2007年のツール・ド・フランス総合優勝以降、アルベルト・コンタドール(スペイン)はイバラの道を歩んできた。2008年のツールはチーム不出場により欠場。2009年はランス・アームストロング(アメリカ)との対立と契約問題に揺れた。ビャルヌ・リース監督率いるサクソバンクと契約したコンタドールが今求めているのは安らぎだ。

2009年ツールで総合優勝を飾ったアルベルト・コンタドール(スペイン、アスタナ)と総合3位ランス・アームストロング(アメリカ、当時アスタナ)2009年ツールで総合優勝を飾ったアルベルト・コンタドール(スペイン、アスタナ)と総合3位ランス・アームストロング(アメリカ、当時アスタナ) photo:Makoto Ayano「ある思いを胸にチーム移籍を決めた。ここ数年に渡って得られなかった“平穏”をサクソバンクの中に見いだしたいんだ。サクソバンクジャージで闘うことを楽しみにしているし、プロジェクトを前に進めたい」。

コンタドールはプロ入り以降、2006年までマノロ・サイス監督率いるオンセとリバティーセグロスで走った。地元スペインチームを飛び出し、ヨハン・ブリュイネール監督率いるアメリカのディスカバリーチャンネルに移籍したのは2007年のこと。当時の役割はイヴァン・バッソ(イタリア)のアシストだった。

トゥールマレー峠でアンディと死闘を繰り広げたアルベルト・コンタドール(スペイン、アスタナ)トゥールマレー峠でアンディと死闘を繰り広げたアルベルト・コンタドール(スペイン、アスタナ) photo:Cor Vosしかしチームリーダーのバッソがドーピング容疑でツールを欠場。コンタドールはそのチャンスを活かし、ステージ優勝とマイヨブランを獲得する。勢いを最後まで絶やさず、ツール初総合優勝を果たした。

2008年には、前年にアレクサンドル・ヴィノクロフ(カザフスタン)とアンドレイ・カシェチキン(カザフスタン)のドーピングスキャンダルによって大きく揺れた古巣アスタナへ。ブリュイネール監督とともに新天地に移ったコンタドールだったが、ヴィノクロフらのスキャンダルの影響でツール出場の道は閉ざされた。

3度目の総合優勝を遂げたアルベルト・コンタドール(スペイン、アスタナ)3度目の総合優勝を遂げたアルベルト・コンタドール(スペイン、アスタナ) photo:Makoto Ayanoコンタドールは、ツール欠場をジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャ制覇という形で補うことに成功。ちょうど母国のグランツールで首位を快走中に、コンタドールはアームストロングが引退を撤回してブリュイネール監督のもとで走る噂を耳にした。

ロードレース界の“ボス”は2009年に復活。アームストロングの存在はアスタナのチーム内に内紛をもたらしたが、コンタドールのツール2勝目を妨げるほどのインパクトはなかった。

フランク&アンディ・シュレク(ルクセンブルク)とビャルヌ・リース監督フランク&アンディ・シュレク(ルクセンブルク)とビャルヌ・リース監督 photo:Makoto Ayanoそして今年、アームストロングが去ったアスタナのチームリーダーとしてツールに挑み、2年連続、3度目の総合優勝を達成。しかしアスタナと契約を更新せず、デンマークのサクソバンクへ。これまで紆余曲折を経験したコンタドールは、ようやくリース監督という伴侶を得た。

「サクソバンクへの移籍を決めた一番の理由は、全力でロードレースに打ち込む姿勢と理念に感銘を受けたから。その環境は自分にとって居心地の良いものになるだろう」。移籍発表後のリリースの中でコンタドールはそう語っている。

リース監督はロードレース界きっての戦略家として知られ、ツールでもコンスタントに成績を残している。コンタドールが自宅で見ていた2008年のツールで、リース監督はカルロス・サストレ(スペイン)を総合優勝に導いた。そして2009年から2年連続で、コンタドールはリース監督が指揮するアンディとフランクのシュレク兄弟(ルクセンブルク)に苦しめられることになる。

先月末、アンディとフランクは今シーズン限りでリース監督のチームを離れることを発表した。兄弟は母国ルクセンブルクに拠点を置く新チームの立ち上げに向けて動いている。

リース監督の強みはシュレク兄弟の長所と短所を知っていること。コンタドールも「シュレク兄弟の弱点を把握していることは大きなアドバンテージになる」と期待する。

コンタドールは今シーズンの最後までアスタナに籍を置くが、レースへの出場は予定されていない。早くもシーズンオフに入ったコンタドールは、リース監督と歩む来シーズンに妄想を膨らませている。

text:Gregor Brown
translation:Kei Tsuji

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