2022年のツール・ド・フランスは1日も退屈するステージのない、目まぐるしく白熱した3週間だった。ヨナス・ヴィンゲゴー(デンマーク、ユンボ・ヴィスマ)という新たなチャンピオンを迎えた今、そう断言することに異論はないだろう。現地でツールを追った小俣雄風太が、レースに訪れた変革について綴った。



2022年ツールを沸かせたヨナス・ヴィンゲゴー(デンマーク、ユンボ・ヴィスマ)2022年ツールを沸かせたヨナス・ヴィンゲゴー(デンマーク、ユンボ・ヴィスマ) photo:A.S.O.
最終ステージ、パリ・シャンゼリゼへ向かう選手たちが集団のあちこちで談笑しているシーンが映し出され、フランステレビジョンのコメンテーターは、「選手たちはこの3週間で初めてゆっくり話ができています。今大会は、最初から最後まで全力のレースが続きましたから」と伝えたが、まったくそれは正しいと思われる。イネオス・グレナディアーズのルーク・ロウは大会2週目に「スタートの旗が振られるやいなやフィニッシュラインまでひたすら攻撃し合う、x15。これがツールドフランス」とツイートした。実際、今大会はツール史上最高の平均時速を記録している。スタートからフィニッシュまで、ひたすらに速いレースが続いたのだ。

これは集団スプリントが想定される平坦ステージが少なかったこと、あるいは平坦ステージが設定されていても単純な「逃げと集団」という構図にならなかったことに現れている。いわゆる「集団スプリント」になったのは、第2ステージと第3ステージ、第15ステージ、そして最終パリ・シャンゼリゼのみ。デンマークの2日間が大会の最序盤であることを考えると、レースが終わった今、3週間を通じたレースにおいて集団スプリントはほとんどなかったくらいに感じられる。

いみじくも圧倒的なポイント数を稼ぎ出してマイヨヴェールを獲得したワウト・ファンアールトが今大会中に記者会見で、「幼い頃、ツールの平坦ステージは退屈だったから最後の5kmだけを観ていた」と述べたように、『いままでの平坦ステージ』は退屈な展開となっていたことは否めない。格下の選手たちがチームスポンサーをアピールするために逃げ、メイン集団はそれを容認しつつ、休む。それが3週間を戦うためのリズムであり、不文律だった。

今大会で、チームをアピールするための逃げがどれくらいあっただろうか?今大会で「逃げ屋」と呼べるようなUCIプロチーム所属の選手はいただろうか?答えは、いない、だ。

おそらく、プロトンのパワーバランスは5年前とすでに大きく異なっている。この5年でロードレース界には若手選手が大いに台頭した。ツール・ド・フランスはタデイ・ポガチャルとヨナス・ヴィンゲゴーが他を圧倒するパフォーマンスの違いを見せているし、北のクラシックではマチュー・ファンデルプール、そして今やクラシックレーサーという枠では語れなくなったワウト・ファンアールトといった存在が、現在のプロトンのバランスの重心をなす。

次世代選手の象徴となったマチュー・ファンデルプール(オランダ、アルペシン・ドゥクーニンク)とワウト・ファンアールト(ベルギー、ユンボ・ヴィスマ)と次世代選手の象徴となったマチュー・ファンデルプール(オランダ、アルペシン・ドゥクーニンク)とワウト・ファンアールト(ベルギー、ユンボ・ヴィスマ)と photo:CorVos
そして彼らの全方位に全力を尽くすレーススタイルが『いままでの平坦ステージ』を変えてしまった。今や4級山岳も攻撃を仕掛ける場所であり、違いを生み出す場所となり、スプリンターチームは最後の30kmに仕事を開始するのではもう遅くなってしまった。総合優勝を争うためにユンボ・ヴィスマが第11ステージでフィニッシュまで約60kmを残したガリヴィエ峠で波状的なアタックを仕掛けたのも、そうしないとポガチャルを打ち破れないから。これまでの常識を超越する選手に勝つには、これまでの常識では考えられない戦術をとる必要がある。

レースを観る側としてこれは刺激的な体験であった。私たちの常識を揺さぶる動きは熱狂を呼び起こし、戦術とパフォーマンスを競うコンペティションの精髄を今年は大いに楽しんだ。

一方でそれはロードレースにおける不文律の侵犯になるのかもしれない。かつては3週間のツール・ド・フランスにおいて、みんなが疲れている3週目の平坦ステージは、走りながら休む日だという全体意志があった。しかし今や勝てるレースはどんなステージでも勝ちに行く、というスポーツの本質としては全く正しい価値観が優先される。そのため観る側としては退屈することがない。そしてこの流れは、きっとこの先のツール・ド・フランスの本流になっていくだろう。あるベテラン選手に言わせれば、それはリスペクトが無い、ということにもなるのかもしれない。

スプリンターにもかかわらず第14ステージで2級山岳フィニッシュを制したマイケル・マシューズ(オーストラリア、バイクエクスチェンジ・ジェイコ)スプリンターにもかかわらず第14ステージで2級山岳フィニッシュを制したマイケル・マシューズ(オーストラリア、バイクエクスチェンジ・ジェイコ) photo:A.S.O.
おそらく私たちのツール・ド・フランス、あるいはロードレース全体を捉える価値観をアップデートするタイミングは今なのだ。この先、ロードレースにおいて、意外性に満ちた走りをたくさん見ることになるはずだ。マイケル・マシューズが上りフィニッシュで見せた登坂力と独走勝利のように、すでに既存の枠の外へと飛び出していく一流選手たちも少なくない。私たち観る側も、平坦ステージだから退屈だ、とかつてのワウトのように思うことが、もうなくなるかもしれない。

2020年代にワールドチームでエースを担う選手は、よりマルチタレントで、ひとつの脚質に限定されることなく、そして積極果敢な攻撃性に特徴づけられるだろう。ポガチャルがいかに今大会を盛り上げたか。間違いなく彼は第109回ツール・ド・フランスの主役だった。そして今後は、こうした選手を中心としてツールも、クラシックレースも展開することになる。

第15ステージの最終山岳でマイヨヴェールを着たワウト・ファンアールト(ベルギー、ユンボ・ヴィスマ)が前を牽く第15ステージの最終山岳でマイヨヴェールを着たワウト・ファンアールト(ベルギー、ユンボ・ヴィスマ)が前を牽く photo:CorVos
しかしこの展開は、中堅選手の勝利の可能性がどんどん無くなることを示唆してもいる。今大会の期間中のレキップ紙にも、逃げるチャンスも、勝利のチャンスもないことが、フランスの中堅選手の口から語られていた。トップ選手の驚異的なパフォーマンスに感嘆する機会は増えて、中堅選手のサプライズな、ときにエモーショナルな勝利を目にする機会は減るだろう。

これからのツールは、マルチタレントな選手たちが平坦でも、上りでも、どんなステージでも果敢な走りで観る者を魅了する。今年ワウトの桁外れのパフォーマンスや、ポガチャルの桁外れのアグレッシブさに驚くしかなかった私たちだが、きっと未来のツールには、「退屈な一日」はなくなっているかもしれない。だから、ツール・ド・フランスはかくあるべき、という価値観をアップデートするのは、今なのだ。

一方で個人的な懸念がある。ツール・ド・フランスがかようにコンペティションの純粋へと向かうにつれて、ツールをツールたらしめているものが失われはしないか、ということだ。それは先の不文律であったり、「退屈な平坦ステージ」だったり、そんな一日に空撮で長写しにされるフランスの風景なのかもしれないが、白熱する熾烈な秒争いの傍らで、おそらく今失われつつある何かがあるということだ。

カトリックの巡礼地ルルドの聖母の大聖堂が選手たちを見下ろすカトリックの巡礼地ルルドの聖母の大聖堂が選手たちを見下ろす photo:Makoto AYANO
今年現地でツールを3週間追いかけてみて、その何かの一端に触れたような気がする。そしてその何かをすくい上げ、コンペティションとナラティブを合わせてストーリーを紡ぐことが、これからのジャーナリストの仕事なのではないかと今は思い始めている。

text:Yufta Omata in France

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