2011年シーズンから中野さんは日本に活動拠点を移しつつ、アスタナに移籍したロマン・クロイツィゲル選手の専属マッサージ師として年間100日ほどレースに帯同している。中野さんもアスタナに「移籍」したカタチだ。選手とチーム、そしてスタッフとしてのマッサーの関係とは?

アスタナのチームメイトと談笑する中野喜文マッサー(ツアー・ダウンアンダーで)アスタナのチームメイトと談笑する中野喜文マッサー(ツアー・ダウンアンダーで) (c)kei.Tsuji中野さんはリクイガス時代、ダニーロ・ディルーカの専属マッサージ師やチーフマッサージ師を務めるなど、数多くの選手たちから厚い信頼を寄せられてきた。

そんな中野さんが今、考えることのひとつは、「スタッフは選手に尽くすべきか、チームに尽くすべきか」ということだ。

マッサージ師は手技を通じて選手の心身を敏感に感じ取る。施術中の会話から、選手のプライベートの素顔を知ることもある。交流が深まり、親しさが増せば増すほど、選手とスタッフというビジネスライクな線引きが難しくなる。

中野さんがスタッフと選手の関係について深く考えさせられたのは、ディルーカがリクイガスからLPRブレークスに移籍したときだ。中野さんは「一緒に移籍して欲しい」とディルーカから熱望された。

ジロ・デ・イタリア2006を制したダニーロ・ディルーカ(リクイガス)。専属マッサーをつとめた中野さんにとってもチームメイトと同様の喜びだったジロ・デ・イタリア2006を制したダニーロ・ディルーカ(リクイガス)。専属マッサーをつとめた中野さんにとってもチームメイトと同様の喜びだった (c)MakotoAYANO「すごく迷いました。ディルーカは人間的に魅力があったし、リーダーシップもあった。給料もよかったし、施術に専念できる環境も恵まれていました。でも、最終的には断りました。フェレッティ監督の教えが頭から離れなかったからです」

「ノンプアアモーレ」
「チームを愛することはあっても、選手を愛しすぎてはいけない」。それが、フェレッティ監督の教えだった。

和を大切にする日本人らしいとも言えるが、中野さんは長年、チームの運営に力の限りを尽くしてきた。オーナーを筆頭に首脳陣が行き当たりばったりの運営だったチームでも、選手をスタートラインに立たせるため、メカニックとして同僚だった永井孝樹さんとの日本人コンビで孤軍奮闘した。その働きぶりは、「あのチームは日本人が支えている」と周囲から評判になるほどだった。

また、「マッサージ師として施術を追求したい」という想いも強い。もともと、イタリアに渡ったのも、自転車競技の本場で技術を磨き、知識を豊かにしたいという考えからだ。

チームのマネージング業務に忙殺されるなどして、一時、モチベーションが下がったこともあったが、師匠的存在のマッサージ師、ルイジーノ・モロー氏と出会ったことで、施術への探求心もかきたてられるようになっていた。

リクイガスに残った中野さんは、その後、LPRブレークスへの移籍を思いとどまった判断が正しかったことを知る。ディルーカがドーピング疑惑で捜索を受けた時、専属マッサージ師も家宅捜索を受けたからだ。その専属マッサージ師は弁護士費用などがかさみ、自転車競技界から去らざるを得なかった。

「マッサージ師を始めとするスタッフは、自分たちが誰に雇われているのか、ということですよね。チームに仕えることが本分であって、選手に傾倒してはいけないということを痛感しました」

ではなぜ、そこまで語る中野さんがクロイツィゲルに帯同してアスタナに移ることにしたのだろうか。その背景には、近年、自転車競技界に暗い影を落とし続けているドーピング問題がからんでいる。

1986年生まれのクロイツィゲルは、84年生まれのヴィンチェンツォ・ニーバリと共に、「クリーンな若手選手」として大切に育てられてきた。

「ドーピング問題で揺れる自転車競技界は、対策としてアンチドーピング・プロジェクトをスタートさせました。プロジェクトは、18、19歳といった若いうちからプロに加入させ、ドーピングの誘惑を仕掛けてくる人たちとの接触をシャットアウトすることで選手を守ろうというもの。その1期生がクロイツィゲルとニバリなんです」。

中野さんが専属マッサーをつとめるロマン・クロイツィゲル(チェコ、アスタナ)中野さんが専属マッサーをつとめるロマン・クロイツィゲル(チェコ、アスタナ) (c)Kei.Tsujiイタリアの未来を背負うヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、リクイガス・キャノンデール)イタリアの未来を背負うヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、リクイガス・キャノンデール)


リクイガス時代、中野さんはマッサージを担当することが多かった二人には思い入れが強い。若手の成長株であり、今後の自転車競技界を担う逸材の成長を見守りたいという思いから、クロイツィゲルの専属マッサージ師になることを決意したのだという。

同じチームで双子のように育てられた二人も、2011年シーズンからはリクイガス・キャノンデールとアスタナに別れ、ライバルとして戦っている。

中野さんの心の中には、「二人の激突を見たくない」という親心のような気持ちがある。しかも、「一人の選手がもう一人にこてんぱんにやられるだろう」というのが中野さんの予想だ。

果たして、最後に笑うのはどちら? あるいは、こてんぱんにやられるのはどちら? 中野さんが見守る若い2人の将来は、今後私たちの楽しみの一つにもなりそうだ。





Profile
中野喜文さん中野喜文さん 中野喜文 (なかのよしふみ)
1970年4月5日生

鍼灸按摩マッサージ指圧師
テカール・ジャパン・アドバイザー
アスタナ・プロチーム(カザフスタン)専属マッサー

経歴
:日本鍼灸理療専門学校本科卒業
1995年~1998年:小守スポーツマッサージ療院所属、日本舗道レーシングチーム、世界ジュニア自転車選手権日本代表
1998年:イタリア、プロサイクルロードチーム、リーゾ・スコッティに研修生として渡欧。
日本人のマッサージ師として初めてジロ・ディ・イタリア、ツール・ド・フランスに帯同
1999年:カンティーナ・トッロチームと契約。この年からイタリアを拠点とした活動を本格スタート
2000~2005年:ファッサボルトロ所属。
自転車競技界の重鎮フェレッティ氏の元、世界トップクラスのスタッフに囲まれトレーナー活動、チーム運営のノウハウを学ぶ。(2001年、2003年UCI世界ランキング1位チーム)
2006~2010年:リクイガス所属。
ダニーロ・ディルーカの専属マッサージ師として2007年ジロ・ディ・イタリア総合優勝をサポート。その後は新世代のサイクルロード運営を目指し、世代交代に力を入れたチーム運営に関わる。
2009年世界自転車選手権チェコ代表マッサー。
2010年UCI世界チームランキング2位
2011年:13年間在住したイタリアを離れ、日本を拠点とし活動をスタート。
テカール・ジャパンのアドバイザーに就任。
アスタナチーム(カザフスタン)専属マッサージ師

中野喜文 オフィシャルサイト

text:Naoko.TSUNODA
photo:Makoto.AYANO
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