ツール・ド・フランス5勝のフランスの英雄ベルナール・イノーが日本にやってきた。マイヨジョーヌのスポンサーであるルコックスポルティフが、マイヨジョーヌ誕生100周年の今年を祝うイベントとして企画。東京・二子玉川でトークショーを開催した。



トークイベント「ベルナール・イノーの “5/100” (ひゃくぶんのご)~フランスを照らすマイヨ・ジョーヌ100周年」のキャストトークイベント「ベルナール・イノーの “5/100” (ひゃくぶんのご)~フランスを照らすマイヨ・ジョーヌ100周年」のキャスト photo:Gakuto.Fujiwara
イノー氏を描いたイラストレーター/アーチストのグレッグ・ポデヴァン氏とともに来日したフランスの英雄ベルナール・イノー。トークショーはシクロワイアード編集長の綾野氏が企画し、ツール・ド・フランス研究家・編集者の小俣雄風太さん、そしてASO主催のさいたまクリテリウムなどの仕事でイノー氏をアテンドした私・山崎健一の3人がホストし、大好評のうちに幕を下ろした。

その模様は後日J SPORTSの特集番組でも放映されるため、ここでは前日の打ち合わせを含め、滞在中にイノー氏と交わした言葉などから、印象的な内容を抜粋したレポートでお届けします。

ツール・ド・フランス。マイヨジョーヌを着てグレッグ・レモンをリードするベルナール・イノーツール・ド・フランス。マイヨジョーヌを着てグレッグ・レモンをリードするベルナール・イノー (c)CorVos

ツール・ド・フランス5勝を筆頭に、ジロ・デ・イタリア3勝、ブエルタ・ア・エスパーニャ2勝、世界選手権ロード、パリ~ルーベでも勝利。更にレースの勝ち方も、スポ根マンガの世界で起こりそうな武勇伝ばかり。マイヨ・ジョーヌを着てツール最終日のシャンゼリゼで逃げ切り優勝(1979)したり、ゴールスプリントを制した(1982)りしたのは、歴史上ベルナール・イノーさん以外には存在しない。

ブルターニュの自宅から持参したマイヨジョーヌとベルナール・イノー氏ブルターニュの自宅から持参したマイヨジョーヌとベルナール・イノー氏 photo:Gakuto.Fujiwara
そんな往年の名選手であるベルナール・イノーさんを迎え、6月1日に開催された「ルコックスポルティフ マイヨ・ジョーヌ100周年記念イベントwithベルナール・イノー」には、事前告知期間が短かったにもかかわらず、実に60名もの観客が参加。

会場はイノーさんへの敬意と憧れの気持ちが充満していた会場はイノーさんへの敬意と憧れの気持ちが充満していた photo:Gakuto.Fujiwara
30年以上も前に引退したフランス人選手のトークショーに、オールドファンのみならず、イノーさん世代では全くないであろう“若男女(子供含む)”のファンも来場し、イノーさん登場時には「イノー!イノーさん!ベルナール!」コールが起こるほど!

いったい、新しいファンをも惹きつけるベルナール・イノーさんの魅力とは何なのか? トークショー&来日中にイノーさんが語った内容から紐解いてみたい。

ステージ7勝、マイヨヴェールとマイヨジョーヌを獲得して圧勝した1980年ステージ7勝、マイヨヴェールとマイヨジョーヌを獲得して圧勝した1980年 (c)CorVos
■いつでもアタックする。ペダルを緩めないのがベルナール・イノーの魅力

1985年にツール・ド・フランスでフランス人として最後の総合優勝を果たしたベルナール・イノー(以下敬称略)と、他の往年の名選手との決定的な違いは『今の自転車界を徹底的に批判・ダメ出しをする』ことだろう。フランスのメディアには1986年の引退後も頻繁に登場し、常に歯に衣を着せぬ発言を続けている。イノーが30年来発信し続けているロードレース界への批判とは、例えばこうだ。

・最近の選手はアタックをしない。すべてを失うかもしれないアタックこそがレースを面白くする。
・自分の頭で考えない選手ばかり。まるでロボットだ。
・練習が足りないので、弱い。

つまり『私の引退後はロードレースがつまらなくなっている』ということを、イノーは30年間も発信し続けている。

一見、昔の選手によくありがちな「新しい世代に対するやっかみ」、または「考えが古いだけ」と考える方々もいるだろう。しかし、ベルナール・イノーが現役だった時代のロードレースで何が行われていたのかを、文字通り最前列シートで見ていたイノー本人から聞いてみると、彼の主張に誇張がないことが分かるはずだ。

ルックペダル、ファニーバイク、ブルホーンバー、エアロヘルメット。イノーには新しいものを取り入れる先進性もあったルックペダル、ファニーバイク、ブルホーンバー、エアロヘルメット。イノーには新しいものを取り入れる先進性もあった (c)CorVos
「私の時代の強い選手とは、“全てのレースで勝ちに行く選手”とされていたんだ。ツール・ド・フランス、ジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャ、パリ~ルーベ、世界選手権等...。すべてのすべてに勝ちに行く選手こそが本物とされた。いっぽう、近代の選手はシーズンの中でもツール・ド・フランス、またはその他の限られたレースのみに集中し、レースに明確な優先順位をつけている。もちろん私の時代にもレースに優先順位はあったが、手を抜いて走るレースはなかったんだ。何故なら当時の観客は、弱いイノーや、手を抜いて走るメルクスをよしとしなかったし、選手自身にもプライドがあったから、観客が求めるヒーロー像を強豪選手たちは目指したんだよ」

サンテチエンヌの落車で血に染まったマイヨジョーヌサンテチエンヌの落車で血に染まったマイヨジョーヌ (c)CorVos
「私が1985年のツール・ド・フランスで落車して、鼻を骨折したことがあった。あの血だらけになったシーンを見て、皆に“大丈夫だったの!?”と聞かれるんだ。しかし、よく考えてみて欲しい。自転車を走らせるために使うであろう脚や、腕、肋骨などは折れていなかったんだ。ならば、リタイアする理由はどこにもないだろう? 鼻が折れたって全く問題なかったよ」

イノーといえば、1979年ツール最終日のパリ・シャンゼリゼ大通りにて“マイヨ・ジョーヌを着ながら”逃げ切り優勝を飾ったことでも知られている。

ズートメルクとシャンゼリゼで逃げ、マイヨジョーヌ姿で逃げ切り勝利を飾ったズートメルクとシャンゼリゼで逃げ、マイヨジョーヌ姿で逃げ切り勝利を飾った (c)CorVos
「あの日は調子が良かったので、シャンゼリゼに向かう途中にあったロム・モール(直訳すると“死んだ人“)坂で、単独アタックしてみたんだ。そうしたら、あっという間に集団から50mぐらい抜け出せた。しばらくすると総合2位につけていたヨープ・ズートメルクが集団から飛び出して私に合流して来たんだ。もうそこからは一緒に逃げ切るしかないよね。だってシャンゼリゼ通りでマイヨ・ジョーヌが逃げ切り優勝を飾ったら美しいだろう?

マイヨ・ジョーヌを着ている事を理由に、保守的に走るのはつまらない。パリステージはパレードじゃないんだ。最後の最後まで争うことはやめるべきではないよね。結果、私も望む通りの展開で勝てたし、何より観客が本当に喜んでいたのが印象的だね。」

私を含む、近代の“効率よく勝利する事に重点を置いたレース”を見慣れている我々にとっては、何ともわくわくする話ばかり。ちょっと、ロードレースさん! 昔のスタイルに戻って欲しいんですけど。

マイヨジョーヌを語るベルナール・イノー氏マイヨジョーヌを語るベルナール・イノー氏 シクロワイアードの綾野編集長と小俣雄風太さんがトークショーをホストシクロワイアードの綾野編集長と小俣雄風太さんがトークショーをホスト


■イノーにとってのヒーローは?

ツール・ド・フランスの総合優勝を5回成し遂げた選手はジャック・アンクティル(1957,1961-1964)、エディ・メルクス(1969,1970,1971,1972,1974)、ベルナール・イノー(1978,1979,1981,1982,1985)、ミゲール・インデュライン(1991-1995)の4人のみ。選手界の頂点に登り詰めたイノーにとって、ヒーローは誰なのか聞いてみた。

「私のヒーローは後にも先にも2名のみ。それは5勝クラブ(ツールで5勝した選手)のメンバーであるジャック・アンクティルとエディ・メルクスだ。今でも彼らは私のヒーローだよ。なぜなら、この二人は出場する全てのレースで勝とうとしていた選手だからだ。さらにロードレース選手が持つべき全ての要素、つまり「登り」、「スプリント」、「個人TT」で優秀な選手だった。更にエンターテインメント性もあったから私もお手本にしたし、すべての自転車選手から尊敬されていたよね。私も彼らの様な選手になろうとして努力し、そして強くなったんだ。ミゲール・インデュラインも素晴らしい選手ではあるけれど、彼は個人TT以外ではあまり目立った選手では無かったよね。アンクティルやメルクスのような選手がいるからこそ、スポーツ界は発展するのだと思う。」

もの思いにふけるイノー。気性の激しさと同時に思慮深さもあったもの思いにふけるイノー。気性の激しさと同時に思慮深さもあった (c)CorVos
■イノーが生涯で獲得したマイヨ・ジョーヌは78枚

ところでツールで5勝もしたイノーは、マイヨ・ジョーヌを何枚ぐらい獲得したのか?その答えは『78枚』で歴代2位。ちなみに獲得枚数の1位はイノーにとってのヒーローであるエディ・メルクスの111枚(!)。さて、イノー氏はその獲得した78枚のマイヨ・ジョーヌを一体どうしたのか?

イノー氏が持参したマイヨジョーヌ。ウール製だイノー氏が持参したマイヨジョーヌ。ウール製だ
「私のツール優勝に貢献してくれたチームメイトたちに感謝の意を表して殆どをあげてしまったよ。私がツールで勝つ強さを得るために、他のレースで貢献してくれたツール末出場のチームメイトにもあげている。そして、メカニックやマッサーにも渡しているよ。この競技、特にツール・ド・フランス規模のレースでは絶対に一人の力では勝てないんだ。私の勝利は全て選手とスタッフを含めたチームメイト全員の努力の結晶なんだよ」

「とはいえ、何枚かは家に置いているはずだけど、たぶん押し入れにしまっているんじゃないかな(笑)。でも、この会場に展示してあるマイヨ・ジョーヌは正真正銘の本物だよ。匂いを嗅いでみれば、アナグマの匂いがするかもしれないよ(笑)」

饒舌に語るベルナール・イノー氏饒舌に語るベルナール・イノー氏
それでは、マイヨ・ジョーヌと共に現役時代を生きてきたイノーさんにとって、そもそも“マイヨ・ジョーヌとは何なのか?

「私にとって、マイヨ・ジョーヌとは、“ゴールド(金)”、“太陽”、“フランスの夏”、“フランスの文化遺産”、“ロードレースそのもの”、“一番強いものの象徴”、“情熱“かな。選手として見ると、何が何でも奪いに行くべきトロフィーだ。このジャージを夢見て、世界中の自転車選手たちが、長い年月をかけてトレーニングし、全力でレースに挑み、実際に強さを証明出来たものだけが袖を通すことを許される。冷静に見ると単なる”布切れ”でしかないが、自転車を愛する世界中の人々がこの黄色のジャージに意味を持たせ、自転車ロードレース界を象徴するものと定義したんだ。よってマイヨ・ジョーヌとは、世界中の自転車ファンの情熱を体現する、非常に尊いものなんだ。」

ツール・ド・フランス2019では100年記念のマイヨジョーヌが日替わりで登場するツール・ド・フランス2019では100年記念のマイヨジョーヌが日替わりで登場する
■「イノーの魅力は世代を超えて受け継がれる」イラストレーター、グレッグ・ポデヴァンさん

パリを拠点にスポーツ選手のイラストレーターとして活躍するグレッグ・ポデヴァン氏(47歳)。フランスのイラストレーター界では、サッカーの「パリ・サンジェルマン」チーム公式カレンダーイラストを担当するほどの有名人だが、「まさか自身の子供の頃のヒーローであった“あの”ベルナール・イノーと一緒に来日することになるなんて夢のようだ!」と話す。

イラストレーターのグレッグ・ポデヴァン氏イラストレーターのグレッグ・ポデヴァン氏
「僕はごくごく普通のフランス人少年として、自転車競技をTVで観戦し、ベルナール・イノーの活躍に一喜一憂した世代。大人になってからは、完全に自分の趣味として、ベルナール・イノーのSNSファンフォーラムに所属していたんだ。そこではファンたちがベルナール・イノーの写真をシェアし合っていたんだよね。僕もイノーの写真をシェアしようと思ったものの、それでは芸がないので、自分の特技を活かしてイノーのイラストを投稿したんだ。

すると、それを見たベルナール・イノーの知り合いが、“グレッグ、このイラストをベルナール本人に直接見せたら喜ぶんじゃないか?よかったら紹介してあげるよ”という流れになり、あれよあれよという間に僕はベルナール・イノーと一緒に東京にいるわけ。まだ今でも現実とは思えないよね」

二子玉川のトークショー会場には大勢の観客が詰めかけた二子玉川のトークショー会場には大勢の観客が詰めかけた photo:Gakuto.Fujiwara
「ベルナール・イノーの魅力は、もちろん強い点。そして僕のようなイラストレーターにとっては、ベルナールの感情豊かな表現力に非常にインスピレーションを刺激されるんだ。ベルナールの時代は、ヘルメットも義務化されていないし、サングラスもまだかけている選手が少なかった。だから、すべての選手の感情が表情で分かりやすい時代だった。その中でもベルナール・イノーの表現力は飛びぬけていて、特に刺激を受けたね。圧倒的に強く、思慮深く、感情豊か。頑固で、流されず、言いたいことをはっきりという。老若男女問わず、フランスの一般庶民が理想とするヒーロー像、それがベルナール・イノーなんだ!」

47歳のグレッグは、奥様と息子さんを連れての来日。トークショーにて子供の様に興奮しながら無邪気にイノーのすばらしさを表現する父グレッグのことを、戸惑いつつも温かい眼差しで眺めていた息子さんの表情が今でも忘れられない。

■犬猿の仲とされるグレッグ・レモンとのその後は!?

ベルナール・イノーを語る上で外すことが出来ないエピソードは、やはり1985年&1986年に起こった「イノー&レモン事件」だろう。

事の発端は1985年のツール・ド・フランス。キャリア終盤に差し掛かりつつ、どうしてもツール5勝の偉業を成し遂げたいイノーは、イノーの実力を凌駕しかねない若きアメリカ人チームメイト、グレッグ・レモンに対し「来年のツールではアシストをするから、今年は俺に勝たせてくれ」と約束したとされる。そしてイノーは落車などの大トラブルを抱えつつも、レモンの盤石なアシストを得て無事ツール・ド・フランス5勝の偉業を達成した。

そして問題は翌1986年のツール。私たちが目や耳にしたメディア(TV&新聞)報道内容は以下の通りだ。

<1985年にイノーがレモンに対して誓った約束をイノーは反故にし、レモンに対して平気でアタックを仕掛ける。怒るレモン。そんな約束はした覚えがない!と主張するイノー。二人の仲は最悪に>というものだった。

結果はご存知の通り、若きグレッグ・レモンが総合優勝し、イノーに対して引導を渡した形になったが、真相は闇の中だ。

鷹のような鋭い目のベルナール・イノー。怯えているようなグレッグ・レモン。2人は優勝を争うチームメイトだった鷹のような鋭い目のベルナール・イノー。怯えているようなグレッグ・レモン。2人は優勝を争うチームメイトだった (c)CorVos
「いやいや、レモンと私の仲が悪いなんて言うのはメディアが作り上げた嘘っぱちだ。1985&1986年のツールでもお互いが納得した形ですべて動いていたんだ。しかし、メディア(具体的にはル・パリジャン誌)が私とレモンの仲が悪い!と書いた理由はわかる。なぜなら、当時のプロトン内では、ライバルチーム間での情報戦が非常に盛んで狡猾だったんだ。

例えば、私のライバルAがアタックして、私のアシストであるレモンがAをチェックしに追いかける。しばらくしてAとレモンはメイン集団に吸収されるんだけど、Aは私に対して “レモンは僕のアタックをつぶしに来たフリして、実は僕と逃げたいために先頭交代を助けてくれたんだ。レモンは君を裏切ろうとしていたぞ” なんて言うんだ。その逆に、レモンに対しても “イノーは君を裏切ろうとしてるぞ” なんてそそのかすライバルもいたんだ。仮に、レモンが本当に“私が裏切った”と思っていたのならば、それはライバルチームがうまく戦っていたということになる。情報戦もレースのうちだからね。

いずれにせよ、私とレモンとの間には一切確執はないよ。引退後もツール・ド・フランスの会場で会うことがあるけど、仲良く昔話に花を咲かせるんだ。つまるところ、私には仲の悪い自転車関係者が一切いない」

結局、イノー&レモン事件の真相がわかったような、わからないような。本件は自転車ロードレース界最大のミステリーとして今後も受け継がれていくのかもしれません。それにしてもレモンを含めてすべての自転車関係者と良好な関係を築いているイノーさん。さすがツール・ド・フランス・アンバサダーに任命されるだけのことはあります。

「いや、一人だけ仲が悪い人物がいた。ランス・アームストロングだ。」はい、それは非常に良くわかります...。

■近代ロードレースは「ロボットの集団」だ

歯に衣着せぬ発言で知られるイノーは、当然近代のレース&選手に対する直接的な苦言も辞さない。

「私は今でも年に7,000kmぐらいは走っているのだが、そんなものは走ったうちに入らない。なぜなら私の現役時代はレースと練習を合わせて、年間40,000〜42,000kmぐらい走っていたんだよ。仕事に置き換えたら、1日に200km走る仕事を、年間200日間やっていたわけだ。でも今の選手はどの程度走っているか知っているか?
年間20,000-25,000kmだよ。昔の選手に比べて今の選手の走っている距離は半分強。難しいことは考えずに単純に考えてみろ。どっちの選手のほうが強いと思う?フィジカルもメンタルも、昔の選手のほうが断然強いさ。」

お気に入りのレイバンのサングラスで走った時代もお気に入りのレイバンのサングラスで走った時代も (c)CorVos
更に話は、近年の選手にとって不可欠となったテクノロジーにも及ぶ。

「みなパワーメーターが普及している理由について口を揃えて“効率的なトレーニングが出来るからだ”と言う。しかし、それが意味するのは“選手の仕事が、何も考えずに言われた通り走るだけ”になったっていうことだ。自分自身でどの程度まで肉体追い込めるのか?自分の身体がどのくらい強靭なのか?またはどこまでやったら故障するのか?今のようにパワーメーターに頼っている環境では、それさえも知らない選手がゴロゴロ作られてしまい、レースがどんどんつまらないものになっていく。」

「今のレースでは、選手がジャージにくっついた無線のマイクに向かって話しかければ、チームカーに乗っている監督が “逃げ集団とのタイム差は何分だ” とか、“ライバルの誰々の調子が悪い” なんて情報を与えてくれる。楽になったものだよ。私の時代は、自分の身体を知り尽くし、自分の鼻と目と耳でライバルを観察し、何が起こっているのかを自ら感じ取る必要があったし、それが出来る選手こそが勝てたんだ。」

終始にこやかに返答するベルナール・イノー氏終始にこやかに返答するベルナール・イノー氏
ルノーとルコック・スポルティフのコラボのカングールノーとルコック・スポルティフのコラボのカングー 「テクノロジーに浸かり過ぎた選手やレースが好きか嫌いかって? そりゃ嫌いさ。なぜなら単純な話、レースがつまらなくなるんだよ。GPSや監督からの情報によって計算され尽くしたレースはダイナミズムに欠けるし、選手個々の能力、嗅覚、キャラクター、チーム力、様々な要素が勝敗に絡みにくくなってしまう。ゲーム性は乏しくなるし、観客にとってもつまらないレースになるんだ。」

ちなみに、実は筆者、失礼ながら“ベルナール・イノーさんって、もしかしてパワーメーターの事を良く知らないで嫌っているのかも!?”と勘ぐり、以前の別の機会に「フルームのFTP/パワーウェイトレシオ(=パワーメーター用語)はどのくらいなんでしょうね?」なんてお話を振ってみたことがあります。

するとイノーは「フルームの好調時のFTPは高いよ。でも彼がその高いFTPを維持できるのはツール期間だけだろう?更にパワーウェイトレシオて言うのは、〜〜(以下省略)」と熱弁。つまるところ、イノーはパワーメーターのことも良くわかって色々と発言していることが判明。過去に自転車選手のトレーニングバイブルとなる様な本を執筆しているぐらいなので、当たり前と云えば当たり前なのですが。

新しいテクノロジーを食わず嫌いしているわけではないことが分かって、増々イノーの主張に説得力が増してくる。

ツール・ド・フランス5勝についての質問が根掘り葉掘りツール・ド・フランス5勝についての質問が根掘り葉掘り photo:Gakuto.Fujiwara
■現代に全盛期のベルナール・イノーが現れたら?の問いに『まぁ、勝つよね。』

自他ともにコンディションのピークが1980年だったと認めるイノー。その年はステージ7勝を挙げ、マイヨヴェールも獲得。シャンゼリゼでは逃げ切り勝利を挙げた。

それでは、仮に1980年のイノーが現代にタイムスリップして、今の選手とツール・ド・フランスで戦ったらどうなるか?の問いに、イノーは間髪入れずに返答する。

「まぁ、勝つよね」

トークショーを聞いていた観客も「待ってました!」とばかりの大歓声を上げ、最も盛り上がった瞬間だ。

「いやいや、本当にそう思っているよ。だって、今の自転車選手はさっき言った通り、テクノロジーに頼りすぎているし、自分でレースの戦況を読み取る力が未熟だ。更に失うことを恐れてアタックをしない。そんな彼らには負ける気がしないし、負けるわけにはいかない。実際、勝てるだろうね。逆に今の選手たちが私の現役時代にタイムスリップしたら、大した選手ではないはずだ」

勝ち気なトークに負けじとイノーさんへ質問する女性参加者勝ち気なトークに負けじとイノーさんへ質問する女性参加者 「勝つコツは?」という小さな質問者「勝つコツは?」という小さな質問者


■実は未来を見据えた提言をし続けている

最後にトークショーの観客のひとりから、イノーに手痛い質問が投げかけられる。

「最後にツールでフランス人が総合優勝したのは30年以上前のイノーさんです。次にツールで総合優勝出来るフランス人は誰だと思いますか?」

しばらく間を置いてからイノーは「うーん...たぶんそのフランス人はまだ生まれていない誰かさんかもしれないね。現在のプロトンで走っているフランス人、そしてフランスチームは近代的なトレーニングを取り入れつつも、古いやり方も捨てきれておらず、どっちつかずなんだよ。だから半端な成績しか残せないんだ。例えばF〇Jチームなんか、パワーメーターをそれなりに取り入れているけど、ツールで勝てる様な選手が出てきているかい?居ないだろ?やはりやり方が半端なんだ。まぁ、そもそもパワーメーターに頼ることが正解だと私は思っていないが。」

ベレー帽をかぶっておどけるマイヨジョーヌベレー帽をかぶっておどけるマイヨジョーヌ (c)CorVos
「業界全体がテクノロジーに頼り、全部が弱くなってしまった昨今。そこに更に”半端に“飲み込まれて迷子になった現在のフランス自転車界から、近いうちにツール・ド・フランスで勝てる選手が出てくるとは思えない。私が理想とする次のフランス人ツール優勝者は、自分で判断し、自身のコンディションや限界を把握し、すべてを失う覚悟でアタックしてライバルを窮地に陥れ、責任を持って勝ち、観客を沸かせてくれる選手だ。これは、現在のフランス人選手達が持っている価値観とは少々異なっている。よって、そのような一見“古い”が、実は新しい選手というのは、今とは全く別の世代から生まれてくるはずだ。私も早くそういう選手を見てみたいが、それがいつになるかは、今の世代、そして次の世代がどのようなロードレース界を望むかによるだろうね。つまり君たちが選ぶことだ。

いずれにせよ私に言えるのは、私の時代の定義でいう”強い選手“ならば、テクノロジーに頼った選手にも勝てるということだ。」

ベルナール・イノーの座右の銘は
「生きている限りアタックし続ける」 (tant que je respire, j’attaque)だ。

生きている限りアタックし続けるという座右の銘生きている限りアタックし続けるという座右の銘
一見、“昭和イズム”に染まった古臭い格言に見えるが、スポーツがエンターテイメントであるならば、どんな時代の観客にとっても心に刺さる言葉だ。

近代的なマーケティングやビジネスを優先し「結果のみ」を求め過ぎた結果、一度はドーピングの常識化を許した自転車ロードレース業界。そして今日はテクノロジーに翻弄され過ぎて、レースのエンターテインメント性が失われつつあります。

我々観客が求めるロードレース像を最もよく知るであろうベルナール・イノーが“生きている限りアタックし続ける”相手は、もしかしたら自転車ロードの楽しみ方を忘れてしまった私たちの心なのかもしれません。

ルノー・エルフ時代のウールジャージを持参してサインをもらう人もルノー・エルフ時代のウールジャージを持参してサインをもらう人も photo:Gakuto.Fujiwaraポデヴァン氏作のイラストシャツを手に記念撮影ポデヴァン氏作のイラストシャツを手に記念撮影


鳥取からやってきた弦巻さんはグレッグさん作のイノーのイラスト本の日本で最初の購入者だとか鳥取からやってきた弦巻さんはグレッグさん作のイノーのイラスト本の日本で最初の購入者だとか 当時のラヴィクレール柄のバッグにサインを貰う当時のラヴィクレール柄のバッグにサインを貰う



※トークイベントの模様はJ SPORTSのスポーツ情報番組「BOOMER」( J SPORTS 3) にて
6/28(金) 午後10:30-11:00に放送される予定です。お楽しみに。

report:山崎健一/ASOアタシェドプレス/「エキップアサダ」マネージャー
photo:藤原岳人


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ベルナール・イノー来日記念ジャージ(50名様)
ベルナール・イノー来日記念ジャージベルナール・イノー来日記念ジャージ
右胸にはイノー氏の愛称である”ブルターニュの穴熊”の、アナグマイラストを、背面にはイノー氏の名言「Tant que je respire j'attaque ~呼吸をしている限り、私はアタックし続ける」をプリントしています。

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