2008年のツアー・オブ・ブリテンでステージ3勝を飾り、2009年のヘント〜ウェベルヘムで鮮烈な勝利を飾ったエドヴァルド・ボアッソン(ノルウェー、チームスカイ)。21歳の若さで檜舞台に立ったボアッソンを、人は“エディ”と呼んだ。もちろんエディ・メルクスの資質をもった男だと期待をこめて付けたニックネームだ。

2009年のヘント〜ウェベルヘムで優勝したエドヴァルド・ボアッソン(ノルウェー、当時チームコロンビア)2009年のヘント〜ウェベルヘムで優勝したエドヴァルド・ボアッソン(ノルウェー、当時チームコロンビア) photo:Cor Vos1960年代から1970年代にかけて圧倒的な強さを見せたエディ・メルクス。“カンニバル(人食い)”と恐れられ、“史上最強のロードレーサー”と称され男は、20歳の若さでミラノ〜サンレモ初制覇を成し遂げた。ボアッソンの現在の年齢である23歳までに、ジロ・デ・イタリア、パリ〜ルーベ、世界選手権、そして2度目のミラノ〜サンレモ制覇を果たしている。

昨年クリテリウム・ドゥ・ドーフィネでステージ優勝を飾ったエドヴァルド・ボアッソン(ノルウェー、チームスカイ)昨年クリテリウム・ドゥ・ドーフィネでステージ優勝を飾ったエドヴァルド・ボアッソン(ノルウェー、チームスカイ) photo:Cor Vosボアッソンは2010年にチームコロンビアからチームスカイに移籍した。ノルウェーの地元メディアに対し、チームスカイのデーヴィッド・ブレールスフォード代表はボアッソンに過度のプレッシャーを与えないよう要求。しかしチームは変わらずボアッソンに絶大なる信頼をおいている。昨年はツール・ド・フランスでエーススプリンターの役目を託し、今年、ミラノ〜サンレモでもボアッソンをエースに立てた。

ボアッソンのレース運びは決して悪いものではなかった。レ・マニエの下りで集団が割れたとき、メイン集団に残ったチームスカイの選手はボアッソンだけ。ライバル選手たちの動きに警戒し、順調に距離を稼いだが、ポッジオでレースが爆発(急激にペースアップ)した際に遅れてしまった。

「千切れるまでの走りには満足している」。30位でサンレモにゴールしたボアッソンは、少しうなだれた表情でインタビューに応えた。「チームは全力でサポートしてくれた。僕自身もっと走れると思っていた。ただ脚がついて来なかったんだ。追い込もうとしても脚が反応してくれなかった。準備が不完全だったことは否めない」。

ボアッソンは2月27日のクールネ〜ブリュッセル〜クールネで脹ら脛を痛め、ミラノ〜サンレモの準備レースとして知られるティレーノ〜アドリアティコで怪我が悪化。予定を切り上げてレースを離脱していた。

「彼は好走した。評価している。集団が割れたとき、彼は単独で集団に食らいついたんだ。」。そう語るのはブレールスフォード代表だ。「アキレス腱の古傷が再発することを恐れてティレーノ〜アドリアティコをリタイアさせたけど、それが悪い方向に働いた。前週にレース距離を伸ばせなかったことが、終盤の走りに影響したのかもしれない。勝利に500m届かなかった。しかし彼への信頼は揺るがない。この先のクラシックレースで勝利を目指すのみだ」。

ブレールスフォード代表は今後のビッグレースでもエディをエースに立てる。日曜日に開催されるヘント〜ウェベルヘムでは2度目の勝利、そして7月のツール・ド・フランスではステージ初勝利を狙う。

text:Gregor Brown
translation:Kei Tsuji