ツアー・オブ・ジャパンでは日本人選手の活躍に注目が集まった。個人総合3位の岡篤志(JCLチーム右京)、山岳賞争いをした兒島直樹(チームブリヂストンサイクリング)にインタビュー。さらに、ツアー・オブ・ジャパン組織委員会委員長の栗村修氏に話を聞いた。



個人総合3位 岡篤志(JCLチーム右京)「総合2位の可能性もあったが」

個人総合表彰 左から、2位ベンジャミン・ダイボール(ヴィクトワール広島)、優勝ネイサン・アール(JCLチーム右京)、3位 岡篤志 photo:Satoru Kato

自分は総合優勝争いをする予定ではなかったけれど、コンディションが良かったし、運が味方してくれたこともあり、大成功なツアー・オブ・ジャパンだったと思います。

京都ステージではゲオルギオス・バグラス(マトリックスパワータグ)と僅差の2位 photo:Satoru Kato
信州飯田ステージでは序盤から集団牽引をこなした岡篤志(JCLチーム右京) photo:Satoru Kato


京都ではアシストの仕事をこなして、最後の逃げを潰しに行って、スプリントまでしてかなり脚を使いました。それであと少しでステージ優勝出来るとこまで行けたので、かなり調子が良いと感じました。優勝した飯田も本来は逃げに乗る予定ではなく、チームとしては抑えに回る作戦でした。あの時の僕以外の逃げメンバーが優勝して総合首位になってしまっていたら問題だったと思うので、結果として良かったと思っています。チームミーティングでは、あれは協力すべきではなかったと言われて議論になりましたが(笑)。

リーダージャージで富士山を登った岡篤志(JCLチーム右京) photo:Satoru Kato

富士山でもう少し僕が粘れていたら総合ワン・ツーもあったし、相模原でもチーム内でもっと連携していれば勝てたかもしれなかったです。富士山ではアシストの仕事もあったので、ベンジャミン・ダイボール選手(ヴィクトワール広島)が序盤から引く集団について行かねばならず、最初の10分で自分が出せるパワーを超えて走ることを強いられました。早々に遅れた小林海選手(マトリックスパワータグ、富士山ステージ5位)の方が先にフィニッシュしていたので、同じように自分のペースで登れていればもっと良いタイムで登れたと思いました。

相模原ステージ 最終コーナーを先頭で抜けたルーク・ランパーティ(トリニティレーシング)がスプリント photo:Satoru Kato

相模原でも最後のスプリントの時にルーク・ランパーティ選手の前で最終コーナーに入れれば良かったのだけれど、横並びで合わせられてイン側を取られ、ベンジャミ(プラデス)と一緒にアウト側に寄られてしまったので、逃げ場が無くなってしまいました。中間ポイントでボーナスタイムを取っていたので勝っていれば総合で4秒差の2位になれたので残念でしたね。

東京ステージではサイン待ちの行列が出来た岡篤志(JCLチーム右京) photo:Satoru Kato
昨年までは個人の走りが許される部分もあったけれど、今年のチームではアシストの仕事も多く、選手として自分自身の結果を出さないといけないなと、少し焦る気持ちがありました。だから勝てるコンディションに持っていかないと自分の持ち味を活かせないと思い、準備してきました。その結果として今大会はバッド・デイもなく順調に来られ、気持ち的にも余裕があってレースを楽しめました。

このあとは6月の全日本選手権のあと海外レースに行くことになると思いますが、まずは全日本選手権が目標です。今年は個人タイムトライアルに出るので、優勝を狙っています。



兒島直樹(チームブリヂストンサイクリング)「僕が立候補して山岳賞を狙った」

京都ステージで獲得した山岳賞ジャージを相模原ステージまで着続けた兒島直樹(チームブリヂストンサイクリング) photo:Satoru Kato

怒涛の8日間でした。全日本トラックが終わってすぐだったので、あまり乗り込みが出来ていなくて不安な気持ちいっぱいで臨みました。京都ステージで逃げに乗って山岳賞を取って、その後もポイントを取れて良い流れで来ていたけれど、飯田以降の山岳配点が高くてジャージを失うことになってしまいました。でも最終日にチームの武器であるスピードを活かして、しっかりトレイン組んでエースを勝たせることが出来たので、良かったと思います。

中井唯晶(シマノレーシング)と山岳賞を競り合って小さくガッツポーズする兒島直樹(チームブリヂストンサイクリング) photo:Satoru Kato

山岳賞をチームの中で誰が取るかという話をした際、僕が立候補して狙うことになりました。トラック選手が山岳賞を狙うのは少し厳しかったのは確かだけれど、取れるのではないかと思えたことは収穫でした。リーダージャージを守りながら走ることは初めてだったので、僕の中では挑戦でした。毎日ドキドキしながら過ごしていて宿でも落ち着きませんでしたね。でも自分が守らなければという責任感も生まれて、普段は味わえない体験が出来たので、今後に活きる経験が出来たと思います。美濃で中井(唯晶、シマノレーシング)選手と争った時は接戦でポイントを取れたので、心からのガッツポーズが出ました。

山岳賞ジャージの兒島直樹(チームブリヂストンサイクリング)をレオネル・キンテロ・アルテアガ(ヴィクトワール広島)がマーク photo:Satoru Kato

相模原でのレオネル・キンテロ選手は本当に強かったです。連日の疲労が抜けていないのもあったけれど、残り500mから1分間くらいの登りは自分にはとても長かった。ロードでのスプリントはあまり経験が無かったし、そこはキンテロ選手のキャリアと経験の差だと思います。でもやっぱり山岳賞は獲りたかったですね。

来月には最大の目標であるアジア選手権が控えていて、五輪出場に向けてのポイントを獲得する大事な大会になります。少し休んでからしっかり調整して臨みます。



栗村修氏(ツアー・オブ・ジャパン組織委員会委員長)
「8日間開催がツアー・オブ・ジャパンの価値と改めて感じた」


4年ぶりのフルスペック開催(UCI2.1、8日間8ステージ、有観客での開催)を終えて、ツアー・オブ・ジャパン組織委員会委員長の栗村修氏に今後の課題も含めて話を聞いた。

ツアー・オブ・ジャパン組織委員会委員長の栗村修氏 photo:Satoru Kato

フルスペックに戻すために4年もかかったことは想定外で、正直ここまで時間がかかるとは思っていませんでした。4年ぶりに開催した前半4ステージでは、立哨の方やファンの方から「ありがとう」と声をかけてもらったのが印象的でした。それはこちらが言う言葉なのだけれど、待っていてくれたんだなと感じたたのと同時に、止まっていた4年間の大きさを実感し、やって良かったなと思いました。4年も空けてしまうと再開出来ないこともあるし、今回全部のステージを再開出来たことは大きな収穫です。ツアー・オブ・ジャパンの価値として続けていかねばならないと改めて感じました。

月曜日にも関わらずけいはんなプラザ前に多くの観客が集まった京都ステージ photo:Satoru Kato
美濃ステージは「うだつの上がる街並み」から4年ぶりのスタート photo:Satoru Kato


2021年大会は東京都は緊急事態宣言下で、アジアのレースで初めてコロナ・プロトコルを導入し、レースバブルを運用して開催しました。東京五輪前でもあり、全てが手探り。毎年大変なのだけれど、違う種類の大変さでした。普段と違うコロナ禍で開催すると決断し、その旗振り役をやらせてもらいましたが、責任の大きさを感じていました。大会ディレクターになった初年度以来、初めて泣いたほど大変でしたね(笑)。

16チーム96名がスタート うち東京にたどり着いたのは83名だった photo:Satoru Kato

UCIの規定もありますが、ヨーロッパでも5日間のステージレースが多い中で8日間は長いです(注・グランツールを除きステージレースの最長は5日間の規定があるが、ツアー・オブ・ジャパンはUCIから特別に許可を得ている)。ツアー・オブ・ジャパンは選手としても監督としても出場してきましたが、移動が長くロケーションが変わっていくところが独特なレース。それがツアー・オブ・ジャパンの唯一無二の価値だと思うし、他の国では短縮されているレースもあるので、この規模は大切にしていかねばと思っています。

各会場でロード・トゥ・ラヴニールについて説明する浅田監督 photo:Satoru Kato
今大会では浅田顕氏が進める選手育成プロジェクト「ロード・トゥ・ラヴニール」と提携させて頂きました。

僕のブログは「ワールドツアーへの道」と題していますが、それはツアー・オブ・ジャパンをワールドツアー化しようという想いが込められています。オーストラリアのツアー・ダウンアンダーには多くのオーストラリア人選手がワールドチームのメンバーとして出場して活躍していますが、日本もオーストラリアと同様になればツアー・オブ・ジャパンがワールドツアーになる意味があると思います。でも残念ながら、まだそこに到達していないのが現状です。

記者発表会の際に浅田氏とのトークショーでも話しましたが、ツアー・オブ・ジャパンを若者が世界に飛び立つためのキッカケとなるレースにしていくことも考えるタイミングと思っています。それは今後の大きな課題ですね。

text:Satoru Kato

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