2007年のツール・ド・フランスで、マイヨジョーヌを着用しながら、居場所の虚偽報告によってレースを去ったミカエル・ラスムッセン(デンマーク)。かつてツールで山岳賞を2度獲得したデンマークの山岳王が、キャリア12年間にわたってドーピングを使用していたことを認めた。

2007年ツール・ド・フランス マイヨジョーヌを着て走るミカエル・ラスムッセン(デンマーク)2007年ツール・ド・フランス マイヨジョーヌを着て走るミカエル・ラスムッセン(デンマーク) photo:Cor Vos各国メディアが伝えたところによると、ラスムッセンは1月31日にデンマーク・ヘアニングで記者会見を開き、過去のドーピング使用を赤裸々に告白した。

「私は過去にEPO、成長ホルモン、テストステロン、DHEA(デヒドロエピアンドロステロン)、インスリン、IGF-1(インスリン様成長因子1)、コルチゾン、そして輸血(血液ドーピング)を使用した。アンチドーピング当局には、何をどこでどうやって使用したか、全て証言した。当局との協約により、これ以上のことは言えない」。

2011年からクリスティーナウォッチズで走っていたミカエル・ラスムッセン(デンマーク)2011年からクリスティーナウォッチズで走っていたミカエル・ラスムッセン(デンマーク) photo:Sonoko Tanaka1999年にMTBクロスカントリーで世界チャンピオンに輝いたラスムッセンは、2001年にロードに転向し、地元デンマークのチームCSCでデビュー。ラボバンクに移籍した2003年にブエルタ・ア・エスパーニャでステージ優勝を飾ると、2005年と2006年にツール・ド・フランス山岳賞に輝いた。

2007年のツールではマイヨジョーヌを着用してレース終盤を迎えたが、大会前に居場所の虚偽報告を行っていたとしてチームから解雇。マイヨジョーヌを着たままレースを去ることになる。ドーピング検査で陽性反応が検出されたことはないが、虚偽報告によって、ラスムッセンは2年間の出場停止処分を受けている。ここ数年はデンマークのクリスティーナウォッチズで走っていた。

ラスムッセンは1998年から2010年まで、つまりキャリアを通して禁止薬物を摂取していたことを告白した。「今日こうして正直に打ち明けたことで、今までのように嘘をつき続ける必要がなくなり、ようやく私は解放される。今日をもって私のキャリアは終了する。これからはデンマークの当局と協力していきたい。今まで嘘をついていた。他の選手にも嘘をついていた。罰を受け入れる」。

ラスムッセンが2003年から2007年まで所属したオランダのラボバンクに関しては、数々のドーピング疑惑が浮上している。オランダのNRCハンデルスブラッド紙は、当時の所属選手マイケル・ボーヘルト(オランダ)やデニス・メンショフ(ロシア)、ラスムッセンのドーピング使用を糾弾。リーヴァイ・ライプハイマー(アメリカ)は、USADA(アメリカアンチドーピング機関)の捜査の中で、当時ラボバンクのチームドクターを務めていたヘールト・レインデルス医師がドーピングの中心人物だったと証言した。過去にEPO使用で2年間の出場停止処分を受けたトーマス・デッケル(オランダ)は、チームぐるみでドーピングを行なっていたと打ち明けている。

text:Kei Tsuji