ここオマーンの前週に開催されたツアー・オブ・カタール第1ステージの入り方は、中学や高校に進学した最初の登校日のように、慎重でミスなくじっと辺りを窺うような、不安と緊張の入り方だった。それは、テレビや雑誌でお馴染みの、世界のスーパースターが集結する、A.S.O主催UCI 2.HCに初めての招待参加という立ち位置なのだから当然だ。

試走するブリヂストンアンカー まずは緩い登り、徐々に高出力へ試走するブリヂストンアンカー まずは緩い登り、徐々に高出力へ photo:Minoru Omaeそしてカタールの第1ステージではその洗礼を受け、アピールするという“当時”の目標とは、少し遠い結果となってしまう。

しかし、今年のブリヂストンアンカーの凄い所は、“リカバリー能力”を有することだ。問題点を即座に分析し、修正できる。同じ失敗は繰り返さない、いわゆる学習能力に長けている。ブリヂストンアンカーがこのレベルの高いレースで急成長を遂げて行くことには、きちんと理由があるのだ。

「失敗を見つける能力、それを記憶する能力、そしてそれらを即座に修正し実行する能力」である。その能力を存分に発揮し、カタールを終えたブリジストンアンカーが、いよいよオマーンの第1ステージを向かえる。


2月14日、第1ステージ(159.0㎞)「“大それた”目標(久保監督談)、そして攻撃」

晴れ、南西風0.9m/s、気温28.5℃、湿度42.3%(スタート・ゲート付近)

第1ステージのスタート準備が整った。第1ステージのスタート準備が整った。 photo:Minoru Omae選手とスタッフを集め、久保監督はいつものように落ち着いた声でこう話した。

「オマーンでの前半は特にアレックス、和郎、隼人、の誰かを逃げに乗せる。もし、ゴールスプリントになった時はアレックス、都貴、隼人がトップ10を狙う。後半の第4・5ステージでは、トマ、都貴がなるべく上位にいるように。その二人は、前半のステージでは基本的に動かない。逃げに乗れなかった選手は、トマと都貴をプロテクトし、後半のステージで勝負できるように温存する」

88㎞付近、逃げに乗るアレックス選手。この4名の選手が激しく中間スプリントポイントを狙う。88㎞付近、逃げに乗るアレックス選手。この4名の選手が激しく中間スプリントポイントを狙う。 photo:Minoru Omaeさらに「カタールのように前半は逃げに乗り、アピールすることは重要で継続するが、その上でカタールではできなかった“記録”に残る結果を必ず出す。大それた目標と思われるかも知れないが、各ステージではトップ10以内を、総合では20位以内を狙う」。これが、“攻撃開始”宣言であることが、私にも容易に理解できた。

逃げに乗るアレックス選手。逃げに乗るアレックス選手。 photo:A.S.O.第1ステージのスタート・ゲートはベース・キャンプから約15㎞にある、金と青の美しいアル・アラム王室宮殿を背に設営されていた。そこに集結したブリヂストンアンカーの選手たちは、既にチームオーダーを受けている。個々が目的を深く理解しているためかその目には自信、あるいは確信のような力を感じる。

「さあ、行こう!」ムードメーカーであるクラース選手の声がよく通った。

ポディウム上で、マイヨ・コンバティビテを纏い、喜びを噛みしめるような表情のアレックス選手。ポディウム上で、マイヨ・コンバティビテを纏い、喜びを噛みしめるような表情のアレックス選手。 photo:A.S.O.レースはオーダー通り、井上選手、西薗選手、吉田選手らのアシストを受けて、アレックス選手が4名の逃げに乗った。第1ステージ終了後にアレックス選手は「素晴らしいアシストだった」と語っている。

そして、さらにチームは着々と作戦を遂行して行く。逃げに乗ったアレックス選手は、イグナチエフ(カチューシャ)ら3名の選手を相手に激しく差し合い、2カ所に設定されているスプリントポイントで、1着と2着を獲得。レース終盤も高い位置をキープしたままゴールスプリントに参加し、総合では4位。この結果、スプリントポイントで争う、コンバティブで1位という好成績を“記録”し表彰を受けた。

その夜、今回のレースでチームマネージメント業務を行うブリヂストンサイクル・田代氏に、久保監督は「どうですか、田代さん。4位にうちのアレックス、25位がカンチェラーラ(レディオシャック・ニッサン)。27位がニーバリ(リクイガス・キャノンデール)、29位に都貴、32位隼人、34位にようやくポストゥーマ(レディオシャック・ニッサン)がいて、35位に和郎、41位にシャヴァネル(オメガファーマ・クイックステップ)、46位トマ、50位クラース。これはもう凄いですよ!」と喜びを隠しきれない。

さらに「今日は思い描いたように結果が残せた。A.S.Oが主催の2のハイクラスのレースで、日本チームとして何かしらジャージを獲得したのは初めてだと思う。総合4位もそうです。この強豪メンバーが出揃う、このレースで、ですからね」と目を輝かした。


2月15日、第2ステージ(140.5㎞)「第三の敵、そして躍動」

晴れ、北東風4.2m/s、気温26.5℃、湿度41.7%(フィニッシュ・ゲート付近)

クリスチャン・プリュドム氏(A.S.Oツール・ド・フランス総合ディレクター)と話す久保監督クリスチャン・プリュドム氏(A.S.Oツール・ド・フランス総合ディレクター)と話す久保監督 photo:Minoru Omaeツアー・オブ・オマーンでは、宿泊の拠点としているベース・キャンプから、スタート・ゲートまでの往路、そしてフィニッシュ・ゲートからベース・キャンプへの帰路が、気の遠くなるような長距離の移動が多い。そしてこの日に至っては途中、大型高速客船による2時間30分の移動が含まれていた。

乗船するとまだ接岸しているにも関わらず、高速客船は静かに上下の揺れを繰り返していて、その振り幅は決して小さくはない。

高速フェリーでスタート地点に到着したマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、チームスカイ)高速フェリーでスタート地点に到着したマーク・カヴェンディッシュ(イギリス、チームスカイ) photo:A.S.O.「外洋に出たら、これは大変なことになるな」と思ったが、その通り。外洋で高速航行する船は、何かに掴まっていても簡単には歩けないほど上下左右に船体を振った。スーパースター達が必ずしも船に強い訳ではない。半数以上の選手が船酔いに悩まされていたと思う。

ブリヂストンアンカーでは吉田隼人選手が「船を降りて、さんざんデトックスしました(笑)」と、大切なスタート前に“思わぬ敵”にダメージを受けたことを明かした。他の選手らも「スタート後も、しばらく体が上下していた」と話している。

先頭集団が最後の坂を登る。先頭集団が最後の坂を登る。 photo:Minoru Omaeそんなその船の中でも、久保監督は各チームの監督や選手、オーガナイザー、運営役員などとの会話に参加し小さな、しかしとても有用な情報を蓄積させていく。単に語学力があるのではなく、自転車ロードレースに対する真摯さや、愛情、バイタリィをバランス良く持ち合わせていることが分かる。

清水選手とフランスチャンピオンのシルヴァン・シャヴァネル(オメガファーマ・クイックステップ)清水選手とフランスチャンピオンのシルヴァン・シャヴァネル(オメガファーマ・クイックステップ) photo:Minoru Omaeこちらも負けじ魂を発揮させ、久保監督を捉まえて次のように話を聞き出した。「今後、アレックスをもう1、2度逃げに乗せて、どこかで2回くらい一着を獲るとこが出来れば、総合でもジャージを着ることができるかもしれない。これにはぜひ挑戦してみたい。その為には、今日もアレックスを逃げに乗せたいところだが、2日連続はさすがに厳しいと思う。今日行けなければ明日、とにかく総合でジャージと、賞金を取れるようにしたい」

仕事を終え充実した表情を見せる選手。清水選手、井上選手、吉田選手(左から)仕事を終え充実した表情を見せる選手。清水選手、井上選手、吉田選手(左から) photo:Minoru Omae次にオマーン初日を終えた、特に日本人選手たちの様子を聞くと、「選手たちは皆、上位に入るために最大の努力をしている。カタールで走れたと言うことで落ち着いたし、世界最高レベルの選手たちの技術を間近が見られたことと、適度に疲労が残ってか、動きの無駄が減った。確実に上手くなっている。データを日本にいるトレーナーに送り分析しているが、カタール入りする前より、確実にコンディションが上がっている。出力もカタールのスタート前より格段にレベルアップできているという“数字での立証”もある。選手たちもそれを確認して、ちょっと疲れている印象があっても、良いパフォーマンスの確固たる裏付けを得ているので、それを根拠に集中を欠くことなくがんばれているのだと思う」

選手たちのフィジカル、テクニック、そしてメンタルな部分までケアしたいという、久保監督流采配の一端が見えた。

この日のレースは「スタート直後は吐き気と陸酔い。明らかに昨日よりペースが遅かった。みんな船酔いだろって感じでした」と西薗選手。4人の選手が逃げたが、スタート直後に判明した残り10㎞の“カベ”でひとつの集団に、その後はいわゆる登り勝負。私はそのカベを登り切って左折する残300m、正面の岩の上にカメラを据え付け、選手たちを待った。

25人で作られた先頭集団が登ってくる。その中にトマ選手と清水選手の姿があった。

この日の夕食会場で選手たちに話を聞く。清水選手「カタールのようにゴッツイ選手ばかりではなく、クライマー系が入っているので、無茶苦茶な上げ方はしないから、コースや風がカタールに似ていても、どうしようもなく切れてしまうことがなくて走りやすい」

井上選手「出発直前に重要な情報が入ったんですよ。コース・プロファイルで確認して、平たんと言われていたのですが、久保監督が車から、“ラスト10㎞、カベ!”ってチームカーから叫ばれました。スタートして200mくらいのところでしたかね(笑)」

再び清水選手「今日はアレックスを逃げに乗せられるか試そうということだったが、今日は完全にマークされていて、何度も振り出しに戻された。行かせる選手を選別していました。トマは位置取りが上手いです。井上とか僕が言っても、はじかれちゃう(笑)」

選手たちは笑顔でそう話し、チーム状態の好調さ、健全さが伝わってきた。


2月16日、第3ステージ(144.5㎞)「奪還」

晴れ、北東風3.2m/s、気温30.6℃、湿度32.1%(フィード・ゾーン、84.5㎞付近)

ようやく到着したスタート地点。狭い道路に、ツアー一行と村人が入り混じって大変な賑わいに。ようやく到着したスタート地点。狭い道路に、ツアー一行と村人が入り混じって大変な賑わいに。 photo:Minoru Omae第3ステージは、スタート・ゲートへ向かうサポートカーに同乗させていただいた。車はマッサーで、レース中は主にフィード・ゾーンを担当するジャックがドライブし、助手席にクラース選手、その後方にチームキャプテンの井上選手が乗車している。移動は約180㎞、2時間の予定だ。

選手は静かに集中する時間なので、恐る恐る井上選手にチームの現状を聞いてみた。「消化器官の具合らしいが、クラースの体調が優れない。きょうから走れないかもしれない」。心配そうに語る。

チーム支えるスタッフがフィード・ゾーンに到着。左から赤い第2チームカー、ジャック、アラン、エアワン、田代マネージャ。メカニックのヤンは第1チームカーに乗る。選手がやって来るのは約1時間後。チーム支えるスタッフがフィード・ゾーンに到着。左から赤い第2チームカー、ジャック、アラン、エアワン、田代マネージャ。メカニックのヤンは第1チームカーに乗る。選手がやって来るのは約1時間後。 photo:Minoru Omaeそして、自分については「カタールが終わり、2日後くらいに、一気に疲れが噴き出た。午前中の練習で身体を慣らして、あとはひたすら睡眠で疲れを抜く努力をした。回復しきってなく、第1ステージの最初1時間ほど身体が重くて、そこから徐々に力が入ってきた感じ。選手のほとんどがそんな感じだと思います。食欲はあり過ぎなくらいあります。機材などにはトラブルも不足もありあません」と、今朝の井上選手のコンディションは良さそうだ。

チームはスタート・ゲートにようやく到着し、直後に行われたスタート直前のミーティングは短く簡潔だ。

大集団でフィニッシュラインを通過。中央には吉田選手、その右に清水選手。大集団でフィニッシュラインを通過。中央には吉田選手、その右に清水選手。 photo:Minoru Omae久保監督「今日はアレックスを必ず行かせる。全員でサポートする。その上で自分が乗れたら行くことにしよう。第2スプリント付近は、向かい風。そして補給の後は横風になるから充分気を付けて、あとは朝のミーティングの通り。よし、行こう」。歯切れのいいミーティングは、選手らの自信を後押しした。

第3ステージは全員のサポートを受けて、アレックスが作戦通り逃げに乗り、その後およそ140㎞も逃げ続けた。集団に吸収された後もアタックを続けるアレックスの姿がテレビで放映され、この時の反響は大きかった。

2度目のポディウムでジャージを奪還したアレックス選手。2度目のポディウムでジャージを奪還したアレックス選手。 photo:Minoru Omaeそしてチームの狙い通り、昨日の第2ステージで、ローデウィック(BMCレーシングチーム)に奪われた、マイヨ・コンバティビテジャージの奪還に成功する。このレースで2度目のポディウムに上ったアレックスは最初より随分と落ち着いて、とても逞しく誇らしげに見えた。

アレックス直後のインタビュー。「チームの目標として、最終日までこのジャージを着ることを掲げている。その為には今日はまず逃げに乗ることが第一条件だった。きょう乗らなければ達成できない可能性が高くなる。そして、皆のサポートで上手く逃げに乗り、ポイントも獲得できたが、まだ総合が確定した訳ではないので、もう1日逃げて、総合で最後までこのジャージを着られる努力をしたい」と語り、インタビュー中には珍しく、ほんの少しだけ微笑んだ。


2月17日、第4ステージ(142.5㎞)「我慢する」

晴れ、南風4.4m/s、気温31.3℃、湿度32.5%(スタート・ゲート付近)

スタートの時を待つ、トマ選手、アレックス選手。中央はクラース選手。スタートの時を待つ、トマ選手、アレックス選手。中央はクラース選手。 photo:Minoru Omae朝のミーティングで久保監督はこう話す。

「今日最も重要なのは、トマと都貴が先頭グループにしっかり残ること。次にコンバティビテを守るためにアレックスを逃がすこと。第3はそれが駄目でも、和郎、西薗、隼人、誰かが乗れるように狙って行こう。スタートから最初の登りまでは横風に注意。50㎞の最初の登り口と、80㎞過ぎ、街からの登り口では必ずトマと都貴を前に送り込もう。今日と明日が勝負だ。我々は本当に難しいレースにチャレンジしているが、ここまでチームは良くやっている。今日も自信を持って行こう」

第4ステージスタート。中央2列目にクラース選手と井上選手。第4ステージスタート。中央2列目にクラース選手と井上選手。 photo:Minoru Omaeレースは12時30分にスタート。アレックス選手、井上選手、西薗選手、吉田選手らの逃げは激しいマークに合い成功には至らない。最初の登りに入る前には、トマ選手がポジションを下げた状態で、最初のスプリントポイントを迎え、ペースを上げた集団に付けずに切れてしまい、ヒヤリとするシーンも。

しかし、集団のペースが僅かに下がったことと、その後機能し始めたチームの連携で、ゴールを迎える頃は吉田選手、清水選手、トマ選手がメイングループまでポジションを回復することに成功し、チーム総合も8位に上昇した。

山の下りでは時速100㎞/hを超える。山の下りでは時速100㎞/hを超える。 photo:Minoru Omaeゴール直前の登り。トマ選手は良いポジションをキープしている。ゴール直前の登り。トマ選手は良いポジションをキープしている。 photo:Minoru Omae


2月18日、第5ステージ(158.0㎞)「チーム」

晴れ、東風0.5m/s、気温30.4℃、湿度46.5%(スタート・ゲート付近)。晴れ、南風3.5m/s、気温28.1℃、湿度22.7%(フィニッシュ・ゲート付近、<標高約1250mコース・プロファイルより>)

ロイヤル・オペラハウスの大理石の中庭に、関係車両が集結する。ロイヤル・オペラハウスの大理石の中庭に、関係車両が集結する。 photo:Minoru Omae今日のスタート・ゲートは、ベース・キャンプから車で約1時間北西に移動した、純白が眩しいロイヤル・オペラハウスに設営されていた。照りつける太陽光を反射し、計測した気温より体感温度は随分暑い。

11時50分にスタートしたレースは、落ち着いたペースで淡々と進み、どのチームもラスト6㎞から始まる激しい登りで勝負することを示し合わせたかのような展開となる。ブリヂストンアンカーは強豪チームが仕掛けるこの展開に堂々と挑み、8位にトマ選手、13位に清水選手を送り込んだ。

朝のメカニックブースには、ヤンを手伝うクラース選手。既に帰国の準備に取り掛かる。帰国は今日の深夜。ジャックは補給用のボトルを準備する。この時間はどのチームも仕事は山のようにある。朝のメカニックブースには、ヤンを手伝うクラース選手。既に帰国の準備に取り掛かる。帰国は今日の深夜。ジャックは補給用のボトルを準備する。この時間はどのチームも仕事は山のようにある。 photo:Minoru Omaeゴール後、久保監督に聞く。「この第5ステージは、和郎、西薗、吉田、アレックス、この4名の働きがこの成績を作ったと言っていい。ボトル運び、登り口での勇気ある位置取り、そこに至るまでの横風区間ではしっかり、トマと都貴を風から守った。トマも「これ以上のアシストはない。完璧だった」、と言っている。一晩で昨日の僅かではあったが、その綻びを見事に修正した。皆、力を出し切ったステージ、本当に彼らのプロフェッショナルな働きが光った。優秀なチームであると全員を誉めたい」、この日のブリヂストンアンカーは、あるいは全チームの中でも、最も素晴らしいチームワークを発揮していたのではないだろうか」

「今朝、コンディション不良で欠場を決めたクラース選手も、チームのために“今の自分何ができるか”を自ら探し、チームメカニックのヤンを夜遅くまで手伝う姿が胸を打った。

ゴールシーンを撮影するために158㎞先回りすると、まだフィニッシュラインの設営中だった。ゴールシーンを撮影するために158㎞先回りすると、まだフィニッシュラインの設営中だった。 photo:Minoru Omae8位でフィニッシュラインを通過するトマ選手。後方はファビアン・カンチェラーラ(スイス、レディオシャック・ニッサン)8位でフィニッシュラインを通過するトマ選手。後方はファビアン・カンチェラーラ(スイス、レディオシャック・ニッサン) photo:Minoru Omae13位でフィニッシュする清水選手。13位でフィニッシュする清水選手。 photo:Minoru Omae


2月19日、第6(最終)ステージ(130.5㎞)「有終」

晴れ、北風1.6m/s、気温28.5℃、湿度52.4%(スタート・ゲート付近)

スタート・ゲート付近で、選手らの到着を待つRMZ。スタート・ゲート付近で、選手らの到着を待つRMZ。 photo:Minoru Omae最終ステージ朝、選手らと時間を共にし、今日は?と尋ねてみた。井上選手「トマと都貴の総合を絶対に動かさない。個人的には逃げに乗れたらいいと思っている」

吉田選手「トマと都貴さんをちゃんと送り届けます。ところで僕、スプリンターと呼ばれたくないんですよね。登れない訳ではないし」。

ツアー・オブ・オマーン2012で最後の出走サインをする吉田選手。ツアー・オブ・オマーン2012で最後の出走サインをする吉田選手。 photo:Minoru Omae何と呼ばれたいのかと聞くと、笑顔で「ヴィノクロフです」。日本選手全員で「誰も登れねーとは言ってないよ」と突っ込む。

西薗選手「最後まで踏むことです(笑)」

逃げに乗るアレックス選手。逃げに乗るアレックス選手。 photo:Minoru Omae“大それた目標(久保監督談)”を達成するための、最後の大一番を前に選手たちの表情はとても明るい。これこそが、この2週間の過酷と言えるレースを耐えたのではなく、“進化を遂げてきた”証である。

久保監督は引き締まった表情でこう語る。「まずはアレックスを行かせたい。そうしないと(コンバティブ)総合5位以下になってくる可能性がある。だが総合1位と2位が1秒差しかないので、その2チームがスプリントポイントを狙い、これまでで最も難しい逃げになるだろう。総合では自分たちも僅かな差で選手が沢山いるので、ちょっとしたゴール前の中切れで一気に11位、12位に落ちかねない。今日はアレックス以外の全員で、トマと都貴を守る作戦です」

トマ選手を守る、井上選手と、吉田選手。トマ選手を守る、井上選手と、吉田選手。 photo:Minoru Omae最終ステージは、アレックス選手ら4名の選手が逃げに乗る恰好を見せるが、集団は射程範囲でいつでも捕えられる状態をキープする。

100㎞地点に設けられた最初のスプリントポイント手前で逃げを吸収し、集団はひとつでスプリントポイントへ突入。この時、トマ選手が最後方に位置していたため、僅かに切れてしまう。しかし、集団の駆け引きが激しくなり、速度が緩んだ瞬間にトマ選手がポジションを戻し、今度はトマ選手と清水選手をチーム全員で守り抜いた。そして、ツアー・オブ・オマーン2012最後のフィニッシュラインを通過した。

ポジションを探る西薗選手。ポジションを探る西薗選手。 photo:Minoru Omaeこのレースで、トマ選手は総合9位、清水選手も総合13位、アレックス選手は、コンバティブで総合2位の“記録”を残す。

最終ステージを終えて、キャプテンの井上選手は「スプリントポイントで、トマを探して上げようと努力したが、トマと自分が一番後方になってしまい冷や汗をかきましたが、皆復帰して全員ゴールすることができた。今回のレースは上出来だと思う。これから自分も調子を上げて行って、もっとしっかり走れるようにしたい」と語る。

徐々にポジションを確保していく清水選手。前に行くには“度胸”も必要だ。徐々にポジションを確保していく清水選手。前に行くには“度胸”も必要だ。 photo:Minoru Omae久保監督は「無事に終わってよかった。それにしても今日は横風のスプリントポイントで、肝を冷やしました。たまたま前が止まってくれたので、良かった。あのまま行ってしまう展開もある。そうなったら総合云々と言っている場合ではなくなる。これはやはり経験の差がそうさせたのでしょう。あのようなリスクを発生させないように経験を積み、位置取りの大切さを学んで行きたい。しかし、無事にゴールでき、レースがスタートする前は、このような素晴らしい結果を残すことは想像し難かったので、本当に良かったと思う」。そう今回のレースを振り返った。

“大それた目標(久保監督談)”を果たしたゴール後の選手とスタッフ。素晴らしい戦いだった。“大それた目標(久保監督談)”を果たしたゴール後の選手とスタッフ。素晴らしい戦いだった。 photo:Minoru Omaeブリヂストンアンカーの世界挑戦の始まりは、実は数年前に遡る。それはチーム結成のコンセプトを見直すことから始まった。その後の慎重な内部の人事、監督と選手、このコンセプトに合致するスタッフのリクルート、チーム結成の為の立案と具体化の気の遠くなるような繰り返し。チーム作りの熱意、愛情、決して諦めない強い魂。

このすべてがすき間なく組み合わされた結果、まるでレンズが光を集めるように一点に集中した強い力が、世界を驚かせるパワーを生み出した。

これは単に彼らの成長を記録したという、健全かつ健康的な話ではなく、およそ180ヶ国にも及ぶテレビ放送や新聞、雑誌でチーム名を連呼・目撃させる力を持つ、世界規模の広告塔としての巨大な価値を作り出したレースであったとも言えるだろう。

今回の取材を許していただいたブリヂストンサイクル様、ブリヂストンアンカーサイクリングチームの皆様、主催者と大会関係者の皆様、撮影機材を提供していただいたニコンイメージングジャパンの皆様に心より感謝申し上げます。

text&photo:Minoru Omae

最新ニュース(全ジャンル)