2021/01/23(土) - 16:27
「今年度一杯で、長きに渡る競技生活から引退致します」。萩原麻由子が自身のSNSページで現役生活から退くことを発表した。ロードとTT合わせて10度全日本チャンピオンに輝き、ジロ・ローザ区間優勝、アジア選手権優勝など一時代を築いた選手がジャージを脱ぐ。
萩原麻由子が自身のFacebookグループに投稿しのは、3月いっぱいでの引退宣言と周囲への感謝だった。「度重なる困難に遭っても最後まで自分なりに全力尽くせたのは、紛れもなく周囲の沢山の強力なサポートと応援あっての事でした。それら無しには何もなし得ませんでしたし、自転車競技を通し国境を越え、沢山の出会いと導きを得て進んでこれました。そのどれもがかけがえのない経験で、沢山のことを学びました」と、萩原は語っている。
群馬県前橋市出身で、鹿屋体育大学卒業後はサイクルベースあさひに就職し、2013年からはウィグル・ホンダの創設メンバーとして欧州プロ入りした萩原。持ち前のスピードを武器に国内外で活躍し、日本やアジアで当代を代表する女子選手として輝かしい成績を残してきた。
全日本選手権では2008年の個人タイムトライアル制覇を皮切りに、2010年にはロードと個人TTを制して初のダブルタイトルを獲得。2015年に那須で開催されたロード優勝まで、ロードとタイムトライアルでの全日本タイトル数は10(個人TT:2008〜2012、2014、ロード:2010〜2012、2014、2015)をマークしている。
キャリアハイライトは、ウィグル・ホンダの一員として出場した2015年のジロ・ローザ第6ステージでの逃げ切り勝利。逃げグループに加わった萩原は一度捕まってもなお独走に持ち込み、トップ選手による精鋭グループを抑えて勝利。日本人選手によるジロ・ローザ区間優勝は現在萩原ただ一人の記録だ。
2018年はアレ・チポッリーニに移籍したものの、その秋にトレーニング中の交通事故で重体となり、半年以上リハビリに費やす苦しい期間を過ごした。2019年、2020年はスペインのUCIチームであるエネイカットで過ごすもコンディションは戻らず、今回の引退発表に繋がった。
今年度いっぱいで競技生活から退き、その後は一般職に就くという萩原。引退発表の投稿後半では、引退の直接的な理由や今後、そして感謝を綴っている。
「自転車は自分に「勇気と覚悟」の意味を教えてくれた様に思います。また同時にそれらが実力と共に薄れてきた時、競技をやめる時だとも思いました。
今後は一般職へと進みますが、これまでの事を活かし新たに学んで行けるよう、一から頑張って歩んで行きたいと思います。その中で自転車競技へ何か還元できるものはないか、自分なりに模索していきたいです。
長々と書いてしまいましたが、これまで自身の競技生活へ多大なご支援ご声援頂きました全ての皆様へ心からの感謝を。本当に、有難うございました。世界は今も大変な状況にありますが、必ず困難を乗り越えられる様一人一人力強くいける様過ごしたい、そしてまた笑顔で会える日を待ちましょう。長い間多くの激励、ご声援本当に有難うございました!」
萩原麻由子が自身のFacebookグループに投稿しのは、3月いっぱいでの引退宣言と周囲への感謝だった。「度重なる困難に遭っても最後まで自分なりに全力尽くせたのは、紛れもなく周囲の沢山の強力なサポートと応援あっての事でした。それら無しには何もなし得ませんでしたし、自転車競技を通し国境を越え、沢山の出会いと導きを得て進んでこれました。そのどれもがかけがえのない経験で、沢山のことを学びました」と、萩原は語っている。
群馬県前橋市出身で、鹿屋体育大学卒業後はサイクルベースあさひに就職し、2013年からはウィグル・ホンダの創設メンバーとして欧州プロ入りした萩原。持ち前のスピードを武器に国内外で活躍し、日本やアジアで当代を代表する女子選手として輝かしい成績を残してきた。
全日本選手権では2008年の個人タイムトライアル制覇を皮切りに、2010年にはロードと個人TTを制して初のダブルタイトルを獲得。2015年に那須で開催されたロード優勝まで、ロードとタイムトライアルでの全日本タイトル数は10(個人TT:2008〜2012、2014、ロード:2010〜2012、2014、2015)をマークしている。
キャリアハイライトは、ウィグル・ホンダの一員として出場した2015年のジロ・ローザ第6ステージでの逃げ切り勝利。逃げグループに加わった萩原は一度捕まってもなお独走に持ち込み、トップ選手による精鋭グループを抑えて勝利。日本人選手によるジロ・ローザ区間優勝は現在萩原ただ一人の記録だ。
2018年はアレ・チポッリーニに移籍したものの、その秋にトレーニング中の交通事故で重体となり、半年以上リハビリに費やす苦しい期間を過ごした。2019年、2020年はスペインのUCIチームであるエネイカットで過ごすもコンディションは戻らず、今回の引退発表に繋がった。
今年度いっぱいで競技生活から退き、その後は一般職に就くという萩原。引退発表の投稿後半では、引退の直接的な理由や今後、そして感謝を綴っている。
「自転車は自分に「勇気と覚悟」の意味を教えてくれた様に思います。また同時にそれらが実力と共に薄れてきた時、競技をやめる時だとも思いました。
今後は一般職へと進みますが、これまでの事を活かし新たに学んで行けるよう、一から頑張って歩んで行きたいと思います。その中で自転車競技へ何か還元できるものはないか、自分なりに模索していきたいです。
長々と書いてしまいましたが、これまで自身の競技生活へ多大なご支援ご声援頂きました全ての皆様へ心からの感謝を。本当に、有難うございました。世界は今も大変な状況にありますが、必ず困難を乗り越えられる様一人一人力強くいける様過ごしたい、そしてまた笑顔で会える日を待ちましょう。長い間多くの激励、ご声援本当に有難うございました!」
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