ツール・ド・おきなわ市民140kmマスタ-ズに優勝した山本裕昭さん(BONDS静岡サイクルRT)のレポート。大会前の乗り込みとして獲得標高8千m超の「エベレスティング」を行ってからの参戦、そしてレースでは2人で130kmを逃げ切り、最後は独走での優勝だ。

20歳になった息子と一緒に沖縄に来ることができたのも喜びだ20歳になった息子と一緒に沖縄に来ることができたのも喜びだ 今シ-ズンの目標は、チャレンジサイクルロ-ドレ-スA-M、ニセコクラシック優勝と、全日本選手権ロードへの出場でした。全日本選手権出場の権利を得るために九州チャレンジA-Eに出場して13位で権利を得ます。毎年この時期はコンディションもモチベ-ションも落ち、ツール・ド・おきなわに出ることなど考えもしなかった。

目標のレ-スの結果は、チャレンジサイクルA-Mは6周で、レ-スキャンセルに。全日本ロードは6周の途中までメイン集団に残れ、9周でDNF。でも、これはかなり自信になった。ニセコクラシックでは先頭集団に居ながら、120キロ地点での70キログル-プの落車に巻き込まれ、まさかの落車からのそのまま救急車で搬送され、人生初の入院。結果を何も残さないまま今シ-ズンは終了するとことになると思っていました。

7月のニセコクラシックでの骨折の診断書7月のニセコクラシックでの骨折の診断書 でも、沖縄140キロマスタ-ズに同カテゴリ-で、ニセコで優勝した、同じ苗字の山本選手が出場するかもしれないとSNSでみかけ、北は獲られたが南は自分が獲りたいし、新設された140キロマスタ-ズの初代チャンピオンになりたいと思い、エントリ-。

ニセコまでは順調に練習も出来て、過去最高の状態でしたが、落車で5か所を骨折し、ニセコ以降、7月はまともな練習ができませんでした。8月からは、違和感と少しの痛みはありましたが、練習も出来るようになり、9月中旬以降は違和感も無くなり、10月は順調に進みコンディションも上がっていきました。

エベレスティングを記録したサイコンの画面。TSS667という数字エベレスティングを記録したサイコンの画面。TSS667という数字 11月1日に、今しか出来ないと思い、エベレスティング(累積標高がエベレストと同じ8,848mに達するまでバイクで坂を登り下りするチャレンジ)に挑戦して、7000m上ってその後の下りでサイコンが吹っ飛んで見当たらくなり、ログが取れなくなりまさかの失敗。でも、沖縄以降では、モチベ-ションが上がらないと思い、11/4に再挑戦し、なんとかエベレスティングを達成できました。でも、代償は大きく、TSS667という今まで経験したことのない数値でした。

沖縄までに回復させるシュミレ-ションをして、数字上は回復できることは確認できましたが、体感的にどうなるかはわかりませんでした。実際、沖縄まではかなりコンディションが悪く、エベレスティングはやらなかったほうがよかったのではないかと思いました。

金曜日の夕方に沖縄入りし、名護まで移動してから、名護曲で沖縄そばを食べて、コンビニで翌日の朝食を買い出ししてから屋我地の宿に向かいました。

レースでは立ち寄れない辺戸岬は素晴らしい場所レースでは立ち寄れない辺戸岬は素晴らしい場所 息子と一緒に泊まった宿にて息子と一緒に泊まった宿にて


レース前日、実は今回沖縄に来たことがない息子(20歳)と一来ており、朝からレースコースを車で、名所めぐりも兼ねながらまわりました。昼食を山原そばで済ませて受付会場に移動し、ブースを見て回り気になったパラチノ-スを見ていたらインスタアップで4本貰えるキャンペ-ンで、後でアップしてくれればいいということで4本貰ったので、『優勝したらインスタににアップします!』と言ったので、何を言ってるのかこの人は!と思われたに違いない。受付から宿まで自転車で走ることにして、息子に車を宿まで移動してもらう。

レースに使用したスペシャライズドVENGEレースに使用したスペシャライズドVENGE 自転車に乗るとかなり回復していてコンディションは良い感じでしたが、レース前2,3日前にいつもやっていることが出来なかったので、レ-スに対する不安はありました。

宿に戻り、シャワ-を浴びてから再び観光に出掛け、古宇利島でハ-トロックを見てから美ら海水族館に移動するも、17:30で入場が終了で10分ほど間に合わず残念。でも、近くに美味しいステ-キハウスを見つけて、ごはん大盛りで翌日のレ-スに向けて、カ-ボを蓄える。

レース当日は、5時30分に起床し食事を摂る。前日に買っておいたおにぎり2つ、卵のサンドウィッチ、バナナを1本食べコ-ヒ-を一杯飲み、軽量化を済ませる。

前日に支度をしておいたので、最終確認をして車に詰め込み、6:45に宿を出発しスタート地点に向かいます。息子がいるので、車でスタ-ト地点まで移動でき、スタ-ト後はゴ-ル地点まで移動して貰えるので非常に助かりました。

30分程でスタ-ト地点に到着して、自転車を組み立て、着替え等々をして準備完了。ちょっと肌寒いですが、何も羽織るものは持ってきていなかったので、我慢しますが、日向に居れば暖かく、レ-スのスタ-ト時間帯は暖かいので問題ない。

用意した補給食。OS1経口補水液とマグオンジェルなど用意した補給食。OS1経口補水液とマグオンジェルなど 沖縄は初参加で、勝手がわからずトイレに向かうと、もう自転車が一杯並べてある。一応並べたが、ほぼ最後尾で並べても並べなくてもどうでも良い感じである。210キロが通過していよいよ、スタ-トが迫ってきた。140キロオ-プンがスタ-トしてから、140キロマスタ-ズがスタ-ト地点へ移動し、スタ-トを待つ。

レ-スプランは、2回目の普久川ダム過ぎてから、どこかで仕掛けて独走で逃げ切る。スプリント勝負には持ち込まない。以上2点。 逃げ切ることを前提で、車両はs works vengeを選択し、沖縄出発前にショップ(BONDS)にて、各所を最終調整をしてもらった。

 レ-ススタ-ト!  ほぼ最後尾付近なので、とにかく普久川ダムまでには先頭付近に位置していたいと思い番手を上げていくが、思いのほかあっさり先頭付近まで上がれてしまい、ぺ-スが遅いので、先頭に出てアップがてら先頭を引く。

トンネルに入って、後ろの方で騒いでいるので、ここでぺ-スアップして集団を分裂させようかと思ったが、まだ序盤だし先は長いのでおとなしくしていた。普久川ダムの上りに入ってからは、2番手をキ-プし、追い抜かれたら後ろに飛びつくようにしてダムの序盤はやり過ごす。

途中のちょっとした下りからの平たん路のところで、少し集団を伸ばそうと思って、ぺ-スアップしたら、3人で抜け出す形になってしまった。そのうちの一人がマ-クしていた山本敦さん(SBC Vertex Racing Team)。もう一人はバルバの方。バルバの方は結構きつそうで、気づいた時にはいなくなっていた。

普久川ダムで飛び出した2人。山本裕昭(BONDS静岡サイクルRT)と山本敦(SBC Vertex Racing Team)普久川ダムで飛び出した2人。山本裕昭(BONDS静岡サイクルRT)と山本敦(SBC Vertex Racing Team) photo:Makoto.AYANO
山本選手と二人になって、序盤でもう優勝候補二人が抜け出す形になって大丈夫?と思った。2つの意味で。1つはメイン集団に対して、このまま逃げ切ってしまうかもよ。もう一つは、優勝候補が二人で抜け出して脚使い切って、追走に吸収されてレ-スが終わること。でも、自分には逃げ切る自信がありました(一人でも)。

それは、いつも練習でもほぼ先頭固定で淡々とぺ-スを刻んで、最後に上りでタイムアタックする練習をしていることと、レ-ス直前でのエベレスティング達成。山本選手との二人逃げは自分的には非常に理想的だった。ニセコで同じレ-スに出て、カテゴリ-優勝しているので、多分同じようにローテーションを回せる力はあると思うので、逃げのパ-トナ-として申し分ないこと。

もし、メイン集団に残られると、追走の動きをとられ、逃げても捕まえられる可能性があるがそれも無くなる。二人なので、同じように脚を使って、ガチで勝負できて楽しめること。こうして、二人での130キロにも及ぶツ-ルドおきなわでは多分初めて?成功した大逃げが始まった。

普久川ダムを通過する市民140kmマスターズの先頭集団普久川ダムを通過する市民140kmマスターズの先頭集団 photo:Makoto.AYANO
市民140kmマスターズのメイン集団市民140kmマスターズのメイン集団 photo:Makoto.AYANO市民140kmマスターズのメイン集団市民140kmマスターズのメイン集団 photo:Makoto.AYANO


スタ-トから50分ほどで、メイン集団から40秒ほどタイム差を広げたが、自分的には1分以上開いているのではないかと思っていたので、これは捕まるかも危機感を感じた。とにかく、下り、平坦は踏んで、上り返しは勢いで上り切れることはわかっていたので、勢いを殺さずこなしていく。

そのうち、タイム差が徐々に開いていき、奥の上りで2分以上の差がついた。少し安心したが、2回目の普久川ダムまでには3分は欲しいので、海岸線も出来るだけスピ-ドを上げていく。結果、普久川ダムまでに3分のタイム差を稼ぐことが出来た。

2回目の普久川ダムは、やはりぺ-スが落ちたが、それなりにこなして、一回目のKOMは譲ったので、2回目のKOMは取らしてもらった。学校坂を過ぎたところで、3分以上のタイム差がついたので、自分的にはこれは逃げ切りが決まったと思った。それは、多分マスタ-ズではメイン集団の追走の上手く動きが出来ないと思っていたから。

また、出来たとしてもタイム差が開いていれば、マスタ-ズなら同じくらいのスピ-ドで逃げ続ける自信があったので3分あれば大丈夫と思っていた。逃げ続けているときに、ZWIFTのwatopiaをリアルで走っているような感覚になった。それはたくさんのサイクリストが走っていて、景色もなんとなく似たような感じだったので。

羽地ダム手前までは疲れも出てきてなんとなくまったりしたぺ-スになってしまったが、途中上りで2回ほどアタックして山本選手を振り切ろうと試みたが、駄目だった。コ-スを把握していないので、アタックする場所が上り切りが見える場所になってしまうのがいけなかったかな?『これは羽地ダムで決着しかないな』と心に決めた。

市民140kmマスターズ  独走で羽地ダムへ向かう山本裕昭(BONDS静岡サイクルRT)市民140kmマスターズ 独走で羽地ダムへ向かう山本裕昭(BONDS静岡サイクルRT) photo:Makoto.AYANO
羽地ダム手前で、13人が他のカテゴリ-と混ざって集団で追走していて、タイム差が2分とインフォモトから伝えられた。これはまずいと、ぺ-スを上げていき羽地ダムの上りに突入。ここは勝負所と、出し惜しみせずにダンシングでぺ-スアップ。後ろを確認すると徐々に離れていくが、山本選手もぺ-スで上ってきている。

市民140kmマスターズ 2番手で追走する山本敦(SBC Vertex Racing Team)市民140kmマスターズ 2番手で追走する山本敦(SBC Vertex Racing Team) photo:Makoto.AYANO
市民140kmマスターズ の3位争いのグループ市民140kmマスターズ の3位争いのグループ photo:Makoto.AYANO市民140kmマスターズ  元オリンピック出場選手の藤野智一さん(なるしまフレンド)の姿も市民140kmマスターズ 元オリンピック出場選手の藤野智一さん(なるしまフレンド)の姿も photo:Makoto.AYANO


トンネルを過ぎ右に曲がると、すごい観客で、力がみなぎる。とにかくゴ-ルまで緩めることなく、前に見える選手を目標に踏んでいく。

サイコンの距離を見ながら、あともう少し、もう少し、140キロを表示してもまだゴ-ルが見えない。どこがゴ-ルなのか?もう近いはずだが、あとどれくらいなのかわからない。やっと残り1キロの表示を見つけ、後ろを確認したが追走は見えない、どこから手を上げようかと考えたが、一緒にレ-ス(210キロ)に参加している先輩に、ゴ-ルするまで油断するなと言われていたので、ゴ-ルギリギリまで踏んで両手を上げてフィニッシュ!

市民140kmマスターズ優勝 山本裕昭市民140kmマスターズ優勝 山本裕昭 photo:Satoru Kato
まさかの130キロも逃げ切るとは全く思っていなかったけど、今シ-ズン最高の形で終わることが出来、息子にも良いところが見せられ、いつも自由に自転車を乗らさせてくれる家族にも、最高の結果を届けることが出来ました。

レ-ス後はアフタ-パ-ティ-で2週間ぶりくらいのビ-ルで先輩と乾杯して、夜は息子と、ステ-キハウスで祝勝会!ステ-キハウスに向かう途中、残り5,4,3,2キロの表示看板を見つける。羽地ダムまでは周りの景色を楽しみ、観客の声援にも応える余裕があったのに、この看板を見落とすくらい最後は余裕がなかったんだな、と。

走り終えて仲間たちと談笑する時間ふが楽しい走り終えて仲間たちと談笑する時間ふが楽しい 夜は疲れからか、あまり寝付けず寝不足だったが、8時にチェックアウトして、国際通りでお土産を買って、最後に、たから家で最後の沖縄そばを堪能して帰路につきました。

今回の沖縄は、息子とも観光出来て、メインのレ-スも優勝できて最高な遠征旅行になりました。多分一人で来て居たらこの嬉しさは半減していたのではと思うほど、息子とこれてよかったです。来年、参加される方は是非家族と一緒に沖縄に行くことをお勧めします。

 この場を借りて、一緒に逃げてくれた、山本敦選手、いつも一緒に練習してくれる仲間、ショップのBONDS、影ながら応援してくれた方々、そしていつも一番に応援してくれる家族にありがとう!

おきなわ最高! 来年はニセコで優勝して、グランフォンドで世界チャンピオン目指します。

山本さん車載撮影による140km市民マスタ-ズ レース動画