9月28日、ロード世界選手権の最終日。開幕当初から天気予報にあった雨マークは、最後まで消えることなく、幸いスタート前は上がっていたものの、午前10時、選手たちがスタートするとポツポツと降り始め、山間部に差し掛かると大粒の雨に変わった。



フランスから水谷壮宏(チームブリヂストン・アンカー)が応援に駆けつけ、スタート前に清水都貴と談笑するフランスから水谷壮宏(チームブリヂストン・アンカー)が応援に駆けつけ、スタート前に清水都貴と談笑する photo:Sonoko.Tanakaスタート前にマッサージオイルを塗る土井雪広(チームUKYO)スタート前にマッサージオイルを塗る土井雪広(チームUKYO) photo:Sonoko.Tanaka

スタートサインをする日本代表の3選手。左から土井雪広(チームUKYO)、清水都貴(チームブリヂストン・アンカー)、新城幸也(ユーロップカー)スタートサインをする日本代表の3選手。左から土井雪広(チームUKYO)、清水都貴(チームブリヂストン・アンカー)、新城幸也(ユーロップカー) photo:Sonoko.Tanaka


途中、晴れ間が見える気まぐれな雨だったが、レースが終盤に差し掛かると再び冷たい雨が選手たちを襲い、日本ナショナルチームは、絶対的エースの新城幸也(ユーロップカー)を失う展開となった。新城は100km地点付近から体調不良を起こし、無理して集団に食らいついたものの身体に力が入らず、2周回を残して全身に悔しさをまといながら、静かに自転車から降りた。

「こうなるとは思っていなかった」。レースを終えて、新城は悔しさを言葉にした。「もっと楽しい結果にするために、準備をしてきたし、作戦も立てた。今回は僕がエースで出させていただいて、浅田監督を中心にいい選手、スタッフを集めてくれた。浅田監督の体制になって初めての世界選手権だったので、僕も成功させたかった。試走して40人くらいのスプリントになる、サイモン・ゲランスが来るから、彼をマークだって言ってたら実際に彼が2位に入ったから、読みも間違っていなかった。すべてが完璧だったんですけどね。また次、頑張るしかないですね」と話す。今回、新城自身が誰よりも大きな悔しさを味わったことは言うまでもない。



ポンフェラーダ城の前を新城幸也(ユーロップカー)と土井雪広(チームUKYO)が通過するポンフェラーダ城の前を新城幸也(ユーロップカー)と土井雪広(チームUKYO)が通過する photo:Sonoko.Tanaka
ワインとチーズとチョリソーが観戦の友ワインとチーズとチョリソーが観戦の友 photo:Sonoko.Tanaka沿道ではスペイン名物のパエリアの露店も沿道ではスペイン名物のパエリアの露店も photo:Sonoko.Tanaka




新城は4月20日に開催されたアムステル・ゴールドレースで10位でフィニッシュ。世界最高峰となるワールドツアーレースにおける日本人最高位をマークしただけでなく、そこで得たポイントから、世界選手権の最低出場枠を獲得した。

今大会のコースはアップダウンが多く、アルデンヌクラシックを得意とする選手が優勝候補とされ、実際、4月25日に開催されたリエージュ~バストーニュ~リエージュとトップ3と同じ顔ぶれが表彰台に立った。浅田顕監督が「このコースを見たときに、新城が活躍できそう」と、彼にとって最高のコース設定だと確信したと言う。

自宅からソファーを持参してレース観戦する自宅からソファーを持参してレース観戦する photo:Sonoko.Tanaka集団内で山頂を越える新城幸也(ユーロップカー)集団内で山頂を越える新城幸也(ユーロップカー) photo:Sonoko.Tanaka「世界選手権は全日本選手権の延長でもなく、チャンピオンへのご褒美でもない」ときっぱりと浅田監督は断言する。3人という出場枠に全日本チャンピオンが含まれていないのはどうしてだ? という世論もあったが、新城をエースとして勝負させるため、彼が本当に必要とする選手が選ばれた。

浅田監督は「新城を活躍させるために、何が必要かと考えたときに、世界選といったレベルで顔がきいて位置取りがうまく、上りで新城を引っ張っていける土井雪広(チームUKYO)と、上りのスピードが必要になるコースなので、その部分では、日本人で1番上りのスピードがある清水都貴(チームブリヂストン・アンカー)、さらには3選手が一緒になったときに良いチームワークが発揮されると思い、このメンバーを選びました」と、今回のメンバー選考の裏側を打ち明ける。

土井は「当初からユキヤのアシストとして世界選手権を走らないか?というオファーでした。でもそれは光栄なこと。“喜んで!”と快諾しました。ワールドツアーのレースは、ふだんからワールドツアーで走っていないと無理。いきなり世界選手権に来て走れって言われても走れない。自分は経験があるので、身体が覚えているし、集団のなかでもいい位置にいられる。でも1番スピードが上がったときについていけなかったのは残念」と話す。



悔しさを滲ませながらレースを終える新城幸也(ユーロップカー)悔しさを滲ませながらレースを終える新城幸也(ユーロップカー) photo:Sonoko.Tanaka


皆が“残念”と口にし、本当に残念な結果ではあるが、そのなかでも可能性を感じる世界選手権でもあった。「スタートの時点で上位が狙えると、ここまで確信できたのは初めてだった」と浅田監督が話すが、新城の実力に伴い、少しずつ日本ナショナルチームの体制も変わってきている。

今後に向けて、浅田監督は以下のように話す。

集団のペースアップにより仕事を終えて集団から遅れた清水都貴(チームブリヂストン・アンカー)集団のペースアップにより仕事を終えて集団から遅れた清水都貴(チームブリヂストン・アンカー) photo:Sonoko.Tanaka新城幸也(ユーロップカー)が集団から離れてチームピットへと向かう新城幸也(ユーロップカー)が集団から離れてチームピットへと向かう photo:Sonoko.Tanaka残り2周でレースを終えた新城幸也(ユーロップカー)残り2周でレースを終えた新城幸也(ユーロップカー) photo:Sonoko.Tanaka「根本的にチームとしてもっとやれることがあると感じました。各選手、エリートでいいレベルにいるんですが、やっぱりコンディションもそうですし、失敗をする。今回、準備の段階でもっともっとやれることがあると思ったのと、失敗した原因をこのままにしないで、冷静に考えて、繰り返さないようにしたい。

僕らスタッフができることは、準備の段階。世界選手権に向けた調整のトレーニングやレースをヨーロッパでやっていかないといけないと思う。今回、それができなかったのは残念だったと思うし、それは選手たちの所属チームではなく、日本ナショナルチームがやるべきこと。

ナショナルチームとして、それぞれの所属チームでは出場できないような価値のあるレースに出場していきたい。現在国内5チームがヨーロッパで遠征をしているが、バラバラに2クラスのレースに出ているような状態。いい選手がチームの垣根を越えて集まって、いいレースに出場したい。

極論をいえば、日本人選手がみなプロツアーチームに所属して、彼らを日常的に世界選手権と同じレベルで戦っていればいいんですけど、それができない以上、それに近い状態で準備をすすめていくことが必要。そうでなければ、いつになっても即席チームです」。

現在、JCFはフランス、パリ近郊のコンピエーニュに初めての“拠点”を作る計画があり、来春のジュニアやU23の遠征に向けて準備が進んでいる。拠点ができれば、毎回遠征のたびに苦労する車両の調達や機材の保管などの問題がクリアされ、選手たちへの経済的な負担も軽減し、より継続的な遠征が可能になるだろう。

現在多くのヨーロッパ外の国が、このような拠点をヨーロッパに構えている。浅田監督のもとで、日本のロードレース界が変わりはじめている。来年の世界選手権はアメリカでの開催となるが、次の1年に向けて、選手個々の活躍だけでなく、ナショナルチームとしての取り組みにも注目したい。

text&photo:Sonoko.Tanaka