アイディアに溢れる数々のプロダクトを通して、サイクリストの悩みを解決し、更には潜在的な要望を先取りして満たしてきた東京サンエス。同社のオリジナル製品の開発を担当してきた上司辰治(かみつかさ たつじ)氏へのインタビューを通して、その開発力の源泉に迫る。



サイクリングを愛し、サイクリストに愛される。東京サンエスのプロダクト

昨年荒川沿いにサイクリスト向けのカフェ&展示施設「SAN-ESU BASE 羽根倉通り」をオープンした東京サンエス

ワンバイエスを筆頭に、MTBパーツのグランジやロード系のディズナなど、多くのオリジナルブランドを手がける東京サンエス。国内メーカーの代理店と共にリッチーやソーマ、リーヴェンデール(現在はタイヤ)といった海外ブランドの輸入代理店を務める同社だが、サイクリストの間では先述したオリジナルブランドのイメージの方が強いのではないだろうか。

その象徴とも言えるのが同社のパーツカタログ。年々分厚くなっていく東京サンエスカタログを楽しみにしているサイクリストは数知れず。コロナ禍の影響によって刊行が中止された2021年には、年に一度の楽しみが無くなってしまったと天を仰ぐ人々が各地で散見された……というのは少しオーバーな表現かもしれないが、残念がる声は周囲でも多く聞こえてきた。(もちろん私もその一員だ)

サンエスの歴史とも言える総合カタログ。1995年のカタログはまだかなり薄かったようだ笑


カタログに掲載されるオリジナルパーツの数々。その中には、他のブランドでは見たことも無いような設計の独創性溢れるパーツが存在している。とはいえ、それらは決して飛び道具的なアイディアというわけではなく、むしろスポーツバイクライフを楽しむ中でぶつかる様々な悩みを溶かすような地に足のついたもの。だからこそ、サイクリストたちは何か困ったことがあった時、解決策を求めてサンエスカタログを開くのだろう。

ショートリーチハンドルの新たな境地を開いた"ジェイフィット"シリーズ、骨盤の狭いライダーのペダリング効率を劇的に改善するQファクターの狭さにこだわったショート&ナロークランクの"ラ・クランク"、太ももとの接触を抑えて効率的なペダリングを実現するロード用サドルの"ナロウ30"シリーズ、バランスの取れたルックスを保ちつつハンドルを下げられる"スージーステム"etcetc……。

名作、ジェイフィットをカーボン化したワンバイエス ジェイカーボン (c)東京サンエス

Qファクターの狭さにこだわったラ・クランクはその後ダイレクトマウント式を採用したジェイ・クランクへと進化した

そのどれもが登場当時、そして今現在においても他に類を見ないもので、それらに救われたユーザーたちにとってかけがえのない存在になっている。そんな幸せなプロダクトの数々の生みの親となる上司氏にインタビューを行った。どうやって、サンエス製品は送り出されるのだろうか。



海外ブランドからオリジナルブランドへ

東京サンエスのオリジナル製品の開発を担当してきた上司氏


ー東京サンエスといえば、数々のオリジナルブランドが人気ですよね。どういったきっかけでオリジナルの製品を開発するようになったのでしょうか。

上司:それはかなり長い話になるんですが大丈夫ですか?(笑)

ーぜひお願いします!

上司:もともと、東京サンエスは輸入代理店として色んなブランドをやっていたんですよ。ペドロ・デルガドがツールを勝ったころのピナレロとかデローザも取り扱っていたんです。ちょうどそのころに僕が東京サンエスに入社したんですが、その時は本当に調子が良くて。その時々の旬のモノを日本に入れては売り、入れては売り、とやってたんですよね。組んでいた商社が優秀で、話が速かったんです。

しばらくすると、MTBブームがやってきた。その時にサンエスはアメリカのGTの代理店を10年弱ぐらいやっていたんですよ。当時のGTは、MTBのトップブランドでこれもまたすごく勢いがあって。で、儲かったんですけど、MTBバブルが弾けるとかなり損失が出てしまったんですよ。

取り扱っている間も、日本の環境や日本人の体格にあったバイクの提案とかもしていたんですけど、まあそういうリクエストなんて全然通らない。ドーンと仕入れてバーンって売って。商売としては調子いい時は良いですけど、バブルが弾けたら最後には中間の商社から在庫突っ込まれてハイサヨナラ、みたいな。そのあたりで、輸入モノに賭けるというのは面白くないなと思うようになったんです。

自分たちで納得の行くものを作れれば、売れれば最高だし、売れなくても納得いくじゃないですか。それで自分たちでやっていこう、ということで東洋フレームとタッグを組んで「テスタッチ」というブランドを立ち上げました。

当時、東京サンエスとタッグを組んでテスタッチを立ち上げた東洋フレームの石垣鉄也さん
当時、東洋フレームと言えばスペシャライズドのフレームを作ったり、GTとも関係があったりと、非常に重要な世界ブランドのフレーム製造拠点だったんです。

ビルダーの石垣さんと一緒にテスタッチレーシングを立ち上げて、鈴木雷太さんとか筧五郎さんとか、なかなか錚々たるメンバーで国内レースを転戦しつつ、同時期にMTB系として大竹さんと組んで、オフロードレースもサポートしていたんです。メンバーには三上和志さんもいましたね。

実際にフレームを作る職人と一緒にレースの現場を回って、選手のサポートをして要望を聞いてね。作る側と乗る側がちゃんとコミュニケーションを取りながら進めていくことの大事さ、そしてモノづくりにおける流れをその時に肌で感じたんですよ。

ーなるほど。今のサンエスさんとはまた違った時代があったんですね。

上司:そうなんですよ。でも実際、当時僕は製品デザインをしている訳じゃなかったんです。でも今から思い返せば、モノづくりの現場にいる人たち、その中でも本当に凄い人たちから色んな影響を受けて、見て聞いて学んできたことが今の下地になっているんですよ。

少し話は遡りますけど、GTを扱っていた時にゲイリー・ターナーとも交流する機会があって。GTとは色々ありましたけど(笑)、彼のものづくりに対する姿勢というのは学ぶところが多かったですし、なによりもカッコイイな、と感じていましたね。

他にもNAGASAWAの長澤さんのメカニックトラックに乗ってツアーオブジャパンを回ったりする機会もあって。中野浩一(※世界選手権10勝の伝説のトラックレーサー)さんとの会話の場にも居たりしたんですけど、やっぱり強烈なんですよね。

サイクルモード大阪にて、ハンドルについて説明する上司さん。独創的な製品づくりの背景には数々の名ビルダーやデザイナーとの交流が背景にあるという

外せないのはトム・リッチーですね。彼はフレームビルダーですけど、パーツのデザインにも長けているじゃないですか。彼が東洋フレームの石垣さんに指示する場面に出くわしたり、彼のアイディアとか、トーマス・フリシュクネヒトとかをサポートしながら開発を進めていたりとか。そういった彼のアイディアや独創性というのは刺激的で、モノづくりに対するカッコよさというものをすごく感じていた。

あと、WTBのチャーリー・カニンガムやスティーブ・ポッツ、そして今もWTBの製品デザインを手がけているマーク・スレートとも交流したり。スレートは当時スペシャライズドのタイヤをほぼ全て手がけていましたよね。

それと、リーヴェンデールのグラントさん。彼は実際に自分で何かを作るというよりかは、アイディアを出して東洋フレームとか色んな工場に具現化してもらうスタイル。ユニークで、彼にしか考えだせないような理論をどんどんカタチにしていく、という姿に憧れました。

アイディアマン×職人。関係を繋ぐカギは独創性。

ーそういった先達のDNAが今の上司さんのモノづくりに活かされていると。

上司:本当に彼らにはとても影響されてるんです。でも、一番はやっぱりトム・リッチーですね。僕が実際にモノづくりを始めたころに出会った台湾の工場があるんです。今でも色々無理を聞いてくれる長い付き合いなんですが(笑)。

で、そこにリッチーもやってきてWCSシリーズを作っていったんですよ。それで、工場の社長が色々教えてくれるんです。「トムはこういうふうにしてるよ」って。本当に勉強になったんですね。

そして、その時に感じたのが個性とか独創性とか、そういった部分が本当に大切なんだな、ということですね。正直、僕は実際に何かを作るということは出来ないじゃないですか。工場の技術者がいないとアイディアを形にすることは不可能で、強度計算とか非常に手間のかかることを彼らにやってもらう必要がある。

そこで大切になるのが信頼関係なんです。アイディアという名の、めんどくさいお願いに工場の人が耳を傾けてくれるのは、それが個性的で、独創的で、面白いから。「こいつ、おもろいこといいよるな」って思ってもらえれば受けてもらえる。もちろん、全然売れないとハナシにならないんだけど(笑)。ちょっとは当てるヤツだな、と思ってもらうのが大切なんです。

ーアイディアは工場との関係を築くためにも意味があるということですね。

上司:工場との信頼関係というのは本当に大切ですね。例えばサンエスのカーボン製品というのは、実はミズノさんの流れを汲んでいるんです。昔、ミズノさんがカーボンフォークやフレームを手がけていた時代があったんです。主なマーケットはロードの本場ヨーロッパでしたね。今はパラリンピック選手の義足を手がけている宮田さんという方がいて、イタリアのペセンティとフレームを作る際に、そのやり取りを見ていたのが今のサンエスのカーボン製品の礎になっているんです。

非常に複雑な形状のボーダーレス2ハンドルバー 高いカーボン成形技術が必要なことが一目でわかる製品だ

結局、ミズノさんは自転車事業から撤退することになったんですが、当時ミズノ製品を取り扱っていたサンエスが製造を担当していた工場を引き継ぐカタチになって。今もサンエスのカーボン製品の多くはその工場で作ってもらっているんですよ。

面白いのが、その工場は本当に成長していて世界の一流どころのハンドルを製作するようになっているんですよね。最近はフル内装になって、ハンドルも開発するフレームメーカーも多いじゃないですか。ツールで優勝争いするようなメーカーのハンドルもその工場に依頼が来るくらい、高いクオリティで作ってくれるんですよね。

ー工場とは共に成長していくという面もあるんですね。実際、どういった流れで工場にアイディアを伝えるのですか?

上司:そこは本当に人によるんですよ。面白い場面もたくさんあって(笑)。例えば、リーヴェンデールのグラントが工場の社長と話している中で、アイディアを紙ナプキンにチョチョッと鉛筆で書いて渡したりしてるのを見たり。それが後になって工場の製品として出てきてて、「これあの時グラントが書いてたヤツやん!」みたいな話もあります(笑)。そんなメモみたいなものが、サラッと実際の製品になっているのは驚きでもありました。

でも、そういうのもカッコいいじゃないですか。僕もリッチーはどうやって打ち合わせしているの、って工場の社長に尋ねたりするんですけど、メモ書きみたいなのをポロッと手渡されることも良くあるよって。

今でこそ、CADでデータをくれと言われることも増えてきましたけど、独創性や創造性というのは、最初からそんなに作りこめるものじゃないですよね、と思うことはあります。

ーそして紙ナプキンで……(笑

上司:いやいやいや、僕はもっとちゃんと書いてますよ!(笑)それは、僕にそれで伝えきれる力量がないという意味でね。でも確かに、初期は手書きのアイディアスケッチのようなカタチですが、しっかり数値で詰めていきます。そして、クレイモデルを作ったり、最近だと3Dプリントで出力して微調整を加えていく、という流れですね。

様々なモデルのプロトタイプ。最近は3Dプリンターを使うこともあるのだという

ーなるほど。工場との関係という面ですが、やはり発注数なども関係してくるのですか?

上司:もちろんそれは大きいです。特に最近はまとまった発注が無いと受けてくれない工場も増えてきています。大手の発注で埋まってしまうところもあったりしますね。でも、そういった状況だからこそ、独創性や個性が重要になってくるんですよね。

たとえば、ある製品のトップシェアを握っている台湾の工場があります。ビッグメーカーなので普通は凄い量を要求されるんですけど、実は通常とは異なる生産ラインがあるんです、なんか面白いものを作ろうとする変なヤツらを集めたチーム、みたいな。そこのグループに入れると、試作レベルの数量でも製品を作ってくれたりするんですよ。

他にも、複数の有名な工場とそのような付き合い方をしているんですが、逆に言えば、常に面白がられないといけないというプレッシャーはあります。だから、一所懸命になってギリギリの線を攻め続けていってるんです、存在感を出し続けないといけないから。

あと、数字的な面で言えば、サンエスの製品は結構息が長いものが多いんです。1年で1万個売るのではなく、1年に1000個だけど10年売れつづけるような。そういった面を評価してくれる工場もありますね。

なんかわからんけど、良い、と言われたい。

ー実際の製品開発において、上司さんはどういったアプローチを取るのでしょうか?

上司:あんまり人の意見とかを聞くことってないんですよ。本当に申し訳ないんですけどね。なんか、ずっと考えてるんですよね。ずっと考えている中で、不意にカタチを成してポンッと出てくるようなアイディアが多いですよね。

ただ、正確に言えば本当に人の意見を聞いてないわけではなく、いろんな場所で色んな人の話はインプットされていて、自分の中で蓄えられているんですよ。そういったものがアイディアの養分になって、ある日花開くような。

トム・リッチーがいつも「今やっているのは、もう何年も前のアイディアなんだ。自分の中にはまだまだカタチに出来ていないものがいくつもある」というんですが、それもきっとそういうことなんだと思うんです。

UX内の目玉展示、圧巻のハンドルラインアップ。リッチーにも負けず劣らずのたくさんのアイディアから生み出された品々だ。

ーこれが当たりそうだぞ、というようなマーケティングベースではないと。

上司:そうですね。ある時ふわっと思いついて作ってみたら、結構時間差で受け入れられていくこともあります。それって、実体験や色んな人と話している中で、こういうことに困っているとか、身体のここが痛いとか、そういうふんわりしたインプットがある中で、ちょっと先を行くアイディアになっていたのかな、と思うことはあります。ただ、自分でも確実にはこれはウケるぞ!と思って作ったことは一度も無いですね。

例えば、ジェイカーボン マホラシリーズなんかは典型的ですよね。UX(※荒川沿いのサンエスベース内にある展示施設。サンエス製品をほぼ網羅する)で色々説明していると最終的にマホラを気に入る人が多いんです。斬新な設計ですごいですね、と言われることもあるんですが、発表したのは2年前なんです(笑)

バートップとドロップ部分でそれぞれ別々の役割を持たせたユニークな形状の「マホラ」ハンドルバー

ー今開発中の製品はありますか?

今はブランド初のステム一体型ハンドルを開発中です。ステム一体型ハンドルって、エアロだったり高剛性だったり、レースモデルが大半じゃないですか。でも、そういった方向じゃないモノが合っても良いんじゃないか、というのが発端ですね。

一体式に興味はあるけどレースモデル並みのデザインや剛性感は必要なくて、むしろ体に優しいような、追い込まずに楽しく走るのにピッタリなステム一体型ハンドル。そして何よりサイズの選択を細かく行えない点を補うに値するような。だから、あんまり高いものにもしたくなかったんです。

東京サンエス初となるステム一体型ハンドルが間もなくデビューするという

ー身体にも財布にも優しいステム一体型ハンドルですね(笑)上司さんがモノづくりをしていてよかった、と思うのはどういった時でしょう?

上司:それはもう、ユーザーさんに喜んでもらった時、すごくいいと言ってもらえた時ですよね。特に、感想が論理的じゃないほど嬉しいですね。ここがこうなってるから、こういうふうに良い、というのももちろん嬉しいんですけど、「なんだかわからないけど、すごく走りやすくなりました!」、みたいな感想が一番ヨシ!ってなります。

ーその人が気づいていなかったような不満を気づく前に解決する、ということですね。サンエスのプロダクトへのイメージにピッタリです。
最後に、上司さんが考えるモノづくりの為に一番大切なことはなんでしょう。


上司:実現力ですね。トム・リッチーとか、グラントのような先人を見てきて、自分でも製品を開発して感じたのが、結局アイディアだけでは意味は無いということですね。アイディアがあって、それを形にしてくれる技術者や職人がいて、製品が完成する。だから、工場の技術への理解や敬意が大切で、彼らとの関係は替えがたいものです。

そうして、完成した製品がある程度売れて、人様に迷惑をかけることも無くって、逆に喜んでもらうことができたのなら、それってもう大成功だと思うんです。



TOYOやナガサワといった著名ビルダー、そしてGTやリッチーといった世界的な海外ブランドの創始者たちとの交流を経て、生み出されている東京サンエスのプロダクトたち。彼らの哲学やモノづくりへのアプローチが途切れることなく受け継がれ、そしてカタチとなって世に送り出されているのは私たち日本のサイクリストにとっても、この上なく幸運なことではないだろうか。

そんな東京サンエスのプロダクトは、(最新のカタログ)から確認可能。また、サンエスのものづくりにまつわるエピソードをより深く知りたい方は、毎月10日前後に更新される月刊サンエスウォッチングをぜひチェックしてみてもらいたい。そして、実際の製品が気になった方はSAN-ESU BASE羽根倉通りへ足を運んでみると良いだろう。東京サンエス公式ページに掲載されている営業カレンダーには上司氏がSAN-ESU BASEに在廊している日も事前に確認できる。サイクリングへの理解と愛が深まるようなお話がきっと聞けるはずだ。

text:Naoki Yasuoka
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