アメリカ人初、そして3度のツール・ド・フランス覇者グレッグ・レモン氏。偉業を達成したアメリカンレジェンドは、近年休止していた自身のバイクブランドとともに再スタートを切った。「日本が好き。これからもますます日本に来ることになる」というレモン氏に話を聞いた。



サイクルモード2014を訪れたグレッグ・レモン氏サイクルモード2014を訪れたグレッグ・レモン氏 (c)Makoto.AYANO
(聞き手:綾野 真、収録:2014年11月 サイクルモード幕張にて)

―― レモンさん、お会いできて嬉しいです。私はあなたのビッグファン、あなたはマイヒーローなんです。
1990年、宇都宮の世界選手権ロードではあなたの姿を夢中で追っていました。ツール・ド・フランスと世界選手権のディフェンディングチャンピオンでしたね。帰国する際の成田空港でもお会いしに行ったほどなんですよ。私は当時まだ学生でした。


かつて所属したADRとZのジャージをもってサインをねだったファンにゴキゲンのグレッグ・レモン氏かつて所属したADRとZのジャージをもってサインをねだったファンにゴキゲンのグレッグ・レモン氏 (c)Makoto.AYANO本当に? ありがとう! あぁ、宇都宮には来るのが遅かったんだ。遅すぎた!。僕は日本に金曜日に来たんだ。なぜなら皆が「東京で練習なんてできない。人が多すぎるよ!」と言うもんだから、ぎりぎりまで出発を遅らせて金曜日に到着した。そしてヘリコプターで宇都宮へ飛んだんだ。そうしたらどうだ、まるでスイスのようだった。そして美しかった。すぐに後悔したよ。もっと早く来るべきだたってね。日本でのライディングはビューティフルだ!。

―― そうだったんですね。世界選手権に勝てなかったのは身体が日本時間に馴染むまでに時間がかかって調子が出なかったということですか?

そう。そして、登りが僕には短かった。1kmの登りだったが、もっと距離が長かったら勝てたと思う。あの1kmで世界のトッププロたちに対して差をつけるには、少し距離が短かったんだ。

ツール・ド・三陸を2度走ったグレッグ・レモン氏ツール・ド・三陸を2度走ったグレッグ・レモン氏 (c)ツール・ド・三陸実行委員会―― よく日本に来られてイベントに参加されていますが、日本のことが好きなんですか?

世界選の2年後の1992年には九州は雲仙にきました。たしかロマンチックチャレンジという名のタイムトライアルレース(現ヒルクライムチャレンジシリーズ 雲仙 普賢岳大会)に出場するために2度めの来日をしたんです。世界選の時に日本に完璧なライディング環境があることを知って、再来日を希望したんです。それから2005年のツール・ド・草津、ツアー・オブ・ジャパンにも来ています。ツール・ド・三陸では被災した地域を走りました。

―― それからは日本はあなたにとってサイクリングの国になっていると?

自身がデザインしたバイク「ブーメラン」を携えて日本を訪れ、なぎら健壱氏の「独占サイクルスポーツ」に出演したグレッグ・レモン自身がデザインしたバイク「ブーメラン」を携えて日本を訪れ、なぎら健壱氏の「独占サイクルスポーツ」に出演したグレッグ・レモン (c)GregLemondそう。今年(2014年)は2度めのツール・ド・三陸も走りました。近年は2、3年に一度はバケーションとして日本に来ているね。京都のサイクリングも楽しんだんです。素晴らしかった。近いうちに、三陸を一緒に走った友人たちと一緒に四国一周をしたいと思っているんだ。

―― 日本のどこが好きなのでしょうか?

京都、奈良、温泉、人が好き、食べ物が好き、自然が好き、建築や伝統、すべてが気に入っています。日本や日本の人たちともっともっと関係を深めたいと思っているんだ。日本でのサイクリングはいつも素晴らしい時間だ。
そして今はJPスポーツグループとの関係ができた(※)から、これからはもっと日本に来る機会が増えるだろう。日本に来るのはいつもとても楽しみなんだ。JPスポーツは私の好きな京都に拠点があるからね。
(※リドレー、スピードプレイ、Vittoriaシューズなどの輸入代理店。今後はレモンバイシクルズのPRとサポートを担当する)

―― そうなんですね。そう聞かされると私もとてもハッピーな気分になります。

グレッグ・レモン氏グレッグ・レモン氏 (c)Makoto.AYANOありがとう! 私もハッピーです。日本はいつもエキサイティングです。JPスポーツは良きパートナーとなってサポートしてくれます。このつながりを大切にして、私は日本との関係をもっと深めたいと思っています。

―― 日本でのサイクリングはどう感じていますか? アメリカやヨーロッパとは何か違いますか?

その人気ぶりに驚いています。日本の人々は私のことやツール・ド・フランスのことなども本当によく知っていて、サイクルスポーツにとても理解があります。そしてその人気はまだまだ伸びていますね。

―― 日本以外の国で気に入っているのは何処ですか?

近年はユーロスポーツでツール・ド・フランス中継を担当する近年はユーロスポーツでツール・ド・フランス中継を担当する (c)GregLemond近年はツール・ド・フランスを伝えるユーロスポーツのライブ番組を担当しているので、訪れたフランスじゅうを走っているんだ。やはり今でもヨーロッパを走るのは好きだね。トゥールマレー峠など、素晴らしいルートを改めて楽しんでいます。

―― レモンさんにとってレースではないサイクリングとは、どのようなものですか?

自転車はとてもソーシャルなスポーツです。なぜなら一緒に走りながらお互いの理解を深めあえるし、ライディングを通じてその土地のことなどをより良く理解できます。
ツール・ド・三陸での体験も素晴らしいものです。いろいろな人と出会い、語らい、友人になれる。素晴らしい体験です。

―― ところで、あなたのサイクリングライフを教えて下さい。あなたのホームタウンでの。どういうライディングをしているのですか?

あぁ。それには私がリタイアしたときの事情から説明する必要があるね。
私の胸にはまだ30数発の弾丸が残っているんだ。その弾丸による中毒症状から、強度の高いライディングができないんだ。

--- (注) ---
1987年、散弾銃の暴発事故により死に直面したグレッグ・レモン1987年、散弾銃の暴発事故により死に直面したグレッグ・レモン (c)GregLemondレモン氏は全盛期の1987年に、友人たちと出かけた狩りの最中に猟銃が暴発する事故により生死の境を彷徨う怪我を負った。奇跡的に一命を取り留め、復活してツール・ド・フランスにも勝利するが、その後、体内に残された散弾の鉛が原因で「ミトコンドリア性筋肉疾患」という難病が進行していることが判明。日常生活では支障がないものの、高いレベルの運動を行った時に筋肉に酸素が供給されず、異常な疲労と体力低下を招くというアスリートにとって致命的な病と診断され、引退を決意した。「あの事故がなければツール・ド・フランスに5回は勝つことができた」とレモン氏は振り返る。
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〜 レモン氏はノートパソコンを開いてレントゲン写真を見せながら、説明してくれる 〜

30以上の散弾片が胸部周りに残るレントゲン写真を見せてくれたグレッグ・レモン氏30以上の散弾片が胸部周りに残るレントゲン写真を見せてくれたグレッグ・レモン氏 (c)Makoto.AYANO
これが散弾銃の弾丸。これも弾丸。あちこちに。心臓の直ぐそばまで弾丸が来て、ほとんど死の一歩手前だったんだ。弾丸の除去は手術でも完全にはできず、今でも30ほどが体内に残っているんだ。今も中毒症状に苦しめられているんです。

マイヨ・ジョーヌを着てツール・ド・フランスを走るグレッグ・レモン。3度の優勝に輝いたマイヨ・ジョーヌを着てツール・ド・フランスを走るグレッグ・レモン。3度の優勝に輝いた (c)CorVos今、ライドは週に2、3度。強度が高くならないようにゆっくりと走っているよ。沢山は走れないんだ。激しい運動をするほど身体はダメージを受ける。乗りたい気持ちがあるけれど、なるべく短い時間で済ませるようにしているんだ。なるべく1時間に留めるようにしている。

ツール・ド・フランスではチームメイトのベルナール・イノーとの確執が表面化したツール・ド・フランスではチームメイトのベルナール・イノーとの確執が表面化した (c)CorVos―― 今でもそんな状態だったんですね。ツール・ド・フランスのチャンピオンのあなたが、力いっぱい自転車に乗ることができないなんて!

たくさん乗れる人が羨ましいよ。私はロード、シクロクロス、マウンテンバイク、アドベンチャーツーリングなど、バイクやライドの種類を問わずなんでも好きなんだ。ロードレーサーはもちろん好きだけど、僕はオフロードバイクもとても好きなんだ。

―― なるほど、レモンブランドにはシクロクロスバイクなどもありましたね。ご自身が好きだったんですね。

僕の家の周りにはシクロクロスのコースがあるんだ。普段からそこで乗っているし、プロトタイプなどもそこでテストしているんだ。例えば今、研究しているのは「アドベンチャーパフォーマンスバイク」。ビーチレーサーのようなバイクと言えばいいかな? 頑丈なホイールに太いタイヤで、しかしロードバイクのジオメトリーをもった、スポーティな狭いQファクターをもったスピードツーリングが可能な「冒険旅行をするバイク」だ。

ツール・ドフランス1989 グレッグ・レモンのシャンゼリゼでの逆転優勝の立役者がDHバーだったツール・ドフランス1989 グレッグ・レモンのシャンゼリゼでの逆転優勝の立役者がDHバーだった photo:CorVos―― そういえばフロントサスペンションを搭載したバイクをパリ〜ルーベに投入したのもあなたでしたね。

そう、ロックショックスつきのレモンバイクに乗ったジルベール・デュクロラ・サールがパリ〜ルーベに勝った(1992年と93年に連覇)。今、サスペンション付きのレモンのプロトタイプのアドベンチャーバイクもテスト中なんですよ。

―― それでは、レモンバイシクルズについてと、新作のスチールロードバイク、「Washoe(ワショー)」について教えてください。

レモンバイシクルズ社は1986年にスタートしました。なぜバイクカンパニーを興したかというと、ツール・ド・フランスに勝つためのベストなエキップメントを使いたかったからです。選手時代、タイムやTVTなど、勝つためのバイクを選んできました。その当時チームスポンサーのジタンはスチールしかなかったのです。当然交渉が必要でした。

私は自分で開発したり契約した製品をレモンブランドとして、最高のマテリアルでツール・ド・フランスに臨んでいました。
レモンバイシクルズ社はプロチームのスポンサーにもなり、ロックショックス(サスペンション)つきのバイクで2回パリ・ルーベにも勝ちました。

自身のアイデアで斬新な形状のハンドルバーを開発した自身のアイデアで斬新な形状のハンドルバーを開発した (c)CorVosスコットと共同開発したハンドル「ドロップインバー」は当時のレース界に衝撃を与えたスコットと共同開発したハンドル「ドロップインバー」は当時のレース界に衝撃を与えた (c)CorVos


アームストロングを疑う発言をしたことでトレック社でのビジネスを諦めざるを得なくなったアームストロングを疑う発言をしたことでトレック社でのビジネスを諦めざるを得なくなった (c)CorVosその後、トレックとのパートナーシップを結び、たくさんのレモンブランドのバイクを世に送り出しましたが、困難な時期(※)もありました。
(※ ランス・アームストロングのドーピングを疑い、批判する発言をしたことでトレック社と衝突し、訴訟に。事実上5年以上レモンブランドのバイクの販売停止状態に陥った)

しばらくレモンの名前のバイクは消えたが、休んでいたわけじゃないんだ。新たなスタートです。ビジネス戦略を変え、ユーザーにダイレクトに届けることにしました。サイクリストに本当にベストなプロダクツを提供したい。そう願っています。

グレッグ・レモン Washoeグレッグ・レモン Washoe photo:Makoto.AYANO/cyclowired.jp
―― その再出発の第一弾がこのwashoeなんですね。線の細いスチールのバイクはどこかクラシカルですが、とても現代的で魅力的ですね。

2014年にはかつて活躍した時代のカラーをまとったタイムとのコラボモデルを発表した2014年にはかつて活躍した時代のカラーをまとったタイムとのコラボモデルを発表した (c)GregLemond確かにレーシングの世界ではカーボンファイバーのフレームがベストなマテリアルですが、スポーツサイクリングにはそれだけがすべてじゃない。他の選択肢もあります。今、アメリカではハンドメイドバイシクルに対する関心が充分に高まっていて、人々は何か特別なものを欲している。
私自身の場合は、旅をするときにはバイクのことを心配したくない。カーボンバイクだと壊さないように気を遣わなくてはいけないですから。

―― washoe(ワショー)というのは変わった響きをもつ言葉ですね。何語なのでしょう? そして意味は?

私のサイクルライフは14歳の頃、「ワショー渓谷」で始まったんです。Washoeとは、カリフォルニアとネバダの州境にあるシエラネバダ山に先住するネイティブアメリカン(インディアン)「ワショー族」のこと。私もネイティブの血を18%引いているんです。そして4%は日本人ですが(笑)。
と、最後のはジョークですが、日本人は自然とともに生きる精神をもっていますから、ネイティブアメリカンと通じるものをもっていますね。

Washoeとは「People from here(ここから始まる人々)」という意味です。雄大な自然の広がるシエラネバダ山やタホ湖など、ワショー渓谷でサイクリングを楽しみ、幼いころにから自転車の魅力にはまっていました。
ですから、この新たなスタートもワショーとともに始めたい。そういう思いを込めました。

―― ワショーのコンセプトを教えて下さい。

オーバーサイズのヘッドチューブとシャープなトップチューブとの対比オーバーサイズのヘッドチューブとシャープなトップチューブとの対比 オーバーサイズのチューブ、ヘッド、ボトムブラケットなど、スチールという伝統的な素材を用いながら現代流にアレンジした「モダンスチール」バイクです。
ライドクオリティはカーボンバイクと同じレベル、そして何かテイスティなフィーリングをもっているバイクです。チューブは「サイズスペシフィック」(=フレームサイズに応じた剛性が出るように調整されている)設計とし、最大限の軽量化もなされ、素晴らしいライドクオリティをもっています。

そして私のバイクが常に知られてきたように、ワショーもまた私のジオメトリー哲学からすべてのライダーに可能な限りフィットするように慎重に設計されています。バイクデザインにおける私の哲学の重点は適切なフィット感とバランスにあり、それがLeMondバイクの特別なフィーリングとなります。
アマ・プロの14年間にわたって年間100レース以上も戦い続け、毎年2万マイル近くを自転車で旅してきた私は、バイクにはRide Characteristic(乗り心地の個性)が必要だと理解したのです。

―― 今後、レモンバイシクルズはどのような展開をしていくのでしょうか?

カーボンロード、スチールロード、マウンテンバイク、シクロクロス、グラベルロード、アドベンチャーライン、アーバン、パフォーマンスバイシクルなど、ラインナップは決まっています。カーボン、アルミなど、素材もそれぞれに適したものを駆使してこれから展開していきます。

―― プロダクツ開発に情熱をもっていらっしゃるんですね!

そう、僕はそういったバイクをデザインすることが本当に好きなんだ。
エルゴノミクス、フィット、ジオメトリー、フィジオロジー、すべてがうまくバランスよく反映されるように製品にいかしていく。決してプロレーサーのためだけのものでなく、エンスージアストに。すべての人々に良いポジションで乗ってもらいたいんです。

―― 今度は日本の何処かであなたと走れることを楽しみにしています。日本のサイクリストが再びレモンバイシクルに乗るようになる日が楽しみです。

ありがとう。また日本の皆さんと走れることを楽しみにしています。今度は是非一緒に走りましょう!


photo&text:Makoto.AYANO

(インタビュー協力:ジェイピースポーツグループ)