標高2758mのステルヴィオ峠。車の中でレースの到着を待っていると、寒さで顔面蒼白のサイクリストが窓ガラスを叩いていた。迎え入れて、エンジンをかけて暖房を付ける。外は吹雪のような雪が降っている。除雪車が巻き上げたシャーベット状の雪が車に当たる。本当にレースがここを通るのかと、そのサイクリストと顔を見合わせた。



霧に包まれた峠を進む霧に包まれた峠を進む photo:Kei Tsuji
ガヴィア峠は通行不可ガヴィア峠は通行不可 photo:Kei Tsuji飛び出したジュリアン・アレドンド(コロンビア、トレックファクトリーレーシング)らがガヴィア峠を行く飛び出したジュリアン・アレドンド(コロンビア、トレックファクトリーレーシング)らがガヴィア峠を行く photo:Kei Tsuji



レース直前まで除雪作業が行なわれるレース直前まで除雪作業が行なわれる photo:Kei Tsujiまだイタリア色の強いロンバルディア州北部を発ち、西側からステルヴィオ峠を登って東側に下りるとそこは南チロル。地名表記を含めて、沿道の標識がイタリア語とドイツ語の二重表記となる。峠を越えてもイタリアには変わらないが、文化や言語は驚くほど変わる。ちなみにステルヴィオ峠には3つの登坂ルートがあり、頂上手前で左に折れるとすぐにスイス国境がある。

ステルヴィオ峠の頂上でウインナーを焼いて待つステルヴィオ峠の頂上でウインナーを焼いて待つ photo:Kei Tsuji舗装された峠としてはフランスのイズラン峠(標高2770m)に次ぐアルプス2番目の標高を誇るステルヴィオ峠。開通は1826年で、オーストリア帝国(南チロルは帝国の一部だった)のフランツ・ヨーゼフ1世がウィーンとミラノを結ぶルート確保のために建設した。

雪降りしきるステルヴィオ峠を登るダリオ・カタルド(イタリア、チームスカイ)雪降りしきるステルヴィオ峠を登るダリオ・カタルド(イタリア、チームスカイ) photo:Kei Tsuji当時イタリア出身のカルロ・ドネガーニ氏がデザインした峠は、48のスイッチバックを含む刺激的なものだ。「スイッチバックとはかくあるべき」と言いたげな、180度コーナーが断続的に続く光景は圧巻。東側(南チロル側)から登ると、遥か頭上の峠に向かってスイッチバックが延々と続く様が見れる。イギリスBBCの人気番組トップギアが「世界最高のドライビングルート」と評したほどだ。

ジロに初めて登場したのは1953年で、これまで11回登場している。1967年、1984年、1988年、2013年のコースにも組み込まれていたが、雪のためキャンセルになっている。

この日のハイライトはそんなステルヴィオ峠の下りだった。

レース通過1時間ほど前から雪が本格的に降り始め、辺り一面真っ白な雪雲に覆われ、路面がうっすらと白みを帯びてくる。すると地元の作業員が重機での除雪作業を開始する。凍結防止剤もたっぷりと撒かれた。新城幸也(ユーロップカー)の言葉を借りると「(キャンセルされた)昨年のリベンジとして、大会の執念を感じた」。

徹底的に除雪が行なわれたため、路面に雪が積もったり凍結するようなことはなかった。ノーマルタイヤの車両でも全く問題ないほどの路面が保たれた。

しかし路面は0度に近い雪解け水に覆われている。降りしきる雪によって視界は悪い。別府史之(トレックファクトリーレーシング)が「コーナーが見えなかった」と言うほど、一つ先のコーナーが見えない。一寸先は、白い。数メートルの雪の壁なんて話題に上らないぐらい、ただただステルヴィオは白かった。



延々とスイッチバックが続くステルヴィオ峠の下り延々とスイッチバックが続くステルヴィオ峠の下り photo:Kei Tsuji
ステルヴィオ峠の頂上で止まってジャケットを着るサムエル・サンチェス(スペイン、BMCレーシング)ステルヴィオ峠の頂上で止まってジャケットを着るサムエル・サンチェス(スペイン、BMCレーシング) photo:Kei Tsuji


「雪のため、ステルヴィオ峠の下りをニュートラル扱いとする」「雪のため、ステルヴィオ峠の下りをニュートラル扱いとする」 先頭のダリオ・カタルド(イタリア、チームスカイ)がステルヴィオ峠の頂上に近づく頃、ジロ公式Twitterが「雪のため、ステルヴィオ峠の下りをニュートラル扱いとする」という情報を流した。しかしその数分後にその書き込みは削除され、代わって「先ほどのツイートは誤報でした。ステルヴィオ峠のニュートラリゼーションは行ないません」と書き込まれた。

スタッフから受け取ったサコッシュをくわえるナイロ・キンタナ(コロンビア、モビスター)スタッフから受け取ったサコッシュをくわえるナイロ・キンタナ(コロンビア、モビスター) photo:Kei Tsuji実際にラジオコルサ(競技無線)を聞いていると「雪で頂上付近のスイッチバック区間の視界が悪いため、下りでアタックを行なわないように、赤旗を掲げたモト(バイク)が先導する。赤旗が降ろされるまでは選手たちはポジションを維持するように」という通達がなされていた。

雪降りしきるステルヴィオ峠を下る新城幸也(ユーロップカー)雪降りしきるステルヴィオ峠を下る新城幸也(ユーロップカー) photo:Kei Tsuji頂上通過直前のアナウンス。暖かい紅茶や分厚いジャケットを手に頂上で待機していたチームスタッフたちは混乱した。チームによってはステルヴィオ峠の頂上で選手を止め、しっかりと時間をかけてジャケットを着せ、防寒対策を万全にしてから下らせた。一方で、サコッシュを渡しただけですぐに選手を下らせるチームも多かった。

雪降りしきるステルヴィオ峠を下る雪降りしきるステルヴィオ峠を下る photo:Kei Tsujiマリアローザを着ていたリゴベルト・ウラン(コロンビア、オメガファーマ・クイックステップ)は「ブラマーティ監督から『下りは選手の安全を考慮して先導バイクが付く。だからポジションを維持してアタックしないように』と指示を受けていた」と言う。「でも実際に下り始めるとモトなんてどこにも無かった」。

このステルヴィオ峠の下りで飛び出したナイロ・キンタナ(コロンビア、モビスター)が勝った。しかもマリアローザまで獲得した。今年のマリアローザ争いを決めかねないタイム差が生まれた。

最後の1級山岳ヴァルマルテッロで後続を引き離す走りを見せたため、キンタナがこの日最も強かったことは疑いの無い事実だが、当然ライバルチームにとってこれは面白くない。ステルヴィオ峠の下りについてレース後に議論が交わされることになる。

ジャーナリストたちに囲まれた大会ディレクターのマウロ・ヴェーニ氏は「大会として公式にニュートラライゼーションは発表していない。頂上まで数キロを残した時点で、ラジオコルサを通して『下りが危険なため、赤旗を持ったモーターサイクルに続いてスイッチバックを下るよう』に促したが、ニュートラルに言及した事実は無い」と説明に追われた。

確かに「ニュートラル」という言葉は使われていなかったが、公式Twitterが間違ってしまうほど、あまりにも曖昧なアナウンスだった。実際に、赤旗を持ったモトが数台走っていただけで、集団を安全に麓までエスコートしているようには見えなかった。そしてモーターサイクルを抜かしている選手も多かった。

ただでさえ極限の状態で行なわれたステージ。「選手の安全を考慮した」と言うが、その大会ディレクションには疑問の声が上がる。大会側は、史上初となるガヴィア峠とステルヴィオ峠の同日登坂を喜んでいられない。このステルヴィオの闘いは禍根を残すことになりそうだ。



ステルヴィオ峠でグルペットも崩壊し、一人一人慎重に下りを進むステルヴィオ峠でグルペットも崩壊し、一人一人慎重に下りを進む photo:Kei Tsuji


これはスポーツなのか拷問なのか一体何なのか。ヘルメットに雪を積もらせながら、体感気温が確実にマイナスの環境で、無言でスイッチバックをこなしている選手たちを見て胸が痛くなった。考えうる限り最悪なコンディションに見舞われたクイーンステージ。フィニッシュにたどり着いた160名全員に賞賛を贈りたい。

ジロは残り5ステージ。アイルランドのステージが遥か昔のことのように感じる。

text&photo:Kei Tsuji in Val Martello, Italy