皆さん、はじめまして。全21ステージ中の第15ステージからツール・ド・フランスに帯同していた目黒誠子です。普段はツアー・オブ・ジャパン海外チーム招待担当の仕事をしているご縁もあって、シクロワイアードの綾野フォトグラファーとともにツールに随行させていただきました。



世界中で延べ35億人が観戦するといわれている巨大なレース、ツール・ド・フランス。その現場をはじめて目にし、驚くことばかり。規模は大きく違うとは言え、世界最高峰のレースから学ぶことはたくさんあるはず。少しでも国内レースに役に立つヒントを持ち帰れたら、と思っています。

グランドン峠にて、フリーライターのハシケンこと橋本謙司さん(左)、フォトグラファーの綾野真さん(右)、私・目黒誠子グランドン峠にて、フリーライターのハシケンこと橋本謙司さん(左)、フォトグラファーの綾野真さん(右)、私・目黒誠子
「ツール・ド・フランスを観に行きたい!」

そんな私の無謀な申し出を快く(しぶしぶ?)受けてくださった綾野さん。もうひとり、同行者となったフリーライターのハシケンこと橋本謙司さんと共に、シクロワイアードのオフィスのドアを叩いたのは6月上旬のことでした。

ツール取材は1998年からで、今年で17回目という綾野さんから出た言葉は、「ツールへの帯同は生易しいものではない」「ベストショットとなるような景色を探しながらレースを追いかけ、細くて険しい山道を抜ける。ひとりだけの運転ならまだしも、誰かを同乗させるということは私にも大きな責任が伴う。危険で、毎年いつどうなるかわからないという覚悟で行っている。毎日が時間との戦いで、人に気を遣ってもいられないから...」という厳しいものでした。

観戦でいくのならまだしも、仕事で行くということは、とても簡単なものではなく命懸けなのだ、ということが、綾野さんの真剣な表情からわかりました。そんな綾野さんの迷惑となってはいけないと思い、「やっぱり迷惑だよね、やめようかな」と躊躇するものの、やはり「レース関係者としてツールを観に行きたい!」という熱い気持ちが抑えられず、「できるだけ迷惑とならない行動をすること」を条件に、今回のツールへの同行を許可していただきました。そしてIDも発行していただきました。私は第15ステージから、ハシケン氏は2度めの休息日から合流です。

モンペリエのコメディ広場に降り立ちました。ツール・ド・フランスの気配はまったくありませんモンペリエのコメディ広場に降り立ちました。ツール・ド・フランスの気配はまったくありません 2013年の100回大会、第6ステージのゴール地点となったことがある美しい街モンペリエ2013年の100回大会、第6ステージのゴール地点となったことがある美しい街モンペリエ


シャルルドゴール空港の国内線ターミナルから向かった先はフランス南部の都市、モンペリエ。綾野さんと合流することになっているロゼール県・バナサックのホテルまでは、モンペリエからローカルバス、というのが一番効率がいい行き方だ、と宿泊先のホテルの方が事前に教えてくれていました。といっても、一日2〜3本しか本数がなく、乗り換えあり、乗り継ぎ時間1時間半、というものでありましたが。

乗り継ぎ時間1時間半かぁ....。何してよう? 乗り換えの場所はミヨー。世界で一番高いという有名なミヨー橋でも見れるといいな。

バタバタの毎日から抜け出し、モンペリエに着いてから改めてコース図を取り出した私は、バスの乗り換え地点が、この日のスプリントポイントが置かれている「ミヨー」であることを始めて知りました。しかも、乗り継ぎ時間の間にちょうど通過する!

バスでミヨー橋を通過! 空を飛んでいるかのような高度感でしたバスでミヨー橋を通過! 空を飛んでいるかのような高度感でした 「この乗り継ぎ時間は、ミヨーで観戦するために神様がくれた時間かも?ぜったいコース上のプロトンを観に行く!」と決めて、バスに乗ること一時間。フランスの田舎の広大な風景を見ながら、ロングフライトと乗り継ぎ、7時間の時差でうとうとしていたところに突然開かれた視界。眼下に広がる小さな町に度肝を抜かれました。「あれ?ここは空の上?」

2004年に開通し、2005年ツール・ド・フランスの第18ステージにも登場したことがあるミヨー橋は、主塔の高さはエッフェル塔や東京タワーより高い343m。地上から橋の上の道路までの高さは270mで、世界一高い橋として知られています。まるで雲を突き刺すように掛けられたこの橋を「見れたらいいなぁ」などとぼんやり考えていただけの私は、まさか渡ることになるなんて思ってもいなかったので感激しました。

「世界一高い橋」として知られるミヨー橋(主塔の高さ343m)の下を通過するプロトン「世界一高い橋」として知られるミヨー橋(主塔の高さ343m)の下を通過するプロトン photo:Kei Tsuji
ダイナミックな鉄塔、それに負けないくらい大きく広がるフランスの大自然。こんなにも大きな橋がかかったら、周りの景色も存在感がなくなってしまうと思ったら大違い。人工的な建造物であるこの橋は、そのダイナミックさでフランスの大自然と見事にマッチしていたのでした。

ミヨーの駅に到着し、コースになっている道路まで歩いていくこと約10分。駅前とはうってかわっての人、人、人。町を上げての歓迎ムード。真ん中にきれいな噴水が流れるロンポワン(ラウンドアバウト)から少し先の沿道に陣取り!

ミヨーの街中でツール・ド・フランスのプロトンを待ちます。お知らせしてなかったので綾野さんのプレスカーは私に気づかず通り過ぎたそうです(笑)ミヨーの街中でツール・ド・フランスのプロトンを待ちます。お知らせしてなかったので綾野さんのプレスカーは私に気づかず通り過ぎたそうです(笑)
ルーベン・プラサ(ランプレ・メリダ)が逃げグループを引くルーベン・プラサ(ランプレ・メリダ)が逃げグループを引く photo:Kei Tsujiキャラバン隊はすでに通り過ぎた後で、あと15分ほどで選手が来る! オフィシャルカーがちらほら通過し、胸が高鳴ります。選手を誘導するモトバイクが通過すると、このときちょうど逃げていたのは、ランプレ・メリダのルーベン・プラサ選手。ツアー・オブ・ジャパンにも毎年来てくれているランプレメリダの選手がはじめてのツール・ド・フランスで、はじめて見た選手だった、ということはとてもうれしいものでした。まもなく集団が通過し、チームカーの隊列も過ぎると、次のバスの時間が迫っていたので足早に駅に戻りました。

たった一瞬だけでしたが、長年の念願だった、生まれてはじめてのツール・ド・フランスはとてもキラキラしていて、選手も、観客のみなさんも、周りの景色も大自然も、このレースに関わるすべてが生き生きしているように見えました。2006年、宇都宮森林公園ではじめて見たジャパンカップを思い出しました。

バナサックまでのバスの乗客は私ひとり。約束していた通り、ホテルの人が駅まで迎えに来てくれていました。ホテルにつくとまるでタイムトリップ。そこは15世紀に作られたというシャトーでした。ツール・ド・フランスの時期はスタート地点のそばのホテルは関係者で満室になることが多く、少し離れた町や村に宿をとることがある、「今日のところは当たりだよ」と綾野さんが教えてくれました。

バナサック・ラ・カヌルグの小さなシャトーホテルが最初の宿でしたバナサック・ラ・カヌルグの小さなシャトーホテルが最初の宿でした
ピレネー名物のマスのアーモンド焼きをいただきましたピレネー名物のマスのアーモンド焼きをいただきました 無事綾野さんとも合流し、最初に教えてもらったことは、「ロードブック」の読み方。228ページもあり重さ約1キロもあるこの本は、チーム関係者やメディアパスを持つ人に現地で配られ、ツールに帯同するために必須となる様々な情報が詰まっています。

メディア数637、ジャーナリストの数2000人、フル帯同する人の総数で4,500人を超える巨大なイベントであるツール・ド・フランス。
朝のスタート地点へアクセスするために、「PPO」と言われるポイントが存在します。英語なら「Obligatory Passing Point」。混乱を避けるため、パスを持つものが必ず通過しなければならないポイントです。

PPOを通過したあとのアクセス方や駐車ポイントも、チーム、プレス、キャラバン、ゲストとそれぞれ決められており、万が一その場所がすでにいっぱいで駐車できない場合や、時間を過ぎてしまった場合のアクセス方も定められています。

また、レースが行われる公式ルートのほかに、公式迂回路があり、フィニッシュ地点へと先回りするチームカーやチーム関係者、メディアはこの道を通ることになっています。

ホテルのお部屋でガイドブックにあるレースコースをミシュランの詳細地図に記していきますホテルのお部屋でガイドブックにあるレースコースをミシュランの詳細地図に記していきます シャトーホテルの窓からの風景。マシフサントラルの素朴な農村ですシャトーホテルの窓からの風景。マシフサントラルの素朴な農村です


帯同にあたって私の最初の仕事は、細い道までもしっかりと載っているミシュランの地図に、コースと迂回路をマーカーペンで印をつけることでした。この日から本格的に私のツール・ド・フランス帯同が始まりました。



プロフィール
目黒誠子(めぐろせいこ)

ツアー・オブ・ジャパンでは海外チームの招待・連絡を担当。2006年ジャパンカップサイクルロードレースに業務で携わってからロードレースの世界に魅了される。
ロードバイクでのサイクリングを楽しむ。趣味はバラ栽培と鑑賞。航空会社の広報系の仕事にも携わり、折り紙飛行機の指導員という変わりダネ資格を持つ。