訪れたマウンテンバイカーの心を鷲掴みにして離さず、来夏のオープンを待ち焦がれさせている白馬岩岳MTBパーク。かつてMTBブームの聖地と呼ばれた岩岳は、いかにして復活を遂げたのか。奇跡のようなストーリーを、AJ KITAGAWAさんが振り返ります。



白馬岩岳に蘇ったMTBパーク。頂上付近には奇跡のようなパノラマが広がる白馬岩岳に蘇ったMTBパーク。頂上付近には奇跡のようなパノラマが広がる
僕はドイツの詩人のゲーテを引用するほどしゃれたインテリ人間じゃないけれど、こんな言葉をゲーテが言っている。「あなたにできること、やりたいと思うことがあるのなら、すぐに始めよう。向こう見ずは、常に天才であり、力であり、魔法なのだ」。
  
白馬岩岳が、MTBの聖地と言われていたころからもう20年以上。それを復活させて、さらに発展して世界に誇れるバイクパークを造ろう!というムーブメントが始まったのは、実はほんの数年前のことだ。

当時はまだフリーター同然だった堀さん(ほりっち)と、白馬ローカルの雨宮さん(コーヘイさん)らは、大好きなMTBで走る場所を確保したくて、20年前の岩岳MTBフィールドの遺構を探して、ほかの仲間を巻き込んで、半ばゲリラ的にトレイルを造成し始めたのが、この物語の始まりだ。でも、そんなキッカケが、短時間でこんな奇跡的なストーリーになったのには、魔法としか思えないような出来事と偶然の連鎖反応がいくつもあったからなのだ。


岩岳復活のムーブメントを起こした、ほりっちこと堀勇さん岩岳復活のムーブメントを起こした、ほりっちこと堀勇さん ほりっちとコーヘイさんは、海外在住経験があり、英語力があり、海外からの情報を収集するためのハードルが低い。そして、白馬村はその大自然の魅力にひかれて、多くの外国人が訪れる場所で、移住してしまった外国人も多い。さらに、白馬村の住人には、アウトドアスポーツのスペシャリストが多く、MTBはもちろん、スキーやスノーボード、登山、カヤック、ラフティング、トレイルランニングなど、この世の中に存在するアウトドアスポーツのほとんど網羅できる土壌がある。そして、なんといっても、岩岳は20年以上前は、MTBの聖地だった。

こんな条件がそろっていたからこそ、ほりっちとコーヘイさんのプライベートな取り組みは、ローカルにすぐに浸透し、大きな輪になっていった。失礼な言い方だが、最初は、MTBを使って白馬村に貢献しようという気持ちよりも、単純に自分たちや仲間、家族の遊び場が欲しかっただけに違いない。まるで、小学生の子供が、秘密基地が欲しくて、勝手にどこかの林に小屋を建ててしまうような勢いなのだ。

そんな子供のような大人の彼らは、子供心にあふれた自分たちの勢いを、大人の事情に照らし合わせたときに、岩岳をバイクパークとして復活させれば、地域振興にもなるし、自分たちも遊べるじゃん!と思いついたわけである。ただ、思いついただけでなく、彼らは勢いをそのままに行動に出たのだ。

海外のバイクパークを引き合いにだして、こういうフィールドがあればこんなに素晴らしいんだと、会う人々に夢を大声で語り、白馬ならそれができる、すぐにできると大風呂敷を広げ、空いた時間に山へ登って、見様見真似でトレイルを掘り続けたのである。

そんな、世界的なバイクパークなんて、すぐにできるわけないと多くの人々が思ったに違いない。事実、スキー場を管理する、株式会社白馬観光開発の人々だって、みんな半信半疑どころか、最初はまったく信じていなかった。

絶景が広がる岩岳山頂にて。左に写る白馬観光開発の丸山支配人は、会社内にMTB部署を作ってしまった絶景が広がる岩岳山頂にて。左に写る白馬観光開発の丸山支配人は、会社内にMTB部署を作ってしまった ボランティアとしてコースビルドに携わったマッキーさん。現在はパトロールや整備作業を担当しているボランティアとしてコースビルドに携わったマッキーさん。現在はパトロールや整備作業を担当している


でも、ほりっちとコーヘイさんを筆頭とする彼らの勢いは、ブレーキがなくなったダウンヒルバイク状態だった。そして、夢を語って、小さくても行動する彼らは格好良く見えたに違いない。岩岳を復活させよう、すごいバイクパークを作ろうという思いが、白馬ローカルにちょっと広まるや否や、ノリのいい外国人の後押しや、アウトドアスポーツ全般に携わる人々から大きな支持を得ることになる。

そんなときに、彼らのまったく知らないところで、長野県がインバウンド需要を見越して、有名なカメラマンを起用して、MTBのイメージビデオを作る企画が動いていた。

超有名ライダーである、コナー・マクファーレンとケーシー・ブラウンを起用して、長野県の様々なトレイルで撮影を行うというもので、白馬でもロケが行われることになった。そこで、英語ができるほりっちが、白馬でのコーディネーター的な役目を受けることになり、撮影のために急遽、見晴らしのいい岩岳山頂部に、牧村さん(マッキー)もボランティアで加わってちょっとしたトレイルを作って、撮影が行われた。


この様子は、Bike Magagineによって、世界中に発信され、実は日本にはこんなにすばらしいMTBトレイルがあるんだ!と大きな反響を呼び起こすことになった。そこで、一つの舞台になった岩岳も、これはMTBパークとして復活させるしかないという空気に一気になったのである。

もうこうなると、そのあとはまさに快進撃だ。まず、白馬観光開発に、MTB事業チームが発足。現支配人の丸山さんを筆頭に、多くの人々が、岩岳MTBパーク復活!と、ショップやメディアに集中的に広報活動を行ったのである。トレイルも、ほりっちを筆頭に、多くのローカルが協力して、古いルートを掘り起こし、新ルートも造成。そして、去年、暫定的に岩岳バイクパークが復活することになった。

ただ、最初は、単純なコースレイアウトが災いして、評判はあまりよくなかった。それでも、岩岳復活という反響が大きく、好意的な反応が多かったため、彼らはもっとできますよ!と猛プッシュ。そして、さらなる新ルート造成のために予算がついたのだ。これが、なんと、去年の終わりの話である。

ファミリーと言っても過言ではない、ローカルライダーたちとファミリーと言っても過言ではない、ローカルライダーたちと
しかし、予算がつくということは、バイクパークをビジネスとして成立させなければならない。だが、当然なのだが、バイクパークのトレイルの造成は冬はできない。グリーンシーズンが始まる7月から、11月までの4か月で、すでにあるトレイルでバイクパークを運営しつつ、広報、広告活動を行い、新たなトレイルを造成して、集客しなければならないのだ。おまけに、その新たに造成するトレイルの案は、岩岳の山頂からボトムまでの、5キロ以上のトレイルで、完全新コースだという。僕が7月にそれを聞いたときには、いくらなんでもそんな芸当は無理だと本当に思った。

でも、現場には無理だなんていう悲観的な観測はまったくなかった。

まず、ほりっちらローカルと親交のあった、オーストラリアのトレイルビルダー、ジミーさんが間に入り、ケアンズの有名トレイルビルダーである、エヴァン・ウィントンさん(エヴァン)が来日。エヴァン、ジミー、ほりっち、マッキーの4人が中心になって、チームトレイル・忍者が結成(誰も知らないうちにトレイルを作ることを目指して、トレイル忍者と命名)。この時初めて、新コースは7キロ弱のフロートレイルで作るという方針が決定し、怒涛の突貫工事が始まったわけである。

ファットバイクで降ってきたご夫婦。コースビルドにも携わった、地元の平林安里選手のご両親でしたファットバイクで降ってきたご夫婦。コースビルドにも携わった、地元の平林安里選手のご両親でした 白馬岩岳MTBパークのコースマップ。これからどんなコースが新設されるのだろう?白馬岩岳MTBパークのコースマップ。これからどんなコースが新設されるのだろう? あえて、突貫工事の最中の大変な話は割愛するけれど、このフロートレイルを走ってみれば、これがとんでもないことだということがわかるはずだ。それを、たった3か月ちょっとで開通させてしまったのだ。

そしてそのトレイルは、確かにまだ1本しかできていないのだけれど、間違いなくワールドクラスの上を行くトレイルである。子供も大人も、初心者も上級者も、フルリジッドもフルサスも、みんなが同時に走って楽しいと叫べる、夢のトレイルなのだ。MTB創世期から、海外をいろいろ走り回っている僕が断言してもいい。このフロートレイルには、世界最高と言えるポイントがいくつもある!

そして、世界最高なのは、トレイルだけではない。誰が白馬へ行っても、コーヘイさんをはじめ、多くの白馬ローカルは温かく迎えてくれて、だれもがその場で白馬村民になれてしまう。この温かい絆は、きっと宇宙一だ。

さらに、来シーズンに向けて新たなトレイルの構想もあれば、MTBに限らず、あらゆるアウトドアスポーツをオールシーズン楽しめるアウトドア天国を目指すという、白馬村全体の夢があるという。

でも、間違いなく、近い将来それは実現すると僕は確信している。最初は、数人のローカルの夢から始まり、世界レベルのバイクパークの基礎が出来上がった。今度は、もっと多くの人が同じ夢を共有して、行政まで同じ夢を抱いて、その勢いを加速させている。

冒頭のゲーテの言葉の通りだ。向こう見ずで大胆な小さなアクションが、いろんな連鎖反応を引き起こして、大きな力となり、白馬村全体に魔法をかけてしまったのだ。まだまだ発展途上だけれど、ここは間違いなくファンタジーな世界。来て遊べば、誰でもハッピーになれることは間違いない。



筆者プロフィール:AJ KITAGAWA

書いた人:AJ KITAGAWA書いた人:AJ KITAGAWA マウンテンバイクの黎明期のころから、米国本土でダウンヒルやクロスカントリー、デュアルスラロームから苦手なヒルクライム、なにをトチ狂ったのかトライアルまで参戦していた経歴を持つ、自称、日本で一番遊んでいるホビーライダー。40半ばにしてメタボ体型なのに、トレイルでは俊敏に動くことから、トレイルのサモハンキンポーの異名を持つ。現在は、日本を拠点に、自転車遊びを広めるべく、布教活動に専念しているが、結局、遊ぶのに夢中になってしまっているオッサン。