「来週の火曜日に新人の入社式を兼ねてサイクリング行くから取材予定は入れんなよ!朝9:30に本店駐車場に集合でヨロシク!みんな遅れんなよ!」消費税8%への増税を翌週に控えた編集会議は、メタボ会長お決まりの強制通達で幕を閉じた。毎度の事とは云え、これがまたなかなか難儀な設問なのだ。



メタボ会長から言い渡された来週の火曜日とは4月1日。そうエイプリルフールなのだ。それだけに編集部一同が半信半疑になった事は言うまでも無い。当日の朝に身支度を整えて待機する私たちに向かって「え?本気にしてたの?そんな入社式がある訳ねえじゃんか!」と高笑いするオヤジの姿が容易に想像できるだけに判断に迷う通達である。

そもそも入社式を兼ねてサイクリングを実施した事など、我社では過去に一度たりとも無い。まったく、桜の開花が始まろうかという爽やかな新春早々から憂鬱な気分にしてくれるものである。

疑心暗鬼で迎えた当日の朝、小馬鹿にされる覚悟を決めた私たちが駐車場に向かうと、そこにはヤル気満々の出で立ちでご満悦の表情を浮かべたメタボ会長が私たちを待ち受けていた。誇らしげなその手にはキャノンデールの新車 SYNAPSE HI-MOD 3 がしっかりと握られている。

メタボ会長の新しい相棒に抜擢されたのは、キャノンデール SYNAPSE HI-MOD 3 ULTEGRA だ。メタボ会長の新しい相棒に抜擢されたのは、キャノンデール SYNAPSE HI-MOD 3 ULTEGRA だ。
「じゃじゃじゃ~ん!新型シナプスを普段乗り用に新調しちゃったぜ!どうだ、凄いだろ?」
オヤジのその得意げな顔はこの世の春を謳歌するかの如くではあったが、実の所、私たちは今日のサイクリングがオヤジの新車披露と自慢大会を兼ねている事を事前に知っていたのだ。

先日、編集部に届いたインプレ待ちのバイク群の中に”リストには無いシナプス”が紛れ込んでおり、その見慣れないシナプスを編集部の片隅で、編集長自らがポジションをイエロードマーネと寸分違わぬものに調整している姿を私たちは目撃していた。更に編集長が会長直々の密命を受け、インプレでお世話になっている戸津井さんのお店”オーバードゥ所沢店”で、豊田店長に指定寸法でコラムカットをお願いした事実も私たちは掴んでいたのだ。

編集部の片隅で、人知れずポジション合わせをする編集長。残念ながらバレバレですよ。編集部の片隅で、人知れずポジション合わせをする編集長。残念ながらバレバレですよ。 「こんなに切っちゃってイイの?」コラムカットはオーバードゥ所沢の豊田店長だ。「こんなに切っちゃってイイの?」コラムカットはオーバードゥ所沢の豊田店長だ。


メーカーさんからお借りしたインプレ用バイクのコラムを勝手にカットするなどと云う状況は通常ではあり得ない。即ち、このシナプスは私物であり持ち主が誰であるかは火を見るより明らかな状況だった訳だ。当の本人はそんな事とは露知らず、当日のお披露目サプライズを得意満面の表情で迎えた次第なのだ。

もちろん私たちの対応はお約束通りのものとなった事は言うまでもない。自慢げな”ネタばれサプライズ発表会”に対して、各々が見事なまでの驚きを表明し羨望の眼差しを浮かべながら、これでもかとばかりに美辞麗句を並べ立てる事で有頂天のオヤジを更なる高みに連れて行く。私たちはみなサラリーマンとしての保身スキルを完全にマスターしているのだ。もっとも今日はエイプリルフール。たとえ私たちが腹中に失笑を浮かべていた事がバレたとしても、今日なら笑って許される筈である。

入社式サイクリングの始まりだ。晴れ男のお陰で抜群のサイクリング日和だ。入社式サイクリングの始まりだ。晴れ男のお陰で抜群のサイクリング日和だ。
今日はどんな一日になるのでしょうか?今日はどんな一日になるのでしょうか? すっかり春めいてきた平野部の桜はほぼ満開だ。すっかり春めいてきた平野部の桜はほぼ満開だ。


「とりあえず、行ってみっか?」一通りのヤラセ品評会が終わった処で、メタボ会長の掛け声とともに、いよいよサイクリングに出発だ。誰が決めた訳でもないのだが、編集部ではサイクリングすなわち名栗方面という暗黙の了解が蔓延っている。会社から圏央道青梅ICまで約10km。その先には殆ど信号が無い奥多摩の大自然が拡がる事が大きな理由だろう。

新春の香りが漂い始めた旧道を一路、青梅IC目指し進む編集部トレイン。気温15℃の晴天の下をメタボ会長の心拍数を気遣いながら流れる車列は30km/h巡航だ。この程度の負荷であればオヤジの心拍リミット140回/分を上回る心配はなさそうである。ピカピカの新車シナプスを駆るオヤジのご機嫌も上々といったご様子である。

磯部を先頭に30km/h固定で車列は進む。磯部を先頭に30km/h固定で車列は進む。 この日入社の安岡と藤原。編集長の横でまだ表情は硬い。この日入社の安岡と藤原。編集長の横でまだ表情は硬い。

前評判通りの安定した頼もしい走りを見せる安岡。前評判通りの安定した頼もしい走りを見せる安岡。 メタボ会長の心拍数を基準に走行ペースは決まる。メタボ会長の心拍数を基準に走行ペースは決まる。


「会長、やっぱり新車はイイですか?ところでイエロードマーネが大のお気に入りだった会長が、何でまた急にシナプスに乗り換えたんですか?」のんびりペースに暇を持て余した私がそれとなくご機嫌覗いに話し掛けると、オヤジが呆れ顔を浮かべながら応える。

「おいおい?俺はそもそもコイツに乗り換えた訳ではないぞ。コイツはあくまでも普段履き用に調達した言うなれば”のんびりサイクリング専用バイク”ってとこだな。ほれ、あのヤブ医者のせいで心拍数上限にシバリが入っちゃったじゃない?だからガンガン踏みたくなるドマーネ号はここ一番の決戦以外はお休みだよ。さもないと俺の大切な心臓が壊れちゃうからな!」嬉しそうに語るメタボ会長ではあるが、何故シナプスなの?の答えにはなっていないし、アンタの決戦って何なのよ?という話である。更にその旨を尋ねてみると

ずっと先頭固定で牽き続ける磯部。遅いペースに退屈を隠せない。ずっと先頭固定で牽き続ける磯部。遅いペースに退屈を隠せない。 前評判通りのヘナチョコな走りを見せる藤原。すでに遅れそう?前評判通りのヘナチョコな走りを見せる藤原。すでに遅れそう?

高低差20mほどの小高い丘程度の峠を越えていく。高低差20mほどの小高い丘程度の峠を越えていく。 一応この丘には”笹仁田峠”という名前があるんです。一応この丘には”笹仁田峠”という名前があるんです。


「編集部に来る様々なインプレ用バイクをちょこっとだけ拝借して載り比べた結果、最も乗り心地が優しかったのがシナプスだった訳さ。実はここの処、サイクリングのあとは決まって肩凝りが酷くてさ!さすがの俺も”寄る年波には勝てず”って感じだよ。ひょっとしたらこの鋼の身体も筋力低下が始まってるのかもしれんな。ところが、信じられない事にシナプスの乗り心地がドマーネ号より更に優しかったんだよな~。で、納車の運びとなった訳さ!至極、当然の成り行きだろ?」

いやいや、これはツッコミどころ満載の返答だ。そもそも鋼の身体はBMI=27とはならないし、この世に生を受けてから半世紀以上が経過した男の身体に経年劣化が見られないほうが異常である。おまけにドマーネより乗り心地が良い事が調達に直結したくだりも当然の成り行きとは言い難いのは明らかである。とは言え私も馬鹿ではない。

ここで下手にツッコミを入れて楽しいサイクリングをぶち壊しにするほどの愚か者でも無い。「さすが会長!お目が高い!シナプスの優しい乗り心地なら肩凝り対策にはバッチリですね!特に不満を感じる部分もないんですか?」当たり触りないお世辞を返す私に上機嫌なオヤジは言葉を続ける。

「ほら岩蔵温泉だよ」「わぁメタボで読んだ!」藤原君、キミ殴られるかもよ?「ほら岩蔵温泉だよ」「わぁメタボで読んだ!」藤原君、キミ殴られるかもよ? 遊んでる訳ではありません。編集長はいつもこんな感じで写真を撮っています。遊んでる訳ではありません。編集長はいつもこんな感じで写真を撮っています。

けっこうスピードが出ててもこんな感じで証拠写真を押さえます。けっこうスピードが出ててもこんな感じで証拠写真を押さえます。 それがこれ!ちゃっかり反則のアウタートップを使っていますね。それがこれ!ちゃっかり反則のアウタートップを使っていますね。


「不満かぁ~?気合い入れて踏みこんだ時のガツーンっていう加速感はドマーネ号には敵わないかもな。でも踏まない為に選んだのがシナプスだから、ここは別に不満て訳でもないんだよな…。そうだ!ひとつだけ致命的な欠点があるわ!色が地味!ウチの社訓は”安全第一”だから、やっぱ黄色が良かったぜ!」

はぁ?アンタがどの色を好もうと我々の知ったこっちゃない!毎度ながらこの返答には殺意を覚えそうになる。やはり問い掛けた私が悪かったようだ。予定調和のような喪失感を感じつつも、そろそろ地雷を踏みそうな気配を過去の経験則から鋭く察知した私は、オヤジの視界から穏やかにフェードアウトだ。

爽やかな春空に恵まれ、最高のサイクリング日和です。爽やかな春空に恵まれ、最高のサイクリング日和です。 だんだんと人里を離れ、山の中に入って行きます。だんだんと人里を離れ、山の中に入って行きます。

新芽を育む樹々から春の匂いが漂ってきます。新芽を育む樹々から春の匂いが漂ってきます。 いよいよ、ここが”山王峠”の入口になります。いよいよ、ここが”山王峠”の入口になります。


無意味な会話で時間を費やす間に、車列は”岩蔵温泉郷”を通過し””山王峠”に差し掛かっている。この山王峠は南高麗中学校前から始まり、およそ3kmの間に130mほどの標高を稼ぐ緩斜面で、道幅も広くとても走りやすい。この辺りまで来ると街中の喧騒とはかけ離れた長閑な空気が流れ、新緑の香りもより深くなってくる。

かつて知ったる峠道を上機嫌で登るオヤジが、入社初日の新人・安岡に話しかけている。
「ほれほれ、ちょっと見てみな!コイツは単に乗り心地が良いだけじゃなくって、ハナっから驚きの34-32Tが付いてんだぜ!このギアならどんな激坂でもスイスイってもんよ!やっぱ、我々のように筋力の衰えを隠せない熟年サイクリストの普段履きにはピッタリなバイクだよ!なぁ君もそう思うだろ?」

いやいや、これはマズイ状況だ!実はこの設問こそメタボ会長が私たちを”からかう”時に用いる常套手段で、高度な対応が試されるシチュエーションなのだ。この状況で不用意に「そうですね」と応えると、たちまち「あ?それって俺がヨボヨボだって事か?」とイチャモンを付けてくるし、かといって「そうは思いません」と応える度胸はなかなか湧いてこない。この状況での正解はスルー。つまり”聞こえないふり”しか選択肢は無いのだ。

序盤は緩やかな勾配の田舎道が続きます。序盤は緩やかな勾配の田舎道が続きます。 全員揃っての意味不明なガッツポーズ!何があった?全員揃っての意味不明なガッツポーズ!何があった?

ふたりの新人たちもようやく緊張が解けてきたようです。ふたりの新人たちもようやく緊張が解けてきたようです。 かつて知ったる峠道なのに苦しそうですよ?かつて知ったる峠道なのに苦しそうですよ?


オヤジの子供じみたパラワラの洗礼に入社初日から晒される安岡を救出すべく、咄嗟に私が別の話題で割り込むことで何とか彼の保護には成功したが、こうなると同じく入社初日のもう一人の新人・藤原も心配になるというもので、振り返って様子を覗ってみると、彼は彼でこの緩斜面を蛇行しながらなんとかクリアしようともがいている。それはそれで違う意味で私を不安にしてくれる。

不甲斐ない藤原の蛇行に気を取られていると、今度は車列前方から雄叫びが上がる。「おっ、イカン!心拍が140超えてきちゃったから、ちょっとアシスト頼むぞ~!」ってまったく、アンタらはどんだけ自由なんだよ!と云う憤慨の感情をおくびにも出さず「すぐ行きま~す!」と朗らかに応えているサラリーマンな自分が無性に悲しい。

「心拍が140超えてきちゃったから、アシスト頼むぞ~!」「心拍が140超えてきちゃったから、アシスト頼むぞ~!」 頂上まであと一息。ヘナチョコ藤原の見事な蛇行だ。頂上まであと一息。ヘナチョコ藤原の見事な蛇行だ。

山王峠の頂上です。期待の新人安岡は撮影の練習中。いっぽう藤原は登るだけで精一杯。山王峠の頂上です。期待の新人安岡は撮影の練習中。いっぽう藤原は登るだけで精一杯。 「この34-32Tのお陰で楽勝だったぜ!」いやいやアシストがありましたよね?「この34-32Tのお陰で楽勝だったぜ!」いやいやアシストがありましたよね?


一方、これまでにメタボ会長からの理不尽なパワハラを散々味わってきた経験豊富な磯部と山本は、見事なまでの間合いをキープしながら己の保身のみに努めている。どうやら、ただでさえ厄介なメタボ会長のフォローに加え、新人二人のケアと云う貧乏くじを、不覚にも私が引いた様子である。なかなか”したたかな後輩たち”である。

こうして最初の鬼門”山王峠”をクリアした私たちの入社式サイクリングは、まだまだ続くのであった。



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メタボ会長
身長 : 172cm 体重 : 82kg 自転車歴 : 4年

当サイト運営法人の代表取締役。平成元年に現法人を設立し平成17年に社長を引退。平成20年よりメディア事業部にて当サイトの運営責任者兼務となったことをキッカケに自転車に乗り始める。ゴルフと暴飲暴食をこよなく愛し、タバコは人生の栄養剤と豪語する根っからの愛煙家。