2021/01/08(金) - 14:17
長年日本の女子トラック競技界を牽引してきた上野みなみ(シエルブルー鹿屋)が3月限りでの引退を発表した。「たくさんの方々のサポートがあったからここまで続けてこれた」と感謝を綴っている。
「長年競技を続けてきたからこそ、スパッと区切りをつけるのが本当に難しかった。辞めてから後悔するのが一番嫌。だからこそ今シーズン唯一開催された全日本選手権には集中して臨みました」と、現役引退を発表した上野みなみ(シエルブルー鹿屋)は語っている。12年間ナショナルチームの一員として、そして地元八戸から、鹿屋体育大〜同大学院〜そしてシエルブルー鹿屋と、長らく鹿児島県鹿屋の選手として走った29歳が、長らくタッグを組んだ山本(旧姓:塚越)さくらと同じタイミングで選手活動から退く。
「レースの中で自分の走りを組み立てることが難しくなってきていたのですが、全日本選手権もキツいな、と思いながら走る場面が多かったですね」と、シクロワイアードのインタビューに答えた上野。最後の全日本では強化指定チームの一員として出場した女子エリート4kmチームパーシュートでは新記録で優勝したものの、個人競技では3km個人パーシュートで3位銅メダル。これが最後の公式リザルトとなった。
「終わった後はまだ続けるべきなのか…?とも思いを巡らせましたが、もし世界の舞台に出た時に、今まで通りの走りはやはり難しいな、と。やるからにはトップという考えで選手を続けてきたので、そこが難しくなってきている現状に、もう潮時かな、と思った」と、上野はその時の心境を打ち明ける。
2009年のジュニア世界選手権ポイントレースにおいて、日本人女子選手初のメダル(銅)を獲得を皮切りに、2015年のトラック世界選手権ポイントレースでは日本人女子選手としてオリンピックと世界選手権の自転車競技全種目を通じて初のメダル(銀)を射止めるなど、日本を代表する中〜長距離、そしてロード選手として活動してきた上野。目標に据えていた鹿児島国体が新型コロナウイルス感染拡大によって2023年に延期され、そこまで気持ちと身体を良い状態でキープできるか保証できない、そして中途半端な気持ちでは続けられないという気持ちが引退を決意させたという。
「引退を発表してから本当にたくさんの方々からメッセージを頂いています。改めて嬉しいし、幸せだな、と。私は人よりも怪我が多く、その中で苦しい時間が何度もありましたが、その時もいつも身の回りで多くの人が助けてくれた。そのサポートがあったからこそここまで続けてこれました」と感謝を綴る上野。そして、国内トラック競技界に関しては、後進の飛躍を肌で感じてきた。
「今は本当に若手が育ってきているのを感じます。私が彼女たちと同世代だったら勝てていないかも、と思うくらいレベルが上がってきていますし、ナショナルチームの環境も今が一番環境が整っていると感じます。私は最初クリートすらはめられないほど不器用でしたが、それでも頑張り続けたことで結果が出ました。だから信じ続ければいつか結果は出るし、たとえそうでなくとも自分に残ることはあると思います。やっぱり、諦めない、ということを伝えたいですね」。
契約を3月いっぱいまで残している上野だが、現在はコンディションを上げる練習は行っておらず、状況が許せばレースではなく、積極的にイベントに参加し、ファンやサポーターと交流して感謝を伝えていきたいと言う。今後はまだ話せる段階に無いものの、コーチ資格取得など、今までの経験をもとに活動したい、と話した。
text:So Isobe
「長年競技を続けてきたからこそ、スパッと区切りをつけるのが本当に難しかった。辞めてから後悔するのが一番嫌。だからこそ今シーズン唯一開催された全日本選手権には集中して臨みました」と、現役引退を発表した上野みなみ(シエルブルー鹿屋)は語っている。12年間ナショナルチームの一員として、そして地元八戸から、鹿屋体育大〜同大学院〜そしてシエルブルー鹿屋と、長らく鹿児島県鹿屋の選手として走った29歳が、長らくタッグを組んだ山本(旧姓:塚越)さくらと同じタイミングで選手活動から退く。
「レースの中で自分の走りを組み立てることが難しくなってきていたのですが、全日本選手権もキツいな、と思いながら走る場面が多かったですね」と、シクロワイアードのインタビューに答えた上野。最後の全日本では強化指定チームの一員として出場した女子エリート4kmチームパーシュートでは新記録で優勝したものの、個人競技では3km個人パーシュートで3位銅メダル。これが最後の公式リザルトとなった。
「終わった後はまだ続けるべきなのか…?とも思いを巡らせましたが、もし世界の舞台に出た時に、今まで通りの走りはやはり難しいな、と。やるからにはトップという考えで選手を続けてきたので、そこが難しくなってきている現状に、もう潮時かな、と思った」と、上野はその時の心境を打ち明ける。
2009年のジュニア世界選手権ポイントレースにおいて、日本人女子選手初のメダル(銅)を獲得を皮切りに、2015年のトラック世界選手権ポイントレースでは日本人女子選手としてオリンピックと世界選手権の自転車競技全種目を通じて初のメダル(銀)を射止めるなど、日本を代表する中〜長距離、そしてロード選手として活動してきた上野。目標に据えていた鹿児島国体が新型コロナウイルス感染拡大によって2023年に延期され、そこまで気持ちと身体を良い状態でキープできるか保証できない、そして中途半端な気持ちでは続けられないという気持ちが引退を決意させたという。
「引退を発表してから本当にたくさんの方々からメッセージを頂いています。改めて嬉しいし、幸せだな、と。私は人よりも怪我が多く、その中で苦しい時間が何度もありましたが、その時もいつも身の回りで多くの人が助けてくれた。そのサポートがあったからこそここまで続けてこれました」と感謝を綴る上野。そして、国内トラック競技界に関しては、後進の飛躍を肌で感じてきた。
「今は本当に若手が育ってきているのを感じます。私が彼女たちと同世代だったら勝てていないかも、と思うくらいレベルが上がってきていますし、ナショナルチームの環境も今が一番環境が整っていると感じます。私は最初クリートすらはめられないほど不器用でしたが、それでも頑張り続けたことで結果が出ました。だから信じ続ければいつか結果は出るし、たとえそうでなくとも自分に残ることはあると思います。やっぱり、諦めない、ということを伝えたいですね」。
契約を3月いっぱいまで残している上野だが、現在はコンディションを上げる練習は行っておらず、状況が許せばレースではなく、積極的にイベントに参加し、ファンやサポーターと交流して感謝を伝えていきたいと言う。今後はまだ話せる段階に無いものの、コーチ資格取得など、今までの経験をもとに活動したい、と話した。
text:So Isobe
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