ジロ・デ・イタリアは10日目にしてようやく最初の休息日を迎えた。ミラノステージを終えた選手たちはその日のうちに200kmほど離れたクネオに移動。休息日明けの第10ステージは、クネオ〜ピレローロの262kmで行なわれる。

コッピに捧げる最長ステージ

暮れ行くクネオの街暮れ行くクネオの街 photo:Kei Tsujiクネオ〜ピレローロのステージは、ジロにおいて歴史的な意味を持つ。

今から遡ること60年、1949年6月10日、ジロ第32回大会第17ステージ。イタリアとフランスを跨ぐアルプスの山々を貫いて、5つの難関山岳を含む250kmのレースが行なわれた。

当初ステージリストに入っていた250km山岳コース当初ステージリストに入っていた250km山岳コース image:RCS Sportマッダレーナ峠、ヴァル峠、イゾアール峠、モンジネヴロ峠、セストリエーレ。標高2000m級これらの山岳は当時まだ舗装されていない細い峠道。チャンピオンの最上級“カンピオニッシモ”の称号を得ていたビアンキチームのファウスト・コッピ(イタリア)はこのステージで大逃げを決めた。

最初のマッダレーナ峠で飛び出したコッピは、立ちはだかる山岳を次々と先頭でクリアし、最大のライバルであるジーノ・バルタリ(イタリア)を11分52秒引き離してピネローロにゴール。この190kmに渡る劇的な山岳逃げは、ジロの歴史に深く刻まれている。この日のタイムは9時間19分55秒。カンピオニッシモは平均27.218km/hで5つの山岳を越えた。

100周年大会を盛大に祝いたいレース主催者は当初、このコッピが勝利した250kmの難コースをステージリストに組み込んでいた。実現していれば、頂上ゴールではないものの、総合争いにダメージを与える注目ステージになっていただろう。

しかし山岳地帯の通行止めの影響でコースは変更。スタートとゴール地点に変更は無いものの、幾分難易度の低い山岳ステージに落ち着いた。コース全長は262km。今大会最長だ。

ジロ100周年を祝う教会

教会で開かれた「ジロの100年」の展示教会で開かれた「ジロの100年」の展示 photo:Kei Tsujiレース前夜のクネオの街をカメラを持ってトボトボ歩いていると、突然目の前に「ジロの100年」とポスターが貼られた教会が現れた。偶然の出会い。中に入ってみるとそこは、ジロの歴史を語る様々な年代の新聞切り抜きやポスターで溢れていた。

100周年のジロがクネオを訪れるにあたって、コレクションを展示したのは近郊に住むウンベルト・パオーリさん。その満足げな78歳の紳士に日本から来たことを告げると、資料を片っ端から説明しながら見せてくれた。コッピが勝ったクネオ〜ピネローロのステージだけに的を絞った書籍も、先日出版されたと言って見せてくれた。

大量のコレクションを展示したウンベルト・パオーリさん大量のコレクションを展示したウンベルト・パオーリさん photo:Kei Tsuji「コッピが走っていた当時のレースを覚えていますか?」と訊くと、答えは「Certo(もちろん)」。そう言ってウンベルトさんは財布の中から小さな写真を取り出した。裏を見ると「クネオ〜ピネローロ ファウスト・コッピ セストリエーレ」と書かれてある。

「初めてロードレースを見たのはこの時だ。これは頂上の2つ手前のコーナー。友達が撮ったんだ」と、子どものような笑顔で語ってくれる。気づけばウンベルトさんの話しを聞くために人だかりができていた。

ウンベルト・パオーリさんが財布から出してくれた宝物の写真ウンベルト・パオーリさんが財布から出してくれた宝物の写真 photo:Kei Tsujiちなみにウンベルトさんの第10ステージレース予想は「最後に上りが追加されただろう。あそこで飛び出した選手が逃げ切る。先頭でゴールにやってくるのは多くても2人」。さて、その結果は如何に。