別府史之(EFエデュケーション・NIPPO)がプロ選手活動終了を発表した。20年にわたってヨーロッパで戦い抜き、日本自転車界を牽引し、3大ツールとモニュメントを完走。数々の記録を打ち立ててきた別府は今後、「今まで以上にエキサイティングでチャレンジングな生き方」をしていくと話している。



プロ選手最終シーズンをEFエデュケーション・NIPPOで過ごしたプロ選手最終シーズンをEFエデュケーション・NIPPOで過ごした (c)rapha.cc
「一年一年が契約更新のための勝負の年で、後ろを振り返っている余裕は全くありませんでした。そして、2020年はパンデミックの影響や近代のサイクリングチームの変化もあり、今まで当たり前に走り続けてられていたことが普通ではなくなってしまいました。

自分が好きだった「自由を追い求めたサイクリング」とは、かけ離れたものになってしまい、楽しかった過去を振り返る事が多くなってしまいました。そう気が付いた時に、ここが、プロレーサーとしての章の終わりであり、新しいページを開く時なのだと思いました」。

別府史之(EFエデュケーション・NIPPO)は、プロロードレーサーであることを止め、次のステップに移る理由をそのように打ち明けている。

2011年の全日本選手権でロードと個人TTのダブルタイトルを獲得2011年の全日本選手権でロードと個人TTのダブルタイトルを獲得 photo:Hideaki.TAKAGI
1983年4月10日生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身。アマチュア時代に単身フランスに渡り、2005年ディスカバリーチャンネル入りを果たしプロ選手となった別府。

2009年には新城幸也とともに日本人として初めてツール・ド・フランスを完走し、最終ステージで力強く逃げ敢闘賞を獲得。その後ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャという3大グランツール、そしてモニュメントと呼ばれる最も格式高い5つのワンデーレースの全てで日本人としてただ一人完走(現役選手では現在僅か11人)し、北京オリンピックとロンドンオリンピックにも出場を果たした。

全日本選手権でもロードレース(2006年、2011年)と個人タイムトライアル(2006年、2011年、2014年)をそれぞれ制し、世界選手権出場は合計8回。自身が愛するパリ〜ルーベには合計5回出場(2007年は日本人として初出場)、グランツール出場回数は6に及ぶなど、過酷な世界トップクラスの舞台で息の長い活躍をし、そして記録を打ち立ててきた。

パリ〜ルーベ2007  北の地獄と呼ばれるレースに初めて出場した別府史之(ディスカバリーチャンネル)パリ〜ルーベ2007 北の地獄と呼ばれるレースに初めて出場した別府史之(ディスカバリーチャンネル) photo:Makoto.AYANO
ヨーロッパに渡って早20年、ディスカバリーチャンネル加入から17年。「夢の舞台を走り抜けてきたこの17年間は、とてもあっという間でした。ヨーロッパに来てからもう20年という月日が経ち、100年の1/5もの時間に渡って、サイクリングスポーツの流れをこの目で見て来たことになります」と別府は振り返る。

今後は日本とヨーロッパの橋渡し役となり、サイクリングの普及や啓蒙、プロモーション、育成などを行う「サイクリングプロモーター」として活動するという。自転車に乗り続け、そして自転車とは関係のないプロジェクトも進行中。「すでに次の夢に向かって走り出しているので、「引退」という、人生の終わりのような言葉は使いたくありません」とも。

2009年のツール・ド・フランスのシャンゼリゼ周回コース逃げ、敢闘賞を受賞した別府史之(日本、スキル・シマノ)2009年のツール・ド・フランスのシャンゼリゼ周回コース逃げ、敢闘賞を受賞した別府史之(日本、スキル・シマノ) photo:Makoto Ayano
「この自転車競技の人生の中で、応援してくれるファンの皆さんがいてくれたことが、一番の心の支えでした。遠く離れた異国の地でもSNSを通じ、いつも繋がっていたし、嬉しかった時も辛かった時も、泣きたい時も、いつも一緒に一喜一憂してくれました。今までそういった時間を皆さんと一緒に過ごしてきたことが、私の競技人生を幸せにしてくれました。

応援してくださった皆さんには、本当に感謝しています。ただ心残りは、最後に皆さんの前で走れなかったことです。世界が再び平穏になった暁には、きっと日本で走れるチャンスがあると思うので、その時を待っていてください。そして、今後の活動も応援してくださると、幸いです」と、別府は感謝とともにメッセージを締めくくっている。

別府の引退発表メッセージ全文はこちらから(外部リンク)。