ヴェローナのアレーナは観客で埋め尽くされていた。大歓声に包まれたかつての円形競技場に笑顔で入って来たのは、マリアローザを着たイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)。2006年に総合優勝を飾り、2年間の出場停止処分を受けたバッソが、かつての名声を取り戻した瞬間だった。

「モンテゾンコランで独走しているとき、初めて自分が解き放たれたと感じた」。

歯を食いしばってゴールに向かう先頭で姿を現したイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)歯を食いしばってゴールに向かう先頭で姿を現したイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス) photo:Kei Tsuji

バッソはヨーロッパ随一の難易度を誇るとされる急勾配のモンテゾンコランで独走勝利。そこでジロ制覇を決めたわけではないが、最大のライバルである世界チャンピオンのカデル・エヴァンス(オーストラリア、BMCレーシングチーム)から貴重な1分19秒のリードを得た。

モンテゾンコランを終えて、マリアローザはダビ・アローヨ(スペイン、ケースデパーニュ)がキープ。しかしこのゾンコランでの勝利が、最終週にリクイガスが猛チャージを仕掛ける布石になったことは間違いない。ライバルたちは「最も警戒しなければならない相手」としてリクイガスを指名した。

チームタイムトライアルでステージ優勝を飾ったリクイガスチームタイムトライアルでステージ優勝を飾ったリクイガス photo:Kei Tsujiイタリアを代表するリクイガスは、クーネオで行なわれたチームタイムトライアルで勝利。しかし未舗装区間が設定された第7ステージと、ラクイラの第11ステージでピンチを迎えた。

特にラクイラでは危険な選手を含む大きな逃げグループの先行を許す失策。リーダーの証であるマリアローザをリッチー・ポルト(オーストラリア、サクソバンク)とアローヨに明け渡してしまう。

チームメイトに牽かれてダート区間を走るイヴァン・バッソとヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、リクイガス)チームメイトに牽かれてダート区間を走るイヴァン・バッソとヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、リクイガス) photo:Kei Tsuji過酷な最終週の幕開けを告げる第14ステージで、バッソの盟友ヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア)が輝いた。ゴール前のモンテグラッパの危険な下りで弓矢の如く飛び出したニーバリはゴールまで独走勝利。ここからリクイガスの快進撃が始まる。

翌日のモンテゾンコランの第15ステージでは、バッソがエヴァンスとの一騎打ちを制して優勝。バッソのステージ優勝は、2006年のアプリカステージ以来4年ぶりだった。

ハイペースで1級山岳モルティローロ峠を駆け上がるイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)ハイペースで1級山岳モルティローロ峠を駆け上がるイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス) photo:Riccardo Scanferla2006年のジロ・デ・イタリアは、おそらく“汚いレース”だった。バッソは総合2位につけていたホセエンリケ・グティエレス(スペイン、当時フォナック)を10分以上引き離す大差で総合優勝。しかしちょうどそのジロ期間中、スペインではフエンテス医師をターゲットにしたドーピング捜査「オペラシオンプエルト」が勃発した。

渦中のフエンテス医師のオフィスからは、バッソやグティエレス、その他大勢のものとされる血液バッグが押収。1998年の「フェスティナ事件」以来最大のドーピングスキャンダルへと発展することになる。

マリアローザにキスするイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)マリアローザにキスするイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス) photo:Kei Tsuji当初バッソはフエンテス医師との関係を否定していたが、2007年になって事件への関与を自白。2年間の出場停止処分を受けることになる。

そこからバッソは“生まれ変わった気持ち”でトレーニングを再開する。有能なトレーナーのアルド・サッシ氏を従え、復帰への挑戦が始まった。

ガヴィア峠で集団のペースを上げるイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)ガヴィア峠で集団のペースを上げるイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス) photo:Kei Tsujiヴェローナのアレーナに駆けつけたサッシ氏は「バッソの今回の勝利は、他のどのレースとも違う。このステージに立つために、バッソは努力を惜しまなかった。しかしそれ以上に、彼が一人前の人間に成長したことが勝利の秘訣だ。それは結果以上に大切なことだと思っている」と語る。

ゾンコランでの勝利から5日後、バッソはアプリカでマリアローザに袖を通した。それ以降、バッソは山岳でリズムを崩すこと無く走り、2006年とは大きく違う現実的なタイム差で総合優勝。総合2位のアローヨとのタイム差は1分51秒、総合3位のニーバリとのタイム差は2分37秒だった。

大歓声を受けて山岳を上るマリアローザのイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)大歓声を受けて山岳を上るマリアローザのイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス) photo:Riccardo Scanferla実は、サッシ氏の脳に癌の腫瘍が見つかったのはジロ・デ・イタリア開幕直前のこと。そんな中でもサッシ氏は連日ジロに帯同し、バッソにアドバイスを与え続けた。

「イヴァンには生きる勇気をもらったよ」。最終日の翌日、インタビューの中でそう微笑んだサッシ氏。ガゼッタ・デッロ・スポルト紙を開くと、バッソがチームメイトとともにステージの上に喜ぶ姿が飛び込んで来た。その記事の中には「バッソとその防衛軍は総額85万ユーロ(約1億円)をゲット!」という文字が躍っていた。

息子と娘を抱きしめるイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)息子と娘を抱きしめるイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス) photo:Kei Tsujiリクイガスがジロ主催者から受け取った賞金総額は45万ユーロ。更にメインスポンサーのリクイガス社が40万ユーロ上乗せし、総額85万ユーロに。チームのルールに則って、バッソとニーバリは賞金をチームに分配することになる。15%がチームスタッフ、そして残りがチームメンバーに分配される予定だ。

2度目のジロを制した今、バッソの頭に浮かぶのはツール・ド・フランスだ。バッソは2004年に総合3位、2005年に総合2位に入っている。そう、いずれもランス・アームストロング(アメリカ)が総合優勝した大会だ。

今年、バッソは久々にツールの開幕地に飛ぶ。2006年のツールは総合優勝候補に挙げられながらも、オペラシオンプエルトへの関与が取り沙汰された影響で、開幕前夜に当時チームCSCのビャルヌ・リース監督によってイタリアに送り返された。

あれから4年。ジロのタイトルをもう一つキャリアに追加したバッソは、新たな気持ちでツールに向かう。

「まだツール開幕まで5週間ある。今年はジロ以前にあまりレースを走っておらず、まだ疲れはそれほど蓄積していない。それが僕のアドバンテージになる。ずっと自宅で眠っていたツールのコースマップをようやく開く時が来た。コースを入念にチェックして、万全の状態でツールに挑みたい」。

第2のキャリアを歩むバッソ。その挑戦は終わらない。


総合優勝トロフィーを受け取ったイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)総合優勝トロフィーを受け取ったイヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス) photo:Kei Tsuji

text:Gregor Brown
photo&translation:Kei Tsuji