2013/01/18(金) - 17:30
日本時間1月18日午前11時、ランス・アームストロングが出演した「OPRHA AND LANCE ARMSTRONG」が放映され、番組内でアームストロングは7回優勝したツール・ド・フランスすべてで薬物を使用したことなどを告白した。
ストリーミング配信により世界じゅうの人々が視聴することができたオプラ・ウィンフリー氏によるインタビュー番組は、収録が2時間半に渡ったためまず18日に90分間の前編が配信された。前報道通り、アームストロングは過去の薬物使用を認める発言をした。
番組開始直後、オプラ・ウィンフリーはYes・No形式でアームストロングに薬物使用に対する疑問をストレートにぶつけた。アームストロングはEPOおよび血液ドーピング、テストステロン、コルチゾン、ヒト成長ホルモン他の薬物を使用したドーピングをしたかの問いに対して「Yes」と答えた。7連覇したツール・ド・フランスすべてにおいてドーピングをしていたことを認めた。
「それ(ドーピング)なしで7回ツール・ド・フランスに勝つことは可能だった?」の問いには、「ノー。自分が思うに」と答えた。
アームストロングがドーピングを始めたのは90年代なかばから。つまり癌になる前のこと。そして7連覇した2005年のツールの勝利を最後に、一度引退からレースに復帰した2009年と2011年の間において、2009年と2010年のツール・ド・フランスにおいてはドーピングしていないと話した。
長年否定し続けてきたことをなぜ今認めるのか?の問いに「栄光と、完璧なストーリーが長く続いたために、手遅れになっていった。勢いで続け、7回の優勝、結婚、完璧な子どもたちに恵まれ...」と説明。
そして、「当時は違反をしているという自覚はなく、間違ったことをしているという感覚もなかった。ドーピングするのは、ボトルに水を入れること、ポンプでタイヤに空気を入れることと同じように、レースをするための仕事の一部のように思っていた」と、罪悪感を感じること無く、止められなくなっていく様を話した。
無数のドーピング検査をかいくぐってきたことについては「かつては検査で引っかかる気がしなかった。当時の検査は厳しくなく、家やトレーニングキャンプには検査に来なかった。レース中さえクリーンなら見つからない。スケジュールどおりやれば引っかからない。1999年には競技外検査がなかった」と、ドーピングする側のほうが検査側の先を行っていたこと、その後、バイオロジカルパスポートの導入などでドーピングが難しくなったことなどを話した。
しかしカムバック後にドーピングしたというUSADAのレポートに関しては異議を唱える。「最後にドーピングしたのは2005年で、絶対にそれが最後だ」。
USポスタルのチームメイト、クリスティアン・ヴァン・デ・ヴェルデが「ドーピングをしなければならない状況に追い込まれた」と証言したこと、そしてUSポスタルの選手たちに対してドーピングするように指示し、従わないとチームを追い出すといった脅迫をしていたのではないか、という疑問には、
「”シナリオ”に同調しなかった人々に対して非難するような態度を取ったが、自分自身がチーム員たちにドーピングを強要したことはない。しかし直接の指示でなくてもチームリーダの自分がドーピングしたら、それに従わなければならないと感じただろうことは理解できる」と話した。
ドーピングしていた当時の心境を、間違ったり、悪いとは感じなかったか?と聞かれると、「怖かった」と形容した。
今は、人々の怒りを通して理解してきている。今まで自分を信じ、支えてくれた人たち、また、リブストロングの何千・何億という支援者たちに対しては、裏切ってしまったことに、残りの人生をかけて謝罪し、信頼を取り戻したいと話した。
番組内では2005年ツールの優勝時に、シャンゼリゼのポディウムでマイクを握り「奇跡を信じられない人々のことを哀れに思う」と発言したシーンなどが再生され、アームストロングは「人生で様々なミスを犯してきたが、そのひとつだった」と恥じた。
UCIへの寄付は贈収賄ではなかったと主張
アームストロングがUCIに対して行った10万ドルの寄付については、ツール・ド・スイスの際に出た陽性反応をもみ消すためのものでなく、UCIに「寄付してほしい」と依頼されて行った寄付であること、秘密の会合や、陽性となった検査はなかったと主張した。ウィンフリー氏はそれ以上この疑問点については追求しなかった。
ミケーレ・フェラーリ医師については、他の人のことだから語りたくないこと、彼と関わったことが間違いだったと話した。
アームストロングにコルチゾンの陽性反応が出た後、チーム関係者がその処方日時を捏造したと証言した元USポスタルの女性ソワニエ(チーム内助スタッフ)エンマ・オライリーさんや、アームストロングが癌治療中に禁止薬物を摂取したことを医師に認める話をしていたことを告発したフランキー・アンドリューの妻ベッツィーさんらの訴えた内容についても認めた。
そして、彼女らを名誉毀損で訴え、執拗な嫌がらせや圧力をかけ、暴言を吐いていたことなどを省み、今は謝ろうと試みているが、謝れていないという。「傷つけ過ぎた」と。
そしてしばしば自分を批判する人たちを攻撃し、追い詰めてきたことについては、
生まれつき好戦的で、若い母ひとりに育てられた環境のために譲れない性格となったことが原因であるとし、司会者のウィンフリー氏に「あなたは”Bully”(=いじめっこ、ガキ大将)」と呼ばれたことに同意した。
自身のドーピングを認め、アームストロングのドーピングについて暴露したフロイド・ランディスについては、証言されたことが意外だったこと、そしてこの証言が今回の自身の疑惑への追求が進む大きなターニングポイントになったこと、さらにジョージ・ヒンカピーの証言は最後の切り札だった、と話した。
「これからのUSADAの反ドーピング捜査を手伝うか?」と問われると、自ら「サイクリングを愛しているが、さあサイクリング界をクリーンにしよう」と呼びかける立場にはない。しかし、そういったことを求められれば協力したい」と話した。
番組2日目は、スポンサー、子供、母、リブストロング財団など、アームストロングを支援した周囲にも質問は及んでいくという。
text:Makoto.AYANO
録画番組は以下のリンクにて視聴が可能だ。
OPRHA AND LANCE ARMSTRONG
ストリーミング配信により世界じゅうの人々が視聴することができたオプラ・ウィンフリー氏によるインタビュー番組は、収録が2時間半に渡ったためまず18日に90分間の前編が配信された。前報道通り、アームストロングは過去の薬物使用を認める発言をした。
番組開始直後、オプラ・ウィンフリーはYes・No形式でアームストロングに薬物使用に対する疑問をストレートにぶつけた。アームストロングはEPOおよび血液ドーピング、テストステロン、コルチゾン、ヒト成長ホルモン他の薬物を使用したドーピングをしたかの問いに対して「Yes」と答えた。7連覇したツール・ド・フランスすべてにおいてドーピングをしていたことを認めた。
「それ(ドーピング)なしで7回ツール・ド・フランスに勝つことは可能だった?」の問いには、「ノー。自分が思うに」と答えた。
アームストロングがドーピングを始めたのは90年代なかばから。つまり癌になる前のこと。そして7連覇した2005年のツールの勝利を最後に、一度引退からレースに復帰した2009年と2011年の間において、2009年と2010年のツール・ド・フランスにおいてはドーピングしていないと話した。
長年否定し続けてきたことをなぜ今認めるのか?の問いに「栄光と、完璧なストーリーが長く続いたために、手遅れになっていった。勢いで続け、7回の優勝、結婚、完璧な子どもたちに恵まれ...」と説明。
そして、「当時は違反をしているという自覚はなく、間違ったことをしているという感覚もなかった。ドーピングするのは、ボトルに水を入れること、ポンプでタイヤに空気を入れることと同じように、レースをするための仕事の一部のように思っていた」と、罪悪感を感じること無く、止められなくなっていく様を話した。
無数のドーピング検査をかいくぐってきたことについては「かつては検査で引っかかる気がしなかった。当時の検査は厳しくなく、家やトレーニングキャンプには検査に来なかった。レース中さえクリーンなら見つからない。スケジュールどおりやれば引っかからない。1999年には競技外検査がなかった」と、ドーピングする側のほうが検査側の先を行っていたこと、その後、バイオロジカルパスポートの導入などでドーピングが難しくなったことなどを話した。
しかしカムバック後にドーピングしたというUSADAのレポートに関しては異議を唱える。「最後にドーピングしたのは2005年で、絶対にそれが最後だ」。
USポスタルのチームメイト、クリスティアン・ヴァン・デ・ヴェルデが「ドーピングをしなければならない状況に追い込まれた」と証言したこと、そしてUSポスタルの選手たちに対してドーピングするように指示し、従わないとチームを追い出すといった脅迫をしていたのではないか、という疑問には、
「”シナリオ”に同調しなかった人々に対して非難するような態度を取ったが、自分自身がチーム員たちにドーピングを強要したことはない。しかし直接の指示でなくてもチームリーダの自分がドーピングしたら、それに従わなければならないと感じただろうことは理解できる」と話した。
ドーピングしていた当時の心境を、間違ったり、悪いとは感じなかったか?と聞かれると、「怖かった」と形容した。
今は、人々の怒りを通して理解してきている。今まで自分を信じ、支えてくれた人たち、また、リブストロングの何千・何億という支援者たちに対しては、裏切ってしまったことに、残りの人生をかけて謝罪し、信頼を取り戻したいと話した。
番組内では2005年ツールの優勝時に、シャンゼリゼのポディウムでマイクを握り「奇跡を信じられない人々のことを哀れに思う」と発言したシーンなどが再生され、アームストロングは「人生で様々なミスを犯してきたが、そのひとつだった」と恥じた。
UCIへの寄付は贈収賄ではなかったと主張
アームストロングがUCIに対して行った10万ドルの寄付については、ツール・ド・スイスの際に出た陽性反応をもみ消すためのものでなく、UCIに「寄付してほしい」と依頼されて行った寄付であること、秘密の会合や、陽性となった検査はなかったと主張した。ウィンフリー氏はそれ以上この疑問点については追求しなかった。
ミケーレ・フェラーリ医師については、他の人のことだから語りたくないこと、彼と関わったことが間違いだったと話した。
アームストロングにコルチゾンの陽性反応が出た後、チーム関係者がその処方日時を捏造したと証言した元USポスタルの女性ソワニエ(チーム内助スタッフ)エンマ・オライリーさんや、アームストロングが癌治療中に禁止薬物を摂取したことを医師に認める話をしていたことを告発したフランキー・アンドリューの妻ベッツィーさんらの訴えた内容についても認めた。
そして、彼女らを名誉毀損で訴え、執拗な嫌がらせや圧力をかけ、暴言を吐いていたことなどを省み、今は謝ろうと試みているが、謝れていないという。「傷つけ過ぎた」と。
そしてしばしば自分を批判する人たちを攻撃し、追い詰めてきたことについては、
生まれつき好戦的で、若い母ひとりに育てられた環境のために譲れない性格となったことが原因であるとし、司会者のウィンフリー氏に「あなたは”Bully”(=いじめっこ、ガキ大将)」と呼ばれたことに同意した。
自身のドーピングを認め、アームストロングのドーピングについて暴露したフロイド・ランディスについては、証言されたことが意外だったこと、そしてこの証言が今回の自身の疑惑への追求が進む大きなターニングポイントになったこと、さらにジョージ・ヒンカピーの証言は最後の切り札だった、と話した。
「これからのUSADAの反ドーピング捜査を手伝うか?」と問われると、自ら「サイクリングを愛しているが、さあサイクリング界をクリーンにしよう」と呼びかける立場にはない。しかし、そういったことを求められれば協力したい」と話した。
番組2日目は、スポンサー、子供、母、リブストロング財団など、アームストロングを支援した周囲にも質問は及んでいくという。
text:Makoto.AYANO
録画番組は以下のリンクにて視聴が可能だ。
OPRHA AND LANCE ARMSTRONG
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