空に浮かぶ火山灰を見上げながら、翌週に迫ったアルデンヌ・クラシックに思いを馳せるダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ)。イタリアのチェッロ・ヴェロネーゼの自宅で英気を養っていた2008年のアムステル・ゴールドレース覇者に、一本の電話が入った。

ブエルタ・アル・パイスバスコ第5ステージでリタイアしたダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ)ブエルタ・アル・パイスバスコ第5ステージでリタイアしたダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ) photo:vueltapaisvasco.diariovasco.com電話の主はランプレのブレント・コープランド監督。アムステル・ゴールドレースを週末に控えた木曜日、アイスランドの火山噴火に伴うフライトキャンセルにより、クルマ移動でオランダ入りしなければならないことをコープランド監督はクネゴに告げた。

つまり、ランプレがアルデンヌの拠点として使用するオランダ・マーストリヒトのホテルまで、イタリアから1100kmのロングドライブ。それが不可能な場合は、アムステル、フレーシュ・ワロンヌ、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュを欠場することになる。他に選択肢は無かった。

アルデンヌ週間に向けて、クネゴの準備は順調だった。ブエルタ・アル・パイスバスコ第5ステージで体調を崩すまでは。

「パイスバスコまでに、充分な長距離トレーニングを積んでいた。クネゴは本当に調子の良さを感じていたので、自信をもってパイスバスコに出場したんだ。でも、そこでクネゴは厄介な腸炎にかかってしまった。アルデンヌ開幕まで1週間を残しての体調不良は致命的。クネゴは『とにかく出場して、それから何が出来るか考えるよ』と語りながらも、実際は少しモチヴェーションが落ちてしまっていた」。コープランド監督はチームリーダーの不調に不安を抱えながらオランダに向かった。

アムステル・ゴールドレース

先頭コロブネフを追走するダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ)やフランク・シュレク(ルクセンブルク、サクソバンク)先頭コロブネフを追走するダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ)やフランク・シュレク(ルクセンブルク、サクソバンク) photo:Cor Vosロングドライブを終え、オランダに到着したクネゴはクルマを降りるなり「これだけ苦労したんだから報われてもいいと思う。好調とは言えない状態だけど全力で走るよ。とにかくアムステルはフレーシュとリエージュの良い準備レースになる」と冗談混じりで語った。

マーストリヒトの広場に登場したクネゴを迎えたのは暖かい声援だった。2004年にジロ・デ・イタリアで総合優勝し、2008年にアムステルで優勝したそのステータスを讃え、アナウンサーは声を張り上げてクネゴを紹介。地元のファンはまるでロックスターが登場したかのような熱狂でクネゴを迎えた。

ゴール地点カウベルグを駆け上がるダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ)ゴール地点カウベルグを駆け上がるダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ) photo:Cor Vosそのオランダのファンの期待に応えるように、クネゴは攻撃に出た。クネゴはゴール11km手前のケウテンベルグでアタックを仕掛け、4人の先頭グループを形成。結果的にその逃げは長続きせず、集団内で力を貯めてカウベルグに突入。結果は6位だった。

カウベルグを6番手で登り切ったクネゴは息を整えながら語った。「逃げで力を使っていたから、6位という成績はミラクルだ」。

「アムステルの結果にクネゴは満足した様子だった。最初はトップ3狙いだったけど、体調を壊してからはトップ10狙いに変更。予想以上の走りだった。クネゴはフレーシュ・ワロンヌで過去に3回3位に入っているが、脚質的にはリエージュ向き。良い結果が期待出来そうだ」。コープランド監督は、チームリーダーの復調に胸を撫で下ろしていた。


フレーシュ・ワロンヌ

エヴァンスの後方で「ユイの壁」を上るダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ)エヴァンスの後方で「ユイの壁」を上るダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ) photo:Cor Vosクネゴの出身地はヴェローナの北部。ちょうどドロミテ山塊の麓にある小さな街だ。その名を一躍世界に知らしめたのは、やはり2004年のジロ・デ・イタリアでの総合優勝だろう。

それから6年。クネゴはツール・ド・フランスでマイヨブラン(新人賞ジャージ)を獲得し、ジロ・ディ・ロンバルディアで3回優勝、そして昨年ブエルタ・ア・エスパーニャでステージ2勝を飾った。

コンタドールやエヴァンスの攻防に遅れをとるダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ)コンタドールやエヴァンスの攻防に遅れをとるダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ) photo:Cor Vos「クネゴとの会話に登場するのは、リエージュではなくラリーカーやジム・モリソンの話」。コープランド監督はニヤッと笑いながらそう語る。「でも本当のところ、クネゴはリエージュで勝ちたくてたまらない。クネゴと話していると、直接そのことに触れなくても、リエージュを狙っていることがヒシヒシと伝わってくるんだ」。

フレーシュ・ワロンヌでクネゴはリエージュに向けて準備万端であることを見せつけた。レース中盤の落車にもめげず、クネゴは有力グループの中で「ユイの壁」に挑んだ。世界チャンピオンのカデル・エヴァンス(オーストラリア、BMCレーシングチーム)には敵わなかったが、結果は5位。

「5位という結果は悪くない。調子が戻っていることを実感出来る結果だ。でも1週間前の腸炎に続いて、今日は落車。どういうわけか勝利に見放されている」。クネゴは結果に満足しながらも、どこか釈然としない気持ちを抱えていた。


リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ

リエージュに駆けつけたダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ)のファンリエージュに駆けつけたダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ)のファン photo:Cor Vosリエージュ開催2日前の金曜日に、クネゴはチームメイトとともにレース終盤のコースを試走。腸炎から完全に復活したクネゴは、夢の実現に向けてモチヴェーション高くリエージュに挑んだ。

118年の長い歴史の中で、コート・ド・ラ・ルドゥットとコート・ド・サンニコラは、何度も決定的な動きを生んで来た。2年前、レース主催者はこの2つの上りの間にコート・ド・ラ・ロッシュ・オ・フォーコンを追加。昨年アンディ・シュレク(ルクセンブルク、サクソバンク)はこのフォーコンで単独アタックを成功させた。

ダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ)ダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ) photo:Cor Vosレース終盤の勝負どころはラ・ルドゥット、フォーコン、サンニコラの3つ。しかし今年はラ・ルドゥットに至るまでのルートが少し変更された。

「毎年コースが少しずつ変更されるから、コースの下見は本当に有益なんだ。新たに追加されたコル・ドゥ・マキサールとモン・トゥーで、ラ・ルドゥットに向けてのセレクションがかかるかも知れない。今年のコース変更は僕向きだと思う」。コース下見を終えたクネゴはそう語った。

21位でゴールするダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ)21位でゴールするダミアーノ・クネゴ(イタリア、ランプレ) photo:Cor Vos連続して登場する上りと横風が選手たちの体力を奪うサバイバルレース。シュレクは今年もフォーコンでアタックを仕掛け、アムステル覇者のフィリップ・ジルベール(ベルギー、オメガファーマ・ロット)がジョイン。クネゴは一歩出遅れた。

クネゴは何とかシュレクとジルベールを引き戻すことに成功。しかし、直後のアルベルト・コンタドール(スペイン、アスタナ)のアタックには反応出来なかった。コンタドールの動きは、チームメイトであるアレクサンドル・ヴィノクロフ(カザフスタン)のアタックへの布石だった。

「リエージュは100%のコンディションでなければ勝てない。残念ながら、重要な勝負ポイントであるフォーコンに到達した時点で、脚は売り切れ状態だった」。

「ラ・ルドゥットに差し掛かってからは、ずっとレース先頭でライバルたちのアタックをチェックしながら走った。アタックが掛かっては封じ込め、脱落しては復帰の繰り返し。アンディ・シュレクとジルベールのアタックは何とか封じ込めたけど、コンタドールがアタックしたとき、もう脚には余力が残っていなかった」。

リエージュの翌日、クネゴはコープランド監督とともにイタリアに戻った。敗北感漂うアルデンヌ週間だったが、体調のリカバリーの早さに自信をつけた1週間でもあった。クネゴの次戦はジロ・デ・イタリア。そこでクネゴはステージ優勝を狙う。しかし気持ちはまだアルデンヌ・クラシックに残ったままだ。

「僕はアルデンヌ・クラシックの虜。その全てに魅かれている。アムステルでは体調不良を抱えながらも6位。フレーシュでは落車しながらも5位。リエージュでは…全力で闘って、戦術も間違っていなかった(21位)。遅かれ早かれ、リエージュで勝てる日がくると信じているよ」。クネゴはそう締めくくった。



text:Gregor Brown
photo:Cor Vos
translation:Kei Tsuji



Gregor.Brown (グレゴー・ブラウン)

イタリア・レッコ在住のアメリカ人プロサイクリング・ジャーナリスト。2005、2006年ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランス、春のクラシック等で綾野 真(シクロワイアード編集長/フォトジャーナリスト)に帯同し、取材活動を行う。2007年よりサイクリングニュース(イギリス)の主筆ジャーナリストとして活躍後、フリーランスに。2009年12月よりシクロワイアード契約ジャーナリストとなる。今後、主にイタリア・英語圏プロサイクリングメディアに活動の舞台を移す。