ログリッチは全身を包帯と絆創膏で覆った痛々しい姿で現れた。朝のチームバスエリアや出走準備に並んだ車列の間では、監督や審判団、主催者たちが盛んに話し合う姿が見られた。選手たちが何らかの抗議行動に入るか、最悪はボイコットもありうる、という話が飛び交っていた。



全身包帯と絆創膏まみれのプリモシュ・ログリッチ(スロベニア、ユンボ・ヴィスマ)全身包帯と絆創膏まみれのプリモシュ・ログリッチ(スロベニア、ユンボ・ヴィスマ) photo:Makoto AYANO
ユンボ・ヴィスマのリチャード・プルッへGMがドゥクーニンク・クイックステップのパトリック・ルヴェーブルGMと話し合うユンボ・ヴィスマのリチャード・プルッへGMがドゥクーニンク・クイックステップのパトリック・ルヴェーブルGMと話し合う photo:Makoto AYANOお尻を怪我したログリッチがこの薄いサドルに座るのだお尻を怪我したログリッチがこの薄いサドルに座るのだ photo:Makoto AYANO


落車が多発し、数多くの選手たちが傷ついた第3ステージは様々な物議を醸した。選手たちはステージの最終盤の道幅が狭く、テクニカルである以上に非常に危険であることから総合タイムを残り8kmあるいは5kmの時点で確定させることを提案していた。そうすればスプリント争いは行われるが、タイムを失いたくない総合争いの選手、チームまでもがフィニッシュに向けて前方の位置取りをしなくて済むため、危険が大きく減らせるというわけだ。

選手たちが直接、あるいはCPA(選手組合)を通じて出したこの提案は、ツール主催者ASOは賛同したがUCI(国際自転車競技連合)は却下した。結果論だが、その提案が通っていればあのように多くの落車事故は起こらなかったのではないかという思いがある。総合争いでも、まるで消去法のように転ばなかった者だけが上位に留まる。

A.S.O.のコースディレクターやオルガナイザーが話し合うA.S.O.のコースディレクターやオルガナイザーが話し合う photo:Makoto AYANOマスク無しで現れたグレッグ・ファンアーヴェルマート(ベルギー、アージェードゥーゼール・シトロエン)マスク無しで現れたグレッグ・ファンアーヴェルマート(ベルギー、アージェードゥーゼール・シトロエン) photo:Makoto AYANO

ゲラント・トーマス(イギリス、イネオス・グレナディアーズ)は(落車で壊した)レーシングジャケットを新調した模様ゲラント・トーマス(イギリス、イネオス・グレナディアーズ)は(落車で壊した)レーシングジャケットを新調した模様 photo:Makoto AYANO
下りフィニッシュはもともとUCI規則で禁じられているし、フィニッシュ直前でコーナーをこなすレイアウトも、程度の差こそあれ微妙な点だ。「全選手がブレーキをかけない唯一のレース」とEFのジョナサン・ヴォーターズGMが冗談めかして言うツールにおいてなら、なおさら危険度は高くなる。

しかし選手たちの声をUCIは聞き入れなかった(あるいは受け流した)。フィニッシュ地点のポンティヴィーが出身地であるダヴィデ・ラパルティアン会長は、街中にフィニッシュするのに少々テクニカルになるのは仕方がなく、コース自体に問題は無かったという姿勢だ。「落車の要因のほとんどは選手の注意力の欠如だ。昨日のプロトンはテンションが高く神経質になっていた。前へ前へと上がりたい選手の気持ちは理解するが、全員分のスペースはない。コースのせいにしてはいけないと思う」と発言。不満の火に油を注ぐかたちとなった。

抗議のため、話し合いの場を求めてストップした選手たち抗議のため、話し合いの場を求めてストップした選手たち photo:Luca Bettini
スタート0km地点で選手たちはレース関係者と安全性に対する対話をすることを求めて1分間のストップ。そして10kmをノロノロ走行でアピールした。「3kmルール」の適応を拡大するために、UCIに対してすべての関係者と議論する機会を設けることを求めて。第1・3ステージの事故だけでなく、この10年変わらない危険な状況を変えるためのアクションを取るべきだという提案。お互いのリスペクトをもって、安全に対してもリスペクトを、と。

レースボイコットには至らず、沿道に待つファンのために選手たちは走り出した。50km地点までゆっくり走り、そこまでレースを放棄するといった話も出ていたが、プロテスト走行は10kmで終了。レースは再開した。

アタックしたブレント・ファンムール(ベルギー、ロット・スーダル)とピエールリュック・ペリション(フランス、コフィディス)を見送ると集団のペースも落ち着く。傷ついた選手たちには抗議以上に穏やかな日が必要だ。幸い個人TT前の距離が短く難易度も低いコースプロフィール。山岳賞ポイントがひとつもないことでその争いの必要もなかった。それでもログリッチらには走り続けることが試練だ。

レース再開すぐに逃げ出したブレント・ファンムール(ベルギー、ロット・スーダル)とピエールリュック・ペリション(フランス、コフィディス)レース再開すぐに逃げ出したブレント・ファンムール(ベルギー、ロット・スーダル)とピエールリュック・ペリション(フランス、コフィディス) photo:Makoto AYANO
スプリントに期待がかかるアルノー・デマール(フランス、グルパマFDJ)スプリントに期待がかかるアルノー・デマール(フランス、グルパマFDJ) photo:Makoto AYANOスペシャルカラーのビアンキに乗るマイケル・マシューズ(オーストラリア、バイクエクスチェンジ)スペシャルカラーのビアンキに乗るマイケル・マシューズ(オーストラリア、バイクエクスチェンジ) photo:Makoto AYANO

お城を背後に走るマチュー・ファンデルプール(オランダ、アルペシン・フェニックス)お城を背後に走るマチュー・ファンデルプール(オランダ、アルペシン・フェニックス) photo:A.S.O./Charly Lopez
興味は中間スプリントへ。レースを去ったユアンの代わりにファンムールが先頭通過すると、続く集団には3位以下のポイントが用意される。そのポイント争いはパリを見据えなければ必要ない労力で今日のフィニッシュ前に力を使ってしまうことになる。しかし奪取に動いたのはウルフパックことドゥクーニンク・クイックステップとカヴェンディッシュだった。グライペルを牽くフルームの姿も見られたが、「リードアウト職人」ミケル・モルコフの牽引で楽々と先頭通過するカヴ。これがフィニッシュへのリハーサルも兼ねていたのだろうか。

前を行くのはたった2人。その協調体制はフィニッシュまで残り14kmで終わった。ファンムールが独走に入るとさらに集団には有利なはずなのに、粘るファンムールに対してスプリンター擁するチームがローテーションしてもなかなか差は詰まりきらなかった。

昨ステージでマイヨジョーヌのマチュー・ファンデルプールが献身的な牽きを見せたように、今日はマイヨヴェールを着るジュリアン・アラフィリップが緩斜面で前に出て猛烈な牽引を見せた。今年のクリテリウム・デュ・ドーフィネ初日に単独逃げ切りを果たしてマイヨジョーヌを着たファンムールの逃げは、フィニッシュ直前、残り150mでぎりぎり幕を下ろした。

復活の勝利を遂げたマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、ドゥクーニンク・クイックステップ)復活の勝利を遂げたマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、ドゥクーニンク・クイックステップ) photo:Makoto AYANO
歓喜の雄叫びを上げるマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、ドゥクーニンク・クイックステップ)歓喜の雄叫びを上げるマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、ドゥクーニンク・クイックステップ) photo:Makoto AYANO
ウルフパックにお膳立てしてもらい、あとは自分ひとりで器用に立ち回るカヴェンディッシュ。右に曲がりながら緩斜面を登るこのフィニッシュのことは誰よりもよく知っている。前日のステージ優勝者ティム・メルリールにリードアウトされたジャスパー・フィリプセン(ベルギー、アルペシン・フェニックス)の後ろに飛びつき、最短ラインをつくフィリプセンを外側からまくり上げた。

両腕を突き出し、「YeeeeS!」という雄叫びをあげながらのフィニッシュ。6年前の2015年、同じチームのジャージを着たカヴェンディッシュはこのフジェールのまったく同じフィニッシュラインで勝利を上げている。そのときとまったく同じウィニングポーズを披露した。

逃げ切ることができず、チームメイトに慰められるブレント・ファンムール(ベルギー、ロット・スーダル)逃げ切ることができず、チームメイトに慰められるブレント・ファンムール(ベルギー、ロット・スーダル) photo:Makoto AYANO
ドーフィネで逃げ切り勝利の予習をしたファンムールにツールの神様は微笑まなかった。努力は報われず、フィニッシュ後は肩を落とし、息を整えていると逃げの先輩トーマス・デヘントやロット・スーダルの仲間たちが次々と駆け寄ってくる。「残念だったな」と声をかけられていると涙が溢れ出してきた。肩を抱きかかえる仲間たち。

ファンムールは言う。「残り15kmを過ぎた辺りでチームメイトが無線で「勝てるぞ!」と言ってくれ、その言葉が大きなブーストになった。残念ながらあと100mのところで捉まってしまったが、チームが僕をツールに選び、それが間違っていなかったと証明することができた。2週目もまた逃げたいと持っている。僕はまだ23歳だ。まだチャンスはたくさんあるだろう」。

アシストしたジュリアン・アラフィリップ(フランス、ドゥクーニンク・クイックステップ)「このマイヨヴェールはカヴに」アシストしたジュリアン・アラフィリップ(フランス、ドゥクーニンク・クイックステップ)「このマイヨヴェールはカヴに」 photo:Makoto AYANO
ファンムールと対象的に、他のチームの選手からも続々と祝福されるカヴェンディッシュ。フィニッシュしてカヴの勝利を知ったアラフィリップも、自らのマイヨヴェールを叩き、その緑のジャージをカヴに渡すことができたことをアピール。

カヴェンディッシュのツールで5年ぶりのステージ優勝は、13年前の初勝利から数えて31回目のステージ優勝。カヴ自身、そしてファンがその勝利をどれだけ待ち望んだことだろう。

すべてのチームメイトや祝福する選手たちと抱き合い、ひとしきり路上で泣いた後、インタビューブースに入ったカヴは目を赤くして感情的に話す。「僕の目には執念の炎が燃えていた。前回ここで争った時もやはり執念に燃えていたんだ」。

6年前の当時、この同じフジェールでの勝利も2年間ツールの勝利に恵まれず、渇望した状況での勝利だった。しかし今回はさらに長い5年という期間を破っての勝利だ。

「このチームで最後に勝ったステージが、ここフジェールだった。同じ場所で再び手を上げて勝利を喜べるなんて、これ以上完璧なことがあるんだろうか。小説だとしても出来すぎだ。選手生活を通して沢山の勝利を挙げてきたが、この勝利は間違いなくキャリア最高の勝利のひとつだ。初勝利にだって匹敵する。パトリック(ルフェーブルGM)やコーチ、チームのみんなに感謝している」。

フジェールでツール通算31勝目を挙げたマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、ドゥクーニンク・クイックステップ)フジェールでツール通算31勝目を挙げたマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、ドゥクーニンク・クイックステップ) photo:Makoto AYANO
ポイント賞のマスコットに頬ずりするマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、ドゥクーニンク・クイックステップ)ポイント賞のマスコットに頬ずりするマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、ドゥクーニンク・クイックステップ) photo:Makoto AYANO
かつて世界最速の男と呼ばれ、連勝に連勝を重ねてきたカヴ。しかし続く落車による怪我と、エプスタインバール・ウイルス感染症による体調不調に悩まされ、勝てなくなったこの数年間はどん底を味わった。昨年の終盤、秋のヘント〜ウェヴェルヘムでは翌年に所属するチームが見つからず、もうレースを走れないものと思って泣いていた。レース中に「記念に」と、ゼッケンを外して背中のポケットに入れる姿もTVカメラが捉えている。

勝てなくなったスーパースター。現役のレジェンドの市場価値とサラリーは決して低くはなく、むしろ高値止まり。しかし若者や新たなスプリンターが続々誕生するなかで、ベテランのカヴと契約できるだけの予算を割けるチームは出てこなかった。

しかしその機会を生かしたのが古巣のクイックステップ、パトリック・ルフェーブルGMだった。もともとカヴェンディッシュはルフェーブル氏にチームに戻りたいというオファーは4年間に渡って出し続けてきた。もっともフィットするチームで、乗りたいバイクもあると。しかしそれは予算の都合で実現しなかった。今年のカヴェンディッシュは安いサラリーでドゥクーニンク・クイックステップに加入している。

トルコのツアー・オブ・ターキーでは4勝を挙げた。そして6月のバロワーズ・ベルギーツアーではワールドツアーのスプリンターも居る中での勝利も挙げた。しかしツールメンバーではなく、出場が決まったのは昨年マイヨヴェールを勝ち取ったサム・ベネットが膝の不調で欠場を決めたから。カヴの出場が決まったのはチームがフランスに向けて出発する3日前のこと。いわばピンチヒッターだった。

ドゥクーニンク・クイックステップのパトリック・ルフェーブルGMドゥクーニンク・クイックステップのパトリック・ルフェーブルGM photo:Makoto AYANO
マーク・カヴェンディッシュ(イギリス、ドゥクーニンク・クイックステップ)は(ゼッケンの無い)スペアバイクで勝利したマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、ドゥクーニンク・クイックステップ)は(ゼッケンの無い)スペアバイクで勝利した photo:Makoto AYANO
ルフェーブル氏は開幕前にこう話していた。「カヴェンディッシュが勝てなくても、誰も悪く言う人は居ないだろう。もし勝てばすぐに王位に祭り上げられるだろうけれど。私はカヴには勝つ力があると思っている」と。

カヴがレースを続けるのは自身が勝てると信じているから。そして勝てばルフェーブル氏にすぐさま感謝したカヴ。
「自分がまだやれると思ってないならバイクに跨ってレースはしない。レースのことが分かっている人が必要だし、僕のことを理解してくれる人も必要だ。それがパトリック・ルフェーブルだ。サインしたとき、ツールに来れるとは思っていなかった。サム・ベネットが居るし、僕はただ最高の日を過ごしたことがあるこのチームに戻りたいと思っただけ。僕にはハッピーな場所が必要だった。チームとして機能して、フィットするバイクが有る。信じられる場所、それがクイックステップだった」。

ルフェーブル氏は言う。「チームはもうグランツールで100勝以上しているが、スタッフ全員が泣いたのは初めてだ。全員が彼の勝利に心動かされたのだろう、皆がエモーショナルになっていた。カヴェンディッシュはツールの初日からここで2015年に勝ったという話をしていた。彼はまるで初めてのレースを走る少年のようにやる気に満ち溢れていた。

”Thank you” はありきたりな言葉だが、彼の”Thank you”には本当に心がこもっている。そんな彼に私は『感謝なんてしなくていい。君はここに最低年俸でやってきた。私は君にチャンスを与え、その恩はペダルで返してくれ』と伝えた。彼はそれをやってのけたんだ」。

カヴにとってレースは人生そのもの。そしてツール・ド・フランスはその舞台だ。「このレースが僕に命を与えてくれる。僕はツールに人生を捧げているんだ」(カヴ)。

表彰台で涙に目をうるませるマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、ドゥクーニンク・クイックステップ)表彰台で涙に目をうるませるマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、ドゥクーニンク・クイックステップ) photo:Makoto AYANO
長い空白期間をおいて、エディ・メルクスのもつステージ34勝というツールの最多勝記録の更新が見えてきた。カヴェンディッシュはこのツールでそれが可能かどうか訊く記者の質問にこう応えた。

「ついさっき勝ったばかりで、ツールでひとつ勝利するのでも本当に大きなことだということを忘れているね。馬鹿馬鹿しく聞こえるかもしれないけど、この勝利は僕の初勝利にも匹敵する。僕が31回も勝っているからツールのステージを勝つことの難しさを人々は忘れてしまうけど、そのどれもがまったく簡単なことじゃなかったんだ」。

伝統的なルート設定に戻ったと評される今年のツール・ド・フランス。スプリンター向けのステージは8つあると言われ、その2つを終えたばかり。残りのステージでもカヴが勝った場所があり、記録更新は十分に現実的。そしてカヴにとってマイヨヴェールの壁になってきた山岳も、今年は越えられないことはない。

text&photo:Makoto AYANO in Bretagne, FRANCE