今年で4年目を迎えた震災復興イベント「ツール・ド・東北」。3764人のライダーたちが東北を走る、大規模イベントを裏側から支えるオフィシャルテクニカルサポートの実態を、帯同取材した目黒誠子さんがレポートします。



東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県沿岸部を自転車で走るイベント「ツール・ド・東北」。今年は9月17日と18日の二日間に渡って開かれました。2013年から始まったこのイベントは今年で4回目の開催となり、3764名のライダーが出場。規模としても意義としても大きなこの大会において、第1回目よりオフィシャルテクニカルサポートをしているジャイアント・ジャパンの皆さんに密着取材をする機会をいただきました。大会と大会を支える裏側の様子をお伝えします。

女川の沿岸部を走る女川の沿岸部を走る photo:Seiko.Meguro
「ツール・ド・東北」とは。改めて。

復興をテーマとしてはじまった「ツール・ド・東北」は今年で四回目の開催となり、ライド日程が二日間に拡大されました。初日は今年初開催となった、牡鹿(おしか)半島を一周する「牡鹿半島チャレンジグループライド」(100キロ)。二日目は、「女川・雄勝(おがつ)フォンド」(60キロ)、「北上フォンド」(100キロ)、「南三陸フォンド」(170キロ)、「気仙沼フォンド」(211キロ)、「気仙沼ワンウェイフォンド」(95キロ)の5つのコースに分かれ、津波の爪痕がまだ残る宮城県沿岸部を走り抜けます。

女川エイドステーションのサンマつみれ汁は毎年大人気女川エイドステーションのサンマつみれ汁は毎年大人気 photo:Seiko.Meguro工事中の道を走る。それも「ツール・ド・東北」工事中の道を走る。それも「ツール・ド・東北」 photo:Seiko.Meguro復興の道のりをこの目で見るため。
友人と楽しい時間を共有するため。
自分と戦うため。
三陸の旬の幸を食べるため。
ロードレースで東北を元気にするため。
さまざまな想いがあっていい。
みんなが、この地にあつまって、
東北の大自然を走ることで、
可能性のペダルも回り始めるはずだから。

さぁ、未来へ、こぎだそう。
ツール・ド・東北


これが、「ツール・ド・東北」のステイトメントです。「変わっていく被災地の風景や現地の人々の様子を見て、感じながら、多くの人と共に復興への道を歩むために、イベントを10年続けていく予定です。そして、いずれは『ツール・ド・東北』の集大成として、世界のトップライダーが参加するレースの開催に挑戦します。いつの日か、世界中の人々が東北に集まる、そんなイベントに育てていきます。」(ツール・ド・東北公式ホームページより)ー このように大会の未来が描かれています。

未来はトップライダーが参加するレースへ未来はトップライダーが参加するレースへ photo:Seiko.Meguro
ツール・ド・東北の原点と歴史~そして現代のツール・ド・東北へ

元々、「ツール・ド・東北」の原点は、1952年の「東北一周自転車競走大会」にさかのぼります。1971年まで開かれ、自転車競技力の向上と、東北地方の道路整備の促進に貢献しました。1964年の東京オリンピックには、15人中9人の代表選手を東北から輩出するとともに、当時、整備が遅れていた東北の道路事情への理解を高め、道路改良への世論を高める役割も大きく担っていました。

親子で楽しめるのも自転車の魅力。千葉から参加の栗原さん親子親子で楽しめるのも自転車の魅力。千葉から参加の栗原さん親子 photo:Seiko.Meguroお揃いの自転車がかわいい!黄金の稲と山をバックにお揃いの自転車がかわいい!黄金の稲と山をバックに photo:Seiko.Meguroその後は、「東北自転車競技選手権」(1972年~1973年)、「東北地域自転車道路競争選手権大会」を経て、1993年からは、「三笠宮杯ツール・ド・とうほく」が2007年まで続きます。この大会は、選手や関係者からも好評を博すものとなりました。当時の主催は河北新報社と日本自転車競技連盟。

現在、その歴史は受け継がれ、新時代の寵児「ヤフー」と「河北新報社」との共催による「ツール・ド・東北」として「東北」を冠した自転車大会が東日本大震災の復興支援のために戻ってきました。「被災地をこの目で見て、肌で味わい、大地を感じ、一体になるためには車でもマラソンでもない。自転車だ。」ということで、ファンライド形式の「ツール・ド・東北」の開催が決定。

風を感じ、音を感じ、空気を感じ、リアルな体験と地域をひもづけることができるのは自転車。そして自転車はとても身近な乗り物で、かつ交通手段にもなって、たいていの人は、小さな頃から親しんでいるもの…「東北を自転車で走ろう。」こんな風に決まっていったと言います。

ヤフーからジャイアントへの誘い

1952年の発足当時は日本自転車競技連盟の主催だったため、自転車のレースに関する知識や経験が主催者自身にありました。ですが、復興をテーマとする現在の「ツール・ド・東北」には、自転車イベントに関してのノウハウが皆無。そこでヤフー社員と親交があったジャイアントの中村晃社長に、「ツール・ド・東北への協力」についての打診が入ります。

ライド中は参加者の自転車トラブルに対応ライド中は参加者の自転車トラブルに対応 photo:Seiko.Meguroオートバイ隊とも連携して参加者をサポートオートバイ隊とも連携して参加者をサポート photo:Seiko.Meguroその際、ジャイアントは、「参加者は何をして欲しいのか? 大会は何をすべきなのか? ジャイアントには何が出来るのか?」という点について、広報・イベント担当である渋井亮太郎氏とヤフー側とで話し合いが持たれ、「復興のため。サイクリストのため。」ということで、二つ返事で協力を受諾。

一般サイクリスト向けの自転車イベントを開催するにあたって必要不可欠な「テクニカルサポート」として、ジャイアントバイクにかかわらず、参加者すべてのバイクの現地メンテナンスを無償で支援する運びになりました(*)。

ジャイアントの大会協力は、「復興支援」という命題への共感であると同時に、「より多くの方に、もっとスポーツサイクルに親しんでいただきたい」「すべてのサイクリストのために」というジャイアントのフィロソフィーとの親和性の強さによるものでもあります。

またジャイアントの理念は、震災の一か月後の2011年4月、被災地での使途を考慮した特別仕様のマウンテンバイク1,000台を通常生産ラインを止めてまで緊急生産し、社員が現地まで足を運んで無償提供したという行動にも表されていると感じます。

(*前年大会より『ツール・ド・東北基金』へ寄付という形で整備作業代金をいただく形式となりました。それらは、自転車を活用した東北地方の観光振興や、サイクリングロード整備など、東日本大震災被災地域への復興助成金となるそうです。)



ツール・ド・東北 一日目

午後になると列ができてきました午後になると列ができてきました photo:Seiko.Meguro一台一台丁寧に見ていきます一台一台丁寧に見ていきます photo:Seiko.Meguro中西哲夫さんも毎年ジャイアントバイクで出走中西哲夫さんも毎年ジャイアントバイクで出走 photo:Seiko.Meguro初日は今年より新設された「牡鹿(おしか)半島チャレンジグループライド」が行われました。津波により壊滅的な被害を受け、新しい街づくりが進む女川町の中心部から牡鹿半島中心部を抜け、半島南端を回って石巻に戻る100キロのコース。

激しいアップダウンが続く山岳コースとなりましたが、175名の出場者は、15組に分かれ、8~9時間をかけて走りぬきました。一日目は、ジャイアントサポートチームは石巻専修大学のメイン会場にてテントを設営、希望者一人一人に、丁寧に自転車整備を行っていきます。整備を希望される方はさまざまで、はじめて参加する人もいれば、去年のツール・ド・東北から一年ぶりに自転車に乗る、という人も。

4回すべて参加する人も多いことから、いかにこの大会が支持されているかが伺えます。実は自転車の整備は参加者各自が事前に整備するという大会規定があるのですが、「復興の応援をしたいから来た」という参加者の多くが自転車初心者。おのずと自転車の整備状況は良くないという面があります。

そんな中、「このイベントがきっかけで、もっとスポーツサイクルを楽しんでもらえるようになれば…」という思いをもつサポートチームは、どんな状態の自転車でも、どのメーカーでも、すべての自転車を整備していました。午前中はちらほらだった参加者も、午後になると長蛇の列!

でもさすがはメーカー本部。優れた技術を持つ敏腕社員たちによってテキパキと迅速丁寧な作業が行われます。聞くところによると初年度は整備を求める人の数がもっと多かったそうで、「本当に初めての方や普段全然自転車に乗ってないという方まで……。このイベントのために物置から出してきた。と言う方もいたけど、年々よくなっています」と、渋井氏は話してくれました。

バラエティ豊かなメイン会場

地元の方も大喜びのサボンブース。お子様向けにはクラフトコーナー地元の方も大喜びのサボンブース。お子様向けにはクラフトコーナー photo:Seiko.Meguroほかの自転車イベントでも出してくれないかなぁほかの自転車イベントでも出してくれないかなぁ photo:Seiko.Meguro寺田倉庫のキャンプビレッジ。130グループが利用寺田倉庫のキャンプビレッジ。130グループが利用 photo:Seiko.Meguroさて、ツール・ド・東北のメイン会場はどのようになっているのか気になるところ。石巻専修大学の会場をぐるりと回ってみました。自転車のイベントとしては珍しいさまざまな業種のブースが並んでいるのが印象に残ります。どの企業も、東北地方の復興を願ってのもので、「参加者だけでなく地域の方にも楽しんでもらいたい」という思いが込められているようでした。

スキンケアやボディ用品の「サボン」もその一つ。「復興支援のため何か協力したいと思ってブース出展を決めました」とスタッフの方が話してくださいました。お子様にも楽しんでもらえるクラフトコーナーのほか、ボディスクラブ体験コーナーがあり、なんと水が流れるシンク台を持ち込むなどして本格的!使われる水は、スタッフの方がタンクに入れて運ぶ……までする念の入れようです。

参加者が疲れて帰ってきたころにスクラブでハンドケアをしてもらうと、みなさん「生き返った、すっきりした」と喜んでくれるそうです。確かにロングライドの後にこのコーナーがあれば、一瞬でも至福の時が過ごせそうです。

寺田倉庫のブースでは、「身軽に楽しむおしゃれキャンプ体験」として、「使ってみたい~」と思わせられるようなグッズが並んでいました。メイン会場からふと外に目を向けると、テントが並ぶ一角が……こちらは「キャンプビレッジ」で、参加者や関係者がキャンプできるよう、テントを張る区画を貸し出していました。約130グループが利用したとのこと。このような選択肢があると楽しみも広がります。

「TOMODACHIサロン」ブースでは、地元の高校生が震災発生時の様子からこれまでの5年間を語る、「ツール・ド・東北プロジェクト」が行われ、にぎわいを見せていました。また、初日の「牡鹿半島チャレンジグループライド」では、エイドステーションのほかに「語り部ステーション」が設けられ、多くの参加者に当時の話が伝えられていたようです。

ポケモンのまわりには子供の笑顔がいっぱい!ポケモンのまわりには子供の笑顔がいっぱい! photo:Seiko.Meguro
TOMODACHIサロンTOMODACHIサロン photo:Seiko.Meguro会場全体を使ってのウィラースクールも大好評会場全体を使ってのウィラースクールも大好評 photo:Seiko.Meguro


フードコーナーも充実。「ツール・丼・フェスティバル」が行われ、三陸の幸を使った丼ぶりものが勢ぞろい!牛タン、パエリヤ、さんま、ホタテ、肉巻きおにぎり、ピザ、こめ粉クレープなどなど、どれにしようか本気で迷います。ステージでは、子供向けスポーツサイクル教室の「ウィラースクール」をはじめ、白戸太朗さん、田代恭崇さんによるコース説明、別府選手のトーク、ポケモンwithユーなど、さまざまなイベントが行われていました。

一方、テクニカルコーナー、ジャイアントブースでは着々と整備が行われています。並行して、ジャイアントのバイクを借りて走るゲストのためにもバイクの調整がされます。中西哲夫さんもそのお一人。第1回目から参加され、今年で3回目だそう。

魚介のうまみたっぷりの三陸パエリヤ!絶品です魚介のうまみたっぷりの三陸パエリヤ!絶品です photo:Seiko.Meguroどこのブースもおいしくて大人気。本気で迷います。どこのブースもおいしくて大人気。本気で迷います。 photo:Seiko.Meguro


利久の牛タンと牛タンまんじゅう利久の牛タンと牛タンまんじゅう photo:Seiko.Meguro肉巻おにぎりは別府選手も食べていました肉巻おにぎりは別府選手も食べていました photo:Seiko.Meguro


ブエルタ完走後に駆け付けた別府選手(中央)と田代恭崇さん(左)、白戸太朗さん(右)ブエルタ完走後に駆け付けた別府選手(中央)と田代恭崇さん(左)、白戸太朗さん(右) photo:Seiko.Meguro地元の人々も毎年ツール・ド・東北がたのしみだそう地元の人々も毎年ツール・ド・東北がたのしみだそう photo:Seiko.Meguro





ツール・ド・東北二日目

スタート前。まだ薄暗いうちからバイク点検スタート前。まだ薄暗いうちからバイク点検 photo:Seiko.Meguro二日目。朝から雨となったこの日、大会メイン会場となる石巻専修大学では、朝5時30分に最長コースの「気仙沼フォンド」がスタート。その後、各コースが次々と出発していきました。ジャイアントのメンバーが石巻市街のホテルを出たのは午前四時。気仙沼フォンドのスタートに間に合うよう、余裕をもって会場入りしました。

会場では、参加者のバイクを整備点検したり、ハンドルに規定外のエアロバーを付けたバイクの組み替えをしたり、スタートしていくライダーにエールを送ったり。まだ暗いうちから整備作業に追われます。一方、気仙沼会場では、今年で3回目の出走となる駐日米国大使のキャロライン・ケネディ氏を含めた「気仙沼ワンウェイフォンド」が出発。

スタートセレモニーでは、「今日は東日本大震災で被害に遭われた皆さまの記憶を心に抱きながら、また、最近の台風の被災者のことも思いながらライドします。そして、本当の意味での東北の精神と人々が取り組んでいる再建への努力を祝します」とコメントし、95キロのコースをスタートしました。サポートチームは石巻発と気仙沼発計6台のバンに分かれライダーをサポート。私が乗ったサポートカーは女川ライドの担当。さぁ、ライドの出発です。

スタートしてほどなく、数名が自転車を降りています。何かあった様子。聞くとゼッケンが取れてしまった、ということ。この日は朝から雨。急きょつけられた紙製のゼッケンが雨でぬれてしまい、バイクから外れていました。「大きなことではなくてよかった。ほっ。」

同じくメカニックサポートのシマノと共同でバイク整備同じくメカニックサポートのシマノと共同でバイク整備 photo:Seiko.Meguro
エンド金具折れを応急処置。手早い作業エンド金具折れを応急処置。手早い作業 photo:Seiko.Meguroジャイアント社員の中谷さんジャイアント社員の中谷さん photo:Seiko.Meguro


ゼッケンをつけ、また車を走らせると今度はチェーンがおかしくなったと自転車が止まっています。ライダーの邪魔にならない位置に車をとめ、修理に取り掛かります。こんな風に次から次へとパンク、変速や駆動パーツの修理等、ライダーの車両整備を行いながら、時には体調不良や体力不足でリタイヤするライダーまでもヘルプしていきます。

「ライダーが立ち往生している」という連絡が入れば、スタート近くまでUターン。行ったり来たり。ツール・ド・東北には、規定の講習を受けた「走行管理ライダー」がいますが、自転車で駆けつけるのは限界があるときや、やや大がかりな工具や設備が必要なときなど、走行管理ライダーからバトンタッチ。チームワークでライダーのサポートをしていきます。



「サポートチームはなくてはならない存在」足達伊智郎ツール・ド・東北事務局長

足達事務局長とジャイアント広報・渋井氏足達事務局長とジャイアント広報・渋井氏 photo:Seiko.Meguro足達伊智郎ツール・ド・東北事務局長は語ります。「第一回大会からジャイアント・ジャパンに全面協力していただいています。ジャイアントと話し合いを持ったのは2013年の春先でした。自転車のイベントにはあまり知識も経験もなかったものですから、ジャイアントがライド体制、メカニック体制などをすべて設計してくれました。まぎれもなくこの大会のキーです。」

「実は大会の日程を決めるのも、サポートチームやジャイアントの日程を押さえてから、というほどです(笑)。メカニックサポートがないとできないイベントです。二年目からはシマノさんにも声をかけてくださり、今の『ジャイアント&シマノによるライドサポート体制』ができあがっています。ほんとうになくてはならない存在です。」

「悲しみ・あたたかさ・強さ」

ツール・ド・東北には、青森・三沢基地など在日米軍基地に所属する米軍関係者のサイクリスト25名も出場しました。毎年、全国の基地に呼びかけをし年々人数が増えており、今年は三沢、横田、横須賀基地から集まったと言います。代表のマシュー・リギンスさんに話を聞きました。

三沢基地を中心に全国から集まった米軍のライダーのみなさん三沢基地を中心に全国から集まった米軍のライダーのみなさん photo:Seiko.Meguro「この大会に出て、3つのことを思いました。Sad(悲しみ)、Warm(あたたかさ)、そしてStrong(強さ)です。あの震災は本当につらく悲しいものでした。だけど、ここにいる人々はみんな前を向いていますね。決して過去にしがみついてはいない。誰ひとり、犠牲者や被害者ぶっていないんです!

過去に起こったことは事実として受け止め、悲しみを胸に秘めながらも、しっかりと前を向いている。日本人とアメリカ人の違いはそこだと感じました。誰もが未来を見ている。誰もが前に向かって歩いている。本当に、信じられないほど、とてつもなく感銘を受けた。このイベントのおかげで、素晴らしい体験ができた。継続して参加し続けたい。」

ツール・ド・東北を通した自転車の輪は、地域に、そして世界に広がっています。「さまざまな想いがあり、さまざまなきっかけがあり、さまざまな交流がある。」そのツールとなるのが、「自転車」。ツールを持てば、世界が広がります。すべてのサイクリストを応援し、サポートしていく歩みは、きっとこれからも続いていくのだろうと確信しました。

photo&text:Seiko.Meguro