1994年のプロデビュー以降、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュやパリ〜ニース制覇を成し遂げるほどの才能を見せながらも、ドーピングや自殺未遂、発砲事件など、スキャンダラスな人生を歩んできたフランク・ファンデンブルック(ベルギー)が、セネガルのホテルで死亡しているのが発見された。

1999年のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュで優勝したファンデンブルック1999年のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュで優勝したファンデンブルック photo:Cor Vosベルギーのsport.beが伝えたところによると、VDBの愛称をもつ34歳のファンデンブルックが、休暇先のセネガルのホテルで、遺体となって発見された。死因は急性肺塞栓症だと伝えられている。

クラシックハンターとしてその名を轟かせたファンデンブルックのキャリアは、叔父のジャン・リュックが監督を務めるロットでプロデビューを果たした1994年に始まる。翌年から所属したマペイでは、若手ながらパリ〜ニースやヘント〜ウェベルヘムで優勝。1999年からはコフィディスに所属し、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ制覇。さらにブエルタ・ア・エスパーニャでステージ2勝&ポイント賞獲得を達成した。

今季チネリ・ダウンアンダーに所属していたファンデンブルック今季チネリ・ダウンアンダーに所属していたファンデンブルック photo:Cor Vos90年代に輝かしい成績を残し、天才児と謳われたファンデンブルック。しかし2000年以降はスキャンダルによって転落したキャリアを送る。

2002年には飲酒運転で逮捕され、自宅から禁止薬物EPO(エリスロポエチン)が押収。その際「この薬物は犬に与えるためのものだ」と語ったというエピソードもある。2004年には発砲事件を起こし、2007年には不安定な精神状態により自殺未遂。

こうしたスキャンダルにより、チームを解雇されては別のチームに移籍するの繰り返し。2000年から2008年までに籍を置いたチームは、ランプレ、ドモ、クイックステップ、ファッサボルトロ、ミスターブックメーカー、ユニベット、アックア・エ・サポーネ、ミツビシ・ジャルタジの8チームに上る。1999年までの輝きを取り戻せず、ずっと喘ぎ続けた。

今年ファンデンブルックはチネリ・ダウンアンダーに移籍し、シーズン序盤のクラシックレースに出場。しかしすでにチームは契約を打ち切っている。カムバックを目指すファンデンブルックは、悪いイメージを払拭するために血液データを公開するなど、2010年シーズンに向けてチームを探している最中だった。

輝かしいキャリアより、スキャンダルのイメージが先行してしまうのは非常に残念なこと。その早すぎる死に、心からご冥福をお祈りいたします。

text:Kei Tsuji
photo:Cor Vos