フランス、ブリュターニュ地方の町プルエーが、2017年度世界選手権開催地に名乗りを上げた。フランス自転車連盟のデービット・ラパティーン会長は、フランスのテレビ取材に対し「プルエーが2017年大会のホストを強く望んでいる」と答えた。

オーストラリア・ジーロングで開催された2010年ロード世界選手権オーストラリア・ジーロングで開催された2010年ロード世界選手権 photo:Kei TsujiプルエーといえばGPウエストフランス・プルエーの開催地である(今年の優勝者はグレガ・ボーレ)。プルエーはロマンス・ヴァインシュタインが優勝した2000年度大会でも、招致活動をした過去がある。フランス国内ではこれまでに7度世界選手権が開催されている。

UCI(国際自転車競技連合)は世界選手権の運営・管理をすると同時に、開催地のセレクションも活動の一つとしている。

2010年ロード世界選手権 両手を広げてゴールするトル・フースホフト(ノルウェー)2010年ロード世界選手権 両手を広げてゴールするトル・フースホフト(ノルウェー) photo:Kei Tsuji2010年の開催地はオーストラリア・ジーロング。オーストラリア大陸での初開催だった。ノルウェー人ライダー、トル・フースホフトの優勝は記憶に新しいところだ。

レース後、UCIのパット・マックエイド会長は次のように語った。「我々は自転車競技をグローバルなスポーツにするべく日々努力している。西ヨーロッパではポピュラーなスポーツだが、その他の国々ではまだまだ競技人口が少ない」。

パット・マックエイドUCI会長パット・マックエイドUCI会長 photo:Kei TsujiUCIは過去7度、ヨーロッパ大陸以外で世界選手権を実施した。カナダ・モントリオール(1974年)、ベネズエラ・サンクリストバル(1977年)、アメリカ・コロラドスプリングス(1986年)、日本・宇都宮(1990年)、コロンビア・ドゥイタマ(1995年)、カナダ・ハミルトン(2003年)、そしてオーストラリア・ジーロング(2010年)だ。

そしていよいよ来週に迫った2011年大会の舞台は、デンマーク・コペンハーゲン。ここでは1931年・1937年・1949年と過去3回開催されている。デンマークのコペンハーゲン以外の都市としては、1956年バラループでも行われたことがある。

フィレンツェでの世界選手権開催にこぎ着けたトスカーナ州出身のアルフレード・マルティーニ元代表監督、故フランコ・バッレリーニ前代表監督、レナート・ディロッコFCI会長フィレンツェでの世界選手権開催にこぎ着けたトスカーナ州出身のアルフレード・マルティーニ元代表監督、故フランコ・バッレリーニ前代表監督、レナート・ディロッコFCI会長 photo:www.federciclismo.it2012年、つまり来年の舞台はオランダ。スイス人ライダー、オスカル・カーメンツィントが勝利した1998年以来の開催となり、アムステル・ゴールドレースが行われるリンブルフ州で開催される予定だ。

2013年の開催地は、昨年行われたセレクションの結果、イタリア・フィレンツェに決定した。ジーノ・バルタリの出身地であり、数々の名選手を生み出してきたこの地域。しかし残念ながら、トスカーナ出身の選手がアルカンシェルに袖を通したことは、未だかつてない。

毎年プルエーで開催されるGPウエストフランス・プルエー 今年はグレガ・ボーレ(スロベニア、ランプレ・ISD)が優勝毎年プルエーで開催されるGPウエストフランス・プルエー 今年はグレガ・ボーレ(スロベニア、ランプレ・ISD)が優勝 photo:GP Ouest-France Plouay/www.comitedesfetes-plouay.comイタリア自転車連盟会長レナート・ディロッコは声高々にしてこう語る。「これはイタリア自転車界の勝利だ。そして自転車王国として名高いトスカーナの勝利だ」。

「ルッカをスタートした後、サンバロントを登る。11ヶ所の難所を織り込みつつフィレンツェにフィニッシュ」。オーガナイザー側はこのようなコースレイアウトをトスカーナ側に提案しているという。

UCIは通常3年先までの開催地を決める。2014年度開催地に関して、当初はスペイン・ポンフェラーダしか立候補していなかったが、今年4月、UCIは新たにベルギー・ホーグレーデヒッツ、メキシコ・チワワ、そしてフランス・ヴァンデが正式に立候補した、と公式発表した。

スペイン・ポンフェラーダは、2013年度の開催地にも名乗りを上げたが、その際は惜しくもフィレンツェに敗れている。

2015年度大会。UCIはアメリカやオマーンなどのヨーロッパ以外での開催を視野に入れている。「コロラドスプリングスでの開催以来、25年以上の間に、アメリカは2人の世界チャンピオン(グレック・レモン、ランス・アームストロング)と3人のグランツール覇者(グレック・レモン、アンドリュー・ハンプトン、ランス・アームストロング)を輩出している。今こそアメリカがホスト国になるべき時だ。そしてそれはヴァージニア州リッチモンドだ」。こう語るのはアメリカ・ヴァージニア州リッチモンドのドゥワイト・ジョーンズ市長。

オマーンもまた、中東初の開催に向けて動き始めた。伝説的サイクリスト、エディ・メルクスを味方につけ、本格的に誘致合戦参戦である。

メルクスは言う。「近年中東で行われているレースは、プロフェッショナルなレースとして確実に認知されつつある」。そしてこう付け加える。「オマーンは、2015年の世界選手権開催までに充分かつ完璧な経験を積める、という確信が私にはある」。

そして更に時は進み、2016年。名乗りを上げているのはノルウェー。ノルウェー自転車連盟会長ハラルド・ティーデマンハンセンは、昨年10月に出した声明文の中で「2014年あるいは2016年のどちらかを目指したい」と言っている。

スペイン・ポンフェラーダが2014年度のみに的を絞って活動しているなか、ノルウェーは2014年度招致が厳しい状況になった場合は、2016年度にスポットを当てる、というフレキシブルな行動をとるようだ。ノルウェーが開催国になったのは過去1度。ランス・アームストロングが優勝した1993年のみである。

そして2017年。GPウエストフランス・プルエーの開催地であることを武器に、フランス自転車連盟会長デービット・ラパティーンは満を持して「プルエーでの開催招致」を改めて表明した。

text:Gregor Brown
translation:Chiaki Iwamoto