正月の余韻が微かに残る1月末、吉岡直哉は約5ヶ月の入院生活を終えた。昨年8月、練習中に負傷。歩けるまで1年半かかると言われていた。チーム右京に移籍して2年目の2019年、好調なシーズンスタートを切った吉岡に、何が起きていたのか?



「2019年はキャリアの中で一番うまくいってると思っていた」

京都産業大学では2days木祖村優勝や学生クリテリウムチャンピオンを獲得した吉岡直哉京都産業大学では2days木祖村優勝や学生クリテリウムチャンピオンを獲得した吉岡直哉 photo:Hideaki.TAKAGI京都産業大学在学中に頭角を現した吉岡直哉は、卒業後の2014年にチームユーラシアに所属し、1年間ベルギーを拠点に走った。翌2015年、同じ大学OBの清水良行氏に声をかけられ、那須ブラーゼン(以下ブラーゼン)に加入した。当時のブラーゼンは、全日本チャンピオンの佐野淳哉を擁し、さらに地元開催の全日本選手権での必勝体制を布いていた。

「佐野さんをはじめ、鈴木龍選手や雨澤毅明選手や小野寺玲選手など、今思えばなかなか濃いメンバーでした(2015年体制発表記事はこちら)。チームの地元開催の全日本はやはりプレッシャーがありましたね。エースを任された(鈴木)龍ほどではないですけれど、アシストするにも絶対に勝たねばならないという意識があって、レース前日は色々な考えが巡ってなかなか寝付けないほどでした」と、吉岡は当時を振り返る。

2017年JPT宇都宮ロードレース 勝利を確信してガッツポーズをする吉岡直哉(那須ブラーゼン)2017年JPT宇都宮ロードレース 勝利を確信してガッツポーズをする吉岡直哉(那須ブラーゼン) photo:Satoru.Kato
チームとして全日本選手権は逃したものの、吉岡はその後着実に力をつけていく。2016年ツール・ド・北海道では、総合優勝争いに絡む活躍を見せての6位。2017年にはJプロツアー宇都宮ロードレースでプロ初勝利を挙げた。

「2017年は年明けからナショナルチームの合宿にも参加して、3月のチーム合宿でも今までないくらい良い数値が出ていて、うまくいけば勝てるんじゃないかという感触がありました。

宇都宮ロードの時は、スタートした時から今までと全然違うという感覚があって、周りも自分が思っているように動いてくれました。ラスト500mからの登りに良い位置で入れて、自分の射程距離の残り300mからもがけるタイミングが完璧に合って、本当に思い通りになったレースでした。

学生のレースで優勝したことはありましたが、プロはレベルが全然違うし、ブラーゼンに入ってから表彰台に立つことはありましたけれど、勝つには何か足りないものがあると思っていました。自分が一段成長したという実感がありましたね」

その年のJプロツアーで、吉岡は年間総合3位となり、ブラーゼンのチーム総合4位の原動力ともなった。

2019年JPT第2戦 マトリックスパワータグの2人について行けたのは吉岡直哉だけだった2019年JPT第2戦 マトリックスパワータグの2人について行けたのは吉岡直哉だけだった photo:Satoru Kato
2018年はチーム右京へ移籍。「海外レースに出たいという希望もあり、ステップアップのためにもチーム右京が良いところだと思って決めました」という吉岡。日本とはまったく違う過酷なレース環境の多いアジアツアーを経験して、苦労しながらも手応えを感じ取れるようになり、「この経験をフィードバックしていけば来年も続けていけると思えるようになりました」という。

2019年、チーム右京がJプロツアーに復活。修善寺での第2戦では、マトリックスパワータグのフランシスコ・マンセボが仕掛けたサバイバルレースに喰らいつき、表彰台こそ逃すものの敢闘賞を獲得。4月のツアー・オブ・タイランドでは個人総合6位に入り、好調なシーズンスタートを切った。

「昨年はシーズンの最初から調子が良くて、ツアー・オブ・タイランドは1クラスのレースだったので、そこで総合6位に入れたことは自信になりました。その後の2クラスのレースでも一桁の順位に入れるような走りが出来たし、キャリアの中で一番うまくいっているなと思っていました」



順調から一転して5ヶ月間の入院生活

昨年7月の東京オリンピック・プレ大会に出場した吉岡直哉昨年7月の東京オリンピック・プレ大会に出場した吉岡直哉 photo:Satoru Kato
8月に入り、吉岡はシーズン後半に向けて良い感触を得ていた。練習でも良い数値が出ていて、さらなる結果を出せる自信があった。しかし8月後半の練習中、足に重傷を負ってしまい、長い入院生活が始まった。

「チームユーラシア時代にツール・ド・熊野で鎖骨を折って2、3ヶ月レースを離れましたが、その時と比べものにならないくらい重い負傷でした。歩けるようになるまで1年半かかると言われ、『マジか?!』というのが正直な思いでした。

入院してから、10月に両足をついて良いという許可が出るまではベットの上での生活が続いていました。約1ヶ月半もの間、全てをベットの上で過ごしていたので、自分で見てもわかるくらい足がゲッソリしてしまっていて、体重も10kgくらい落ちていました。

病院のリハビリ室でエアロバイクにまたがる吉岡直哉 ハンドル低めのロードバイクに近いポジションで乗る病院のリハビリ室でエアロバイクにまたがる吉岡直哉 ハンドル低めのロードバイクに近いポジションで乗る ©️Naoya YOSHIOKAリハビリで久しぶりに立った時はまっすぐ立てなくて、立ち方とか重心の取り方がわからなくなっていました。立ったとしても5分くらいで耐えられなくなって、気持ち悪くなって吐きそうになるほどだったんです」

そんな状況からリハビリを始め、10月中頃にはエアロバイクに跨り、ケガをしていない片足だけでペダルを回した。「10ワットくらいしか出てなかったと思うのですが、それでも10分か15分もするとしんどくて座り込んでしまうくらいでしたね」と振り返る。

「11月の終わり頃、形だけですけど両足で漕げるようになりました。そもそもベットの上で足をまっすぐにして固定されていたので膝が曲がらず、可動域を出すための治療を続けている状態でした。10月だけで5回も手術しました。1月、2月になってもまだちゃんと自転車に乗れない状態でしたし、今でもまだ正座は出来ないです」

退院後は少しずつリハビリを続け、現在は外で自転車に乗れるまで回復したという。

「久々に自転車に乗ったら、初めてロードバイクに乗った時のような感覚がありましたね。リハビリのエアロバイクと違って、こんなにハンドルが低くて遠いんだとか、こんな姿勢でレースしてたんだとか。背中とか腰とか色々なところが痛くなって、ちょっと乗っただけで疲れてしまいました」

とは言え、歩けるまで1年半かかると言われていたことを考えれば、およそ半年で自転車に乗れるまでになったのだから奇跡的な回復だ。それでも、レース復帰はまだ先になりそうだと話す。

今は外で自転車に乗れるまでに回復した吉岡直哉。愛犬に応援されながら登りもこなす今は外で自転車に乗れるまでに回復した吉岡直哉。愛犬に応援されながら登りもこなす ©️Naoya YOSHIOKA「今7ヶ月が経過して、自転車に乗れるところまで来たことを考えると良い状態なのかなと思っています。でもレース復帰はまだ未定です。出来れば今年中・・・9月か10月頃には、と自分の中では思っているんですが」

4月に最後の手術のため再入院したが、今後はリハビリを続けていくことになる。

「まだ日常生活に慣れていないところもあるので、ちょっとずつ改善するようなリハビリをしていきます。ベットの上でも上半身のトレーニングは続けていたので、最近筋肉量を測ってみたら今までで一番上半身の筋肉量が多くなっていました。自転車に乗っている時も、使い切れていない下半身を上半身で補えるようになったと感じています。短時間でもがくような動作のパワーがシーズン中と変わらない数値が出ているので、良い方向に行ってると思います」



大学の同期、家族、チーム、様々な人に支えられて

2011年 2days木祖村の京都産業大学チーム リーダージャージを着る吉岡の隣(写真中央)が木村圭佑(現シマノレーシング )写真左端に南野求(現NIPPOメカニック)2011年 2days木祖村の京都産業大学チーム リーダージャージを着る吉岡の隣(写真中央)が木村圭佑(現シマノレーシング )写真左端に南野求(現NIPPOメカニック) photo:Hideaki.TAKAGI京都産業大学の同期には、シマノレーシングキャプテンの木村圭佑と、NIPPO・デルコ・ワンプロヴァンスのメカニック南野求がいる。

「2人とも連絡してくれますが、すごく心配をかけてしまったと思っています。『吉岡だったら出来るよ』と励ましてくれて、2人のためにもしっかりがんばりたいです」

特に木村とは同じレースを走ることも多く、お互い意識している。

「敵チームでも木村が勝ったら嬉しいと思う反面、負けてられないという気持ちもあります。木村もそれは同じだと思います。今はこんな状況なので、復帰して走れるレースがあれば、それに向けてトレーニングしていきたいと思っています」

ジャパンカップに出場したチーム右京メンバーが入院中の吉岡直哉のお見舞いに訪れたジャパンカップに出場したチーム右京メンバーが入院中の吉岡直哉のお見舞いに訪れた @Team UKYO
大学時代の同期だけでなく、家族やチームなど支えてくれた人達に、吉岡は自分の走りで応えたいと思っている。

「痛い思いをしたし、自転車乗るのも怖いだろうなと思うこともあったし、このまま引退になるかもと考えたこともありました。でも今は、僕のことを復帰させてくれるように治してくれたお医者さんやリハビリの先生、支えてくれた家族とか、復帰を待ってくれるチーム、応援してくれる人達のためにも、なんとしても復帰して自分の走りをレースで見てもらいたいという気持ちでいっぱいです。ここまで戻って来れたというところを皆さんに見てもらえれば嬉しいです」

text:Satoru Kato

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