9月7~11日にブルネイ・ダルサラーム国で開催された第1回ツール・ド・ブルネイ。福島晋一(トレンガヌ・プロアジア)が5間日のステージレースで総合優勝を獲得した。チームはステージ3勝を挙げる大活躍。福島晋一のレポートをお届けする。

ステージ3勝と福島晋一の総合優勝に輝いたトレンガヌ・プロアジアステージ3勝と福島晋一の総合優勝に輝いたトレンガヌ・プロアジア ツール・ド・ブルネイ2011未知の国ブルネイでのステージレース

このレースは6月の開催が予定されていたが、延期になり9月になった。この国、ブルネイには以前から興味があったのは、お金持ちがいっぱいいる国と言う世界の羨望のうわさをうのみにしての事であり、果たしてそれは本当なのか? と言うのも確かめたいとき気持もあった。

さて、日曜にタイムトライアルチャンピオンシップを走り、JSPORTSでブエルタの解説をして、クアラルンプール経由でブルネイに入った。
「就職するとベンツがもらえる」と、一緒にブエルタの解説をしたサッシャさんが言っていたが、迎えに来た車は普通にぼろい車だったので安心した。ご飯もおいしいという話だったが、ホテルは悪くないが飯は種類が少なくおかずも4種類ほどしかない。

「なんだ、結構庶民的な国なんだな」というのが今までの印象だが、この後度肝を抜いてくれる事件はあるのだろうか?

第1ステージ Bandar seri begawan-luala belait 149km

8時に起きて、9時半にホテルを出てから11時まで近くのスタート地点で時間をつぶした。第一回の開催とあって、オーガナイズもぎこちない。
11時のスタート時間もちょうど酷暑が始まるころで、スタートしてアタックしている間も、なんだか呼吸が熱い。身体も移動から慣れていない。
自分は東南アジアのレースで第1ステージで良かったためしがない。力をセーブしながら走るが、チ-ムメイトの動きが悪く、結構脚を使わされる。ラマダン明けであまりきつい練習をしてこなかったとのこと。成績はなかったが自分は毎週レースを走ってきた。そろそろ、成績を出さなくてはならない。

果てしないアタック合戦のあとに20人ほどの先頭集団に、マットアミンと一緒にいた。
だんだんと脚が攣りかけてきたころにアタックがかかり、6人の逃げに乗った。乗らないといけなかった(誰も乗っていなければ追わねばならない)から乗ったのはいいが、意識はもうろうとしている。人数が少ないから先頭にも回らなくてはならず、なんとか誤魔化し誤魔化しながら残り2kmまでまとめて行ったが、そこでかかったアタックに遅れてしまった。

25秒遅れの7位でゴール。後ろの集団は2分差がある。総合をあげるチャンスはまだ来ると思う。
ステージ優勝はトレンガヌ出身のアディック。去年マレーシアチャンピオンの彼は、ツール・ド・コリアでステージ優勝するなど強くなってきている。2位はタブリーズ・ペトロケミカルのイラン人。タブリーズは4人しか来ていないから、今日リーダーにならなくてホッとしているかもしれない。
明日はマレーシアチームがコントロールしなくてはならないが、彼らにとってもきつい一日になりそうだ。
自分は走っているうちに調子が上がってくる筈なので、明日から平常運転でいけるかな?

第2ステージ Kuala belait-totong 142km

バスで1時間半の移動後、スタート。移動中にフランス映画「タクシー2」が流れる。久々に聞くフランス語が心地よい。
英語よりもフランス語尾の方がネイティブの会話が聞き取りやすいのは、ただ聞きなれているだけでなく、フランス語は大事なところをアクセントをつけるだけではなくて、ゆっくりと話すからではないか?などと考えながら聞いた。前に座っていたベトナム人が大盛り上がり。彼らとは英語では会話が出来ないが、元フランス領だからフランス語が分かるのか? などと考えても見たが、おそらく話さないだろう。

スタート30分前に会場に着き缶コーヒーを飲みながらスタートを待つ。それにしてもツール・ド・ランカウィを見たからか、多くの人に声をかけられる。彼らには自分がいつもアタックするイメージが焼き付いているらしく「今日も行ってくれ!」と言われるが、昔は康司と二人「フクシマ」が居たからいつも逃げていれたけど、今はそういう走りはなかなかきつい。と説明するのもバカらしいので、「行くよ!」と答える。寅さんは失恋しなくちゃならないのと同じだ。

レースがスタート。ママが乗った逃げが決まった。今日は彼でスプリントを行く予定だったのに、彼が逃げてしまってはこっちは仕事がない。逃げ切る事を願っていたが、中盤の山岳地帯を越えたころに捕まってしまった。しかも、前に2人まだイラン人とウズベキスタン人が逃げているようだ。そこまでコントロールしてきたマレーシアチームもペースが上がらず、このままでは逃げ切られてしまう。

残り30km、差は3分。ギリギリのタイミングでローテーションに協力することにした。
残り5kmで逃げを捕まえて、スプリントに入る。最後の1kmのコーナーを先頭で入ったが、コーナーのインに突っ込んできたタイ選手がそのまま駐車場に突っ込んでいき、自分もコースアウト。転ばなかったので、そのまま走った。アヌアとママがいい位置につけている。ガッツポーズは青系のジャージだと思ってがっかりした。

ゴール後、アヌアが「グッドジョブ」と言ってきたので、「何が良かったのか?もしかして?」と思っていたら、どうやらアヌアが優勝したらしい。彼は練習不足でかなり太っており、今日も一生懸命ボトルを運んでくれた。スプリントもママのアシストをしていたら、残り300mでママが「アヌア、脚が攣ったから代わりにスプリントしてくれ」と言ってきたので代わりにもがいて勝ったそうだ。彼は天才だ! 総合は変動なし。


第3ステージ Tutong-tutong 86km

今日は朝から雲曇り空だ。暑くないのが嬉しい。昨夜、現地ガイドのキャロル君に「失礼な質問だけど、ブルネイの人は働かなくても暮らせるのか?」と聞いてみた。
答えは「確かに所得税はないが、働かないと食べていけない」。
「就職するとベンツがもらえるって本当?」
「それは、ミニスターだけだ」
「主な産業は?」
「みんな政府で働いている」。

これでなんとなくイメージ的には、ブルネイは「国営の企業が石油の発掘をしていて、そこでみんな働いている国なんじゃないか」というのが僕の今の結論だ。

さて、レースはスタートしてから雨が降り始める。マレーシアチームがハイペースでコントロールするが、アタックが絶えずかかり、後半にはマレーシアチームは影を潜めアタックが繰り返される。自分も久々に調子よくアタックを連発するが、残り10kmまで集団はそのまま。そこで、チームメイトを前に集めて集団をスプリントに向けてコントロールすることにした。

おもにトレンガヌチームが中心になり前を引いていると、前に入ってきたオーストラリアチームの選手がペースをあげた。面倒くさいのでついて行くと、2人で抜け出した格好になった。

残り2km。自分が逃げている間他のチームに追わせれば、みないい位置でスプリント出来るから全開で踏むと一人になった。
残り1kmで3人が追いついてきた。その3人をうまく使って残り200mまで距離を稼ぎ、そっから満を持してのスプリント。優勝を目の前にした50mにチームメイト2人に抜かれて、最後にイラン人に刺されて4位でゴール。トレンガヌチームのワン・ツー・フォーフィニッシュだ。

1位はハリフ選手(ニックネームがママ)。2位がアヌア・マナン。総合に変動はなかった。自分の後ろでも残り1kmで列車を組んでいい感じで2人を発射したらしい。このレベルでしっかり練習することで更に大きなレースでも連携できる。

夜に皆で外食に行った。ここのメシにも少し飽きてきていたころなので、ナシゴレンがうまかった。そろそろマレーシアチームが崩壊しそうだ。調子も上がってきたので、明日は総合アップするチャンスが来れば掴みたいと思う。

第4ステージ Tutong-bandar seri begawan 104km

今日は総合逆転をかけてアタックしたが、常に高速道路のような広い道とタブリスチームの追撃によって抜け出せず。
逆に逃げに乗ったマレーシアチャンピオンのマット・アミン(通称マッパリ)が最後2人のスプリントスプリントを制してステージ優勝。
3位争いのスプリントもチームメイトと列車を組んでママがステージ3位。マナンが5位。今日も上位を独占した。

結果的に他のチームがマレーシアナショナルチームを助ける形になってしまったこのレース。レース後、イランのタブリーズチームに「どうして、俺をまっ先に追ってくるんだ? マレーシアチームに追わせてカウンターで行けばいいのに」と言うと、こう答えた。
「俺はいつも、『福島が抜け出して1分離されたら追いつけない』と皆に言っているからだろう」
という。
たしかに、昔はそうだった事もあったかもしれないが、それは最高に調子が良かった時の話。随分誇張されているのも確かだ。なので、「明日はちゃんとマレーシアチームに追わせて一緒に行こう」と話を合わせておいた。果たしてどうなるか楽しみだ。

優勝したマッパリはマレーシアナショナル選手権は勝ったがUCIの優勝は初めて。とても嬉しそうだった。
最近、チームナソン(タイ合宿組)の調子がいい。今回のステージ優勝3人もタイ合宿に来ていたし、タカシ(宮澤崇史)もベルギーのレース「イゼヘムクルス」で優勝した。山本幸平、平野星矢もMTBで活躍している。俺も続くぞ!

第5ステージ Bandadr seri begawan circuit 29㎞×5周=146km

ツール・ド・ブルネイ2011で総合優勝した福島晋一(トレンガヌ・プロアジア)ツール・ド・ブルネイ2011で総合優勝した福島晋一(トレンガヌ・プロアジア) ツール・ド・ブルネイ2011スタート前に監督に無理を言って新しいゼッケンを取りに行ってもらった。前のゼッケンもまだ使えるが、あるものは使っておいた方がいい。スタート前にカフェでゼッケンを貼りなおす。

暑くなりそうだが、随分いい気分だ。「まるでランカウィのスタート前みたいだな」と思いながら、スタートラインに立った。ヘルメットの後ろに濡らしたタオルをはさんで後頭部を守る。常に水をかけながら走ることで、身体への負荷は随分違ってくる。
ホイールは他の選手は皆ディープリムだが、自分はシマノのC24にチューブレスのタイヤ。空力学的にはエアロではないかもしれないが、ホイールが硬くて、IRCチューブレスタイヤとの相性がいいので自分は好きだ。ツール・ド・コリアも全ステージこれで行った。

今日は一発で仕留めるのが目標だ。昨日はアタックしすぎて駄目だった。序盤、2人で逃げる。このままでは昨日奪われたママのスプリントジャージを奪回できない。スプリントポイントの20km前から前を引いて、2周目のゴールに設定されたスプリントポイントのギリギリ前で2人を捕まえる。そのまま列車から発射されたママは1位通過して、ポイント賞を確定した。

残り2周の折り返し地点の山岳賞で、タブリーズチームが強烈なペースアップを図った。集団はばらばらに、総合上位はそのペースアップに食らいついているが、集団の中盤にいた自分は少し出遅れる。遠ざかるトップ集団を見ながら、「追いつかないとやばいなあ」と思いながら踏んでいた。総合3位につけるウズベキスタンの若者が僕の前で必死に踏んで前に追い付いてくれた。

「今だ!」
カウンターで強烈にアタックすると、タブリーズのスプリンターがついてきた。彼はローテーションを最初から拒否。総合で2分遅れる彼が引かないのは仕方がない。とにかく、後ろを離せばけん制が入るかもしれない。まだ、1周半(45km)ある。遠いが行くしかない。

前を単独で逃げていた、バス(タイナショナルチーム)を吸収する。やっと一緒に引いてくれる人間が現れた。残り1周のジャン(鐘)を聞くときには差は1分に広がった。そこにスプリントポイントが設定されていて秒差を獲得できる。暫定リーダーだが暫定では意味がない。タブリッツの選手が刺してきて、2位通過で2秒を獲得。この秒差で総合6位に上がれる。
そこから15kmの向かい風が長かった。補給をこまめに取りながら走る。残り20kmでカフェイン入りのCCCを補給した。折り返し地点では差は2分に。総合優勝が見えてきた。

あまりの暑さにくらっときながらも、脚もつらないし、どんどん踏める。苦しいが苦しんだ分だけ進んでくれる感覚。バスも先頭を代われなくなってきた。
残り1kmを過ぎてスプリントに入る。バスが残り500mを先行してくれてスプリントに入った。タブリーズの選手を刺せずに2位でゴールした。

ブルネイ国王からトロフィーを授与される福島晋一(トレンガヌ・プロアジア)ブルネイ国王からトロフィーを授与される福島晋一(トレンガヌ・プロアジア) ツール・ド・ブルネイ2011久しぶりの表彰台はブルネイ国王からの授与で、随分形式ばったものだった。マナンのステージ優勝に始まったツールドブルネイの快進撃。トレンガヌ・プロアジアはアヌア、ママ、マッパリとステージ優勝をして、最後に自分の総合優勝で幕を閉じた。

この勝利を斎藤哲郎君に捧げる

この勝利を8月6日にがんで亡くなった友人、斎藤哲郎君に捧げます。彼は学生時代、東大の自転車部で友人でありライバルでした。彼も天国で喜んでくれていると思います。
次のレースはツール・ド・北海道です!


text:福島晋一(トレンガヌ・プロアジア)

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