今期限りで引退する福島晋一の引退パーティーが都内で開催された。約160人の関係者や友人たちが、「シンイチ兄ちゃん」のために集り、名残を惜しんだ。そしてコーチ研修のために渡仏する新たな門出を祝った。

これから目指すべき監督、浅田顕さんの言葉を噛みしめるこれから目指すべき監督、浅田顕さんの言葉を噛みしめる
19歳で自転車競技を始め、四半世紀近く現役選手として一線で活躍してきた福島晋一(NIPPOデローザ)。サイクルモード幕張の最終日、場所を都内に移して開催されたこのパーティ。会場となったのはエキップアサダ時代からお馴染みの会場、赤坂シュビアシーブルーだ。サイクルモードの開催されていた幕張から駆けつけた人も多く、18時半に開演した。

この会は福島の古巣ともいえるエキップアサダ後援会のメンバーなどが中心となり、「福島晋一引退パーティー実行委員会」を結成して企画。当日は新城幸也(ユーロップカー)や宮澤崇史(サクソ・ティンコフ)をはじめ、チーム関係者から古い友人までが集った。福島が面倒を見るボンシャンスの選手たち、かつて活動を支援した人たち、信州大学時代の友人など、さながら福島を取り巻く同窓会のような暖かな雰囲気に包まれていた。

ファンからはねぎらいと感謝の握手が絶えなかったファンからはねぎらいと感謝の握手が絶えなかった 会場は約160人もの人が詰めかけた会場は約160人もの人が詰めかけた

大会関係者、選手の友人、いろいろな立場の人が集まった大会関係者、選手の友人、いろいろな立場の人が集まった ボンシャンスの教え子たちとボンシャンスの教え子たちと


会はまず浅田顕さんの挨拶によりはじまった。ブリヂストンサイクル時代から福島とともに歩んだ浅田さん。まずは長い長いキャリアに労いの言葉を。そしてデビューからフランスで走った頃の裏話的なエピソードに、会場から笑いが漏れる。これからコーチ的な立場になるためにフランスのマルセイユに渡り、研修を積むことになる福島に、先輩らしい暖かなエールが贈られた。

乾杯の音頭は冬季に合宿を積んだタイのナーソンリゾートのオーナー、「タイの父ちゃん」こと中川茂さんがつとめた。中川さんは福島が信州大学自転車競技部やエキップあづみの、アジアのチームであるクムサン・ジンセンアジア、そしてトレンガヌ所属時代から監督やスタッフとして関わってきた人だ。

現役選手&監督たち、そして弟の康司さん(右)現役選手&監督たち、そして弟の康司さん(右) 新城幸也の父、貞美さんが今までの感謝の気持を伝える新城幸也の父、貞美さんが今までの感謝の気持を伝える


握手や記念写真攻めの歓談タイムのあと、弟の康司さんが挨拶。その後、清水裕輔、井上和郎、内間康平、西加奈子さんたちが登壇。現チームメイト、かつてのエキップアサダやブリヂストンアンカーのメンバー、日本ナショナルチームとして一緒に走ったメンバーであり、仲間だ。

続いて小橋勇利選手とボンシャンス愛媛アランチャのビデオレターの後、ボンシャンスの監督を務める菊池仁志さんが挨拶を行った。ボンシャンスは飯田を拠点とするが、愛媛にもその輪が広がっている。菊池さんはエキップアサダ時代に福島がチームメイトとして走った菊池誠晃選手(現ボンシャンスのコーチ)の父。福島の走りと人となりに惚れ込み、その縁でチーム監督をつとめることに。

そして福島のことを「ニイチャン」と慕い頼る新城幸也、宮澤崇史が福島の両脇に立ち、言葉を贈る。自身を自転車競技に引き込んでくれ、ツール・ド・フランスへの道筋をつけてくれた福島を前にしたユキヤは感極まって言葉を詰まらせた。
「ニイチャンには感謝の言葉しか無くて、選手をやめることがまだ信じられなくて。ずっとニイチャンの後ろを走ってきたのに…。これからフランスに住むから、今までより近い存在になるのに、これで終わりじゃないのに...。あと3年で僕もニイチャンが僕と出会ったときと同じ歳になる。僕も同じことができるようにならなくては」と涙ながらに話した。

感謝の言葉を掛ける宮澤崇史感謝の言葉を掛ける宮澤崇史 「ニイチャン」を前に言葉をつまらせる新城幸也「ニイチャン」を前に言葉をつまらせる新城幸也


SEVがつくった引退記念ポスターにサインをもらうSEVがつくった引退記念ポスターにサインをもらう 4人の子どもと奥さんのアンさんに花束をもらう4人の子どもと奥さんのアンさんに花束をもらう


福島は最後の締めの挨拶で、会場に掲げられた大きな写真バナーを指して、 「そこに”ありがとう福島晋一” と書かれているけど、今日は逆に自分が皆さんに感謝の気持ちを伝えたくて来ました」と、感謝の言葉を話した。

「今日ここに僕を通して集まってくれた人たちはツール・ド・フランスという同じ夢をみる人たち。だから一緒につながって、もっと大きなことができる原動力となればいいと思います。42歳のおっさんの引退なんてどうでもいいこと。選手としての福島晋一は成仏できました。大事なのは今後のこと。僕はこれからマルセイユに行って考えます。これからも今までどおり皆さんを振り回すと思いますが、お陰で世界中に身内ができたから、このネットワークをさらに広げていきたい。自転車選手としての人生は幸せでした。お世話になった人たち皆さんに、感謝しています」と話した。

マイクを握り、語り続ける話自体はまとまらなかったのが福島らしいが、会場の誰もが福島のその言葉を聴きながら、彼以上に感謝の気持ちを心に刻んでいたようだった。
4人の子どもたちと奥さんのアンさんに花束を渡され、記念撮影。会が終わっても福島はサインと記念撮影にひとりひとり丁寧に応じていた。

福島晋一は、選手としてこれ以上ないほど多くの人に慕われた人物。成績やその業績だけではその存在の大きさを語り尽くせないということがよく分かる引退パーティだった。

会の模様はムービーで。また、福島の活躍の一部はフォトギャラリーに掲載しています。

信州大学時代にツール・ド・北海道を走った福島晋一信州大学時代にツール・ド・北海道を走った福島晋一 (c)Makoto.AYANOツール・ド・北海道のチームタイムトライアルを走る信州大学 中央が福島晋一ツール・ド・北海道のチームタイムトライアルを走る信州大学 中央が福島晋一 (c)Makoto.AYANO


2003年全日本ロードレースを制した福島晋一(ブリヂストンアンカー)2003年全日本ロードレースを制した福島晋一(ブリヂストンアンカー) (c)Makoto.AYANO兄の日本チャンピオン獲得に嬉し泣きする弟・康司さんをなだめる 兄の日本チャンピオン獲得に嬉し泣きする弟・康司さんをなだめる  (c)Makoto.AYANO

NIPPO梅丹本舗・エキップアサダの選手たちとNIPPO梅丹本舗・エキップアサダの選手たちと (c)Makoto.AYANOツール・ド・おきなわを走る福島晋一(当時クムサンジンセンアジア)ツール・ド・おきなわを走る福島晋一(当時クムサンジンセンアジア) (c)Makoto.AYANO





photo&text:Makoto.AYANO


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