MAXXIS太魯閣国際ヒルクライムは、標高ゼロメートルからスタートし、約90.5kmで標高3275mの武嶺まで登るダイナミックなコース設定。頂上10km手前で一度下ってまた上るため、獲得標高差は3620mにものぼるという世界有数の難易度を誇るヒルクライム大会だ。

スタート地点まで自転車はトラックで運ばれる。外は風雨が激しく降っているスタート地点まで自転車はトラックで運ばれる。外は風雨が激しく降っている (c)Makoto.AYANO強風の吹くなかスタート地点に集まる参加者たち強風の吹くなかスタート地点に集まる参加者たち (c)Makoto.AYANO

荒天のスタート

朝5時。花蓮のホテルをスタートするためにトラックに自転車と荷物を積み込み、バスに分乗してスタート地点に向かう。雨が激しく降っている。風も吹き荒れていて、嵐のようだ。

「この荒天で山に登るのは無理かも」と考えていたが、大会の準備は着々と進んでいる。どうやら天気は回復傾向で、標高が高いところは雨も止んでいるのだとか。吹き荒ぶ風を感じていると、そんな情報はにわかに信じがたいが、どうやらレースはスタートしそうだ。

荒天にもゴキゲンな宮澤崇史と廣瀨由紀荒天にもゴキゲンな宮澤崇史と廣瀨由紀 (c)Makoto.AYANO山本和弘(キャノンデール)と才田直人(ボンシャンス飯田)山本和弘(キャノンデール)と才田直人(ボンシャンス飯田) (c)Makoto.AYANO

ひとまず雨はやんだ。暗い中、スタートが切られる。インターナショナルクラスでスタートを切ったのが144人。DNS(スタート取りやめ)は112人(距離が短いチャレンジの部は18人がスタート、28人がDNS)。荒天に恐怖感を抱いたのだろう、半数がスタートを取りやめる中、勇敢な選手たちが寒空の中走りだしていく。日本人選手は全員がスタートを切った。勇敢だ。

吹き荒れる風の中走りだしていく吹き荒れる風の中走りだしていく (c)Makoto.AYANO

海抜0mのスタート地点から、目指す頂上は標高3275mの「武嶺」こと合歓山。頂上は、一般道で行くことができる東アジア最高到達地点だという。

しばしの市街走行のあと、台湾随一の景勝地である太魯閣渓谷へとなだれ込んでいく選手たち。先頭を宮澤崇史が引き、福島晋一もそれに続き、ときおりこちらにニヤリと笑顔をくれる。
素掘りトンネルを通過するたびに、天井から水が振りかかる。霧雨が断続的に降るが、大きく天候が崩れることはなさそうだ。

夜明けの市街地を走り抜ける選手たち夜明けの市街地を走り抜ける選手たち (c)Makoto.AYANO花蓮大橋を抜けていよいよタロコ渓谷へ花蓮大橋を抜けていよいよタロコ渓谷へ (c)Makoto.AYANO

私はオートバイ撮影取材で、主催者に用意してもらった125ccのビッグスクーターの後席に座り、カメラとVTRを回しながらレースを追うことにする。防水・防寒、そして高山病時に効くという頭痛薬を用意して。なにしろ頂上は3000m以上。私の場合は2800mから上は必ず高山病症状が出るため、その用意は欠かせない。(参加者もゴール地点にしばらく滞在するため、頭痛薬を持ったほうが良い)

台湾のホビーサイクリストたち。女性の姿も目立つ台湾のホビーサイクリストたち。女性の姿も目立つ (c)Makoto.AYANO先頭を行く宮澤崇史 先頭を行く宮澤崇史  (c)Makoto.AYANO

ここでコースと、クラスごとの距離の概要をおさらいしておこう。

MAXXIS太魯閣国際ヒルクライム コース 
花蓮縣秀林國中→太魯閣大橋→太管處→天祥(ファンFINISH)→西寶→洛韶→新白楊→碧綠神木(チャレンジFINISH)→中油關原站→大禹嶺→武嶺(インターナショナルFINISH)

総走行距離:90.5km(インターナショナルカテゴリー)/64Km(チャレンジカテゴリー)/23Km(ファンカテゴリー)

雨の降りしきる中タロコ渓谷を走る選手たち雨の降りしきる中タロコ渓谷を走る選手たち (c)Makoto.AYANO

太魯閣渓谷に入ってからというもの、ずっと勾配は緩やかで、かなりのハイスピードで集団は先行する。勾配がとくに厳しいのはラスト10kmで、それまではマイペースが刻める。スピードに乗って走りやすいヒルクライムなのだと聞いていた。
果たして、集団は伸びながらも人数はまとまり、淡々と距離を稼いでいく。

昨日の土曜日に試走に来た、つづら折れの続く九曲洞あたりになると、勾配もやや増し、集団は分裂しだす。ここを通過するとき、やはりレース中では周りの景色を楽しむ余裕はなさそうだ。なにより、昨日より天気が悪く、霧がかかっているので山肌がよく見えない。

昨年の優勝者 范永奕(台湾)が引く先頭集団 福島晋一らの姿も昨年の優勝者 范永奕(台湾)が引く先頭集団 福島晋一らの姿も (c)Makoto.AYANOランデブーに入った山本和弘(キャノンデール)と宮澤崇史(ファルネーゼ・ヴィニ)ランデブーに入った山本和弘(キャノンデール)と宮澤崇史(ファルネーゼ・ヴィニ) (c)Makoto.AYANO

先頭集団を力強く牽いている白人選手を見て驚いた。マイケルポール・カーター選手だ。かつてセブンイレブンなどに所属して3つのグランツールすべてを走っているアメリカ人選手で、20年ほど前にはツール・ド・台湾を制している。もっともそのときはすでにトップ選手からは引退して、趣味でレースを楽しむ選手だった(それでも山岳でぶっちぎりの強さだった)。
近年はマルコポーロの監督をしながらも、こうしてレースで走っているのか、と驚く。ちなみに15年前からまったく容姿が変わらない若々しさ。台湾にすむ自転車産業に関わる外国人が集う"カフェTERRY"の可愛いジャージを着ている。つまり、趣味のサイクリストとしての出場だ。

台湾在住アメリカ人のマイケルポール・カーター。3つのグランツールすべてに完走した経験を持つ元プロ台湾在住アメリカ人のマイケルポール・カーター。3つのグランツールすべてに完走した経験を持つ元プロ (c)Makoto.AYANO後輪パンクに見まわれ、後退していく橋本謙二(ファンライド)後輪パンクに見まわれ、後退していく橋本謙二(ファンライド) (c)Makoto.AYANO

上り勾配が徐々にきつくなると、トップ選手の中では宮澤崇史がまずドロップ。宮澤は完全にオフモードで、トップレベルの状態からは相当落としているようだ(そして新婚旅行を兼ねた訪台だ)。そして29インチのマウンテンバイクであえて出場のカズこと山本和弘(キャノンデール)とランデブーを始めた。
カズは「MTB選手だからMTBでチャレンジしようと思った」とのこと。大会の冠スポンサーのマキシスがタイヤスポンサーでもあり、29インチのマキシス製29erMTBタイヤで走っているのだ。

ファンライド編集部の"ハシケン"こと橋本謙二の後輪がパンクし、ずるずると後退していく。ヒルクライムではプロ顔負けの成績を残すハシケン。しばらく共通機材車が見当たらなかったが、運良く随行の台湾チームに後輪を借りて再び走り出すことができたようだ。しかし、重い廉価版ホイールだったようだが...。

先頭集団はみるみる数を減らし、13人ほどに。上位争いは早くも絞られたようだ。後続は点々と走る状態で、集団と単独ではあまりにもスピード差が大きい。

小雨がしとどに降り続くなかを走り続ける小雨がしとどに降り続くなかを走り続ける (c)Makoto.AYANO

先頭集団のそのなかに、福島晋一と才田直人(ボンシャンス)、そして日本人の矢部周作さん(KIZUNA Cycling Team)が入っている。福島はその後遅れたが、才田選手と矢部選手は身軽にペダリングし、いい位置につける。絞られた先頭集団だけに、このままいい順位でゴールする可能性が高い。日本人が誰も上位集団に残らなければ遅い走者まで待って撮影しようと思ったが、入賞の可能性があるので先頭集団からは付かず離れずでいくことにする。

標高が上がったなと感じるのは、気温が下がることで実感する。熱帯の国なので、植生がなかなか変わらず、緑は繁ったまま。景色では高度を感じにくいのだ。道路脇にはときどき商店や烏龍茶の農家もあり、庶民の生活の匂いがする。

霧雨は降り続き、レインジャケットから出した手がかじかむ。それでも選手たちはそこそこの強度で走っているので、寒さは感じていないようだ。

中間地点の新白楊で標高約2000m。さらに高度を上げていけば、山々に雲が漂っているのが見えてくる。

タロコ渓谷の眺めはダイナミックだタロコ渓谷の眺めはダイナミックだ (c)Makoto.AYANO補給地点のコカコーラ 運良くありつければしめたもの補給地点のコカコーラ 運良くありつければしめたもの (c)Makoto.AYANO

道路の脇に巨大な一本杉がそそり立つ「碧緑神木」のチェックポイントでは補給を手渡ししてくれる。スポーツドリンクにコーラ、そしてバナナ程度は用意されている。しかしレース全体を通しては距離が長い割に補給所が少ないため、エネルギー補給は各自用意しておく必要があるようだ。


頂上手前で一度下る。ラスト10kmは地獄の苦しみ

標高が3000mに近づき、雲を下にみるようになるあたりで先頭集団はさらに8人ほどに人数を絞った。コースは3000mを超える付近で一度大きく下り、再び登り返すことになる。この金馬トンネルを抜けた地点からの約5キロのダウンヒル区間、そしてそこから再び登り返すラスト10数kmが、もっとも厳しく感じると、走った誰もが口にする区間だ。

3000mまで上ってから、一度大きく下る。「損した気分になる」と誰もが言う3000mまで上ってから、一度大きく下る。「損した気分になる」と誰もが言う (c)Makoto.AYANOアタックして独走する范永奕(台湾)アタックして独走する范永奕(台湾) (c)Makoto.AYANO

先頭集団のレースはここで動いた。昨年覇者の范永奕(台湾)がリードする先頭集団は6人に絞られた。日本の才田と矢部も食らいつくが、下りで范がアタック。リードを広げた。

昨年に続いて優勝した范永奕(台湾) 1年をこのレースのためだけに捧げてきたという昨年に続いて優勝した范永奕(台湾) 1年をこのレースのためだけに捧げてきたという (c)Makoto.AYANOラスト10km区間は勾配が急激にきつくなり、15%以上の激坂区間が連続的に現れる。随行する125ccスクーターも、二人乗りではエンジンが焼けそうな音を立て、極端にスピードが出なくなる。選手たちも大きく蛇行し、ここからはサバイバルの様相を呈する。先頭を行く選手でこの状況。一般の選手は、相当に軽いギアを装備していなければ足を着いてしまう状況だ。

残り5km。視界は一気に開け、笹の原っぱが広がる高原の風景に一変する。まるでツール・ド・フランスでみるヨーロッパアルプスの山岳風景とまるで同じ風景だ。しかし、標高3275mの武嶺は、欧州のそれよりずっと高いのだ。

この厳しい勾配でも淡々と先頭を独走し続けた范永奕。雄叫びを上げながらゴールに飛び込んだ。

2010年大会の優勝タイムは4時間3分19秒だったが、4時間4分44でゴール。雨の影響を感じさせない、ほぼ同じタイムだ。もっとも、結果的に雨は大降りになることもなく、走行条件としては良かったのかもしれない。

范永奕は学校の先生で、この日のために何度もコースの試走を重ね、この日に臨んだという。他のレースに出場することもせず、このレースでの優勝だけを目指して1年間を過ごしたという。

頂上付近をゴールに向けて走る宮澤崇史。かなりつらそうだ頂上付近をゴールに向けて走る宮澤崇史。かなりつらそうだ (c)Makoto.AYANO

2位のゴールに飛び込む才田直人(ボンシャンス飯田)2位のゴールに飛び込む才田直人(ボンシャンス飯田) (c)Makoto.AYANOそしてボンシャンスのジャージの「Taiwan」をアピールしながら2位に飛び込んできたのは才田直人。ゴール前5kmの戦いでは他の選手に先行を許していたが、マイペースで順位を上げたようだ。

シーズン通してフランスで選手活動する才田は、ヒルクライムが得意なロード選手。2011年は大きな落車事故に見舞われて調子を戻すのに時間がかかったが、シーズン終了後のこのレースでうれしい結果を残した。総合は2位、26歳以下カテゴリーで優勝だ。

才田に遅れること7秒差の3位は、日本人の矢部周作(KIZUNA Cycling Team)。台湾・台北で活動する日本人を中心としたクラブチームで、矢部は台湾在住ではないものの、出張のタイミングに併せて出場したという。(KIZUNA Cycling TeamのHP(外部リンク)
          
そしてパンクから復帰した橋本謙司(ファンライド)も追い上げて4:26:28でゴール。見事7位入賞となった。昨年4位の福島晋一は4:33:46で16位。宮澤崇史は4:52:58で26位。山本和弘は5:12:00で41位だった。

一般の日本人参加者では、75歳の田口重喜さん(スワコレーシング)は昨年のタイムを大きく縮める6:15:18で98位でゴール。最終走者はMTBで走った廣瀨由紀さんで、タイムアウトぎりぎりの7:25:17だった。

見事!最終走者でゴールの廣瀬由紀さん(キリンレーシング)見事!最終走者でゴールの廣瀬由紀さん(キリンレーシング) (c)Makoto.AYANOゴールして同時に「脚が攣った~!!」と叫んでしまうゴールして同時に「脚が攣った~!!」と叫んでしまう (c)Makoto.AYANO

世界一厳しいヒルクライムレース? 数字でみるレース比較

結果的には144人がスタートし、126人が完走。リタイアは17人だが、タイムアウト失格の完走者は0人という最終結果だった。つまりデータが示すのは、厳しくてもほとんどの人が完走できるということ。

75歳の田口重喜さん(スワコレーシング)も表彰された75歳の田口重喜さん(スワコレーシング)も表彰された (c)Makoto.AYANO完走した選手たちは口々に「気が遠くなるほど登りが長かった」「これ以上厳しいレースは他にない」。そして、「タロコに比べたら、乗鞍なんてアソビみたいなもの!それで満足している人は、一度タロコを登ってみろ!」(田口さん談)と話す。

実際にタロコヒルクライムの獲得標高差3620m(距離90.5km)は、乗鞍ヒルクライムの標高差1,260m(距離20.5km)の標高差の約3倍にあたる。3倍の厳しさのコースは、体感的な厳しさはいったい何倍になるだろうか? 数字はともかく、この厳しさは実際に走ってみないと理解出来ないことだろう。

聞けば、台湾には3つの代表的ヒルクライム大会があり、このタロコ(合歓山)のほかに、太平山ヒルクライム(距離22km、ゴール標高1,900m、標高差1,600m)と、阿里山ヒルクライム(距離62km、ゴール標高2,250m、標高差2,250m)があり、やはりこのタロコヒルクライムがもっともハードなものであるとのことだ。
同じゴール地点まで台中側から上るタロコヒルクライムもあるが、それは勾配的にもやや易しいということだ。
花蓮側から上るこのコースは、普段は一般車の通行も少なく、国家公園(タロコ渓谷)を通過するために交通規制の問題もあって開催も難しいそうだが、この大会はもっとも厳しいヒルクライムレースを目指してこのコース取りを採用しているようだ。台湾のこの3つのレースの比較については、早稲田大学出身の山田敦さんが記したこちらの日本語レポート「台湾ヒルクライムレース3連戦(外部リンク)」が詳しいので参考にリンクさせていただく。

このレースは、実は日本人プロデューサー、笹忠之さん(R1ジャパン)の発案によるものだ。笹さんの「世界でもっとも厳しいヒルクライムの国際レースを創りたい」という思いの結晶がこのレースというわけだ。今は台湾のレース、あるいは台湾と日本の色が濃いが、将来的には海外からも広く参加者が集う、大きな国際レースに育てていきたいという思いがある。

タロコヒルクライムに匹敵する大会として例が上がるのは、ハワイ・マウイ島のサイクル・トゥ・ザ・サン(公式サイト 外部リンク)。ハレアカラ火山頂上までの56km、3000mのヒルクライムだが、数字で見てもタロコのほうが難易度はより高そうだ。

観光編でも紹介したように、日本からの参加ツアーも充実していることで、参加の条件は整っている。興味をもった人は、ぜひ来年の参加をお勧めしたい。おそらく、来年からの日本の参加者は大きく伸びていくと思われるし、大の親日家である台湾のサイクリストたちとの交流もより盛んになれば良いと思う。国を超えて共通の趣味を持つ友人ができることは何より素晴らしいことだから。

優勝した范永奕(台湾) 左は3位でゴールの矢部周作(KIZUNA Cycling Team)優勝した范永奕(台湾) 左は3位でゴールの矢部周作(KIZUNA Cycling Team) (c)Makoto.AYANO最終完走者の廣瀬由紀さん(右)もなぜかお立ち台に!浴衣で日本をアピール最終完走者の廣瀬由紀さん(右)もなぜかお立ち台に!浴衣で日本をアピール (c)Makoto.AYANO


帯同中のほぼすべての写真はフォトギャラリー(picasa)にアップしてある。旅の雰囲気を知る一助になると思う。
また、2011年12月発売の自転車専門誌各誌にも参加レポートが掲載される予定だ。


text&photo:Makoto.AYANO
photo:Moto.YAMANAKA

Movie by 単車心活(台湾)



フォトギャラリー(picasa)
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