全日本選手権優勝とJフェミニンツアー総合優勝…2021年に快進撃を見せた植竹海貴のインタビューを2回に渡ってお届けする。前半は全日本選手権と、保育士から転身した経緯について話を聞いた。



「完走が目標」から「勝てるかも」へ

2021年の全日本選手権が開催された広島県中央森林公園。植竹海貴(うえたけ みき)がこのコースを初めて走ったのは、全日本選手権が開催されるおよそ半年前、3月27日に開催された「JBCF広島さくらロードレース」だった。

JBCF(一般社団法人 全日本実業団自転車競技連盟)主催の女子ロードシリーズ戦「Jフェミニンツアー(以下JFT)」で、開幕2連勝で広島に乗り込んだ植竹は、海外チームでも走る樫木祥子(株式会社オーエンス)とのマッチレースの末、最終周回の登りで樫木を振り切って優勝し、3連勝とした。

それまでは仕事の都合などで広島のレースには出られなかったと言う植竹。目標としている全日本選手権に向けてコースを知っておくために、同じコースで開催されるレースに出場した。

広島さくらロード最終周回の登りで樫木祥子(株式会社オーエンス)を振り切る植竹海貴(Y's Road)これが大きな自信になったと言う広島さくらロード最終周回の登りで樫木祥子(株式会社オーエンス)を振り切る植竹海貴(Y's Road)これが大きな自信になったと言う photo:Satoru Kato
「登り(残り3km付近の通称展望所への登り)が勝負になるということがわかって、ここを耐えられたらワンチャンあるかも…と思いました。さくらロードレースでは、その登りで樫木さんを振り切れたので自信になりましたね。スプリント力のある人が残っていたら勝てないけれど、クライマー系の人が残ってそれについて行ければ勝てるかもしれないと思えてきました」

当初の植竹の目標は「全日本完走」だったが、このレースを経て入賞や優勝の可能性も考えられるようになった。翌年の全日本選手権の出場権を確実に取るために、必ず完走できる個人タイムトライアルの出場も考えたが、「1人で黙々と走るのは苦手だし、中途半端に走って、中途半端な結果で、中途半端に疲れるなら出ない方がいい」と考えて、ロード1本に絞った。もはや「完走」は目標ではなくなっていた。

しかし、2020年から続くコロナ禍により、6月に予定されていた全日本選手権は延期が決定。その後10月の開催が決まったものの、「また中止か延期になるのではないかと思うとなかなか気分が乗らなくて、間に合わないと思いました」と、当時の心境を振り返る。

全日本選手権 金子広美(イナーメ信濃山形)に続いて登る植竹海貴「登りのあとで追いつけるくらいをキープしていた」という全日本選手権 金子広美(イナーメ信濃山形)に続いて登る植竹海貴「登りのあとで追いつけるくらいをキープしていた」という photo:Makoto AYANO
そして全日本選手権本番。植竹の想定した通りの展開となり、勝負は金子広美(イナーメ信濃山形)との一騎打ちとなった。

「金子さんとは7月の石川ロードで走ってはいたけれど、全日本に合わせてきた金子さんは強かったです。あんな綺麗な方なのに想像できないくらい負けん気が強いんだなというのが伝わってきました(笑)。金子さんは登りきったら踏みやめてしまうタイプだったので、若干遅れても登り終わったあと踏めば追いつけるから、頑張ればなんとかなるかなと。離れすぎてしまうとさらに踏まれるから、気づかれないくらい離れて、なんとか追いつける距離をキープしていました。

ホームストレートに入ったところで金子さんと2人になって、これは勝てると思いました。でも足がつりそうだったので、スプリントはギリギリでした」

2021年全日本選手権 「ギリギリだった」という最後のスプリント2021年全日本選手権 「ギリギリだった」という最後のスプリント photo:Makoto AYANO



保育士からの転身

植竹が本格的にレースを走るようになったのは2018年から。JBCFの大会やローカルレースに出場し、メイン集団でフィニッシュできるくらいの力は持っていたが、もっと行けると感じていた。

「その年の全日本選手権(島根県益田市で開催)に出場してU23で完走したんですけど、エリートの先頭には周回遅れにされてしまって、来年はエリートで走るからこのままじゃダメだなと思って本格的にトレーニングを始めました」

2019年 宇都宮クリテリウム で初優勝した植竹海貴2019年 宇都宮クリテリウム で初優勝した植竹海貴 Photo:Satoru Kato
その結果はすぐに表れた。2019年5月に開催されたJBCF宇都宮クリテリウムでの初優勝をきっかけに、JFTで4勝を挙げた。

「でも目標にしていた全日本選手権(富士スピードウェイで開催)前に怪我をしてしまって、出場は出来たけれど雨のレースだったので下りが怖くて離されてしまい、タイムアウトになってしまいました。それで、翌年はもっとレースに専念して、全日本で完走できるようになりたいと思いました」

2019年全日本選手権 後方に植竹海貴の姿が見える2019年全日本選手権 後方に植竹海貴の姿が見える photo:Makoto.AYANO
ここまでなら、男女問わず思うことかもしれない。しかし植竹が違ったのは、それまでの仕事を辞めて選手として専念できる環境を自分で整えたことだ。

「保育士をやっていたんですが、行事が重なってレースに出られなくなってしまうんです。JBCFの南魚沼の大会と運動会が重なったり、ツール・ド・おきなわと親子遠足が重なったり…」

植竹の母親も保育士をしていた影響もあり、同じ道を選んだ。社会的に話題になったほど大変な仕事だが、体を動かすことが好きだったので「デスクワークでじっとしているより向いていた」と言う。それでも植竹は、4年ほど続けた保育士を辞めて、2020年4月に大手スポーツサイクル専門店「ワイズロード」の店員となった。

「甘い考えかもしれませんが、保育士の資格さえ持っていれば、自転車屋を辞めてもまた戻れるだろうと。それと収入面であまり変わらないのであれば、若いうちに好きなことに専念しようと思いました。まぁ、保育士辞める時は周りから色々言われましたけどね…」と、苦笑いする。

Jフェミニンツアーの年間表彰式には、株式会社ワイ・インターナショナル代表の鳥居恵一郎氏(写真右)も駆けつけた(写真左はJBCF安原理事長)Jフェミニンツアーの年間表彰式には、株式会社ワイ・インターナショナル代表の鳥居恵一郎氏(写真右)も駆けつけた(写真左はJBCF安原理事長) ©️JBCFそもそも、ワイズロードは選手活動を前提とするスタッフを募集してはいなかったが、植竹から掛け合って採用してもらったという

ワイズロードを運営する株式会社ワイ・インターナショナル代表の鳥居恵一郎氏は、

「以前より女性ライダーの活動をサポートしたいと考えていました。そんな時に植竹から相談があり、彼女の素直さと負けず嫌い、何よりスポーツサイクルに対する情熱がひしひしと感じられたため、採用することにしました」と、植竹の採用について説明する。

全日本優勝という大きな結果で返すことが出来たとは言え、よほど自信があったのかと聞くと、「やる気ですね」と言って、植竹はちょっとはにかむような表情を見せた。

後半に続く)


text:Satoru Kato

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