ワウテル・ウェイラント(ベルギー)が不慮の事故死を遂げてから1年。ジロ・デ・イタリア第3ステージのスタート前に、1分間の黙祷が捧げられた。デンマーク最終日は、またもや派手な落車に意気消沈するステージに。レース後、選手、チームスタッフ、大会関係者、報道陣は、それぞれの手段でイタリアを目指す。

ウェイラントとトロイボルグ市長に捧げる第3ステージ

ウェイラントに1分間の黙祷が捧げられるウェイラントに1分間の黙祷が捧げられる photo:Kei Tsuji今でも思い出す度に口を噤んでしまう、ウェイラントの死。同世代の選手が、スタート前に顔を合わせていた選手が、レース中に突然亡くなるという衝撃から早くも1年が経つ。

2010年大会第3ステージでスプリント勝利し、1年後の2011年大会第3ステージで不慮の事故死。ジロ・デ・イタリアの主催者は、ウェイラントが付けていた「108」を欠番(永久欠番かどうかは確認出来ていない)にし、2012年大会の第3ステージを彼に捧げることを決めた。

ホルセンスのスタート地点ホルセンスのスタート地点 photo:Kei Tsuji主催者は、デンマーク・ユトランド半島東部ホルセンスの会場にフィアンセのアンネ・ソフィーさんを招き、1分間の黙祷を捧げるとともに、会場にウェイラントの好きだった「Sex on Fire」が響き渡らせた。

驚くことに、第3ステージのスタート&ゴール地点であるホルセンスのヤン・トロイボルグ市長が、5月6日に行なわれたジロの前座的な市民サイクリングイベント参加中に心臓発作で急死するというアクシデントが発生。56歳で、しかも自身が尽力したジロ誘致の実現前日というタイミングでこの世を去った。

ホルセンスの旧市街に作られたスタート地点。青い空に映える赤いデンマーク国旗は、ちょうどポールの半分の位置で風になびいている。ウェイラントの追悼セレモニーに合わせて、トロイボルグ市長の妹が出席し、同市長の功績を讃えるセレモニーも同時に行なわれた。

どうしてこうも第3ステージで不幸が繰り返されるのか。これ以上何も起こりませんように。そんな強い思いをその場にいる全ての人間と共有しながら、198名の選手たちのスタートを見送った。

ホルセンスの空に舞い上がるウェイラントの写真ホルセンスの空に舞い上がるウェイラントの写真 photo:Kei Tsuji

オリカ・グリーンエッジがチームワークで勝ち取った初金星

笑顔でスタートを待つ別府史之(オリカ・グリーンエッジ)笑顔でスタートを待つ別府史之(オリカ・グリーンエッジ) photo:Kei Tsuji「昨日の反省を活かして、今日グリーンエッジはまとまってゴスをスプリントに連れて行きます。最後の(ホルセンスの)周回コースがテクニカルで、特にラスト6kmのコーナーが連続する区間でいかに集団前方を走るかが鍵を握る。自分の仕事は、そこで位置取りをすることです」。

チームメイトと一緒にステージに上がり、クリアボードにサインした別府史之(オリカ・グリーンエッジ)は笑顔でそう語った。

ホルセンスの周回コースを駆け抜けるホルセンスの周回コースを駆け抜ける photo:Kei Tsujiチーム変更に伴うトレーニング環境の変化と、ボルタ・ア・カタルーニャ後の体調不良により、若干コンディショニングが遅れていたフミ。アルデンヌ・クラシックを走り終え、そしてツール・ド・ロマンディを走り終え、ようやく本調子になりつつある。

この3週間にわたってフミの表情をファインダー越しに見てきた自分には、今のフミがかなり良い状態にあるということが分かる。

ホルセンス郊外を駆け抜けるホルセンス郊外を駆け抜ける photo:Kei Tsujiオリカ・グリーンエッジはレース前半から積極的にメイン集団を率い、ホルセンスの周回コースに入ってもその勢いを弱めない。周回コースのテクニカル区間ではチームスカイに先手を奪われたが、人数を揃えてゴスのポジションをキープする。

そして最後はブレット・ランカスター(オーストラリア)がマシュー・ゴス(オーストラリア)を発射する。最高の形でスプリントに持ち込んだゴスが、チームの仕事を勝利という形で締めくくった。

グランツール初出場のオリカ・グリーンエッジが、グランツール初勝利。ボーナスタイムを獲得したゴスは23秒差の総合8位にジャンプアップし、休息日後第4ステージ・チームタイムトライアルでのマリアローザ獲得を射程圏内に捉えた。

ガッツポーズでゴールするマシュー・ゴス(オーストラリア、オリカ・グリーンエッジ)ガッツポーズでゴールするマシュー・ゴス(オーストラリア、オリカ・グリーンエッジ) photo:Kei Tsuji


ゴールスプリント中にマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、チームスカイ)が落車ゴールスプリント中にマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、チームスカイ)が落車 photo:Kei Tsuji一方、ゴスの後方では地獄絵図が繰り広げられた。鋭く斜行したロベルト・フェラーリ(イタリア、アンドローニ・ジョカトリ)にマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、チームスカイ)が接触。赤いポイント賞ジャージを着る世界チャンピオンのカヴェンディッシュが派手に落車した。

マーク・カヴェンディッシュ(イギリス、チームスカイ)が痛々しい姿でゴールマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、チームスカイ)が痛々しい姿でゴール photo:Kei Tsuji最終ストレートが若干下り基調であったため、落車時のスピードは70km/h前後。激しく左半身を地面に打ち付けたカヴェンディッシュの上を、間一髪エリア・ファヴィッリ(イタリア、ファルネーゼヴィーニ)がバニーホップで飛び越える。しかしその他の選手は、為す術もなく衝突した。

地面に倒れ込む選手の中には、マリアローザのテイラー・フィニー(アメリカ、BMCレーシングチーム)の姿も。2日連続で落車し、右足首を痛めたフィニーは自分の力で立ち上がることが出来ない。救急車に乗ってフィニッシュラインを通過したためDNF扱いになると思われたが、救済措置により同タイム扱いに。

痛々しいテイラー・フィニー(アメリカ、BMCレーシングチーム)の右脚痛々しいテイラー・フィニー(アメリカ、BMCレーシングチーム)の右脚 photo:Veeral PatelUCI(国際自転車競技連合)の分厚いルールブックには、2.6.027「最後の3km以内における正当と認められた落車の結果としてフィニッシュ・ラインを通過することができなかった競技者は、そのステージの最下位に順位付けられ、事故時に一緒だった競技者または集団のタイムが与えられる(日本語訳:JCF)」とある。

とにかく、フィニーはマリアローザを守った。「イタリアでマリアローザを着る」という夢を無事に果たすことになる。しかしフィニーの右足首の怪我の様子は思わしくなく、レース後、車いすに乗って空港に向かう姿が確認されている。イタリアの病院で診察を受け、現在その結果を待っている最中だ。

ゴスの位置取りに力を使いながらも、最後まで集団前方に残ったフミは、10番手でフィニッシュラインを通過した。フェラーリ降格処分によりフミはステージ9位に。ゴスが両手を挙げるその後ろで、笑顔でガッツポーズを繰り出した。フミのコメントは休息日のインタビュー記事でお伝えします。

ゾメニャンの置き土産 休息日の民族大移動

「BENVENUTO GIRO D'ITALIA(ようこそ、ジロ・デ・イタリア)」「BENVENUTO GIRO D'ITALIA(ようこそ、ジロ・デ・イタリア)」 photo:Kei Tsuji2011年のジロ・デ・イタリアは悪名高き過酷なコース設定だった。山岳ステージの厳しさはもちろんのこと、ステージの間の移動がとにかく長い。レース後に100km以上移動するのはザラで、休息日には決まって長距離移動を強いられた。

そんな2011年大会のコースをデザインした奇才アンジェロ・ゾメニャン氏は、昨年の間にレースディレクターの職を辞している。代わってディレクターに着任したのは若いミケーレ・アックアローネ氏。同氏は、ゾメニャン氏ほど奇抜なコースを作らないだろうというのがイタリアンジャーナリストたちの見解だ。

デンマーク開幕発表時の記者会見 左から2番目がアンジェロ・ゾメニャン氏、右から3番目がヤン・トロイボルグ市長デンマーク開幕発表時の記者会見 左から2番目がアンジェロ・ゾメニャン氏、右から3番目がヤン・トロイボルグ市長 photo:RCS Sportジロのコースは、前年大会の開催時にはすでに確定しているもの。つまり2012年大会は、アックアローネ氏がデザインしたものではなく、ゾメニャン氏がデザインした最後のジロである。

一時はアメリカ・ワシントンDCで開幕するというセンセーショナルなアイデアも浮かび、実際ゾメニャン氏が何回か同地に脚を運んでいたが、最終的な2012年大会の開幕地は北欧デンマークに落ち着いた。ワシントンDCより近いとは言え、どちらにしてもイタリアからは遠い。

それでも主催者RCS Sportは、イタリアのジロをそっくりそのままデンマークに持ち込んだ。スタート&ゴール地点の大規模な施設から、コースを仕切るフェンス、大会関係車両に至るまで、すべてスイスアルプス経由ドイツ・アウトバーン経由でデンマークまで持ち込んだ。

第3ステージ終了後、選手たちはすぐに乗り合いバスに乗って空港に移動。2便に分乗し、イタリア・ヴェローナに飛んだ。選手たちはその日のうちにヴェローナのホテルに到着している。

大会関係車両、チームカー、チームバスは当然イタリアまで自走。レース撤収後すぐに出発(チームバスはスタート後すぐに出発)し、1400km先のヴェローナを目指す。ちなみに報道陣の移動パターンは、1.その日のうちに空路でイタリアへ、2.翌日に空路でイタリアへ、3.自動車で1400km移動、4.もう帰る、5.デンマークはパスしてイタリアから合流する、と言った感じ(自分は2のパターン)。

みんなゾメニャンの置き土産を堪能しながら、それぞれの休息日を迎える。寒く、遠く、警察が妙に威圧的なデンマークで開幕したジロが、ようやくイタリアに戻る。

text:Kei Tsuji in Copenhagen, Denmark

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