落車が多発したツール・ド・フランス第9ステージで、崖下の林に突っ込み、右大腿骨骨折によってリタイアを余儀なくされたアレクサンドル・ヴィノクロフ(カザフスタン、アスタナ)が、現役引退を発表した。

落車によって骨盤を骨折したアレクサンドル・ヴィノクロフ(カザフスタン、アスタナ)が担ぎ上げられる落車によって骨盤を骨折したアレクサンドル・ヴィノクロフ(カザフスタン、アスタナ)が担ぎ上げられる photo:Cor Vosアスタナのチームリーダー、ヴィノクロフは、マイヨジョーヌを狙って走ったキャリア最後のツール・ド・フランスをリタイアした。原因は第9ステージ2級山岳パ・ド・ペイロル峠の下りでの落車による右大腿骨骨折。チームメイトに抱えられて崖から這い上がったヴィノクロフは再スタートを切ることができなかった。

パリで行なわれた右大腿骨と骨盤の修復手術は無事に終了。2012年のロンドン五輪への出場にも興味を示していたが、7月17日、ヴィノクロフは静かに現役引退を決めた。

ツール・ド・ロマンディでステージ優勝を飾ったアレクサンドル・ヴィノクロフ(カザフスタン、アスタナ)ツール・ド・ロマンディでステージ優勝を飾ったアレクサンドル・ヴィノクロフ(カザフスタン、アスタナ) photo:Kei Tsujiヴィノクロフは1998年にカジノ・アージェードゥーゼルでプロデビュー。プロ一年目からダンケルク4日間レースの総合優勝を含む6勝をマークして一躍名を上げ、翌年ドーフィネ・リベレで総合優勝を飾る。

2000年にドイツのテレコムに移籍すると、そのオールラウンドな走りに磨きがかかる。同年ドイツツアー、2002年から2年連続パリ〜ニース、そして2003年にツール・ド・スイスで総合優勝を果たしている。

クリテリウム・ドゥ・ドーフィネでマイヨジョーヌを着て走るアレクサンドル・ヴィノクロフ(カザフスタン、アスタナ)クリテリウム・ドゥ・ドーフィネでマイヨジョーヌを着て走るアレクサンドル・ヴィノクロフ(カザフスタン、アスタナ) photo:Cor Vos2003年のパリ〜ニースでは、同じカザフスタンのスポーツスクール出身のアンドレイ・キヴィレフをレース中の落車で失ってしまう。失意のヴィノクロフは、翌日のモンファロン頂上ゴールで優勝。天を指差してゴールしたヴィノクロフは、そのままパリ〜ニース総合優勝に輝いた。

グランツールでは、ツール・ド・フランスとブエルタ・ア・エスパーニャでそれぞれステージ通算4勝。中でも2005年ツールの最終シャンゼリゼステージで、カザフスタンチャンピオンジャージを着ての劇的な逃げ切りが鮮烈な印象を残す。ツールでは2003年に総合3位、2005年に総合5位という成績を残している。

2006年にはスペインのリバティーセグロスに移籍したが、オペラシオン・プエルトに端を発するドーピングスキャンダルによりツール直前にチームスポンサーが撤退。すぐさま母国カザフスタンのバックアップを得たヴィノクロフは、同国首都の名前を冠したアスタナをスタートさせた。同年ブエルタ・ア・エスパーニャで初の総合優勝に輝いている。

しかし2007年のツール期間中に血液ドーピング陽性が発覚し、チームを解雇される(同年のツールステージ2勝は剥奪)。そして2年間の出場停止処分が確定した同年12月、ヴィノクロフは現役引退を発表した。

カザフスタンの英雄として崇められ、2006年には勲二等を授与されているヴィノクロフ。自ら発起人となったアスタナのチームリーダーとして、「ドーピング無しでも勝てることを証明したい」という思いを胸に、現役引退を撤回して2009年8月にチーム復帰。2010年には5年ぶりとなるリエージュ〜バストーニュ〜リエージュ制覇を達成し、さらにジロ・デ・イタリアで総合6位に入って健在ぶりをアピールした。

今年はツールに向けて着々と調子を上げ、ツール・ド・ロマンディではステージ1勝&総合3位という成績。

ヴィノクロフはジロでマリアローザ、ブエルタでマイヨオロを着た経験があるが、ツールでは一度も総合首位に立ったことが無い。マイヨジョーヌに袖を通すという現役最後の夢を懸けて挑んだ今年のツール。しかしパ・ド・ペイロル峠の濡れた下りで夢は断たれた。今後、ヴィノクロフはマネジメントスタッフとしてアスタナチームに携わる意向を示している。

現役引退を決めたヴィノクロフのチームへのメッセージ


text:Kei Tsuji

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