2008年の北京五輪でのドーピング違反が発覚したダヴィデ・レベッリン(イタリア)の出場停止処分が2011年4月に明ける。同じモナコ在住でトレーニングパートナーであるアレクサンドル・ヴィノクロフ(カザフスタン)の誘いで、アスタナに加入する可能性が浮上した。

2008年北京五輪ロードレースで2位に入ったダヴィデ・レベッリン(イタリア)2008年北京五輪ロードレースで2位に入ったダヴィデ・レベッリン(イタリア) photo:Cor Vos「レース復帰に向けて準備を進めている。1週間に3回はジムに通っていて、毎日2〜3時間はバイクに乗っている。やっぱりバイクに乗るのは最高の気分だ」。39歳の大ベテランはほぼ毎日、自身のFacebookページでレース復帰への心意気を綴っている。

レベッリンは2008年の北京五輪ロードレースでサムエル・サンチェス(スペイン)に次いで2位に。しかし大会期間中に行なわれたドーピング検査で、第3世代EPOであるCERAの陽性反応が検出されたことが後に発覚した。

2001年ジロ・デ・イタリア リクイガスチームで走るダヴィデ・レベッリン(イタリア)2001年ジロ・デ・イタリア リクイガスチームで走るダヴィデ・レベッリン(イタリア) photo:Cor VosIOC(国際五輪委員会)はレベッリンを失格処分とし、銀メダルの剥奪と賞金75000ユーロ(約850万円)の返還を求めた。IOCがドーピング陽性の発表を行なうまでの間、レベッリンはフレーシュ・ワロンヌで優勝し、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュで3位に入っている。

レベッリンは検査体制に不備があったとCAS(スポーツ仲裁裁判所)に上訴したが、その訴えは棄却。所属するモナコ自転車競技連盟は今年9月、レベッリンに2年間の出場停止処分を与えることを発表した。期間は2009年4月27日から2011年4月27日まで。つまりあと5ヶ月で出場停止処分が明ける。

2008年パリ〜ニースで総合優勝を果たしたダヴィデ・レベッリン(イタリア)2008年パリ〜ニースで総合優勝を果たしたダヴィデ・レベッリン(イタリア) photo:Cor Vosレベッリンのドーピング疑惑はこれが初めてではない。IOCがドーピング陽性を突き止める7年も前から、イタリア当局はレベッリンを要注意人物として追い続けていた。

2001年5月14日、ドーピングへの関与が疑われるエンリーコ・ラッツァーロ医師のオフィスに出入りするレベッリン夫妻の姿を、警察の監視カメラが捉えた。同年のジロ・デ・イタリア期間中に、バッサーノ・デル・グラッパのホテルでレベッリンはラッツァーロ医師と面会。そこでテストステロンとEPOを摂取したとされている。

2009年フレーシュ・ワロンヌを制したダヴィデ・レベッリン(イタリア)2009年フレーシュ・ワロンヌを制したダヴィデ・レベッリン(イタリア) photo:Cor Vosラッツァーロ医師は14ヶ月間の業務停止を命じられたが、レベッリンは罪を問われることなくレース活動を継続。2004年にアムステル・ゴールドレース、フレーシュ・ワロンヌ、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュで3連勝を飾り、2008年にはパリ〜ニース総合優勝を果たした。

レベッリンは今年1年間で33000kmのトレーニングライドを行なう予定。出場停止処分前の年間35000kmに迫る距離だ。「11月はまだ追い込んだトレーニングを行なわない。イージーペースで走るだけ。本格的なトレーニングを始めるのは12月上旬からだ」。

レベッリンは同じくモナコ在住のヴィノクロフやフィリップ・ジルベール(ベルギー)と度々トレーニングを行なっている。モナコにはオーストラリア人選手も大勢住んでいるが、トレーニング中のコーヒー休憩が多すぎるという理由で、一緒にトレーニングを行なっていない。

ガゼッタ紙によると、ヴィノクロフはレベッリンをアスタナに迎える準備を進めている。レベッリンはイタリアのイル・ジョルナーレ・ディ・ヴィツェンツァ紙とのインタビューの中で、12月中旬までに来シーズンの所属チームを決めたいとの意向を示しており、アスタナ入りが実現すれば、5月7日に開幕するジロ・デ・イタリアでレベッリンがレースに復帰する。チーム新加入のロマン・クロイツィゲル(チェコ)をサポートすることになるだろう。

text:Gregor Brown
translation:Kei Tsuji

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