2019/05/16(木) - 14:40
気温8度の雨を歓迎している選手/スタッフはいない。土砂降りの中、荒れた道路を走り、最後は大会3回目の本格的な集団スプリントに持ち込まれたジロ・デ・イタリア第5ステージを振り返ります。
イタリアの首都ローマの南東には、カステッリ・ロマーニと呼ばれる丘上都市が点在する丘陵〜山岳地帯がある。標高300mほどの高台にある町の多くは古代ローマ時代に起源があるほど由緒正しいもので、長い歴史の中で避暑地や保養地とされてきた。スタート地点フラスカーティだけでなく、立派なヴィッラ(庭園、別荘、豪邸)があちこちにある。
一帯は50万年前にラツィアーレ火山が噴火(最後に噴火したのは約5000年前)して形成された地形であり、ラツィオ州の指定公園として古くから保全、保護されてきた。そのためローマ市内から1時間かからない近さでありながら山が深く、木々が大きい。そしてその火山性の土壌が上質なワインを生み出している。
そんなカステッリ・ロマーニ周辺の道は恐ろしいほど荒れている。道路管理責任者を呼んで小一時間説教したくなるほど荒れている。深い轍やひび割れに始まり、木の根っこによる隆起、濡れるとグリップを失う磨耗したアスファルト、突然現れる無数の穴ぼこ。朝から降り続いた強い雨が道路を川に変え、巨大な水たまりを作り、足首まですっぽりはまるような深い穴を隠す。ジロが通過する道は補修されていることも多いが、第5ステージのコースの大部分は荒れに荒れていた。
通常であれば、チームバスは選手たちのスタートを見送ってから出発し、高速道路等を通ってフィニッシュ地点に向かう。しかしこの日は140kmという短めのステージで、しかも迂回路が限定されたこともあって、全てのチームバスがスタート前に出発しなければならなかった。チームバスが先に出発すれば、当然選手たちはスタートまでの時間を雨の下で待たないといけない。
2018年からジロでは出走サイン時間をチーム毎に予め指定するシステムが採用されており、選手たちはそのスケジュールに沿ってぞろぞろとチームメイトたちと出走サインにやってくる。しかしこの日ばかりは勝手が異なり、多くの選手/チームが出走サインのスケジュールを無視して出来るだけ長く主催者が用意したテントの下で雨宿りし、締め切り時間ギリギリになって出走サインにやってきた。
そんなバタバタの雨の日にジュゼッペ・コンテ首相がジロのスタート地点を訪問したものだから、警備員や警察の数はいつもより多め。雨雲の中にすっぽりと隠れたフラスカーティの街を「酷い雨だけど、昨日(235km)と明日(238km)よりも短いステージ(140km)だからまだマシ」と愚痴るモーターバイクのドライバーを先頭にレースはスタートした。
いつも通り出走サインしてスタートしたトム・デュムラン(オランダ、サンウェブ)がニュートラル区間終了とほぼ同時にリタイアした。「まだ家に帰る準備ができていない」と語るデュムランは膝の痛みをおしてスタートしたものの、やはり落車の影響は大きかった。
今大会6人目のリタイア者となったデュムラン。2017年にジロで総合優勝し、2018年にマリアローザ争いに絡んだデュムランは、ほとんどイタリア語を話さないにも関わらず、知名度の高さからイタリア国内で決してアウェーな印象を受けない。再びジロに戻ってくることを示唆しているデュムランだが、今はとにかく膝の治療に集中し、7月のツール・ド・フランスに向けて調整することになる。
国営放送RAIのジロ特集番組でテクニカルコメンテーターを務めていたアレッサンドロ・ペタッキが番組から姿を消した。これはドーピング騒動「オペレーション・アデルラス」でペタッキの名前があがったことによるもの。RAIのプロデューサーは引き留めたが、ペタッキ自ら辞退することを決めたという。第5ステージの番組ではステファノ・ガルゼッリがペタッキの代役を務めた。
さらにクリスティアン・コレン(スロベニア、バーレーン・メリダ)が同じ捜査上で2012年〜2013年にかけて違反行為を行なっていた疑惑でジロを離脱。平坦ステージでの重要なアシストを一人失ってしまったヴィンチェンツォ・ニバリ(イタリア、バーレーン・メリダ)は「残念だ。チーム加入前の話であり、彼はそれについて何も言わなかった」と短くコメントしている。
デュムランのリタイアといい、ニバリのアシストのリタイアといい、プリモシュ・ログリッチェ(スロベニア、ユンボ・ヴィズマ)に有利な状況が日に日に増している。マリアローザに義務付けられている記者会見に「リカバリーを優先したい」という理由で3日間出席しなかったログリッチェがこの日は登場した。大逃げが決まりやすい第6ステージで「(最終的な総合争いに関係しない選手に)マリアローザを明け渡す覚悟ができている」と語るログリッチェ。マリアローザを着ることで他の選手よりも1時間以上長くフィニッシュ地点に拘束されることにそろそろ嫌気がさしてきたのかもしれない。
デュムランが早々にリタイアしてしまったため、高い比率を誇っていたオランダ人ジャーナリストやフォトグラファーたちの多くがジロ取材を切り上げて帰国する見通し。これは日本人選手の活躍に比例したことではないが、ジロ開幕時に最大5人いた日本の取材も、ローマを離れて徐々に交通の便が悪くなる第6ステージで2人になる。
text:Kei Tsuji in Terracina, Italy
イタリアの首都ローマの南東には、カステッリ・ロマーニと呼ばれる丘上都市が点在する丘陵〜山岳地帯がある。標高300mほどの高台にある町の多くは古代ローマ時代に起源があるほど由緒正しいもので、長い歴史の中で避暑地や保養地とされてきた。スタート地点フラスカーティだけでなく、立派なヴィッラ(庭園、別荘、豪邸)があちこちにある。
一帯は50万年前にラツィアーレ火山が噴火(最後に噴火したのは約5000年前)して形成された地形であり、ラツィオ州の指定公園として古くから保全、保護されてきた。そのためローマ市内から1時間かからない近さでありながら山が深く、木々が大きい。そしてその火山性の土壌が上質なワインを生み出している。
そんなカステッリ・ロマーニ周辺の道は恐ろしいほど荒れている。道路管理責任者を呼んで小一時間説教したくなるほど荒れている。深い轍やひび割れに始まり、木の根っこによる隆起、濡れるとグリップを失う磨耗したアスファルト、突然現れる無数の穴ぼこ。朝から降り続いた強い雨が道路を川に変え、巨大な水たまりを作り、足首まですっぽりはまるような深い穴を隠す。ジロが通過する道は補修されていることも多いが、第5ステージのコースの大部分は荒れに荒れていた。
通常であれば、チームバスは選手たちのスタートを見送ってから出発し、高速道路等を通ってフィニッシュ地点に向かう。しかしこの日は140kmという短めのステージで、しかも迂回路が限定されたこともあって、全てのチームバスがスタート前に出発しなければならなかった。チームバスが先に出発すれば、当然選手たちはスタートまでの時間を雨の下で待たないといけない。
2018年からジロでは出走サイン時間をチーム毎に予め指定するシステムが採用されており、選手たちはそのスケジュールに沿ってぞろぞろとチームメイトたちと出走サインにやってくる。しかしこの日ばかりは勝手が異なり、多くの選手/チームが出走サインのスケジュールを無視して出来るだけ長く主催者が用意したテントの下で雨宿りし、締め切り時間ギリギリになって出走サインにやってきた。
そんなバタバタの雨の日にジュゼッペ・コンテ首相がジロのスタート地点を訪問したものだから、警備員や警察の数はいつもより多め。雨雲の中にすっぽりと隠れたフラスカーティの街を「酷い雨だけど、昨日(235km)と明日(238km)よりも短いステージ(140km)だからまだマシ」と愚痴るモーターバイクのドライバーを先頭にレースはスタートした。
いつも通り出走サインしてスタートしたトム・デュムラン(オランダ、サンウェブ)がニュートラル区間終了とほぼ同時にリタイアした。「まだ家に帰る準備ができていない」と語るデュムランは膝の痛みをおしてスタートしたものの、やはり落車の影響は大きかった。
今大会6人目のリタイア者となったデュムラン。2017年にジロで総合優勝し、2018年にマリアローザ争いに絡んだデュムランは、ほとんどイタリア語を話さないにも関わらず、知名度の高さからイタリア国内で決してアウェーな印象を受けない。再びジロに戻ってくることを示唆しているデュムランだが、今はとにかく膝の治療に集中し、7月のツール・ド・フランスに向けて調整することになる。
国営放送RAIのジロ特集番組でテクニカルコメンテーターを務めていたアレッサンドロ・ペタッキが番組から姿を消した。これはドーピング騒動「オペレーション・アデルラス」でペタッキの名前があがったことによるもの。RAIのプロデューサーは引き留めたが、ペタッキ自ら辞退することを決めたという。第5ステージの番組ではステファノ・ガルゼッリがペタッキの代役を務めた。
さらにクリスティアン・コレン(スロベニア、バーレーン・メリダ)が同じ捜査上で2012年〜2013年にかけて違反行為を行なっていた疑惑でジロを離脱。平坦ステージでの重要なアシストを一人失ってしまったヴィンチェンツォ・ニバリ(イタリア、バーレーン・メリダ)は「残念だ。チーム加入前の話であり、彼はそれについて何も言わなかった」と短くコメントしている。
デュムランのリタイアといい、ニバリのアシストのリタイアといい、プリモシュ・ログリッチェ(スロベニア、ユンボ・ヴィズマ)に有利な状況が日に日に増している。マリアローザに義務付けられている記者会見に「リカバリーを優先したい」という理由で3日間出席しなかったログリッチェがこの日は登場した。大逃げが決まりやすい第6ステージで「(最終的な総合争いに関係しない選手に)マリアローザを明け渡す覚悟ができている」と語るログリッチェ。マリアローザを着ることで他の選手よりも1時間以上長くフィニッシュ地点に拘束されることにそろそろ嫌気がさしてきたのかもしれない。
デュムランが早々にリタイアしてしまったため、高い比率を誇っていたオランダ人ジャーナリストやフォトグラファーたちの多くがジロ取材を切り上げて帰国する見通し。これは日本人選手の活躍に比例したことではないが、ジロ開幕時に最大5人いた日本の取材も、ローマを離れて徐々に交通の便が悪くなる第6ステージで2人になる。
text:Kei Tsuji in Terracina, Italy
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