今年の冬をいつもより長く感じている選手が少なからずいるはずだ。山の樹々はどっしりとした雪を蓄えたまま、新年を迎える。長年選手たちの良き指導者として活躍したアルド・サッシ氏はもうこの世にいない。自転車界は、偉大なるプロフェッサーのいない冬を初めて経験する。

イヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)を指導するアルド・サッシ氏イヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)を指導するアルド・サッシ氏 photo:Cor Vos癌細胞は貴重な人材の命を絶った。1984年にフランチェスコ・モゼールのアワーレコード挑戦に協力してからと言うもの、サッシ氏はトレーナーとして輝かしい功績を自転車界に残してきた。

彼はこれまで様々なテストを行ない、数値を明らかにし、ディスカッションし、トレーニング計画を選手たちと練ってきた。ただ闇雲に指示を出すのではなく、深くまで入り込んで個人的な信頼関係を築き上げ、選手たちを精神面でもサポートするのがサッシ氏の特徴だった。

イヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)をジロ・デ・イタリア総合優勝に導いたアルド・サッシ氏イヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)をジロ・デ・イタリア総合優勝に導いたアルド・サッシ氏 photo:Kei Tsuji信頼の置ける気鋭のトレーナーとして名を馳せていただけに、今年4月に発覚したサッシ氏の脳腫瘍発覚ニュースは自転車界を揺るがした。当時、激しい頭痛を訴えたサッシ氏は、マペイスポーツセンターの同僚スタッフの勧めにより病院へ。そこで悪性の腫瘍が発見され、すぐさま腫瘍除去手術が行なわれた。

手術はサッシ氏の頭部右側に大きな手術痕を残した。手術で取りきれない癌細胞がカラダの中で成長していることを知りながらも、サッシ氏は仕事を継続。スポーツサイエンスの博士号を取得してから、28年間に渡って打ち込んでいるトレーナーの道を、迷わず歩み続けた。

9月にインタビューを行なった際、サッシ氏は当時の仕事をこう振り返っている。「トレーナーを志した30年前、最初の第一歩としてジュニアの選手を見ていたんだ。2〜3チームの選手をそれぞれ20名ほどのグループに分け、1週間に2回ずつトレーニングを実施。選手たちを3時間かけてクルマで追いかけ、それが終わると次のグループを見た。密着して定期的に走りを見ることで、彼らのカラダがどう変化していくのかが手に取るように分かったよ」

当時アワーレコードの更新を目指していたフランチェスコ・モゼールは、トレーナーとしてサッシ氏を指名した。後にモゼールは血液ドーピングを告白したが、それはフランチェスコ・コンコーニ医師の指示によるもの。サッシ氏は徹底的にドーピングを排除する姿勢を崩さず、最も尊敬されるトレーナーの称号を得た。

「ドーピングの類いは専門外だ。それらは全てコンコーニ医師がやったこと。彼らのグループには関わっていなかった。その頃、私はエネルヴィット社(イタリアのスポーツドリンクメーカー)の製品開発に奔走していた」

サッシ氏は1984年から1996年にかけて、エネルヴィット社の製品開発に携わっていた。「スポーツのサプリメントやドリンク、エナジーバーを手がけているうちに、いつの間にかマーケティング部のマネージャーになっていた。でも自分に問いかけたんだ。『これが本当に自分のしたい仕事なのか』と。そこで考えを変え、再びトレーナーの道を歩み始めた。イタリアの最高峰MTBチームであるダイヤモンド・バックを3年間サポートした。今チームスカイで走っているダリオダヴィデ・チオーニもそのメンバーだった」

1994年、サッシ氏に転機が訪れる。北イタリアのカステッランツァに、マペイのスポーツセンターを立ち上げる話が持ち上がった。建築資材メーカーのマペイ社は、後に世界最強チームと呼ばれることになるマペイチームを立ち上げたばかり。チームオーナーのジョルジョ・スクインツィ氏がサッシ氏を指名したのだ。

「スクインツィは言っていたよ。『選手たちが“クリーンな方法で”パフォーマンスを向上させるための施設やシステムを作りたい』と。そこでスポーツセンターの企画書を出すと、すぐにマペイ社から良い返事が来た。そこからスポーツセンターの実現まで時間はかからなかった」

マペイチームのマネージングディレクターに就任したサッシ氏は、チームのメンバーと信頼関係を築き上げた。その関係は2002年のチーム解散後も継続することになる。チオーニ、マイケル・ロジャース(オーストラリア)、シャールズ・ウェゲリュース(イギリス)らはスポーツセンターの常連だ。カデル・エヴァンス(オーストラリア)もサッシ氏の古い顧客の一人。マペイチーム所属時代の2002年にジロ・デ・イタリアでマリアローザを着てからというもの、サッシ氏に絶大なる信頼を置いていた。

多くの自転車関係者が参列したアルド・サッシ氏の葬儀多くの自転車関係者が参列したアルド・サッシ氏の葬儀 photo:Cor Vosイヴァン・バッソ(イタリア)はサッシ氏の比較的新しい顧客だ。2人の関係は、バッソが出場停止処分を受けていた2008年にスタートした。サッシ氏は新たな挑戦をスタートさせるイタリアンライダーに賭けてみようと思った。

「イヴァンのようなベテラン選手が、気持ちを入れ替え、再び檜舞台に戻ることが出来れば、自転車界に良いシグナルを発信できると思ったんだ。若い選手にとっても、模範となるベテラン選手の存在は欠かせない」サッシ氏はバッソの挑戦に最大限力を添えた。

その甲斐あって、バッソは今年5月にジロで2勝目を達成。バッソの勝利は、出場停止処分の罪滅ぼしになっただけでなく、その1ヶ月前に脳腫瘍が発覚したサッシ氏への最高のプレゼントになった。

しかしサッシ氏の予想を遥かに超えるスピードで癌は進行した。「初めて脳腫瘍の存在が明らかになったとき、医学書や論文を読み漁り、自分の余命が13ヶ月だと知った」と語っていたが、実際には脳腫瘍の診断から7ヶ月間しかサッシ氏の体力は保たなかった。12月13日、イタリア・ヴァルモレアの自宅で、妻マリーナと3人の子ども、ヴァレンティーナ、キアーラ、マルコに看取られて、サッシ氏は静かに息を引き取った。

訃報はすぐさまサルデーニャ島のバッソのもとに届けられた。リクイガスのトレーニングキャンプに参加していたバッソは、窓の外を見ながら、サッシの家族のことや、指導者のいない冬をどう乗り越えるべきかについて考えていたはずだ。

「アルドは今も昔も自転車界におけるパイオニアだ。変革の象徴的な人物だった」バッソはラ・スタンパ紙のインタビューでそう語っている。「彼は、地味な作業を一つ一つ積み重ねることで、ドーピングに手を染めなくてもパフォーマンスを向上させることができると訴え続けていた。そのことを声を大にして唱え続けたのは彼だけだ。アルド・サッシは永遠に我々の中に生き続ける」

急遽サッシ氏の葬儀に出席したバッソは、とんぼ返りでサルデーニャ島に戻った。来シーズンの目標を見据えて、地味な作業を一つ一つこなしている。春はまだ遠い。

text:Gregor Brown
translation:Kei Tsuji

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