ツール・ド・おきなわ市民レース140kmの優勝者・西山琢馬さん(Pedalist)による自筆レポートをお届け。ここ数年はおきなわで優勝することを目標として取り組み、その通り目標を達成した。レース中も勝つために神経を尖らせてきた様子が伺える。


2017年のツール・ド・おきなわ 市民140kmに向けて

ツール・ド・おきなわには家族でやってきた西山琢馬(Pedalist)ツール・ド・おきなわには家族でやってきた西山琢馬(Pedalist)
ツール・ド・おきなわは、2014年に自転車レースを始めてから「いつかは出たい」「出るからには勝負に絡みたい」「勝負に絡むには入賞したい」と思ってきたレースだ。

2015年の市民100kmにエントリーすることを決め、「ある程度は登れないと完走もままならない」と、FTP向上を目指すとともに、登り方を学ぶためにそれまで大嫌いだったヒルクライムレースにあえて出場するようにした。

2015年の100kmアンダー39の部では26位だった。普久川ダムの頂上直前で、純粋に力不足から先頭集団を見送り、ロードレースで勝負に絡めない悔しさを始めて味わう。第2(3?)集団で脚を若干余らせながらゴールし、リベンジを誓う。

2016年の市民140kmの先頭集団。西山琢馬さん(Pedalist)はこの地点でクラッシュに見舞われた2016年の市民140kmの先頭集団。西山琢馬さん(Pedalist)はこの地点でクラッシュに見舞われた photo:Makoto.AYANO2016年大会は市民140kmクラスに出場。40位だった。2回目の普久川ダム頂上直前で後ろから突っ込まれ、スポークを破断。その後間もなくパンクもした。ニュートラルバイクから受け取ったホイールに交換後、単独で追走を試みるも羽地ダム直前で先頭集団から30秒差まで追い上げたところで力尽き、シード獲得止まり。これまた勝負に絡めなく、不完全燃焼なレースで終える。勝負できそうに感じていただけに半端無い悔しさだった。ゴールする前から来年のリベンジを誓う。

年始に今年の目標をショップで聞かれ、迷わず「140kmクラス入賞」と掲げた。「優勝」と言えないところが精神的な弱さを表しているが…。

■トレーニング
今年の140kmに向けては、2016年のレース直後から準備してきた。年初には転職もあり乗れる時間が激減したが、5月頃からリズムを取り戻し、ゴールデンウィーク恒例の乗り込みで月間60時間近く乗り込んだ。

2016年のトレーニング内容と仕上がり具合であれば、ある程度勝負出来ることはわかっていたが、実際勝負どころまでいっていないので本当に絡めるかは不安だった。なので2017年はトレーニング内容を若干見直したり、おきなわと同距離のニセコクラシックに出場したり、いつも一人で行っていた早朝練習に超高強度朝連を織り交ぜてみたりもした。

結果、走行距離や時間では去年とあまり変わらなかったが、なんとなく「勝負には絡めるのではないか」と根拠のない自信を抱くまでにはなった。

直近2ヶ月のトレーニングボリュームは以下の通りだ。

9月:53時間 31000Kj 3600TSS
10月:50時間 29000Kj 3400TSS

10月に入って意識的に体重を落とし、沖縄に出発する直前には58kgと去年と同じ水準までは落とせた。本当はもう1kg減らしたかったが、体重を減らすのではなく、速く・楽に登坂することが目的なので無理はしないことに。パワー値は去年とほぼ変わらないが、直前に行った仮想普久川×2の練習では、去年より明らかに良いタイムが出せて少し自信につながった。


金曜日は完全オフにし、沖縄観光を楽しむ。けっこう歩いてあまりレストにならなかった金曜日は完全オフにし、沖縄観光を楽しむ。けっこう歩いてあまりレストにならなかった ■沖縄入りは家族とともに
去年同様、家族で金曜日入りした。10℃を下回る11月の関東から沖縄の25℃超えに身体を順応させるには1日では足りないし、家族にも沖縄を楽しんでもらうため。なので金曜日は家族とリラックスし、自転車は組み上げるだけにして完全レストデーとする。

夕方、息子とキャッチボールするだけで汗がジンワリとにじみ出てくる。やはり金曜日入りして正解と思う陽気。日曜の天気予報は曇りで、気温もそこまで上がらないようだが、関東とは比べ物にならない。夜は温泉に入り温冷浴で疲労回復。木曜日に行った鍼が効いているのか、いつもより脚の筋肉がしなやかに感じる。

土曜日は家族には申し訳ないがレースに向けての準備や試走、集中を高めるために使わせてもらう。24時間もすればレースが始まっていると思うと、嫌でも緊張してくる。

家族で万座毛を観光した。ツール・ド・おきなわなら応援に同行する家族も満足してくれる家族で万座毛を観光した。ツール・ド・おきなわなら応援に同行する家族も満足してくれる この日はツール・ド・おきなわ初出場の友達2人を奥と普久川の登りに案内した。自分も去年のレース時と同じ強度で登り刺激を入れる。TSBが狙った値になるようにTSSを溜めすぎないボリュームで。パワーメーターがあるとこの辺の調整がしやすい。

脚は物凄く軽いわけでもないが、エネルギー不足は感じない。移動中にもこまめに補給食を摂る。夜はまたゆっくり温泉で温冷浴の後、大盛りの沖縄そばで最後のカーボローディングをし、22時過ぎに就寝した。

■当日スタートまで
4:50に目覚ましが鳴る直前に起床。5:30に100km出場の友達と一緒にオクマリゾートまで車で移動。木曜からの積極カーボローディングが功を奏したようで、朝食はヤキソバパン×1、菓子パン×1でお腹一杯に。

6:50頃には140kmクラス召集場所に着き、出走票を入れる。去年何とかシードは確保していたので、そんなに早く着く必要はなかったが、仕方ない。去年ほどは寒くなく、普久川の上り口までのウォーミングアップ後の同クラス出場の山本選手(自分の中では初出場ながら優勝候補の一人)との歓談(?)時も特に問題なく。
起床時1回、待機時に1回軽量化に成功。途中お腹が若干空いたのでメロンパンを1つ。

チャンピオンクラスが通り過ぎてから移動が始まるも、結局210kmの後ろから定刻通りの9:20にスタートすることに。いよいよだ。

■作戦(的なもの)
今年は去年とは違い、210km含む全てのレースの後ろから140kmクラスがスタート。わちゃわちゃする可能性はあるものの、存在を隠して逃げる可能性が少なからず高まった。奥以降ほぼ追い風になるだろう風向きも助けるだろうし、パンチ力が高くない自分が勝てるのは少人数での逃げ切りが一番可能性高いと思っていたし。

おきなわ級のロードレース経験が少ないので、作戦というほどのものは用意していない。基本サバイバルには強いと自負しているので、特に自分から仕掛けるのではなく、2回の普久川以降の短めの登りで集団が小さくなったら動いてみる。ダメだったら慶佐次の補給所前後、または羽地ダムの手前で動いてみる。ぐらいだった。後は臨機応変に状況に応じた対応をとるしかない。

なるべく下りでアドバンテージを得て、登りを少しでも楽にこなす事は決めていた。ボディーブローのようにその差が効いてくるはず。そうすれば入賞ぐらいは狙えるかなぁ、という感じ。

■レース

与那の坂を登る市民140kmのメイン集団。中央に優勝した西山琢馬(Pedalist)与那の坂を登る市民140kmのメイン集団。中央に優勝した西山琢馬(Pedalist) photo:Makoto.AYANO
○スタート~奥
定説通り序盤から常に先頭が見える位置で。最初の普久川では特に大きな動きもなく、KOM争いも見える位置で最初の補給所を経て下りに。去年出場して140kmクラスの先頭集団でも下りはアドバンテージがあることが分かっていたので、無理なくリラックスして下りを過ごし、予定通り補給を済ませる。東海岸から奥までも平和。常に風向きを気にしながら位置取りを続け、極力脚を使わないようにする。もちろんローテの順番が来たら相応分の仕事はこなす。

ここまでで常に先頭(若干の逃げ?)にいた数名については、このようなレースをすると強くなるのだろうなぁ、と他人事のように思った。

RXからは4名ほど同クラスに出場しており、1001番の永瀬選手、経験豊富な福田選手、ニセコクラシックで2位になっている菊川選手と、優勝を狙える選手が多数揃っており、チームとして動かれると厄介だとスタート前から思っていた。

4人の中から福田選手が常にサポート役として逃げを警戒し、チームメイトに助言し、サポートし続けていた。特に100kmクラスと混走となる奥以降は逃げが出来ると潰していた。結果、相当脚を使っていた模様で、2回目の普久川頂上で辛くなっていた模様。その福田さんの良いペースメークもあり、無事に2回目の普久川に。


○2回目の普久川ダム登り~有銘
そういえば今年は奥からゴールまで落車が多かったように思えます。140kmの先頭集団からも少なくとも一人がガードレールを超え、一人がプロテクションを超えてコンクリート壁に激突していました。100kmの選手が横たわっているのも数回見かけました。全員の一日も早い回復をお祈りいたします。

2回目の普久川の中盤では、KOM狙いなのか、ゴールを狙った逃げ狙いなのか分からないような、スルスルとしたアタックが発生。朝連仲間の山本選手と箱根ヒルクライムや1週間前の南郷ヒルクライムを勝っているWappa鈴木選手は見えたが、実際は3名と判明。

山本選手は独走力もあり「一緒に逃げますかねぇ」とレース前から話していたので同調したかったが、一踏みで追いつけるレベルではないスピードで抜け出された。それに残り80kmは2~3名で逃げるにはちょっと長いし、今のサイズの集団なら問題なく吸収できるだろうと判断し、集団の先頭付近で2回目の補給所から下りへ。

この時点での集団の大きさは過去最大に近しいだろうサイズ。後ろを見ても数の検討もつかない。50人以上はいたように思える。

下りで福田選手がRXメンバーを引き連れて加速するが、下りは問題なく対処。というか対処している内に追い抜いてしまう。

ここを下れば最初の勝負所と言われる「学校坂」。このまま集団で突入すると、脚力で自分より勝っている有力選手に置いて行かれる可能性が高いので、作戦通り下りのスピードを最大限に生かして学校坂の登り開始までに10秒程度のアドバンテージを築く。もちろんゴールまで逃げるつもりはないので、ダメージが残らない程度のパワーでそのまま登り、集団に戻りつつ最初の難関の学校坂をノーダメージでクリア。集団は20~30人ぐらいか。

去年はここから一人旅だったので、先頭集団でのレース後半は未知の世界。ワクワク感と恐怖感の両方で、妙にハイになっていた。

その後は淡々とアップダウンをこなすも、3人の逃げとは1分30秒差という微妙な差で、個人的には若干焦り始める。RXが2名いるぐらいで、その他はチームとして積極的に追いかける人はいそうにないし、自分一人で率先してブリッヂする力もないし。

しかしLink Tohokuの半澤選手も追走したいことが分かり、自分も呼応して集団のペースを上げる。前に出た時は千切らないけど集団のペースが少し上がるようにペースアップする。

「このままのペースで行けば追いつけるか・・・?」「それとも3人の逃げ切りになってしまうのか・・・?」と考えていると、ネガティブ思考になってしまう。一気に強度が上がる登り区間が最高にキツくて、何度も「千切れたらどれだけ楽か」と、諦めようかと思うようになる。

しかし毎回諦めようとすると強度が落ち、どうにか喰らいついていけた。今考えてみると結構みんなギリギリだったのかもしれない。

結局大幅なペースアップはしなかったものの、3人と20人以上(と思われる)とでは集団効果が違い過ぎたのと、やはり80kmは逃げ切るには長かったのか、残り30kmぐらいの有銘の登りで逃げを吸収した。

ここで当初目標としていた「入賞」が目の前をちらつき始める。

羽地ダムへの登りは最後の苦しみどころだ羽地ダムへの登りは最後の苦しみどころだ photo:Makoto.AYANO
○有銘~羽地
20名ほどの集団で羽地に向かう平坦区間。ここでは誰もが脚を温存したくなるのを知っていた。更に5分の登坂では自分より強い選手が何人もいることも認識していたので、レース前から行こうと決めていた羽地の登り前の海岸線で腰を上げてペースアップ。一人でそのまま行くというよりは、数名が同調してくれれば、という想いで。

後で知ったが、ちょうど有力選手何名かがローテの順番的に後ろにいるタイミングでペースアップしたのが功を奏したようで、すぐに追走はされず、自分を含めて8人の選手で後続と25秒ほどのアドバンテージを得ることに成功した。

そのままアドバンテージをキープし、周りの選手に同調を促したり発破をかけながら、自分にダメージが残らないペースでトンネルまで集団先頭でクリア。頂上直前で半澤選手とRX2名がドッキング。まぁ想定内といえば想定内。少しだけでもこちらの方が脚を使わずにここまで来れたのであれば作戦通り。出来ることはした。

○羽地~ゴール
自分が一番危ないと思っていた羽地をクリア出来て一安心。「本当の勝負所まで来られた!」と内心喜んでいると、菊川選手が羽地頂上からアタック。その後川田選手が追いつき2人が先行する形で川上交差点までの下りを開始。反応が遅れたというのもあるが、ここでも「残りの選手で追えば最後の平坦区間で追いつくだろうし、その前の下りで単独で追いかけてもいい」と落ち着いて、無駄踏みはしないことに。

しばらくは誰もガッツリ追いかけようとしないので、一人で追走を試みる。しかし逃げが速い。

相当踏まないと追い付けそうにないスピードと距離。二人とも完全にゴールまで逃げ切るつもりで全力で踏んでいるんだから当たり前か。ちょっと怖かったが一人での追走を諦め、大人しく後続を待って9人で追いかける作戦に即座に変更。

川上の交差点手前で前とは15秒差だとCOMカーから聞く。確かに見えてはいるが、果てしなく遠くに思える。追いつくのか?

案の定集団からは誰も牽きたがらないままイオン坂に到達。ここで明らかに前二人との差が縮まっているのを確認できて、追走魂に火が付く。「絶対に追いついてやる」。

同じ想いか、イオン坂からの下りで半澤選手が鬼引き。気を抜いていたのもあり、一瞬千切れかけるが、アウタートップを120rpm以上で回しなんとか復帰。

その後も追走の想いと脚を温存したい思惑が交錯しながらも、少しずつ差を縮め、残り2km弱地点で2人の逃げを吸収した。

この間、チームメイトが逃げているので一度も牽かなかった永瀬選手を見て「いつかはチームで参戦してみたいなぁ。ここまで複数名で来られたら楽しいだろうなぁ」とのんきなことを考えていたのを覚えている。

残り2kmで優勝争いは11名に。完全に優勝を意識し始める。

ロードレースの最終局面をこのツール・ド・おきなわで味わえていると思うと武者震いするほどワクワクする反面、「このチャンスを逃したら二度と上位争いできないかもしれない」という恐怖も感じる。そこで冷静に終盤展開を思い起こしてみる。

スプリント最有力だと思っていた半澤選手が、イオン坂下りの鬼引き以降は消極的な走りをしている。思いのほか脚にきているのか?

スプリント力がある菊川選手は羽地での追走&頂上から10km弱逃げ続けているため、ある程度は脚を使っているはず。というか、使っていて欲しい。しかし永瀬選手はその分脚を使っていない。スプリント力はどれぐらいなのだろうか?

その他選手は積極的に牽きたがらなかったし、明らかに脚を攣っている選手も何名かいたが、全員の状態を確認する余裕などない。

自分が勝つ可能性を最大にする方法を考える。一瞬のスプリント? ロングスプリント? ここからの逃げ?どれもいけそうにも思えるし、ダメにも思える。誰にも負けないという武器を持っておくと心強いんだろうなぁ。

いずれにしろ、諦めかけては、今日までのトレーニングを思い出して必死に食らいつく、を繰り返しながらここまできた。「せっかくなんだから出せる物は出し切って終わろう」と、最後に苦しみ抜く覚悟を決める。

各自牽制状態のまま宮里の交差点を過ぎて最終ストレートに。残り600mで前の選手が腰を上げてスプリント開始。ここからゴールまで行ける脚には見えなかったので、一瞬のダンシングとシッティングで200mほど番手をキープ。

そして「ここから行こう」とレース前から決めていた残り300mで意を決してスプリントを開始。他の選手より先にスプリントを開始できたのが勝因の一つでもあったような気がする。

自分が腰を上げた直後に、斎藤選手(2位)と菊川選手(3位)が右後方からスプリントを始めるのがわかる。恐らく半澤選手(4位)も。全員が1車身も離れていない。

自分はまったく踏めていないわけでもないが、140kmをハイペースで走った後のスプリントなので、かかりがいいとも感じない。

50km/hオーバーで走行しているので、ゴールまでは20秒程度のはずなのに永遠に感じる。少しずつ右後ろからの2つのタイヤが近づいてくる。もうしっかりと2台分のタイヤが視界に入っている。タイヤの音も他の選手の呼吸もハッキリと聞こえる。でも抜かれてはいない。

腰を下ろして楽になりたい気持ちを必死に抑え、ただただ踏み倒す。

座りたい・・・でも勝ちたい
諦めたい・・・でも負けたくない

最後の100mはとにかく己にだけは負けたくない一心でした。

右ふくらはぎの攣りを誤魔化しつつ「自分は勝てる!」と信じて、文字通り必死で渾身のスプリント。そして最後は真似事レベルのハンドル投げ。

市民レース140km 西山 琢馬(Pedalist)市民レース140km 西山 琢馬(Pedalist) photo:Satoru Kato
僅差過ぎてゴールラインを超えた直後はわからなかったが、一度も他の選手のホイールが前に出てこなかったし、他の選手がガッツポーズをしていないことから自分に勝利を信じ込ませ、控えめのガッツポーズ。

0.031秒差。距離にして50cm未満の僅差(3位とも0.09秒差)で勝つ事ができました!
最後は本当に厳しかったし苦しかった。でも全てが報われた瞬間でした。

レーススタート前に、今年もスタート地点にいられるだけで感謝が込み上げてきましたが、勝てた事でその気持ちが倍増した。

今年も練習のために毎朝家を空け、迷惑をかけてきた嫁さん。遊んで欲しいだろうに我慢してくれていた長男。たまには無謀とも思える練習に付き合っていただいた練習仲間の皆さん。ワガママや無理に近い注文にタイムリーに応えてくれたPedalistのメンバー。

早朝練習の影響で毎日眠そうな顔をしている自分に4連休を与えてくれた職場の同僚達。海外も含めてリアルタイムで応援してくれた方々。運営の方々、ボランティアの皆様、沿道で応援してくれた沖縄の方々。感謝してもしきれません。ありがとうございます。

来年はディフェンディング・チャンピオンとして連覇を狙いたいです!

市民140kmで優勝した西山 琢馬(Pedalist)が息子さんと表彰台に登る市民140kmで優勝した西山 琢馬(Pedalist)が息子さんと表彰台に登る photo:Satoru.KATO
■補給関連に用意したもの
・コンビニ羊羹 × 2
・High5エネルギージェル4本をソフトフラスコに入れたもの × 2
・粉飴300g、BCAA、クエン酸を混ぜたオリジナルドリンク 700ml
レース中に羊羹は完食。ジェルは3本分ぐらい、ドリンクも200mlぐらい残った。
補給所では合計2本の水をいただき、ほぼ飲みきった。去年より涼しかったからか、水分もあまり摂らなくて済んだし、レース後ののどの乾きもなかった。

■使用機材
フレーム : PINARELLO DOGMA F8
ホイール : GOKISOクライマーハブ + ENVE SES 3.4クリンチャーリム
タイヤ  : F:Continental Supersonic 23c、R:Continental Grand Prix TT 23c
チューブ : SOYO Latex
コンポ  : SRAM eTap + Shimano 9000系
クランク : Shimano FC9000 170mm + Pioneerペダリングモニター
スプロケ : Shimano CS9000 12-25
ペダル  : TIME XPRESSO 12
ウェア  : Sunvolt セパレートワンピース
シューズ : BONT Vaypor S + Velotozeシューズカバー
ヘルメット: KABUTO AERO-R1

■プロフィール 西山 琢馬(Pedalist)
1977年生まれ(40歳)
横浜市出身、横浜市在住
自転車歴4年半(2013年~)

■戦績
2016年
・サイクルチャレンジカップ藤沢 チーム:優勝
2017年
・サイクルチャレンジカップ藤沢 チーム:優勝
・春のしもふさクリテ 2時間エンデューロ:優勝
・日産スタジアムサイクルパークフェスティバル 2時間男子チーム:優勝