは彼らがジャーナリストを目指す若者だから、ツール・ド・フランスを追いかけているのです。私は彼らジャーナリストになりたい若者に愛情を覚えます。なぜならジャーナリズムは私の生涯の仕事だからです。

ツールは私に夢を見させるイベントであったし、いつだってそうです。私は死ぬまで夢を見続けるでしょう。ですから、このような機会を若者にも得てほしかったのです。ジューヌ・ルポルトゥールの幾人かは時にツールのファンであり、時にうまい文章を書いたりしてましたが、ツールが見出すところものを実際は知らなかったのです。ツールが見出すその何かが、彼らに喜びを与えるということも。

時に彼らはこう言っていました。『あぁ、ツールがやっぱりお年寄りのためのスポーツなのか』と。しかし一度ツールを直に見た時、『なんてスゴイんだ!』と。そして彼は15、16、17歳の同年代の友達に言わずにはいられなくなるのです。『あぁ、ツールはすごいんだよ!見に来なよ!ほんとにすごいんだから!』とね。

2010ツール・ド・フランスのプリュドム氏2010ツール・ド・フランスのプリュドム氏 photo:Makoto Ayanoこうした取り組みを精力的に行うのは、私にとって不可欠なことだからです。これは単純に若者がツールにいる、ということではありません。ツールを愛し、ツールを語る新聞、雑誌、インターネット、テレビ、ラジオという媒体に若者がいる、ということなのです。

高齢者だけを見ればまだフランス人のツールのファンの方が他の国々よりも多いでしょう。しかし、若い君は日本人で、ツールを愛している。英語話者でツールを愛している人は同じように世界中にいる。フランスとしては、先ほどお話したように、ビシクレットとヴェロをつなぐという挑戦をすることでまた若いファンを獲得できるはすです。そこには原則としてフランス語を話すフランス人のジューヌ・ルポルトゥールが果たす役割もあるでしょう。

こうした取り組みを聞いていると、ツール・ド・フランスが技術だけでなく文化的にも発展しているのだという印象を受けます。

「そうだね、ツール・ド・フランスはすばらしいものだね(笑)」

では最後の質問です。もしA.S.O.でレースの運営や仕組みを働いて学びたいという日本人や外国人がいたとして、彼らに扉は開かれているのでしょうか?

2009年ツールにて、初出場の別府史之(日本、スキル・シマノ)とともに2009年ツールにて、初出場の別府史之(日本、スキル・シマノ)とともに photo:Makoto Ayano「もちろん、A.S.O.にとって、発展は不可欠なものです。アジアは世界の中で最も多くの人々が住む地域です。先ほど私も娘のための買い物に行って驚いたのですが、日本の人はとても親切で恭しい。日本人がフランスに来ると、また逆のことを感じるはずですが、それに対処しないといけませんね。しかし日本のような国の力が必ず必要になってくると思います。

私が日本に来たのも偶然ではありません。私がジャンエティエンヌ・アモリー(A.S.O.の会長)と仕事をしているのもまた偶然ではありません。5週間前には彼と、ベルナール・イノーとともに上海の万博を訪れました。

幸運にも私はジャーナリストとして1990年に前橋、宇都宮の世界選手権を訪れることができました。その時は沿道のファンの熱狂的な応援に感動さえ覚えました。私は例えば新城幸也(日本、Bboxブイグテレコム)が、—というのも彼が現在最も来年のツールに出場する可能性が高いから言うのですが—、ポディウムの脇ではなく中央に立つのを楽しみにしているのです。それは彼にとっても、日本にとっても、そしてツールにとってももちろん、よい兆しなのです。

我々は100人もの人数を迎え入れることはできませんが、意欲的な若い日本人たちがA.S.O.に入りたいと臨むのならもちろん機会はあるでしょう。」

今日は興味深い話をありがとうございました。

「こちらこそ、どういたしまして」


interview & photo:Yufta Omata
photo:Makoto Ayano,Kei Tsuji,Cor Vos

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