『U23のツール・ド・フランス』と称されるツール・ド・ラヴニール、昨年はワイルドカードだったが、2年目の今年は自力でネイションズポイントを獲得して出場し、エース雨澤毅明が総合39位と言う成績を残した。前編ではそのラヴニール出場へ至る過程と、レース総括をロード日本代表監督・浅田顕氏に伺った。



――本日はよろしくお願いいたします。まずラヴニール出場権獲得に向けて、どのような準備を行ったのかお聞かせください。

ツール・ド・ラヴニール第2ステージで、チームカーから石上優大に補給する浅田監督ツール・ド・ラヴニール第2ステージで、チームカーから石上優大に補給する浅田監督 photo:CyclismeJapon今回は昨年の反省を踏まえ、レースの事前準備を長く取りました。去年初出場でしたが、結果は散々。完走者一人で、病人が出たり、タイムアウト、自ら回収車に乗る選手もいて芳しくなかった。昨年の成績的な目標は個人総合30位以上。対象者としては雨澤毅明と2016年のU23全日本チャンピオンである小林海。彼ら二人で狙っていけると考えて戦いに臨みました。出場に関してはワイルドカードでの出場だったので、自力ではなかった。

チームの雰囲気としては、監督である私が特に盛り上がっていたが、まだまだ昨年の段階では選手達が「ツール・ド・ラヴニール」の大事さというものを理解していなかった。だから最初私が選手たちに対し「ツール・ド・ラヴニール」出場が来まった!!!と言っても皆「ポカーン・・」としていましたね。まぁ「UCIネイションズカップU23の最終戦で、各国が重要視している」程度の認識はもちろん選手にもあったと思いますが、実際の価値はまだまだ理解していなかったと思います。

選手たちは実際に出場してみて、「もうこのレベルでは自分は戦えない・・」と諦めた選手が半分、「来年も挑戦してみよう!」と思った選手が半分という感じでした。2016年には既に自分としては重要視していましたが、それを走る選手たちにとっては初チャレンジだったので、まだ準備が出来ておらず多少のズレはあったと思います。

ツール・ド・ラヴニール2017に参戦した日本U23代表の選手達ツール・ド・ラヴニール2017に参戦した日本U23代表の選手達 photo:CyclismeJapon
これを踏まえて、2017年はツール・ド・ラヴニールをU23日本ナショナルチーム計画の頂点に据え、シーズンプランを構築しました。これは日本のみならず、世界のどこの国でも同じ強化プランを据えている。ワンデーレースは「世界選手権」、ステージレースは「ツール・ド・ラヴニール」。ようやく日本も世界標準の強化プランを取り入れる事になったと思います。

選手たちともシーズン初めにこの計画を共有しました。「我々はツール・ド・ラヴニールを目指していく!」と。

それを実現させるために、具体的には2月のアジア選手権でUCIネイションズカップU23ポイントを稼ぐことがまず手始めでした。その次は6月のステージレース「クルス・ド・ラ・ペ(チェコ)」での総合20位以内。

実際には3、4、6月の「ツール・デ・フランドルU23」、「ゲント・ヴェヴェルヘム」、「ZLMツアー」でも理論上はネイションズカップポイントを稼げますが、欧州北部に住む身体の大きなルーラーやパンチャー選手たちの独壇場の様なレースなので、日本人選手の実力的・特性的に容易ではない。よってポイント獲得の見込みが立たない事が予想された。結果、アジア選手権と「クルス・ド・ラ・ペ」でのポイント獲得を計画し、それに見合うような選手の選抜をして今シーズンに臨みました。

そして、その計画が全てうまく行き、アジア選手権では岡本隼&小野寺玲がそれぞれロードレース&個人TTで優勝、雨澤毅明はクルス・ド・ラ・ペで総合18位に入り、UCIネイションズカップU23ランキングで13位。よって15位以内に付与される「ツール・ド・ラヴニール」出場権を自力獲得しました。ここまでが「出場準備」となります。



――ここからはいよいよツール・ド・ラヴニール本戦を戦う準備に入っていくわけですが、それはどのようなものだったのでしょうか。

まず誰で戦うかに関してですが、元々ポイントを取る段階のメンバーと本番で、ごちゃごちゃと選手を入れ替えるつもりは全くありませんでした。なぜなら、アジア選手権メンバーのチームワークが非常に良かったからです。特に雨澤、小野寺、岡本、石上。この4人のチームワーク、連携が素晴らしかった。

具体的には、選手ごとのタイプが異なっていたので、役割分担もすんなりと進みました。だから最終的にはそこに肉付けをしてゆく方向でラヴニールの最終メンバーを考えていましたね。6月の全日本選手権前には候補選手9名を選んでいた。正規メンバー6名、補欠3名です。そして全日本選手権が終わり、合宿の準備に入りました。

日本代表スタッフは、4台のチームカーでラヴニールでの戦いをバックアップした日本代表スタッフは、4台のチームカーでラヴニールでの戦いをバックアップした photo: Cyclisme Japon
本来は7月の中旬からコース視察を行い、その後は別途高地トレーニングを行いたかった。日程の折り合いが付かず、実際にスタートできたのは8月に入ってからです。しかし、結果的には2週間ほどじっくりとコース視察と合宿を同時に出来、誰も病気せず、怪我もせず、選手の体調を非常に良い状態へと持っていけました。

コース視察とトレーニング内容ですが、まずコース視察は特に最後の山岳3ステージ分を行いました。具体的には、コース視察を1日行い、その後2日間はトレーニングの様な流れです。高地トレーニングの中核としては1800mの標高で睡眠することで行いました。実際の走行トレーニングは山から少々降りた平坦で行いつつも、高地にある宿に戻って寝るという事になります。大体高地トレーニング期間は1000〜2000mの標高範囲でずっと過ごしていた事になります。

選手のレースでの役割に関してですが、個人総合順位は雨澤毅明の一本で狙うことに決めていました。前半の6ステージでは、山本大喜、岡篤志が逃げと、岡本隼と小野寺玲はスプリント狙いです。石上は山岳ステージでの重要なアシスト役として考えていました。トレーニングキャンプもこの役割を選手たちにもしっかり理解させて行っていました。

とは言え、やはりレースが最後の山岳3ステージで決まるのは分かっていましたし、どの選手であれ山で動けなければ仕方がないので、とにかくアルプス山岳トレーニングを重視しました。

レース直前には、ナショナルチーム拠点であるコンピエーニュ(パリ近郊)で行いました。そこで、平坦のスピード系トレーニング(高速ローテーション、インターバル)にてスピード負荷を掛けてから、いよいよレースのスタート地点であるブルターニュ地方に向かった、という流れですね。

スタートラインの日本U23スタートラインの日本U23 photo:CyclismeJapon
あと、このレースの重要さを意識付けることにも注力しました。去年出た選手に関しては、既にラヴニールへの意識付けは出来ていました。それ以外の選手たちに向けては、2016年秋のJCF強化指定選手に対する通達を通して行ないました。「我々はツール・ド・ラヴニールでの好成績を目指す。よってこれからの全ての活動はその目標に向けた活動になる」と。

その話を聞いて「ピーン!」と来た選手はモチベーションも上がり、「このチームに入ろう!」と思い努力して運動能力を高めてくれた。結果、現時点で最高のU23選手が今回の最終メンバーに入ってくれました。補欠に入った3選手も非常に優秀。

少々調整が難しかったのは、ラヴニールの後に行われるインカレ(日本大学生選手権)に出る大学生選手がメンバーに入った点です。しかし、学連選手にとって最重要であるインカレを控えながらも、日本大学の井上監督、鹿屋体育大学の黒川監督が、快く優秀な選手を長期に渡り送り出してくれたため、非常に感謝しています。



――こうした過程を経てツール・ド・ラヴニールへ出走となったわけですね。レースを終えて、ステージ毎の狙いと結果を振り返りながら総括していただけますか。レース前は雨澤毅明選手の総合20位以内を目標に掲げていらっしゃいました。

まず第1〜6ステージ、総合順位を狙う雨澤以外は、逃げに乗ることを目標にしました。もちろんスプリントを狙う岡本隼、小野寺玲に関しては、逃げばかりで脚がなくなるのは困りますけども。

本来であれば何も動かず、最後に備えて脚を貯め、ゴールスプリントするのが最も10位以内に入れる可能性が高いやり方です。ゴールまでの勝ち逃げに残るには相当のパワーが必要ですから。実際にも、逃げに乗れた機会は少ない。これは大会後半の山岳をターゲットにしていたのもありますが、根本的に逃げを作った時のスピードとパワーが、日本人選手達にまだ全然足りていなかったと言うのが現実です。

運転席のすぐ横に、各チームの要チェック選手をマークしたリストを貼る運転席のすぐ横に、各チームの要チェック選手をマークしたリストを貼る photo: Cyclisme Japon現地の協力スタッフと打ち合わせる浅田顕監督現地の協力スタッフと打ち合わせる浅田顕監督 photo: Cyclisme Japon

第6ステージ後の休息日を見ると、レース5日目にプロトン全体のパフォーマンスが落ちたことも手伝って、極端に疲れている選手はいませんでした。第5ステージは他チームのパワー系の選手も疲れを見せており、大会序盤のペースの速さによる疲労は、参加チームに対して均等にあったようです。

第7ステージの山岳初日は実質的に総合順位を決めるためのレースと言えました。実際にそれで最後まで行くと言った選手がそう(総合優勝)なっています。

第8ステージはゆっくり走っても苦しいようなステージで、序盤からかなり厳しい展開を強いられました。生き残れるかどうかと言う精神状態だった選手もいたと思います。25位でゴールした雨澤毅明は、総合順位こそ落としていませんが、パフォーマンスが下がっており、ある意味脱落と言ってよい形となってしまいました。それ以外の選手は完全な脱落です。コロンビアのペーシングが結構きつかったのですが、集団は60人くらいの規模で残っていて、つまり余力のある選手も多かった。実力的に山本大喜はそこに残れると考えていたのですが、調子を落としており、リタイアとなってしまいました。

第9ステージは、雨澤がさらに調子を悪化させ、総合順位も落としてゴール(総合39位)。力勝負が出来る場面に来て、日本人はそこに参加出来なかった。先頭に対しての勝負でなくて、自分の前後の順位に対する勝負になってしまっていました。

選手が病院に搬送された際には、医師とのコミュニケーションも行うこととなる。言語はもちろんフランス語だ選手が病院に搬送された際には、医師とのコミュニケーションも行うこととなる。言語はもちろんフランス語だ photo: Cyclisme Japon山岳ステージ前のミーティング。選手、スタッフともに疲労の色が見えてきている山岳ステージ前のミーティング。選手、スタッフともに疲労の色が見えてきている photo: Cyclisme Japon

総括としては、やはり第7ステージが一番重要だったと言えます。そこでは確かに残れたのですが、その後の余力を残せていなかった事が今回の大きな敗因。次の日に同じパフォーマンスが出せず、翌々日にはさらにパフォーマンスを落としてしまった。こうして体調を落としてしまうと言うのは、基礎体力もそうですし、トレーニングとしても9ステージの戦いに耐えられる準備が不完全だったと言わざるを得ません。

このステージ数に近いレースは、ツアー・オブ・ジャパンで石上優大以外の全員が経験しています。しかし、やはり1週間の経験なり実績なりを身体が覚えていないといけない。それを経験しておくと言う事はまず必要ですが、意識的な限界が低いままでは対応出来ません。

コースとしては、一番厳しいところを最後に持って来ていると言うのが、ラヴニールの良く出来た部分です。山場を序盤や真ん中に持ってくると、クライマーや総合系が元気なうちにバーンと行ってしまうため、パワー系はそこで持たない。逆に終盤に山岳が来て、皆が疲労した段階だったのでパワー系も残れたというのがあります。

ラヴニール最終第9ステージのマドレーヌ峠で、雨澤の遅れを最小限にすべく集団牽引をする日本U23。結果は総合39位も、日本として昨年より1歩前進したラヴニール出場となったラヴニール最終第9ステージのマドレーヌ峠で、雨澤の遅れを最小限にすべく集団牽引をする日本U23。結果は総合39位も、日本として昨年より1歩前進したラヴニール出場となった photo:CyclismeJapon


前編はここまで。後編は、アンダー世代の選手育成・強化についてと世界選手権への展望を伺います。

photo: Cyclisme Japon
text & edit: Cyclisme Japon, Yuichiro Hosoda