ツール・ド・おきなわ市民50kmオープンに優勝した遠藤優さん(Roppongi Express)のレポート。今までに5回の優勝を重ねている遠藤さんだが、病気のため4年ぶりの挑戦。「50kmクラスのトップになる」という強い意志でレースに臨んだ。



スペシャライズド ALLEZ SPRINT Disc)にゼッケンを取り付けたスペシャライズド ALLEZ SPRINT Disc)にゼッケンを取り付けた 【市民50kmオープンのエントリーにあたり】
4年ぶりに帰ってきたツール・ド・おきなわ。今年から50kmのチャンピオンを決定すべく創設された「市民50kmオープン」にエントリーした。

2009年に50kmクラスを初めて優勝した際はクラスはひとつであったと記憶している。その後は年代別となったため、50kmの優勝者が何人もいて誰が50kmで一番なのかわからなかったが、オープンクラスの創設でその問題は解消。「50kmクラスのトップになる」という強い意志でレースに臨んだ。

私は今までにツール・ド・おきなわでの戦績は、2009年50km、2010年100km、2011・2014・2015年は50kmで優勝している。2014年の逃げ以外はすべてゴールスプリントで制している。個人的にそうは思わないが「スプリンター」と言われることが多い。過去4回50kmで勝っているのに同じクラスにエントリーする理由は二つある。一つは後述する体調のこと、二つ目は50kmクラスはエントリークラスではなく、他のクラスとは違う特殊なクラスと思っているためである。もし210kmの優勝者が140km、100kmを走ったら圧倒的な力の差を示して優勝するだろう。しかし50kmは必ずしもそうはいかない特殊性に面白さを感じている。

SNSでチームメイトに宣言。「50kmクラスのトップになる」という強い意志でレースに臨んだSNSでチームメイトに宣言。「50kmクラスのトップになる」という強い意志でレースに臨んだ 体調のことについて簡潔に触れておくと、1年前に下血・粘血便を繰り返し、1日に20-30回トイレに行く状態になってしまった。検査の結果、潰瘍性大腸炎という診断を受けた。現在は飲み薬(免疫抑制剤)と注腸薬で症状を抑えることが出来ているが、心身ともに過度な負担をかけられないのが実情である。食事(乳製品や小麦等)やサプリメント(プロテイン等)の摂取が出来ないこともあり、前回優勝の2015年から5キロ減の68kgで大会当日を迎えた。

【スタートラインまで】
秋シーズン2連勝で予定通り勝ち癖はつけられたものの、10月末に2回落車をして身体の一部のようになっていたスペシャライズドVengeが廃車、身体もボロボロに。この時は心も折れかけたが、サイクルショップ・みやざきフレンドさんが突貫工事で新しいバイク(スペシャライズド ALLEZ SPRINT Disc)を完璧な状態で仕上げてくれた。

身体の方は東京・麻布の居士会の安陪先生、直前に那覇のLa CureのMiyukiさんにメンテナンスをしてもらい、アップの段階で「勝負できる身体」と自信を持ってスタートラインに立つことができた。作戦については深く考えておらず、勝つためのベストをその場で考えて行こうと思ったが、最低限の頭の整理としてチーム内には上のとおり宣言した。

スタートラインに並んだ市民50kmオープンの参加者たちスタートラインに並んだ市民50kmオープンの参加者たち photo:Makoto.AYANO
栗村修さんがビデオカメラを回していた栗村修さんがビデオカメラを回していた photo:Makoto.AYANOライバルの沖縄男組の皆さんライバルの沖縄男組の皆さん photo:Makoto.AYANO


【レーススタート】
スタートは直前までトイレに行っており、2016〜2018年はレースに出ていなくノーシードだったため、スタートは最後尾から。チャンピオンレースのスタートから15分後の7時、時間どおりスタートが切られた。

スタートしていく市民50kmオープンスタートしていく市民50kmオープン photo:Makoto.AYANO
例年リアルスタートから本部町まではスローペースになることが多いが、今年は積極的な選手が多い。もっとペースを上げて集団が小さくなって欲しいと思いつつ、常に10番手より前で展開する。50kmで絞り込みができる箇所は、美ら海水族館の坂と今帰仁スプリントポイントの坂(天底)しかないので、誰がそこで動くのか、その時どういう反応をすべきかをシミュレーションしながら、まずは美ら海水族館の坂へ。

上り開始直後に注意していたバルバレーシングの選手がキレのいいアタック。90秒くらいの坂なので、あのペースでは持たないと静観していると、もう一人のバルバレーシングの選手が抜け出して合流、集団から2人が離れていく。落ち着いて集団を見渡すと肩で息をしている選手が多くペースが上がらない。

市民50kmオープンの大集団が本部半島の海岸沿いを行く市民50kmオープンの大集団が本部半島の海岸沿いを行く photo:Satoru Kato
ペースが遅いと感じたということは、坂は自分に分があると認識しつつ、ピークの歩道橋付近でもバルバの2選手が15秒くらい前を走っていたのでジャンプして合流、後ろに沖縄の男塾の選手を引き連れて4人逃げを狙って最短コースで下りを踏み続けるが、Vengeの時のようにスピードが乗らず、まだ足を使い切りたくないので集団に戻る。それでも集団の数を減らせたし、ダメージを与えられたので、次の天底の坂で決定的な動きを作るべく、リスク(負け)の少ない小集団スプリントに向けて、1枚1枚適切かつ必要な札を切っていく。

天底の坂までは視界に捉えることができる範囲で逃げができるものの、坂までに次の逃げを吸収と集団の意思統一ができていて、今帰仁スプリントポイント手前で逃げを吸収。スプリント先の坂で徹底的に絞り込みをかけると踏み込もうとした矢先、天底の坂麓でコミッセールカーが道の中央で停車していてバイクモトからも停止指示。後ろから巻き込まれないように惰性で停まると、チャンピオンレースに追いついてしまい、間隔を開けるためにしばらく停車する旨のアナウンスがなされた。

絞り込みをかける予定の坂で、人数を絞るどころか遅れた選手が後ろから追い付いてきて膨れていく集団。想定外のアクシデントであったが、大集団スプリントで決めてやるという気持ちの切り替えは速やかにできた。

【レース再開】
100人程に増えた集団は3分半(再開後のニュートラル走行を入れると5分超)ほどして100人近い大集団で再スタート。そのまま過去の50kmレースでは経験したことがない集団の人数で国道58号に突入した。ここからは集団の伸び縮みや上がるラインが変わることにより身体がぶつかったりハスったりと、格闘技のような状況になる。そのような状況でも落車のリスクを少しでも減らせるように、集団の前方をキープして残り距離を見定めながら前に入れる選手と弾く選手を選択していく。

外から上がってきて先頭までいかない選手は基本的に排除。そのような選手はスプリントの時に前で展開できる足があるはずがない。ラスト3kmからの散発的なアタックは人数を揃えているバルバレーシングが対応、速度の上げ下げが激しくなり結果として後ろで数回落車が発生するが、先頭集団はゴールめがけて更に速度を上げていく。

ラスト1kmになると地元沖縄(男塾)の選手が外から渾身のアーリーアタック。集団がお見合い状態になり、ラスト500m、2,3秒空いてしまい、もう待てないと外からまくっていこうとすると、同じタイミングでVC福岡の八幡選手が前を追ったのでスリップストリームに入る。

市民50kmオープンのゴールスプリント。中央から遠藤優(Roppongi Express)が伸びる市民50kmオープンのゴールスプリント。中央から遠藤優(Roppongi Express)が伸びる photo:Satoru Kato
残り300m、もっと溜めて200m位から発射したいところだが、脇の下から後ろを見ると後ろが少し空いているので、前に追いついた瞬間にスプリント開始。自分の距離ではないが、全開ではなく、ゴールまで保つようにロングスプリント。ラスト100mからが長くてゴールラインが遠い。他の選手の気配は全く感じられないが、直前で差されるのではないかという恐怖感。

市民50kmオープン優勝 遠藤優(Roppongi Express)市民50kmオープン優勝 遠藤優(Roppongi Express) photo:Satoru Kato
苦しさからゴールラインを先頭で駆け抜けてからワンテンポ遅れて恐怖感は喜びに変わった。過去、ゴール後に2位の選手に突っ込まれたことがあるので、手を上げるのもゴール後ワンテンポおいてから。

レースを総括すると、前回の優勝からは4年空いてしまったが、おきなわのレースはとても楽しかった。10月後半は苦しい時もあったが、今回優勝できたのはチームメイト、ショップ、身体のメンテナンス等のバックアップ、叱咤激励があったからに違いない。

来年もツール・ド・おきなわの神様が微笑んでくれるよう、更なるレベルアップをしていきたいと思う。

市民レース50kmオープンを制した遠藤優(Roppongi Express)市民レース50kmオープンを制した遠藤優(Roppongi Express) photo:Makoto.AYANO
優勝を祝ってくれたRoppongi Expressのチームメイトたち優勝を祝ってくれたRoppongi Expressのチームメイトたち photo:Makoto.AYANO