2013/07/04(木) - 18:33
「残念ですね。もっと何かできた気がします」。200km越えの逃げが実らなかったユキヤは悔しさを滲ませて話す。ステージ勝利とマイヨ・ジョーヌの夢を見せてくれた日本チャンピオンジャージの逃げは、ラスト8kmで終わった。
コルシカの3日間、そしてチームタイムトライアルと慌ただしかった4日間を終え、ようやく通常のペースのツールが今日から始まる雰囲気がある。ニース市街を少し離れたカーニュをスタートするときは少し薄曇り。228㎞の長距離に加え、標高400m級の難易度の低いカテゴリー山岳が4つ。
それだけでなくコースは緩いアップダウンの連続で、プロヴァンス地方の白い岩肌が眩しい緩やかな丘をいくつもこえていく。総合狙いを諦めざるをえなくなった実力者たちが、これからはステージ狙いにシフトしていく区切りの日でもある。
序盤から決まった新城幸也を含む6人の逃げは、ステージの距離の長さからかすぐに容認された。最初にアタックしたのはコルシカステージで胃腸の不調によってタイムを落としていた2012年ジロ3位のトーマス・デヘント(ベルギー、ヴァカンソレイユ・DCM)。その逃げに乗ったユキヤは、朝のチームミーティングでケヴィン・レザとともにアタックの役割を指示されていたという。
長身のアントニー・ドゥラプラス(フランス、ソジャサン)は、昨年のツール第4ステージでユキヤとともに3人で逃げた選手。ロメン・シカール(フランス、エウスカルテル)、アレクセイ・ルトセンコ(カザフスタン、アスタナ)との6人で、順調にタイム差を開いていく。
6人の逃げに同じチームから2人を送り込む(あまりない)ことになったユーロップカー。ジャージの色が大きく違うことがそれにつながった? 「デヘントらが行って、レザが行かなかったから僕が行ったら、レザも後から追いついてきた」とユキヤ。
この易しいとはいえないコースで、ゲランスのマイヨジョーヌ擁するオリカ・グリーンエッジが13分の差を許したのは少し意外な気もした。平坦ゴールのスプリントを狙うチームによるコントロールが期待できるとはいえ、引き戻すにはかなりの労力を強いられるタイム差だ。
「この逃げの中でツールの経験が多く、総合タイムの良い日本チャンピオンのアラシロがバーチャルマイヨ・ジョーヌになっています」ー レースの前方を走り、スピーカーで観客たちにレースインフォメーションを伝える広報車が観客たちに情報を伝える。すると観客からは「日本人がいいレースをしているな!」と話しかけられる。カリブ出身のグアドループ系フランス人、レザも話題だ。「黒い肌の選手って今までツールに出たことあるの?」
日本チャンピオンジャージが逃げる。白地にシンプルに、大胆に赤い日の丸をあしらったそのジャージの目立つことといったら! さんさんと降り注ぐプロヴァンスの太陽の下で、眩いばかりに輝いている。沿道にはいくつも日本の国旗がはためいていた。日本からの応援団、そして在仏の日本人たち、そして驚くことにフランス人でも日本の旗を振ってユキヤの応援をしている一家も。
「日本のすべてが好きなの。お国柄、文化、食べ物、そしてフランスチームで走っているユキヤも大好き!」。そう話す親子は、逃げグループが通過するとき日の丸を振って「ユキヤ、ガンバッテー!」と声をかけていた。こちらも嬉しくなった。
この日、ユキヤも多くの観客たちが沿道で日の丸を掲げているのを見たと話す。
「日の丸を持った人がけっこういましたね。エキップアサダのジャージもふたり、最後の山岳賞の登り口に見つけました(笑)。あと、名前で応援してくれるようになったのが嬉しいですね」。
この日のコースはユキヤがチーム合宿などで良く走った道で土地勘もあったという。本当は明日・第6ステージのエクサン・プロヴァンスからモンペリエまでのステージが逃げには向いていると思っていたようだが、この日レース後半に通過するブリニョルは、初出場だった2009年ツールの第2ステージで、ステージ5位の驚きの結果を出した街だ(そのときも優勝はカヴェンデュッシュ)。
後半、やはりマイヨ・ジョーヌをただでは手放さないグリーンエッジのペースアップと、スプリントに持ち込みたいオメガファーマ・クイックステップ、ロット・ベリソル、アルゴス・シマノらの強力な引きがユキヤグループを追い詰めた。残り30kmで3分以上。逃げ切る最低条件の「10km・1分差」の公式を満たしてはいたが、4人に減った小さなグループには厳しい向かい風と、ゴール前は平坦の直線路が続くことが悪い材料だった。
最後の山岳ポイントまではステージ勝利の可能性があると思っていたユキヤ。しかし、集団のペースアップはそれを許してくれなかった。「ずっといけるか・いけないか、どっちだろう? と思いながら走っていました。いけると思ったんですれど、意外に皆、最後にペースが上げられなくって。しょうがないですね。最後の上りも4人でいこうと思っていたんですが...」。
残り12kmで、レザとルトセンコが先行。デヘントとユキヤはそこで諦めた。ホームストレートで落車が起こったが、真っ向勝負のスプリンター対決となり、マーク・カヴェンデュッシュ(オメガファーマ・クイックステップ)が制した。ユキヤは足止めをくったものの落車には巻き込まれず、この日落車に遭ったピエール・ロランの様子を気遣いながらマイヨ・アポアのコンビで遅れてゴールに戻ってきた。
チームバスに乗り込み一度顔を洗ってから、詰めかけた我々メディアの質問に応えるべくバス前に出てきたユキヤ。
「疲れました。残念です。最後上りで行けるかなと思ったんですけど、ダメでしたね。なかなかうまくいかないもんですね...。でも出し切ったし、やることはやりました。けど、もうちょっとうまくやることもできたんじゃないかと思って」。
「レザのアタックは、コーナーで僕がいちばん後ろにいた時だったんです。アスタナが行って、デヘントがブレーキをかけたので僕もブレーキをかけました。頂上の時点で30秒と聞いていたから、もう無理だろうと思っていたので、そこで諦めました。もっとグネグネした下りだったら僕も挑戦したんですが、最後の道はまっすぐだと分かっていたので、もう今日は終わりとして明日以降のために気持ちを切り替えました」。
「風もずっと向かい風だったし、チームに2人がいても数が行かせる状況でもなかった。でも、何かできたんじゃないか、と思います。2人いて、かといってどちらかが引き過ぎると他の選手が引かなくなるし、難しかったですね。アスタナの選手も脚を貯めているのが気になったし」。
バーチャルマイヨ・ジョーヌになっていることは無線でも確認していたが、それを意識してはいなかったようだ。
「さすがに3分差で逃げ切れることはあり得ないので、マイヨ・ジョーヌはまったく考えませんでした」。
チームに2人がいた状況をもっと有利に使えなかったのか。ユキヤも、我々メディアも、どうするのがベストだったのかは分からなかった。どうせスプリンターのためのステージになることは判りきっている?
「でも、なんか残念。いい方法はなかったんでしょうか? どうすればよかったのか、僕も答えが見つけられないですね。いい方法があったら教えて下さい!」と、ユキヤは悔しそうに投げかけた。ユーロップカーの周りには、日本人のメディアが大勢集まり、加えて日本の観客も集まった。日の丸の大きな旗も広げられ、その様子にフランステレビジョンやユーロスポーツといった欧米のメディアも続々と取材にやってきた。
駆けつけたアメリカFOXニュースの記者が書いた記事はこちら。その盛況ぶりに、取り巻く観客たちからも「今日の走りは素晴らしかった!」と声がかかり、なかには勝った選手だと勘違いして「フェリシタシオン!(おめでとう)」と声をかけていく人々も。そのたびに「勝ってはいないんです」と返事をするが、そこはユキヤの言葉も借りて応えておこう。
「また、次のチャンスに向けて頑張ります!」。
移動した先のホテルで、食事の席で、隣り合う人から続々と声をかけられる。「アラシロはいいレースをした」と。日本チャンピオンジャージのアピール度の大きさを実感してしまう。
photo&text:Makoto.AYANO
コルシカの3日間、そしてチームタイムトライアルと慌ただしかった4日間を終え、ようやく通常のペースのツールが今日から始まる雰囲気がある。ニース市街を少し離れたカーニュをスタートするときは少し薄曇り。228㎞の長距離に加え、標高400m級の難易度の低いカテゴリー山岳が4つ。
それだけでなくコースは緩いアップダウンの連続で、プロヴァンス地方の白い岩肌が眩しい緩やかな丘をいくつもこえていく。総合狙いを諦めざるをえなくなった実力者たちが、これからはステージ狙いにシフトしていく区切りの日でもある。
序盤から決まった新城幸也を含む6人の逃げは、ステージの距離の長さからかすぐに容認された。最初にアタックしたのはコルシカステージで胃腸の不調によってタイムを落としていた2012年ジロ3位のトーマス・デヘント(ベルギー、ヴァカンソレイユ・DCM)。その逃げに乗ったユキヤは、朝のチームミーティングでケヴィン・レザとともにアタックの役割を指示されていたという。
長身のアントニー・ドゥラプラス(フランス、ソジャサン)は、昨年のツール第4ステージでユキヤとともに3人で逃げた選手。ロメン・シカール(フランス、エウスカルテル)、アレクセイ・ルトセンコ(カザフスタン、アスタナ)との6人で、順調にタイム差を開いていく。
6人の逃げに同じチームから2人を送り込む(あまりない)ことになったユーロップカー。ジャージの色が大きく違うことがそれにつながった? 「デヘントらが行って、レザが行かなかったから僕が行ったら、レザも後から追いついてきた」とユキヤ。
この易しいとはいえないコースで、ゲランスのマイヨジョーヌ擁するオリカ・グリーンエッジが13分の差を許したのは少し意外な気もした。平坦ゴールのスプリントを狙うチームによるコントロールが期待できるとはいえ、引き戻すにはかなりの労力を強いられるタイム差だ。
「この逃げの中でツールの経験が多く、総合タイムの良い日本チャンピオンのアラシロがバーチャルマイヨ・ジョーヌになっています」ー レースの前方を走り、スピーカーで観客たちにレースインフォメーションを伝える広報車が観客たちに情報を伝える。すると観客からは「日本人がいいレースをしているな!」と話しかけられる。カリブ出身のグアドループ系フランス人、レザも話題だ。「黒い肌の選手って今までツールに出たことあるの?」
日本チャンピオンジャージが逃げる。白地にシンプルに、大胆に赤い日の丸をあしらったそのジャージの目立つことといったら! さんさんと降り注ぐプロヴァンスの太陽の下で、眩いばかりに輝いている。沿道にはいくつも日本の国旗がはためいていた。日本からの応援団、そして在仏の日本人たち、そして驚くことにフランス人でも日本の旗を振ってユキヤの応援をしている一家も。
「日本のすべてが好きなの。お国柄、文化、食べ物、そしてフランスチームで走っているユキヤも大好き!」。そう話す親子は、逃げグループが通過するとき日の丸を振って「ユキヤ、ガンバッテー!」と声をかけていた。こちらも嬉しくなった。
この日、ユキヤも多くの観客たちが沿道で日の丸を掲げているのを見たと話す。
「日の丸を持った人がけっこういましたね。エキップアサダのジャージもふたり、最後の山岳賞の登り口に見つけました(笑)。あと、名前で応援してくれるようになったのが嬉しいですね」。
この日のコースはユキヤがチーム合宿などで良く走った道で土地勘もあったという。本当は明日・第6ステージのエクサン・プロヴァンスからモンペリエまでのステージが逃げには向いていると思っていたようだが、この日レース後半に通過するブリニョルは、初出場だった2009年ツールの第2ステージで、ステージ5位の驚きの結果を出した街だ(そのときも優勝はカヴェンデュッシュ)。
後半、やはりマイヨ・ジョーヌをただでは手放さないグリーンエッジのペースアップと、スプリントに持ち込みたいオメガファーマ・クイックステップ、ロット・ベリソル、アルゴス・シマノらの強力な引きがユキヤグループを追い詰めた。残り30kmで3分以上。逃げ切る最低条件の「10km・1分差」の公式を満たしてはいたが、4人に減った小さなグループには厳しい向かい風と、ゴール前は平坦の直線路が続くことが悪い材料だった。
最後の山岳ポイントまではステージ勝利の可能性があると思っていたユキヤ。しかし、集団のペースアップはそれを許してくれなかった。「ずっといけるか・いけないか、どっちだろう? と思いながら走っていました。いけると思ったんですれど、意外に皆、最後にペースが上げられなくって。しょうがないですね。最後の上りも4人でいこうと思っていたんですが...」。
残り12kmで、レザとルトセンコが先行。デヘントとユキヤはそこで諦めた。ホームストレートで落車が起こったが、真っ向勝負のスプリンター対決となり、マーク・カヴェンデュッシュ(オメガファーマ・クイックステップ)が制した。ユキヤは足止めをくったものの落車には巻き込まれず、この日落車に遭ったピエール・ロランの様子を気遣いながらマイヨ・アポアのコンビで遅れてゴールに戻ってきた。
チームバスに乗り込み一度顔を洗ってから、詰めかけた我々メディアの質問に応えるべくバス前に出てきたユキヤ。
「疲れました。残念です。最後上りで行けるかなと思ったんですけど、ダメでしたね。なかなかうまくいかないもんですね...。でも出し切ったし、やることはやりました。けど、もうちょっとうまくやることもできたんじゃないかと思って」。
「レザのアタックは、コーナーで僕がいちばん後ろにいた時だったんです。アスタナが行って、デヘントがブレーキをかけたので僕もブレーキをかけました。頂上の時点で30秒と聞いていたから、もう無理だろうと思っていたので、そこで諦めました。もっとグネグネした下りだったら僕も挑戦したんですが、最後の道はまっすぐだと分かっていたので、もう今日は終わりとして明日以降のために気持ちを切り替えました」。
「風もずっと向かい風だったし、チームに2人がいても数が行かせる状況でもなかった。でも、何かできたんじゃないか、と思います。2人いて、かといってどちらかが引き過ぎると他の選手が引かなくなるし、難しかったですね。アスタナの選手も脚を貯めているのが気になったし」。
バーチャルマイヨ・ジョーヌになっていることは無線でも確認していたが、それを意識してはいなかったようだ。
「さすがに3分差で逃げ切れることはあり得ないので、マイヨ・ジョーヌはまったく考えませんでした」。
チームに2人がいた状況をもっと有利に使えなかったのか。ユキヤも、我々メディアも、どうするのがベストだったのかは分からなかった。どうせスプリンターのためのステージになることは判りきっている?
「でも、なんか残念。いい方法はなかったんでしょうか? どうすればよかったのか、僕も答えが見つけられないですね。いい方法があったら教えて下さい!」と、ユキヤは悔しそうに投げかけた。ユーロップカーの周りには、日本人のメディアが大勢集まり、加えて日本の観客も集まった。日の丸の大きな旗も広げられ、その様子にフランステレビジョンやユーロスポーツといった欧米のメディアも続々と取材にやってきた。
駆けつけたアメリカFOXニュースの記者が書いた記事はこちら。その盛況ぶりに、取り巻く観客たちからも「今日の走りは素晴らしかった!」と声がかかり、なかには勝った選手だと勘違いして「フェリシタシオン!(おめでとう)」と声をかけていく人々も。そのたびに「勝ってはいないんです」と返事をするが、そこはユキヤの言葉も借りて応えておこう。
「また、次のチャンスに向けて頑張ります!」。
移動した先のホテルで、食事の席で、隣り合う人から続々と声をかけられる。「アラシロはいいレースをした」と。日本チャンピオンジャージのアピール度の大きさを実感してしまう。
photo&text:Makoto.AYANO
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