昨日のレポートで「山の反対側からフィネストレ峠まで、11km徒歩で登ろうと思います」と書いたので、いろんな方々から応援メッセージをいただいた。でも実際にはシャトルバスのおかげで歩く距離が4kmに短縮され、比較的楽にフィネストレ峠に到着した。標高2178mの峠を越えると、目の前に白い九十九折りの風景が広がっていた。

緑が美しいフィネストレ峠の南側を徒歩で登る(山が低くなっている部分が頂上)緑が美しいフィネストレ峠の南側を徒歩で登る(山が低くなっている部分が頂上) photo:Kei Tsuji今年のジロを象徴するような、未舗装区間を含む1級山岳コッレ・デッレ・フィネストレ(フィネストレ峠)。242kmという今大会最長コースの前半は単調な平坦路なので、スタートや前半部分での撮影を行わず、フィネストレ峠に直行することにした(第20ステージの現地レポートではなく、フィネストレ峠での観戦日記になっていることを予めご了承下さい)。

美しく弧を描くフィネストレ峠の下り美しく弧を描くフィネストレ峠の下り photo:Kei Tsuji2005年のジロで初登場したフィネストレ峠。当時留学生だった自分はロードバイクでジロを追っかけていて、当然フィネストレ峠も登っている。永遠に続くような45カ所のスイッチバックと、7.8kmの未舗装区間。楽しくて仕方がなかったことを覚えている。

今回はクルマの入場が固く禁じられている。「レースの前後を走る関係車両のフィネストレ峠通過を全面的に禁止する」というお達しが昨日のプレスセンターで配られていて肩を落とした。

レトロなバイクで未舗装峠に登場したシニョーレレトロなバイクで未舗装峠に登場したシニョーレ photo:Kei Tsujiでもどうしても頂上付近で撮影したいので、未舗装区間のある北側(登坂距離18km)と比べて距離が短い南側(登坂距離11.5km)からコースを歩いて登ることに決定。セストリエーレの登りが始まる村、つまり、コース的にはフィネストレ峠を下り切った地点に駐車し、カメラ2台とレンズ4本、水とビスケットをバッグに詰め込んで歩き始めた。

しばらく歩くと、人だかりができたバス停を発見。聞くと、ナヴェッタ(シャトルバス)がフィネストレ峠の頂上に向かって出ているという。ぼったくられてもいいやと思ったが、3ユーロと意外に安いので乗ることに。

鈴なりの観客が選手たちの到着を待つ鈴なりの観客が選手たちの到着を待つ photo:Kei Tsuji一般の観客に混じってナヴェッタの順番を待つ。すると目の前の幹線道路をトレーニングキャンプ中のレオパード・トレックの選手が通っていく。ぎゅうぎゅう詰めになったナヴェッタは、フィネストレ峠の頂上に向かって動き始めた。

頂上を目指すサイクリストたちをクラクションでかき分けながら、明らかに積載人数をオーバーしているナヴェッタが、エンジンの悲鳴を轟かせて急勾配の登りを進んでいく。そして頂上の4km手前、標高約1900m地点で停車。そこから頂上までは徒歩だ。

蒸し返すナヴェッタから押し出されるように外に出ると、冷たい風が全身を覆った。太陽は暖かいが、風は冷たい。一面緑に覆われた草原をショートカットして、頂上に向かって直線的に歩いていく。前夜にはその草原でコンサートが行われたが、雨によって気温が5度まで下がったらしい。

草原には直径20cmほどのマーモットの巣穴があちこちにある。モルモットと勘違いしがちだが、マーモットはアルプス山脈に生息するネズミ目リス科マーモット属、つまり大型のネズミ。地元の人の適当なジェスチャーから察するに、頭から尻尾まで全長が1m近くあるらしい。

標高が2000mを超えた辺りから少し空気の薄さを感じ、額に汗を浮かべながら頂上に到着した。

九十九折りの未舗装路が続くフィネストレ峠九十九折りの未舗装路が続くフィネストレ峠 photo:Kei Tsuji

威勢のいい観客の声援が待っている威勢のいい観客の声援が待っている photo:Kei Tsujiアクセスが悪いにも関わらず、大勢の観客がすでにスタンバイOKの状態で待っていた。その多くがバイクによる自走組。頂上付近や沿道にはバイクが重なり合っている。でも夜にチャンピオンズリーグ決勝の放送があるからか、6年前よりもいくらか観客が少ないように感じる。

フィネストレ峠の路面は固く踏み固められたダートで、トラクションを失ったり、ハンドルを取られたりするような砂利道ではない。レース通過の数時間前から、一般サイクリストに檄を飛ばす観客の大声がこだましている。

独走でフィネストレ峠を駆け上がるヴァシル・キリエンカ(ベラルーシ、モビスター)独走でフィネストレ峠を駆け上がるヴァシル・キリエンカ(ベラルーシ、モビスター) photo:Kei Tsujiフランスとの国境が近いこともあり、観客の多くがフランス語を話す。ちなみにトリノ五輪でスキー会場にもなったゴール地点セストリエーレはイタリア語読み。ツール・ド・フランスで登場する際には、フランス語読みのセストリエールが使用されることが多い。

山の斜面に反響する騒音とともにヘリが数機やってきた。注目のステージなので、中継ヘリがいつもより多い。九十九折りを進む選手に合わせて低空飛行するヘリ、上空から峠全体を映し出すヘリ。観客は反射的にヘリに向かって手を振っている。

別府史之(日本、レディオシャック)を含む集団が約20分遅れでフィネストレ峠の頂上を目指す別府史之(日本、レディオシャック)を含む集団が約20分遅れでフィネストレ峠の頂上を目指す photo:Kei Tsuji先頭のヴァシル・キリエンカ(ベラルーシ、モビスター)が、淡々と一定ペースでフィネストレ峠を登ってきた。キリエンカが目の前にやってきたとき、ようやくマリアローザグループの姿が遠くの九十九折りに確認。ちなみに、イタリア人にとって「キリエンカ」という名前は可愛らしく聞こえるらしい。

ラジオコルサ(競技無線)はヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、リクイガス・キャノンデール)の脱落を告げるが、それ以外の選手たちがアタックしたという情報は入って来ない。結果的にフィネストレ峠で大きなサプライズは起こらなかった。

フィネストレ峠の頂上250m手前、別府史之(日本、レディオシャック)フィネストレ峠の頂上250m手前、別府史之(日本、レディオシャック) photo:Kei Tsuji総合3位のニーバリが総合2位ミケーレ・スカルポーニ(イタリア、ランプレ・ISD)から22秒のビハインドを食らった。両者の総合タイム差は56秒。単純にTT能力を比較するとニーバリに分があるが、25kmで1分近い差を逆転するのは至難の業だ。

先頭キリエンカから約20分遅れて、別府史之(レディオシャック)が30名ほどのグループでやってきた。

フィネストレ峠を下り切った地点に、選手がお腹に詰め込んでいたであろうガゼッタ紙が捨てられていたフィネストレ峠を下り切った地点に、選手がお腹に詰め込んでいたであろうガゼッタ紙が捨てられていた photo:Kei Tsujiゴール後に聞くと、フミはフィネストレ峠の前半5km地点、未舗装区間が始まる前に後輪がパンク。周りにチームカーがいなかったため、アックア・エ・サポーネのホイールを借りて再スタートを切った。確かに写真で確認すると、DTスイスのリアホイールがついている。

「天気が良くて気持ちよかったけど、ホイールを交換してからは思い通りに踏めなかった。ゆっくりとゴールを目指しました」。アンラッキーなパンクによって集団から脱落したフミは、ダニーロ・ディルーカ(イタリア、カチューシャ)やステファノ・ガルゼッリ(イタリア、アックア・エ・サポーネ)らと一緒にセストリエーレにゴールした。

選手たちを追うようにして、観客の波に飲まれるようにしてフィネストレ峠を下山。前夜から現地入りしていた知り合いのフォトグラファーのクルマに途中から同乗させてもらえたので、11km徒歩下山は免れた。とは言え、一日中急勾配の山を登り下りしていたので脹ら脛が張っている。

とにかくこのフィネストレ峠を最後に、ジロの山岳決戦は終了した。残るはミラノの個人TTのみ。最後のステージ優勝のチャンスを掴むために、デーヴィット・ミラー(イギリス、ガーミン・サーヴェロ)らは厳しい山岳をクリアしてきた。ジロの最終個人TTは、山岳で疲労し尽くしている総合上位陣ではなく、グルペットで山岳を乗り切ったTTスペシャリストの手に渡るのが通例だ。

なお、コースは31kmから26kmに短縮されている。スタート地点は郊外にあるフィエラ・ミラノ(大型展示場)。第94回大会はミラノの中心にあるドゥオーモ広場でクライマックスを迎える。

text&photo:Kei Tsuji in Milano, Italy

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